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孤月道草  作者: KAME
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第五章 鏡の向こうの相手

 一週間が過ぎ、さらにもう一週間が過ぎようとしても、指でつまんだ髪の毛はぴくりとも動こうとしなかった。

 あの夜に見た妖精のようなモノもそれとなく探してみたが、ついぞ異常な何かを見つけることはできなかった。

 意識的に人間観察もしてみたが、時人や海歌のように異なる理とやらを操っている人間はいなかった。―――もっともこれは、操った現場を見ていないだけで、本当は隠れているだけかもしれないのだが。

 それらの事実を前提に弧道草月は、一つの仮説に至る。

 おそらく……これが平常であるのだと。

 異なる理。知らなければ気づきもしない異界の法則。それは見えるようになったとしても、頻繁に遭遇するものではないのだ。そして操れるようになったところで、簡単に使えるものでもない。さらに使えたとしても話を聞く限り、ハイリスクローリターンの臭いがする。

 一般人は防衛線を無意識下で張っているため認識できない、と海歌は説明した。

 それは確かに正解なのだろうが、他の理由もあるように草月は思える。

 稀少で危険で微少なもの。それは、普通の人間には無視してしまって問題ないノイズ程度のものである、と……。

 炉端の石ころのように無意味な代物で、目を向ける価値もないどうでもいいもの。

 池の水と泥にまみれた時人の叫びを思い出す。あれは心の叫びだ。草月の仮説が正しいのであれば、彼らは酷く寂しい場所にいるのかもしれない。

 そんな益体のないことを考えながら歩き、弧道草月は目的地へと到着する。

 制服のポケットから携帯電話を取り出す。画面で時間を確認するとかなり早く到着してしまったようで、約束まで三十分以上の時間があった。学校が終わってからまっすぐ来たのだが、これなら一度家に帰る余裕があったかもしれない。

 時間まで待つか、どこかで時間を潰すか少し迷い、草月は前者を選択してまた歩き出す。暇つぶしをしようにもこの辺りの地理には詳しくない。下手に動いて迷ったりしては、つまらないだろう。

 秋の夕方の公園は鮮やかな朱に色づいて、涼風と共に木の葉が揺れている。鼻腔をくすぐる木々の香りは爽やかで、少しだけ混ざる水のにおいが気分を落ち着かせる。

 その場所は、あの夜に戦いがあった場所だった。

 少年はとある人物と会う約束をしていて、彼女はすでにそこで待っていた。

「あ……お久しぶりです。お早いんですね」

 草月が斬り倒した樹木の切り株。

 その前に立つ眼鏡の少女は気配に気づいて振り向き、柔らかく微笑んだ。

「……あんたこそ。もういるとは思わなかった」

 少年は呆れた顔でそう口にする。

 違う高校のものではあるが、共に制服姿で。ただの普通の学生のように、二人は向き合う。

「なんだか……いてもたってもいられなくて。お待ちしてました」




 少女は前と同じように、長い髪をゆったりと三つ編みにして背中に垂らしていた。やはり装飾品の類いは一切つけておらず、きちりと着こなした紺のブレザーと膝丈のスカート姿は、あの日のおとなしい印象そのままだ。眼鏡も以前と変わらず地味なもので、おそらく傍から見るだけなら、彼女は普通の一般人よりも目立たないだろう。

「ここの後処理って何したんだ?」

 何となく話題がほしくて、草月はそう切り出す。さして重要とは思っていなかったが、興味が無い話でもなかった。

 一見して、特に景色の変化はないように感じられる。あの戦いは夜だったので視界が暗く、日の光のある今では確信は持てないのだが、少なくとも違和感はない。草月が斬って倒した樹もそのままだ。

「矢須部君の技は……他への影響があまり強くありません。ですので、大した処理は必要ありませんでした。弧道さんが斬り倒した樹を、一般の方が不思議に思わないようにしたくらいでしょうか」

「そんなこともできるのか?」

「はい。ほんの少しだけ、異なる理で覆うんです」

 聞いて、草月は納得した。

 一般人は無意識的に防衛線を張っているという。ならば何か隠したい物があれば、異なる理の力で覆ってしまえばいいのだ。それ自体になんの効力もなくても、それだけで人は無意識にスルーしてしまうのだろう。

