御前試合 前編
「うぉぉおおおおお!」
唸るような咆哮と同時に、私へと槍による突きが放たれる。私の眼前にいる大地の国の槍使い――ダルカスは、全身がボロボロで、立ち上がっているのも不思議な状態だ。
しかし、その目には揺るぎない闘志が見て取れる。この一撃は覚悟を決めた一撃だ。私は魔力を練り上げ、万能結界を展開する。
――ガキンッ
槍の攻撃は弾かれ、ダルカスは体勢を崩す。私はすかさず幾つもの氷の刃をダルカスの周りに展開した。
数秒の沈黙の後、ダルカスは片膝をつきながら、私を見上げた。
「参った。完敗だ。この日のために鍛錬をしてきた俺の筋肉を打ち破るとは……さすが、カナデ殿だ!」
「……」
ダルカスは血反吐を吐きながら笑った。しかし、すぐにその笑いは途絶え、地面に倒れてしまう。それを見て、慌てて控えていた医療班がダルカスを回収して行く。
「空の国出身カナデの勝利です! これで決勝は月の国王弟サヴァリスと空の国出身カナデの対決となりました。決勝開始時刻は――」
私の勝利を伝えるアナウンスと共に、会場内は大きな歓声に包まれた。手を振る者、ヤジを飛ばす者、応援する者と、みんなそれぞれ御前試合を楽しんでいるようだった。
私は適当に愛想笑いを浮かべると、ノロノロと歩きながら控え室に戻った。
♢
控え室の扉を開けると、そこにはロアナがいた。選手控え室は関係者以外立ち入り禁止のはずなのに、ロアナは当たり前のように私を待ち構えていたのだ。警備兵に私の身内枠として入れて貰ったのかもしれない。
「試合、見てたわよ。圧勝じゃない」
「……まあ、ね」
私は歯切れ悪く答えた。第五王子からの衝撃的な告白から一晩たったが、どうにも色々と考え事が多くてぼーっとしてしまう。
……あー、集中しないと。
そうは思うが、色々な事が頭の中を駆け巡る。
私は人なのか、禍津神なのか。
いつか愛する人たちすべてが居なくなったとき、私は正常でいられるのだろうか。
本当の私を受け入れてくれる人なんていないんじゃないか。
私は『生きる意味』を見いだせるのだろうか。
「いつまで、ウジウジ悩んでいるのよ! らしくない!」
青筋を浮かべたロアナが、私の両頬をつねり上げた。鼻の穴が限界まで広がったかと思えば、顔が梅干しみたいに皺くちゃになるほど肉が寄せられる。
容赦なさすぎだよ、ロアナ!
「いっひゃい! いひゃいよっ、ろあなぁ!」
じたばたと暴れ、必死にロアナに懇願するが、彼女は手の力を緩めない。むしろ、ねじりを加えたりして、つねりがパワーアップした。
「虹の公国で倒れた後から悩んでいるみたいだったけど、らしくないのよ! それにマティアス殿下に振られたんじゃなくて、振ったんでしょう。どうしてカナデが落ち込んでいるの!」
え、そんな前から私が悩んでいたのを気づいていたの!?
私はオリフィエルの呪いが解けてから、自分の在り方を悩んでいた。それは漠然とした悩みであり、今考えることではないと思っていたのだ。
しかし、第五王子の告白で現実的に考えるようになった。私の寿命は無限に近い。でも、私の周りは違う。現状維持のままではいられない。死に向かって、みんな……変わっていく。それが人として当然の在り方だ。
「わたしに報告したこと以外に、何かマティアス殿下に言われたの!? 御前試合の二回戦でフローラ王女に精神と肉体をメタメタにされていたけど……必要なら、わたしも追い打ちするわよ!」
そんなことしたら、第五王子が死んじゃうよぉ! やめてあげてぇ!
