プロローグ
文化祭。
多くの学生にとって心躍る響きを持つこの催事は、ご多分に漏れず穂村崎高校にもやって来た。
といっても、そう大規模なものではない。基本的に一般の入場者は規制しているし、芸能人のようなゲストを呼ぶわけでもない。クラスや部活など、各々の出し物も大人しいものが多く、むしろキワモノや派手派手しい催しは少数派と言えた。
学生たちが自分たちで楽しむための、通過儀礼のようなイベント。これはそういう類のささやかなお祭り。
そして。
そんな小規模な文化祭で、局地的な大混雑を起こしている一角があった。
「たこ焼き二つ!」
「こっちは三つだ。マヨ無しで!」
「ネギタコ一つ! たれ多めで!」
「っていうか、なんだって俺が剣道部のたこ焼き手伝ってんだよ!」
食べ盛りの若者たちが殺到し次々と注文の声が飛び交う中、男子生徒は嘆きながらたこ焼きをひっくり返していく。その手際は実に無駄なく手慣れたもので、文化祭のために頑張って特訓しました、というレベルを明らかに超越していた。
「ちがう! 手伝ってるんじゃなくってアンタがメインなの!」
女生徒が商品を容器に詰めながら声を張り上げる。この喧噪ではすぐ横の相手にすら、大声を出さないと届かない。
ここは校庭の一区画。男女合わせて八名の剣道部が運営するたこ焼き屋台『たこ道』。
普段は練習場所すら端に追いやられる不遇の部活だが、今日ばかりは強力な助っ人によって、かつて無い輝きを放っている。
主に、部活の本筋とは違う方向に。
「ざっけんな部員どもでやれよ! 俺だって今日回りたいとこあるんだ。青汁喫茶とケミカル調味料カフェ!」
明らかに行ったら後悔する店名だが、好奇心と冒険心は時に地雷原でのスキップを要求する。
「元はといえばアンタのせいでしょうが! メニュー見ただけでレシピ全換えしたのは誰? 特製秘伝のダシとかタレとか持ち出した突発的完璧主義者はどこのどなただ!」
女生徒はやけっぱちの声で怒鳴り返す。たこ焼きを容器に詰めながら、笑っているのか怒っているのか分からない引きつった顔。とっくに疲労の限界のような風体のくせに目は爛々と輝きつつも据わっていて、まるで昼の最中にまろびでた幽鬼のようだ。忙しさでわけが分からなくなったまま、祭りの雰囲気にあてられてハイになっているのだろう。人間こうなったらたいてい、後でぶったおれる。
「うるせぇ! そもそもテメェのレシピが終わってたんだよクソ甘党! キャラメルとたこ焼きの奇跡コラボ見たときは目眩がしたわ!」
「アンタが行きたがってる青汁とケミカルとどこが違う!」
「素の味の極みと味覚の最先端だろうが! テメェの罰ゲームとは格が違うんだよっ……ってうわ材料が切れるじゃねーか、一年っ」
「ハイッ」
男子生徒が声をかけると、ちょこまかと雑用をこなしていた一年生がビッと直立不動の体勢で返事をする。男子生徒はキッチンペーパーに素早くボールペンを走らせると、そのメモを一年生に握らせ背中を叩く。
「会計に金もらって買ってこい。普段の走り込みの成果を見せろ!」
「イエッ、サー!」
部員でもないのに後輩の心をガッチリ掴んでいるのか、まるきり体育会系のノリで送り出された一年生は全力ダッシュしていく。あの速度なら一番近いスーパーマーケットも、三十分ほどで往復できるだろう。
「みんな気合い入れて、今日の稼ぎで部の進退が決まるわよ! 買いたい備品がいっぱいあるんだから!」
「だからなんでそれに俺が協力せにゃならん!」
女生徒の発破に声を荒げ、男子生徒はたこ焼きと格闘する。
その日、剣道部の屋台は文化祭の売上高一位を堂々記録した。
最終的には部員たちが軒並み突っ伏し営業不能になるという、あまりにも凄惨な結果であった。
「……はぁ」
廊下を歩く姿にわずかな疲労。思わず吐いたため息に、濃い落胆。
首の後ろで適当に纏めた長い髪を揺らし、男子生徒は誰にとも無くぼやく。
「まさか、両方とも営業停止処分とはな……」
双方共に文化祭実行委員会に提出した書面以上のことを無断で行ったらしく、青汁喫茶では倒れる客が続出し、ケミカルカフェでは異臭騒ぎが発生したとのことだった。