「……ん? いや、オレにはそいつに覆いが被さってるようには見えないが」

 改めて見直しても、草月には倒木になんの違和感も見出せない。すでに異なる理の存在を知っている草月であるなら、何かが見えるはずであるのに、だ。

「今はもう、解除してあります。あんまり長く覆っておくと……悪影響が出ますから」

「おいおい、そしたらバレるんじゃないか?」

「一般の方に限らず、人間の認識なんて曖昧で都合の良いものです。徐々に薄めて馴らせば……最初から倒れてたくらいの感覚で定着します」

「そんなものか」

 鷺宮の真面目な口調に、草月は改めて倒れた樹を見る。道を遮るような倒し方はしていないので、別段邪魔というわけではない。このまま放置されるのか、景観を理由に問題として浮上するのかは分からないが、いつ、誰が、が追求されることはないのだろう。草月にとってはありがたいことであり、そして少し申し訳ないことではあった。

「…………」

「…………」

 そうして、二人の間に沈黙が訪れる。

 しかし気まずくはない沈黙だった。草月は鷺宮に視線を向ける。今日の彼女はどこか、以前会ったときよりリラックスしているように見える。

 冬の近さを予感させる冷たい風が木の葉を揺らし、カサカサと音を立てる。周囲に人はおらず、静かな時がゆっくりと流れ、

「少し、歩きませんか?」

 草月が何か話題を探していると、鷺宮が先に口を開いた。




「……で、沖島のメモの通りにやってはいるんだが、これが全然できやしねぇ。たぶん才能がないんだと思うが、それ以前によくよく考えたら、式をどうすりゃいいのか分かんねぇんだよな。使い方というか、書き方?」

「式の書き方が分からない……ですか。たしかに感覚的なものですが……なるほど、そういうことがあるんですね」

 池の外周に沿うように、二人はゆっくりと歩く。公園は大きな池があるだけあって広く、遊歩道も整備されていた。

「たぶん、自分の内でのコントロールができていないのでしょうけども……口で説明するには難しいですね。見本を見せるならばこう……」

 鷺宮は人差し指を立て、ゆっくりと動かす。すると淡い光の粒子が指の動きをなぞり、宙に図形を描いた。

「そして、こうすれば……」

 草月が目を見張っていると、粒子はそこからさらに細分化しながら変形し、立体的な図形を描きつつ小さな文字の集合体へと変換する。

 それは演奏を操る指揮者のようで、複雑な数式が導く単純な解答のようで。

「これで、こうなります」

 言葉と同時に粒子の図形は光を強めながら収束する。

 徐々に輪郭が形成され、それは猛禽を思わせる鳥の形を成す。

 猛禽は羽ばたいて飛び上がると鷺宮の頭上を一周し、光の羽を撒き散らしながら夕日へ向かって飛び去った。

「おおー」

 草月は額に手をかざしてそれを見送る。

 そして訳知り顔で、ふむ、と頷いた。

「……高度すぎね?」

「一応……分かりやすいよう、ゆっくりやったつもりですが……」

 鷺宮も困ったような顔だった。

 そもそも英雄の直系であり産まれたときからエリート中のエリートである彼女にとっては、こんな場所でつまずくことが理解できないだろう。天才選手が必ずしも優秀な監督になれないのと同じで、この少女はきっと初心者育成に向いていない。

「……異なる理は単純なベクトルやエネルギーのような性質ではないので、イメージしづらいかもしれません……。どちらかといえば、パソコンでプログラムを入力してソフトを動かすような感じでしょうか」

