表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
孤月道草  作者: KAME
8/9

第七章 二人だけの彼方へ




 ―――これより沖島海歌が鷺の血族に連なる者として、弧道草月へ異なる理の一を教授する。


 異なる理、と彼らは言った。


 ―――本来この世界には存在しない、別世界の法則とされています。


 この世界のものとは違う法則なのだと、説明された。

 だからきっと、これは……。

(あー、死んだ。無理だこれは)

 草月はいっそ投げやりな気分で、迫る光の壁へと対峙する。球ではなく、それはもはや壁だった。

 回避不可能な死を前に、心は驚くほど凪いでいた。

 恐怖はない。ただ安らかな喜びに満ちている。

(いるんだな、俺より凄いの。そりゃそうか)

 諦めや敗北感すらすがすがしい。肩の荷が降りて、全身をがんじがらめにしていた糸が解け、羽が生えたかのように心が軽い。

 死は救済だ。

 ずっと生きるのが苦しかった。

 うつろに塗れた日常に嫌気がさしていた。

 それが終わる。自分より強い者との戦いの中で死ねる。そんな幸福は他にない。

 これが望んでやまなかった己の最期だ。最高だ。

「……無茶、言いやがって」

 ギリ、と奥歯を噛みしめる。

 ずっと一人だった。孤独で苦しかった。助けようと伸ばされた手はあったけど、とっくに届かない場所に居た自分が最悪だった。

 化け物だと言われて、そうだったのかと納得した。人ではないから仕方ないのだと諦めた。

 それでも願っていたのだ。光り輝くような奇跡を。


 ―――……お互い、不器用ですよね。


 夕暮れの公園で、そう言った彼女の顔を思い出す。

 刀を構える。だってそれしか知らない。弧道草月はそれでできている。

 剣に道は無かった。向かう場所など示してはくれなかった。

 剣に誇りは無かった。ただ空虚な風穴が胸にあるだけだった。

 されど、剣に曇りは無かった。剣があればすべてを忘れ去ることができた。

 どうせ人生百回やり直したところで、百回全部剣に生きることは目に見えている。まがりなりにも今まで生きて来られたのは剣があったからで、剣を究めるのは己の宿命だ。

 だから草月は知っていた。

 異なる理と彼らは言った。この世界のものとは違う法則なのだと説明された。

 そんなもの、自分には扱えない。

 剣術はこの世の理に属する。どれほど常識外れをしでかそうと、それは決してこの世界のルールを逸脱しない。

 法則の内側ギリギリの上限をひたすらに追い求め、擦り削るように磨き続けたそれは、弧道草月という剣士の全身に隅々まで染みついている。

 だから今更、異なる理が入る余地は存在しない。

 そんなもの使えるはずがない。そんなもの、弧道草月という存在が許すはずがないのだ。

 だってそうだろう。

 弧道草月の技は、この世の理そのものだから。


 ―――わたしの全力、受け止めてくれますか?


 救ってください、と言われた気がした。

 死んだらがっかりさせるんだろうな、と思った。

 それだけはイヤだな、と思ったのだ。




 一閃。




 覆い尽くさんばかりの光の球が霧散した。無数の粒子になり、宝石をちりばめたかのように降り注いだ。

 白羽は全力を真っ向から斬り伏せられたのだと理解し、驚愕に目を見開きながらも、その結果をしっかりと受け入れた。どうやって、などどうでも良くて、ただ嬉しかった。

 自分よりも前に、自分よりも上に、彼は居たのだと。

 明から暗へ、いきなり光量が激減した視界が慣れる間もなく、鷺宮白羽はそれを耳にした。

 荒々しい雄叫びと、駆ける音。

 自分を殺そうと、まっすぐに向かってくる音。

 もうすっからかんで、迎え撃つにも防御するにも全然足りない。身体に力は入らないし、何より心がいっぱいで動く気になれない。

 月光に刃がきらめく。あんなに綺麗なものは他に知らなかった。あれに斬られて死ぬなんて、どれほど幸せなことだろう。そう、夢見るように微笑んだ。

(ああ、でも)

 夕焼けの公園で、自分と似ていると言ってくれた顔を思い出す。

(わたしが死んだら、この人はまた孤独になってしまうんだ)