時間を確認すれば、もう模擬店の営業終了時間まで残り二十分を切っている。これではせいぜい一つか二つ冷やかすのが精一杯だ。
男子生徒は心底ついてないといった表情で、再度ため息を吐く。
「つか、さすがに俺も疲れたな」
そもそも行きたいところが開いていなかった時点で、行くアテなどない。とはいえこのまま文化祭を「何の得もない助っ人で働いていただけ」で終わらすのは惜しく、周囲を見回して適当な店を探す。
しかし後夜祭のキャンプファイアーも控えているためか、客の入りの薄い模擬店はすでに片づけを始めているようで、もう少なくない教室で店じまいのムードが漂っていた。ここにきてどうやら、選ぶ余地まで狭まっているらしい。
「どこでもいいか……もう」
結局そうつぶやいて、男子生徒は一番近い1-Dの教室に入った。
教室内は暗幕で外からの光を遮っており、いくつかある光源も紙で覆われていた。壁も全て暗幕で覆われているのは、雰囲気作りの他に防音効果も狙っているのだろうか。少し外部の音が遠くなった薄暗い教室で目を凝らすと、部屋の中程辺りでさらに暗幕の仕切りがあるらしい。
「いらっしゃいませ、お一人様でしょうか?」
ここで何が行われているのか予想できず、男子生徒が突っ立っていると、受付の女子が礼儀正しく話しかけた。
「ああ、一人で。……ここは何やってるところか?」
「はい。占いの館にございます」
「占い?」
「はい。あちらをご覧ください」
何も知らず入ってきた客への呆れも見せず、受付女子は教室の奥を示す。
「お見えになられますとおり、あちらには三つの扉があり、それぞれ奥に占い師が待機しております。今は他にお客様がいらっしゃいませんので、ご利用されるのなら扉はどれでも一つ、ご自由にお選びいただくことができます」
少しこの暗さになれた目で見れば、暗幕の仕切りには等間隔に星、月、太陽のマークが描かれていた。どうやらあそこから奥へと入ることができるらしい。
「へぇ……おすすめは?」
男子生徒が尋ねると、受付女子はそこでクスリと笑った。
「当たるも八卦、当たらぬも八卦。信じるも疑うも本人次第にございます。であるならば、この三択だけはご自分でお選びいただいた方がよろしいかと」
「なるほど」
頷きはしたが、男子生徒は受付女子の言葉を理解していない。ただ何となく納得した気になって、財布を取り出す。受付の机に表示されている金額を払い、再度「三つの扉」へと向き直ると、迷わず月の絵を目指す。
この日、彼はこの場へ来て、その扉を選んだ。
これが偶然ではないというのなら、きっと運命だったのだろう。
暗幕に囲まれた空間から、暗幕に囲まれた小さい空間へと入る。教室の半分の、さらに三分の一の広さであるため、見回す必要も無く全体を見て取れる。
入り口の脇に淡い光源のスタンドが一つ。椅子が二つと、黒布が被せられた机が一つ。机の上に台座に乗せられた水晶球が一つ。
そして、ゲームに出てきそうな占い師っぽいダブダブの上着を羽織った小柄な女生徒が、椅子に座って板チョコを食べようと大口を開けていた。
「…………」
「…………」
男子生徒は占い師役の女生徒としばし動きを止めて見つめ合ったが、やがて沈痛そうな面持ちで目をそらす。
「……ダメだ。受付で金返してもらおう」
「い、いやいや! その判断はまだ早いってもんですよお客さん。あたしウデはいいんですから!」
慌てて板チョコをしまい込み取り繕う女生徒はどう見てもただの高校一年生で、占い師が放つ神秘的な、あるいは怪しげなオーラは微塵も感じさせない。今までがわりとしっかりしていただけに、台無し感満載である。
「つか、ウデなんて期待してねぇよ最初から。どうせ誰にでも当てはまる、適当なふわっふわしたこと言ってくだけだろ? こっちはそれ了解した上で雰囲気楽しもうかなっつー気でいたのにお前」
「その楽しみ方はわりと邪道だと思うんですけど! イヤでもホントマジで早まった真似しないでください。あの受付の子怒ると超恐いんで!」