「あら? マティアス殿下に何か言われた訳ではないのね」
ロアナは首を傾げながら言うと、最後に思い切り私の頬をつねり、手を離した。
私は痛みにのたうち回りながら、ロアナを見上げる。
「痛いよ……リアルほっぺが落ちるを経験するところだった……」
「落ちた方が良かったんじゃない?」
「そんな訳あるか!」
私が声を張り上げると、ロアナは怒るでもなく、ふわりと花開くように微笑んだ。
「いつものカナデに少しだけ戻ったわね」
「……ロアナはどうして、私のことを理解してくれるの?」
私の微細な変化にロアナは気づいていた。実はロアナは私の心が読めるんじゃ無いか。そんな突飛よしも無い考えが脳裏にちらつく。
「誰かのことを理解できるなんて、おこがましいことよ。血の繋がった家族でも、恋人でも、完全に理解することは難しいわ。だって、本人ではないんだもの。考え方も肉体も同一ではないわ。それでも……大切な人だからこそ、理解しようと努力するの」
「……ロアナ」
ロアナのオレンジ色の双眸は切なげに潤んだ。そして私の両頬を今度は優しく手で包み込み、コツンと額を重ね合わせる。じんわりとロアナの熱が私へと伝わった。
「ねえ、カナデ。何を悩んでいるの。いつも後先考えずに突っ走るでしょう? 貴女は端的に言って馬鹿なんだから、本能の趣くまま行動すればいいのよ」
「……さりげなく馬鹿にしていない?」
「直球で馬鹿にしているわ」
「酷い! 親友なのに!」
「そうよ。わたしはカナデの親友なの。だから、貴女が何かやらかせば尻ぬぐいするわ。逆にカナデだって、わたしの危機には手を差し伸べてくれるでしょう。わたしたちは、いつもそうだったじゃない」
憤慨すると、ロアナはクスクスと笑い、私から離れた。
「カナデ。悩んでいるなら考えるんじゃなくて、行動しなさい。それの方がカナデらしいわ。貴女は元気なことが取り柄でしょ。わたしだけじゃない。サルバドールもワトソンも……他にもたくさんの人たちが、カナデを心配している。絶対にカナデの力になってくれるわ」
「本当に……?」
純粋に人とは言い切れない私に味方してくれる?
生きる時間の違う私と、友達でいてくれる?
いつかくる別れの時に、私と友達になれて良かったって……笑ってくれる?
でも本当はね。私と一緒の時間を生きて欲しいんだよ。
それがロアナやみんなの『幸せ』にならないって分かっていても、そう思わずにはいられないんだ。
私には自分の欲望を叶えるだけの力が眠っている。
いつか……みんなの『不幸』を願ってしまうんじゃないか。
私の本性は、破壊と呪いを司る災厄の神だから。
ねえ、それでも……私と友達でいてくれる?
「ええ、本当よ。わたしだって、愚痴でも悩みでも何でも聞いてあげるわ。ただし、ご飯を奢ってちょうだい」
情けない顔をしている私の手をロアナは無理矢理掴んだ。絶対に離さないとばかりにギラギラとした目で私を見ている。
……そっか。ロアナはどんな私でも親友でいてくれるんだね。
悩んでいるのが馬鹿らしくなった。
私はいつも通り笑い、ロアナに詰め寄った。
「そこは無償でって言うところじゃん!」
「親友価格よ」
ロアナは堂々とした様子で胸を張った。
「まあ、お金大好きなロアナにしては破格の値段かもね。まったく、守銭奴なんだから」
「お金を大切にしない人は、お金に泣くのよ」
ロアナはお金を大切にしてても金欠で泣いているのに得意げに言った。
きっと、今の私は憑き物が落ちたように晴れやかな顔をしているだろう。親友がご飯を奢るだけで尻ぬぐいをしてくれるし、悩みだって聞いてくれる。そして、どんなことがあっても親友でいてくれる。悩むなんて時間の無駄だ。
「ねえ、ロアナ。私ね、この世界に来たばかりの何もかも忘れていた時、今度は好き勝手に生きようって思ったんだ。人生の理不尽さを知っていたから」
支離滅裂な突然の私の言葉に、ロアナは訝しむ訳でも無く、ただゆっくりと頷いた。
「……そう。我が儘な子に育ちそうね」
「だよねー。そして実際に我が儘な子に育ったよ」
「でも、我が儘な子には、支えてくれる人たちがいるみたいよ」
「うん、知ってる。そしてその我が儘な子はね、これからの人生、ずっと我を通すことに決めたみたい。そして人生を楽しみ尽くしてやるって」
せっかく生き直させてもらえたんだ。楽しまなくてどうするのさ! 辛いことは、相原奏が死ぬときに十分経験したじゃん。オリフィエル公認なんだ。楽しんだって、罰なんか当たらない!
「その子の親友は、随分と大変そうね」
ロアナは呆れてはいるが、悲壮感はない。いつものことだとでも思っているのだろう。
「いっぱい迷惑かけるだろうね。最低かも」
「親友が苦しんでいる時は手を差し伸べてくれる、優しい子だと思うけど」
親友が苦しんでいるなら、手を差し伸べるのは当たり前だよ。
それにロアナは……私の『特別な人』だし!
「えへへ……あ、そろそろ決勝の時間じゃん!」
時計を見れば、決勝の時間まであと5分もない。急いで会場に行かなければ、不戦敗でサヴァリスの勝利になってしまうかもしれない。
それだけは避けなきゃ! なんたって、命令権がかかっているからね。負けられない戦いが今、ここにある……!