 それはなんだか、すごくイヤだった。

 もう、あんな孤独に放り出したくなかった。

 わたしがいるよ、と言ってあげたかった。

 さびしくないからね、と手を握りたかった。

 だから最後の力を振り絞って、動こうとして。

 ピクリとも動けぬまま、刀が振り降ろされた。

 血飛沫が舞う。




 草月には何も見えていなかった。強い光を目にした直後のように、視界は輝きの残滓で埋め尽くされていた。

 視覚だけではない。聴覚も、触覚も、味覚も、嗅覚も死んでいた。完全にオーバーフローした脳は、五感からもたらされる情報の処理を放棄していた。

 己の叫びも聞こえずに、踏みしめる大地の感覚も無く、臓腑から込み上げる血の味や臭いも分からない。

 そもそも意識があるかどうかすら疑わしい。

 駆けるのは本能だった。突き動かすのは憐れみだった。叫ぶのは寂寥だった。

 すべての感覚が機能しない状態で正確に間合いを詰めたことも、寸分の違いも無く少女へと刀を振り降ろしたことも、彼以外にはとうていできない離れ技だ。


 だが、刀は半ばから折れていた。


 袈裟掛けに斬られながら、傷口から血液を吹き出しながら、生きているのを疑うような顔で鷺宮白羽は動いた。

 草月が二の太刀を放つより速く、前へ踏み込む。

 剣は、ある程度の距離が無ければ振れない。それは草月自身が語ったことだ。

 密着する。距離が完全になくなる。刀の射程距離の、さらに内側の安全圏に潜り込む。

 異なる理は使えない。力などもう残ってない。

 だけど、一つだけ。目に焼き付いて離れない、その技を白羽は知っていた。

 腰を落とし、さらに踏み込む。―――叫ぶ。

「あ、ぁあアッ!」

 つま先から肩まで、突き抜けるように。ゼロ距離からの体当たり。

 武術など習ったこともない白羽が放つそれは、以前草月が魅せたものとは比べるべくもない。劣化品と言うのもおこがましい粗悪な模倣だ。

 それでも今の草月には、それを防ぐことができなかった。

 人形のように突き飛ばされ、受け身も取らず肩から地面にぶつかる。慣性で一回転半して、うつぶせに止まった。

 シン、と静まりかえる。

 月の薄い明かりの下、改めて見れば少年の姿は酷かった。身体は血まみれで、服はいたる所が破け汚れ、まるでボロ雑巾の有様だ。

 少年は地面に倒れたまま、ピクリとも動かない。

 少女はその姿を見ながら、崩れるように膝をついた。




「……何が、起こった?」

 その攻防を目にしながら、まるで理解できず、時人は抱えた鍛冶師の少女に問いかける。

「沖島、あれは魔剣の力……なのか?」

 白羽の堕とした光の球体。十分に離れて観ていた時人でさえ、巻き込まれる危険を感じた大規模攻撃。

 時人の見間違えでなければ、草月はそれを斬ったのだ。

「違う! あたしにはあんな事できない!」

 海歌は倒れ伏した剣士から目を離さないまま、断固として否定した。

「じゃあなんで!」

「あれは魔剣じゃない。あたしはあれになんの力も注いでない!」

「はぁ? まさか鷺宮に肩入れして……!」

「してない! あれで注文通りなの!」

「え……?」

 時人が疑問の視線を向けても、海歌は一点だけを見つめていた。

「あたしが教えた……」

 唇を震わせながら、彼女は独白する。

「でも……ありえるの?」

 鍛冶師の視線の先で、ゆっくりと剣士が動く。




 折れた刀を握ったまま、右手を地面につく。左腕は動かない。口に溜まった血を吐き捨て、片手だけで身を起こす。痛みが全身を襲う。歯を食いしばって耐える。

 その場にあぐらをかいて座り込むと、空を見上げた。欠けた月が浮かんでいる。人里離れているからか、星が綺麗に瞬いていた。

「……なんで、とどめに来ない?」

 月を見上げながら呆然と口にする。

「まだ、一歩も動けません……」

 答える少女の声も、どこか呆けていた。

「そりゃ、仕方がねぇ」

 ッハ、と少年は短く笑って。

 タハハ、と少女は情けなさそうに笑った。

 あーあ、と空に気の抜けた嘆息を吐き、草月はへらりと笑う。

「あー……産まれて初めて思ったわ」

 静かに、穏やかに口にする。

「この時代に産まれて良かった」

 気づけば。

 頬を、涙が流れていた。

「お前に会えて良かった」

 見れば、白羽もぼろぼろと泣いていた。泣き顔を隠しもせず、草月を見ていた。

「はい……はい……!」

 二人はきっと、どこまでも、どこまでも似たもの同士だった。

 時代に恵まれず、世間に理解されず、矛盾に苛まれながら生きてきた。

 そんな二人だから底の底まで分かり合えたし、分かち合えた。

 きっと、産まれて、出会って、戦ったのは運命だ。

 でなければおかしい。だって二人ともが、この日のために生きてきたようなものなのだ。

「……わたしたち……わたしたち。もしかしたら……もっと違う、別の答えがあったかも、しれません」

 うわごとのように、嗚咽混じりに。少女は夢想を口にする。

「普通に出会って、普通にわかり合えてたら……もっと普通におつきあいなんかして、普通に結婚もして、とか……」

 突拍子のない、もしもの話。ただの少女が抱く夢の未来。

 そんな他愛も無い、儚いささやきを向けるのが殺し合う相手だなんて、哀れにすぎて。少年はくしゃりと破顔する。

「ああ、そりゃいい夢だなぁ」

 哀れなのは自分も同じだと。

 草月は今のこれとはまったく違う、心地よい別の答えに思いを馳せる。

 普通。それは二人ともが、同じように憧れていた言葉。

 憧れて、結局は無理だと諦めた言葉だ。

「それで、子供も産まれて、技を教えて、継がせて」

「ならガキは二人欲しい。さすがに一人に両方詰め込むのは可哀想だ」

「あは……三つ子だったらどうします?」

「あー、そりゃ……分かんねぇな」

 そんな夢のような未来は、もしかしたら実現するのかもしれない。二人が協力すればこの世に敵はいない。手を取り合えばどこまでだって行けるだろう。……そんな暖かな錯覚を胸に、草月はゆっくりと立ち上がる。