「そうなのか? そうは見えなかったが」
「イベントで超盛り上がるタイプで完璧主義者。自分に厳しく他人に厳しくて、そんな自分が大好きな他者巻き込み系ナルシストです。今回は文化祭を完全にやり通すため無駄に魂燃やしてます。しかも困ったことに悪い人じゃないんです」
「面倒くさい系か」
男子生徒は後頭部をボリボリ掻いてから、投げやりな態度で椅子に浅く座った。
もう他を探すのも面倒ではあるし、なにより「三つの扉」から月のマークを選んだのは彼自身である。
受付女子の小さな笑みはきっと、自分で選ぶのだからハズレの時は諦めろ、ということだったのだ。ならば今日の自分がハズレ以外を引くわけがないと、半ば悟りを開いた心境で、男子生徒は促す。
「仕方ない。なんでもいいからやってくれよ」
「悪いのはあたしですけど、ここまで何の期待もされないのはそれはそれでやりづらいしカチンとくるものがありますね……」
占い師役の女生徒はふてくされたように口を尖らせて言って、小さくため息を吐いた。
そして。
「まあ、おそらく最後のお客さまです。いっちょ本気でやりますか」
邪魔だ、とでも言うように少女は机の上の水晶球を台座ごと掴み上げ、よっこいしょと床に置いた。
「おい……それでなんか見るんじゃないのか?」
暴挙にすら見えるその行動に、男子生徒は思わず呻く。あんな小道具は無意味な物品だと知っていたが、それを取り除かれた跡はもう黒い布を被せた机でしかなく、それだけでこの場は占い屋ではなくなりただの薄暗い空間に成り下がっていた。
「ッハ。あんなので透かしても面白い景色しか見えません。小道具はただの誤魔化しです。本当に本気でやるなら、ちゃんとまっすぐ見なきゃ」
鼻で笑って不敵に目を細めると、女生徒は湿らすように舌で唇を舐める。小柄な上に童顔な容姿だが、その仕草は男子生徒がドキリとするほど妖艶に見えた。
「―――それに、本当に最初ビックリしちゃったんですよ。こんなのいたんだな、って」
「……あん?」
独り言のような言葉が印象深く耳に残り、眉をひそめる男子生徒。
「学年は違っても、同じ学校で半年ですか? 絶対にどこかですれ違ってますし、視界の端にも映ってるでしょうし、声くらい聞いたこともあるかもしれない。なのにこんな異質に気づかなかった。木を隠すなら森の中、人を隠すなら人の中とは言いますが、あたしがいかに周囲に気を払ってなかったか、風景を風景としか捕らえてなかったか。そもそも、どれだけいろんなものに興味がなかったかが丸わかりです……お兄さん、あなたはなんで、あなたとしてここに居られるんです?」
最後のそれは当然の問いのように少女から発せられ、男子生徒はいよいよ不信に表情を曇らせる。
あるいは、これが彼女の手口なのか。
この高校の文化祭、一日限りの占いの館で、お客に楽しい思いをしてもらうため必死で考えた末の、怪しくて迂遠な言い回しなのだろうか。
「お兄さん、すごくケンカが強いですよね?」
そんな邪推を打ち砕くように、少女はあっさりと言い当てた。
今まで出会った誰よりも最短で、誰よりも確信に満ちた声で、誰よりも直接的に。
この男子生徒の核心に触れた。
「きっと武器を使う人ですね。その肉の付き方だと剣かな? 手を見せてもらえば大まかな形状くらい言い当てられると思うん……」
「……なんで、そう思った?」
遮ったその声は、驚きと困惑が入り交じっていた。
男子生徒自身は気づいていないが、それは肯定の意と同義である。
「まだ、占いじゃありませんよ。これは観察眼です」
占い師役の女生徒はしてやったりと薄く笑み、悪戯心丸出しの意地悪な上目遣いで男子生徒を覗き込む。
「まず一つ。制服と細身に見える体格に隠れてますけど、注意深く見れば筋肉質なのは分かっちゃいます。特に見るべきは体幹と手。背筋がピンと伸びて芯がある感じと、明らかに太い手首。これって剣道家に多いんですよね」
男子生徒は押し黙る。先ほどより、その表情が少しだけ引き締まっていた。