私は御前試合に向かうために走り出すと、扉の前で振り返った。
「ロアナ! ちょっと、憂さ晴らしに行ってくる!」
「存分にやりなさい、カナデ!」
会場ではおそらく空の国の重鎮たちがピリピリしているだろう。
しかし、親友の声援を受けた私は上機嫌だ。
もう何も怖くな――って、これ死亡フラグじゃん!?
あっぶねぇ……でも、全部言っていないからセーフ!
選手入り口に行くと、御前試合のスタッフが慌てた様子で私を呼び込む。
「カナデさん! サヴァリス殿下はもう待っていますよ!」
「うっわぁ……ギリギリ間に合ったよね!?」
「はい! でも皆さん、首を長くしてお待ちです」
「分かった!」
猛ダッシュで会場に入ると、大声援が私を迎えた。そして私の目の前には、憂さ晴らしの相手であるサヴァリスがいる。
二ヶ月ぶりに見たサヴァリスは、以前と変わらずに微笑んでいた。しかし手に持った抜き身の聖剣と、漂う濃密な殺気が彼の本来の気性の激しさを窺わせる。
戦闘狂マジ怖っ!
「来てくれないかと思いました。このままでは、私の不戦勝だと思っていたので嬉しいです」
ドン引きしている私の内心を知ってか知らずか、サヴァリスは笑みを深めた。
なんか……挑発されている気がするよ! ま、負けていられない!
私は息が上がるのを隠し、必死に鼻呼吸をしながら見下すようにサヴァリスを見た。
「ふんっ。い、今の……私は、ロアナのおか、げぇで……」
「カナデ、落ちていて呼吸した方がいいですよ」
「う、うるさぁい!」
私はサヴァリスに背を向けて、深呼吸を繰り返し、こっそりと息を整えた。
酸素充電完了。ふふっ、私は完全体なり!
「今の私はロアナのおかげで無敵モードだからね!」
「全力のカナデと戦えるなんて嬉しいです」
挑発したのに、喜ばれてしまった!? 戦闘狂ぱねぇ!
「あのね。忘れていないでしょうね?」
「勝者が敗者に一つだけ命令権を持つ……でしたか。ええ、忘れていませんよ。私が言い出したことですから」
「勝つのは、私だから!」
「戦いとは、実力の他に運の要素が大きく絡みますから、一概には言えませんね」
「真面目か!」
サヴァリスは落ち着いた様子だ。二ヶ月前に怒りを露わにしていた時とは大違い。
今でも、素敵平凡スィーツ男子に化けて私へ近づいたサヴァリスに怒っている。しかし、怒りというのは時と共に風化するもので、今回の戦いでどんな結果になっても受け入れようという気になっている。いつまでも意地を張っていられない。私は素直に生きるのだから。
「それでは、御前試合決勝を始めます!」
会場全体に試合開始の合図の放送が響き渡る。
私とサヴァリスの視線は一瞬交差し、同時に動き出した。
「最初から本気で行きます!」
「させない!」
サヴァリスは剣を構え、一直線に私へと攻撃を叩きつけた。青色の聖剣には、割れたガラスのように鋭い銀粉を纏っている。これは氷魔法だ。こんな細やかな魔力操作ができるなんて、さすがサヴァリス。
対する私は、万能結界でそれを正面から受け止めた。私には俊敏な動きは無理だ。攻撃は避けるのでは無く受け止め、隙を見て攻撃魔法を放つ作戦でいく。
――ガキンッ
万能結界に弾かれ、サヴァリスが一歩後退した。
……なんつー攻撃力!
正直に言って、集中していたから防げたけれど、不意打ちだったら万能結界を突き破られていたかもしれない。それほどにサヴァリスの攻撃力は凄まじい。
ぐっと奥歯を噛みしめていると、体勢を立て直したサヴァリスが、剣先を万能結界に突き刺すように再び剣撃を打ち込む。
――ピシリッ
「え? まさか……!」
私は慌ててサヴァリスに突かれた万能結界の部分を見た。そこは初撃で一番ダメージを受けた場所だ。そしてそこにサヴァリスは第二撃を狙って突き刺し、万能結界にヒビを入れたのだ。
……ちょっと待って。万能結界って無色透明なんですけど! どうやって、探り当てたんだよ。戦闘狂の感か! 恐ろしすぎだから!
「おや。やはりその結界……『万能』ではないようですね」
「むっきぃぃいいい!」
私はサヴァリスに向けて爆裂魔法を叩き込む。しかし、それはサヴァリスに軽くいなされてしまう。周囲は爆発の煙により、黒く染まった。
……ふっふふ。私の狙いはこの煙幕さ!