「せっかくのファンタジーちっくな力をそんな風に説明すんなよ」

 とはいえそのたとえが適当なら、そのように理解するべきなのだろう。草月はプログラムなんてできないが、学校の授業でさわりだけ触れたことはある。

 あれも訳の分からない言語を用いて、コンピューター内でいろいろなアクションを起こさせる。異なる理の繰者とは、それを現実世界でやってしまう感じなのだろう。

 ならば、と。草月はさっぱりとそれの理解を諦めた。パソコンの授業の成績はさんざんだった。

「そういや鷺宮さんって、英雄の直系なんだって?」

 諦めると同時に興味をなくし、草月はさっさと話題を変える。鷺宮は少し面食らったようだったが、頷いた。

「……はい」

「時人が言ってたけど、貴族みたいなもんだろ? やっぱそういう家柄だと、家ってでかかったりするのか?」

「…………まあ、一般家庭ではありえない大きさだとは思います」

「どんくらい?」

「……ほぼ平屋ですが、母屋の面積はおそらく草月さんの学校より広いかと」

「げ」

 草月の学校は決して小さくはない。田舎の安く豊富な土地を利用した校舎は十分に大きいと言えるだろう。それより広いなんて、ただの住居としてみれば大きすぎるように思えた。

「敷地面積的には……山なども持ってますし、わたしもよく分かりません」

「迷子になったりしないのか?」

「……子供の頃は」

「はー、別世界だな」

 会話しながら、並んでゆっくりと歩く。秋色に染まった公園の景色は美しく、樹木と水の香りがする空気は涼やかで、時が止まったように静かだ。

 ある意味で、ここは彼らが草月と出会った場所であり、そして草月が彼らと出会った場所だ。草月と時人はここで、やりどころのない不満と怒りをぶつけあい、殺気に満ちた戦いをした。

 しかしこの場所では本来、こうしてゆっくりと散策するのが正しい過ごし方なのだろう。

「弧道さんは……どんな家に住んでいるんですか?」

「俺か? 俺は普通の日本家屋だな。古い家で、母屋の他に小さな道場がある」

「剣術の道場ですか?」

「正確には、俺が剣術で使ってる道場だな。古くさい一子相伝の技なんで、門下を募ってないから看板はない」

「一子相伝……ですか?」

 オウム返しする鷺宮に、草月は自嘲の意味で鼻を鳴らす。

「べつに一子相伝だからすごいわけじゃない。敵に知られたら困る程度の技しかないから、仕方なく隠してるだけの話でな」

「……あの、矢須部君を吹き飛ばしたあれとかでしょうか」

「いや、あれは別に奥義でも何でもない」

 どこかビクビクとした鷺宮の質問に、草月はあっけらかんと答える。

「刀ってのはある程度距離が必要な武器でな、たとえば密着してる相手は斬れない。刀を振るには、少なくとも腕を動かす空間が必要だろ? だからそういう時は、自分が下がるか相手を弾き飛ばすかして距離を取らなきゃならん。あれはそのための型だ。本来は相手の体勢を崩しつつ、数歩後退させる技」

 意味が分からない、という新鮮な顔を鷺宮はした。あのとき、時人は何メートルも吹き飛んだはずだ。

「本気で斬る気だったら、あんな使い方はしないってことだよ。そもそも観客が居るのは分かってたんだ。あの勝負では、見られてまずい技は一つも使ってない」

 あのとき使用したのは、見せて問題の無い、真剣の勝負に用いない技のみと草月は言った。つまり、時人には彼の本気を出させる資格がなかったのだろう。

「……わたしとは、本気でやってくれますか?」

 立ち止まり、鷺宮はつぶやくようにそう聞いた。片手で髪を押さえ、視線は池の水面へ注がれている。

 草月はその視線の先を追ってみる。透明度の低い池の水には水草や枯れ葉が浮いているだけで、別段珍しいものはなにもない。

「あんたが本気を出させてくれる相手だったら、かな」

「それは大丈夫だと思います」

 なんの気負いなく、さらりと口にされたその言葉。普段控えめな彼女とは思えないその言葉に、草月は鷺宮を見て数度まばたきする。

 ゆっくりと向き直り、少女は柔らかく微笑む。

 女神のように。


「だから、安心してください」


 まっすぐに向けられた、何もかもを受け止めるような、それでいて願い乞うような。

「……なんで、今日は呼んだんだ?」

 話を逸らす―――本題へと踏み込む。

「海歌ちゃんから……もうすぐ完成すると連絡がありましたので、ご報告をと」

「そんなのは別に会わなくてもできるだろ」

 鷺宮は考え、数秒だけ沈黙する。

「……その日の前に、ゆっくりとお話がしたかったんです」

「なんで?」

「矢須部君は、わたしと弧道さんは似てるって言ってました。なんとなくですが……わたしもそう思ったんです。たぶん、最初に会ったときから。だから……きっと、これが最後になりますから……」