「二つ目。この部屋に入った時、お兄さんは多くの情報を探りました。視線の動きからして、この場の広さや物品の位置関係、あたしとの距離。つまり地形と間合いですね。無意味な場面で自然にやるからには習慣なのでしょう。ここからスポーツの格闘技ではなく、もっと実践的で実戦的なことがうかがえます」
女子生徒はさらに軽快に続ける。
「最後に、歩き方。椅子までのたった数歩でも、重心のブレがない洗練された足運びでした。やー、素晴らしい。全部のカードが戦士です。学生なのは年齢と制服だけ。こんな完全に染みついた匂い、普通の人からはしませんよ。控えめに言って異常者じゃなければ出せないオーラです」
短く口笛が鳴った。称賛と歓喜の音だった。
占い師という輩はだいたい、まずは客のことを観察することから始めるものだ。
人間は思いの外、情報というものを放出している。表情や顔色、服装に髪型、挙動と癖、姿勢も話し方も。ありとあらゆる情報を正しく細かく分析すれば、その人物が興味を持つ話題くらいは察せるのだ。それが分かれば、後は話術で誘導しガラクタを高値で買わせることもできるだろう。
男子生徒は可笑しくてたまらないといった様子で深く笑む。
身構え警戒していたことだったが、これほどの精度を披露されるなら、それは愉快ですらあった。
「アンタはハズレとばかり思ってたが、まさかまさかだな。俺はアタリを引いたのか? それとも他の部屋もこれくらいのことはできるのか?」
「スタッフはみんな高校生ですよ? いくら急ピッチで特訓しても、ここまでの練度には達せません。あたしが特別に得意ってだけです」
「なら安心した。ところで気になる箇所が一点ある」
男子生徒は人差し指を立てる。それは一を示すと同時に、この暗幕で区切られた狭い空間を示していた。
紙の覆いを被せた光源が一つあるだけの、照明の足りないこの場を。
「それは全部目で見たことの分析だ。この暗さで俺の視線やらまで分かるのか?」
「照明が入り口近くにあるのがギミックですね。この場所に入る時、その人はまず何を見るのか? 部屋の雰囲気か、用意された道具か、それとも占い師そのものか。お兄さんのように殺伐してない普通の人でも、十分な情報になり得ます。だからそこに置いてあるんです。全体は薄暗くても、そこだけはよく見えるように」
「得心した。アンタ本物だよ。アンタの言葉は全部信じる」
茶化すように諸手を挙げて、男子生徒はへらりと笑った。
「で、ところで占いはいつやんの?」
「これからですよ。せっかちですねー」
少女はただの高校生のように顔をほころばせ、コロコロと笑った。
「じゃあ、まずはお名前を教えていただけますか?」
やっと始まった本題に男子生徒は答える。
「弧道草月だ。これは純粋な興味だが、俺もできれば、アンタの名前を知っておきたいんだが?」
「沖島海歌です。うみうたちゃんって呼んでいいですよ?」
女子生徒はおどけたように名乗って、それからやっぱりおどけたように、
「あたしの占いでは、お兄さんは絶対に呼んでくれないって出てますけどね」
「すっげぇぜ。完璧に的中してる」
模擬店終了時刻を過ぎてからも十分ほど延長したためか、草月が占い部屋から出ると1-Dは十人ほどで片付けをしていた。最後の客を気遣ってのことだろうか、音を立てないよう注意しているようだった。
「ありがとうございました。ご満足いただけたでしょうか?」
受付だった少女がにこやかに話しかけてきて、草月は苦笑いで頷く。
「ああ、堪能した。まさかあそこまで本格的だとは思わなかったよ。……ていうか、ありゃ本気でマジモンじゃねぇの?」
草月が素直な心持ちを吐露すると、受付女子は成功の手応えを噛みしめるように、うれしそうに目を細めた。
「さて。信じるも信じないもお客様次第でございますので、それはお答えかねます」
そんな台詞も純朴な喜色が漏れてほほえましい。
きっと、彼女はこの文化祭に一生懸命取り組んだのだろう。企画し、練習し、準備し、本番を迎え……そして今この時が、最後の客を見送るという締めの瞬間なのだ。
ならば、最高の客を演じて去るのが礼儀だろうか。