素早く私は飛行魔法で上空に飛び、体勢を立て直す。サヴァリスの攻撃を何度も食らったら、万能結界を破られる。そうなったら、無防備に攻撃を受けることになる。それだけは避けなくては。私がぐっちゃぐちゃになってしまう。
「煙幕であろうと、関係ありませんよ!」
体勢を立て直そうとしたのもつかの間。サヴァリスは煙幕が完全に晴れないうちに動きだし、正確に私へ氷の一閃を放つ。
メキメキと氷は万能結界を覆い尽くし、全体に対して均一にダメージを与えた。
「チッ……目を瞑って攻撃出来る系かよ! そんなの漫画の世界だけだろ、このチートが!」
悪態をつきながらも、私は急いで風魔法を展開し、氷を残らず砕いた。サヴァリスは再び一閃を放つ。私も負けじと雷撃を放った。
轟音を響かせながら、氷と雷はぶつかり合う。そして周囲を凍らせ、焦がしながら、力は相殺した。
「まだまだ!」
私は続けて無数の風の刃をサヴァリスに向けて放った。しかし、サヴァリスはそれらを聖剣を一降りして、チーズを切り裂くように消してしまった。通常の剣ではありえない切れ味だ。
誰だよ、チートにチート武器渡したの……って、私だよ!
自分で自分の首を絞めるとは、まさにこの事。月の国で聖剣を錬金して、その出来映えに浮かれていた過去の自分を殴り倒したい。
えっと確か聖剣の性能は……水魔法の攻撃力の増加、何でも切れるかもしれない切れ味、解毒機能、体力回復効果だったけ。……鬼にバズーカ持たせちゃったよ! 私のバカバカ!
「よそ見はいけないですよ? 私を見てください」
甘い声音なのに、ゾワリと私の前身に鳥肌が立つ。サヴァリスは一瞬にして私の背後へと回っていたのだ。そして、何でも切れるかもしれない切れ味を存分に活かした、シンプルな剣撃を私に打ち込む。
「ぐっ」
万能結界の維持のために、多くの魔力が持って行かれる。踏ん張っている私に、サヴァリスが余裕のある笑みを向けた。
「カナデ。本気を出してください。神属性魔法を……まだ使っていないでしょう?」
神属性魔法を使う気なんてなかった。あれは戦場で敵に向けるべきものだ。だから、御前試合で使わない。でも……
「カナデ。この程度だと、私をガッカリさせないでくださいね」
「さっきから、ムカつくんじゃぁあああ!」
私は神属性魔法を展開し、数百にも及ぶ、触れたものを消滅させる白銀の矢を作り出した。
そして私の切り札とも言えるそれらを、一斉にサヴァリスへと放つ。
サヴァリスは大きく後退し、私と距離を取った。
去り際に見せたサヴァリスの表情は、獰猛な笑みをたたえていた気がした。
……気のせいだよ。もう、後悔しても遅いんだから!
白銀の矢は、流星のようにサヴァリスへと降り注ぐ。
「……全部処理するのは大変そうですね」
サヴァリスの周りに、一瞬にして数百の氷の矢が現れた。それらは淀みない動きで、白銀の矢とぶつかっていく。音も残滓も無く、次々と白銀の矢と氷の矢が消えていく。
「嘘でしょう!?」
数百の氷の矢を寸分狂わずに白銀の矢に当てるなんて、人間業じゃない。
私はどこかでサヴァリスを嘗めていた。彼は人で、私は禍津神。だから、いくら力を制御ペンダントで力を封印していようと、私に敵うはずがない。そう傲慢に考えていた。
しかし今更後悔しても遅い。サヴァリスは全ての白銀の矢を消すと、私に追加の氷の矢を放った。
今度は私が流星を受ける番だ。
「ぐぅ……絶対に耐えるんだから!」
氷の矢を万能結界で受け止め、衝撃に耐える続ける。目の前では氷の矢が砕け散り、季節外れの吹雪のように幻想的だ。
だが、景色を楽しんでいる暇はない。サヴァリスの氷の矢は、一本一本が高濃度の魔力が練り込まれたもので、矢と言うよりは剣の威力だ。
「……はぁはぁ……耐えきった」
景色が晴れた時、サヴァリスの姿が見つからなかった。
……やばっ!
急いで振り返り、万能結界に魔力を込めようとするが、既にサヴァリスの剣は眼前にあった。
今までで一番強い魔力を感じさせる、蒼銀の閃光を纏った聖剣。その渾身の一閃が真っ直ぐに私へと振り下ろされる。
――パリンッ
まるで卵の殻を割るように、あっけなく万能結界は砕けた。
そしてそのまま、私を貫く。
真っ赤な宝石のような雫がスローモーションで飛び散り、ごりごりと全身に振動が伝わる。
「あ、う、あああああああああああああああ!」
遅れて右腕に激痛が奔る。堪らず私は喉を限界以上に振るわせた。
……何、これ。
涙が溢れ、焦点が定まらない目で必死に痛む場所を確認すると、そこには力の入らない千切れかけた右腕がぶら下がっていた。