 説明するうちに鷺宮の目は下方へと落ちていき、声はしぼむように小さくなって、やがて途切れる。

 草月が怪訝に思いながら続きを待っていると、鷺宮はごまかすように乾いた笑みを見せた。

「……すみません。わたしとなんて、全然似てませんよね……」

 鷺宮は英雄の血統直系にして最強だと、時人も海歌も言っていた。彼女は産まれながらに特別であり、それを証明するだけの力を持っている。

 なのに、少女は自信なさげに少年の顔をうかがう。自分ごときと一緒にされるのは、草月にとって不快なのではないかと不安に曇る目を泳がせる。

 思えば彼女はそうだった。初めて会ったときは草月が声をかけるまで遠巻きに眺めるだけだったし、自作の漫画の感想を聞いたときもおどおどとしていたし、四人の時はあまり口を開かず皆の話を聞いていた。

 劣等感。彼女が抱いているのは、おそらくそれなのだろう。

「いいや……俺も似てると思ってたよ。最初っからな」

 なんの曇りもなく、草月は本心からそう口にした。

「俺はただ剣術をやっていただけじゃなくて、それ以外のことに大した興味が持てなかった。だから昔っからまわりに馴染めなくて、馴染んだつもりでも自分から壁作っちまって……。俺とみんなは違う生き物なんだって、よく思ったもんさ」

 そう。まるで鏡写しのように。

 彼女と同じ劣等感を、少年も持っている。

「それじゃダメなんだと思って、とにかくなんかやってみようといろいろ手を出したよ。球技なら一通りいけるし、将棋や麻雀とかもわりと真面目に勉強した。料理は実利もあって結構な腕になった。時人にもらったベースだって、少しずつ弾けるようになってる」

 空を仰ぐ。いつしか心の内の内を吐露するように、草月は語る。

「ほんの少しでもすごいとか面白いとか思えば、始めるきっかけだ。それが自分の中でほんの小さなモノでも、そこに確かに在るのなら、努力してモノにすれば大きくなるんじゃないか。もしそれが大きく育てば、それを糸にして、他の誰かと肩を組み合うようなつながりができるんじゃないか」

 ―――鷺宮はこんなものに情熱を傾けられない。

 漫画を買っていった時人の言葉が、再び脳裏を過ぎる。

 その時人のライブを、棒立ちで眺めることしかできなかった彼女の姿は……あのときの二人だけの共感は、今でも鮮明に思い出せる。

「そうやって、剣の他に……殺し合いの他に、なにかないのかって探してる」

 そして、いまだに見つけられない。

「最初に会ったときからさ、なんかな……あんたといると居心地が良かったよ」

 自嘲のように、草月は微笑む。これを口にするのは失礼だろうかと少しためらって、すぐにそれが、さっき謝られた理由なのだと思い至った。

「あんたもきっと、この世界に居場所がないんじゃないかな、ってな」

 時代か、場所か。どちらかが二人の性質にそぐえば、二人はそれぞれが望む何者かに成れただろう。だが二人にとって現代のこの国は暖かくて、やさしくて、残酷だった。

 だから、今はそれを嘆く儀式だ。

「……お互い、不器用ですよね」

「まったくだ」

「どこか戦争している国とか、傭兵にでもいきましょうか?」

「顔も知らないなんの縁もない、どっかの誰かを殺しに?」

「ですよね」

 気づけば日は落ちかけ、夕焼け色の空はゆっくりと藍色が浸食し、綺麗なグラデーションを見せていた。気の早い星がいくつか、完全な夜の到来を前に輝いている。

 黄昏時の美しい空を見上げ、少女は宣言するように口を開く。

「……わたしは英雄の直系、鷺宮白羽です」

 さぎみや、しらは。

 噛みしめるように胸の内へ刻み、少年は池の水へと視線を落とす。

「弧道草月なんて人間の名前を持っちゃいるが、俺みたいなやつはまあ、化け物だよな」

 だから、これは必然なのだ、と。

 共犯者のように笑い合った。





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