 刀は半ばで折れていたが、幸いにもまだ刃は残っている。ふと思い出してぐるりと見回せば、少し離れた場所で地面にほとんど垂直に、刃の先端が突き刺さっていた。

「もう……動けるんですか?」

「いや、これ以上休んだら永眠するんだ」

 問いの答えはシンプルで、それが嘘ではない証拠のように、少年の口元からどぷりと血が漏れる。

 それでも、草月は大地をしっかりと踏みしめて立った。

「刀も折れてるのに……まだ戦えるのですか」

 どこか嬉しそうに、白羽もゆっくりと立ち上がった。血を失って少し足元がふらついたが、それでも立った。

「刀なんて元々そういうもんだ。曲がるし折れるし刃こぼれするし、一人斬ったら血と油で鈍器に成り下がる」

 けどな、と。草月は不敵に口の端をゆがめる。

「魔剣は折れてなお敵の足を待ち、刃を天に向ける」

 折れた刀で地面を示せば、見当違いの場所ではあったが、剣の先端はほぼ垂直に地面に刺さっていた。

 まだ闘志が尽きていないかのように、虎視眈々と好機を狙うように。

「曲がれば防御をすり抜けるし、砕けた破片は目に入る。こぼれた刃の傷は治らず、やがて腐って死に至らしめる。そんなふうに、どんなになっても、どこまでも剣で在り続けるのが魔剣だ。そして剣士とは剣になる者だ。……ってな。受け売りだけどな」

 剣になる。そう、草月は言った。

 剣を身体の一部のように使いこなすのではなく、自身を剣にする。ゆえに剣の士であると、そう言った。

「……本当に、素敵ですね」

「お前はどうなんだ。もうとっくに限界だろ?」

 草月が聞く。儀礼のように、とっくに分かりきった答えを尋ねる。

「はい……もう本当に限界です」

 涙に濡れてくしゃくしゃになった顔のまま、内容にそぐわない清々しい声音で、白羽はうなずく。

「不思議です。わたしは大罪を犯すところでした。世界を破滅させたかもしれません。……でも、後悔もうしろめたさもない。胸がすっとして、心がこんなにも軽い」

 自分の胸に手を当て、白羽は幼子のように微笑む。

「血の誇りも、名の義務も、仲間への義理も……わたしはきっと、最初からどうでもよかったんでしょう。だからこれ以上、続ける理由なんてありません」

 己をがんじがらめにしていたすべてを吹っ切って、空へ羽ばたく若鳥のように。

「でも、幸いにして……わたしは、逃げ方なんて知らないんです。誰一人として、それをわたしに教えることはありませんでした。だから……」

 そうして、鷺宮白羽は弧道草月をまっすぐ見つめる。

「わたしは……」

 言いかけて、少女は口をつぐんだ。一度視線を降ろし、そして再度顔を上げたとき……その表情は引き締められていた。

「わたしは、ただの鷺宮白羽です」

 少年はすぐに理解できなくて、しかし分かったとたんに吹き出した。

 応えるように、折れた刀を構える。

「俺は、ただの弧道草月だ」

 二人の視線が交錯し、少しの時間、見つめ合った。

 同時に動く。




 この戦いには、はじめから大義などなかった。

 この戦いには、はじめから意義などなかった。

 だから、互いにやめ時など知らなかった。

 草月は駆ける。草月には最初から最後まで、距離を詰めて斬るしかない。

 白羽の指先に光が灯る。爪ほどの光弾が計四つ。今の白羽にはこれだけしかない。

 光弾が放たれる。三つ。

 少年は身を躱す。だが二つ被弾する。胸部と腹部、共に光弾が貫通する。

 少女の肩が掴まれる。抵抗もできず引きずり倒される。地面にしたたかに後頭部をぶつける。胴に馬乗りされ、動きを封じられる。

 二人とも笑っていた。


 折れた刀に月光が反射する。

 最後の光弾が放たれる。




 ―――もしアンタのすべてを分かってくれるような、アンタの全部を受け止めてくれるような、そんな奇跡のような相手がいたとしても……死体になったら、何もしゃべれなくなる。

 ―――アンタはずっと、孤独なままよ。




 前触れもなく折れた刀身が砕け散った。

 細切れになった時間の中、白羽の顔が驚きに染まる。―――それを、草月は確かに目にした。

 感情が錯綜する。それでも草月は光弾を避ける。灼けるような痛みと共に、頬からこめかみにかけて肉をえぐられる。


 もはや共に武器はなく。

 まるで、接吻するかのように。


 ゴン、と鈍い音を響かせ、少年は少女に頭突きした。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