「なら俺は俺の責任で信じておくよ。ありがとうよ、楽しかったぜ」
草月は努めて軽く明るく言って1-Dを立ち去る。
振り返りもしなかった。
「つうか反則だろあれは。偽者だったとしてもホンモノと大差ねぇぞ」
廊下を歩きながら草月は上機嫌で呟く。その声音はただただ楽しそうだ。
―――まあ、無理でしょうね。
「知ってるよ」
ゆっくりとした足取りで廊下を進み、階段を降りる。三階から二階へ。脇目もふらずに教室を目指す。
「悪い、遅れたー」
「どこ行ってたクソバカ!」「遅ぇぞ弧道!」「早く手伝え馬鹿野郎!」
「わお手荒い歓迎! すまんすまん、最後に入ったとこが長引いてな」
2―Cに辿り着いた草月はクラスメイトの面々に罵声を浴びせられ、謝りながら片付けを開始する。
草月のクラスの企画は展示。地味で無難なチョイスであり、高校生らしく文化祭らしく、真面目なのか不真面目なのかよく分からない感じの、微妙な創作物がいくつも置いてあった。全体的に手抜き感が見透かせるあたり、やる気の薄さが覗ける。
小物ばかりで大がかりな物品は無く、まとまった人数で片付ければ大した時間もかからない。教室を元通りにすると皆は我先にと教室を去り、すっかり日が落ちて暗くなった外へと向かう。時計を見れば後夜祭のキャンプファイアーの時間が迫っている。グラウンドではそろそろ準備が終わる頃だ。
「やつらもなんだかんだ楽しんでるよな、客として」
最後の一人が出たのを見て呟き、草月は照明を消す。ガランとした暗い教室は、祭りの後ということもあってか寒々しい。
「アンタは楽しくなかったの?」
廊下からそう聞いたのは女子の声だった。
草月が振り向くと、屋台でたこ焼きを入れ物に詰めていた女生徒が仁王立ちしていた。
「よう杏。もう回復したのか?」
「だいぶん休ませてもらったからね」
「無理すんなよ、膝が笑ってるぞ」
「……っ。というかアンタ、一番ハードなとこにいてなんでそんな元気なのよ」
「そりゃ、鍛え方が違うんだろ?」
弱小とはいえ運動部の人間に対し、草月はあっさりと言ってのけた。杏と呼ばれた少女は眉間にシワを寄せる。
「本当になんで帰宅部なのかしらね? やっぱり簀巻きにして剣道部に引っ張り込めばよかったわ。……いっそ今からでもやろうかしら」
「力尽くのつもりなら話が早い。心待ちにしてやるからいつでもきやがれよ」
不穏な呟きをいっそ楽しそうに笑い飛ばし、草月は杏の横をすり抜ける。
「ちょっと待った。どこ行くの?」
「帰る。後夜祭は自由参加だしな」
杏が慌てて引き留めるが、草月は歩みを止めず背中越しに答えた。仕方なく、杏も歩いて横に並ぶ。
「何か用があるの?」
「特に何も」
「後夜祭、部のみんなでキャンプファイアー見るから来なさいよ」
「部員じゃないからパス」
「関係ないわよ。みんな待ってるし」
「そのまま、なあなあで部員にさせられそうだからパス」
「……っ、そ、そんなせこいこと考えてないわよ」
「声が震えてるぞ」
片付けが終わっていないクラスもあり、廊下にはまだ生徒たちが残っている。
教室は今日中に、少なくとも授業ができる状態にしておかないといけない。当然、手の込んだところほど元に戻すのに時間がかかる。
「そういや、おまえのクラスは何やってたんだっけ?」
「アームレスリング大会会場」
「あれか……」
ある種、文化祭の目玉だった企画である。学内で有志を集めてトーナメントを組み、進行を取り仕切るだけの企画。草月がちらりと見たときは飾り付けもなにもなく、机や椅子を端に寄せ、教室のど真ん中に腕相撲用の台を設置していた。
シンプル。ストイック。そしてパワー。
「……俺らより片付けが早いはずだ」
「五分で終わったらしいわ」
「俺も出たかったかもな」
「だから私、募集は運動部限定って提案をゴリ押したのよね。あんたにたこ焼き作り続けさせるために」
「ひでぇ話だ」
喋りながらも二人は廊下を進み、階段を下りる。外はだいぶん暗くなっていた。秋の黄昏は短いから、すぐに濃い夜色が空に塗られるだろう。
「ありがとな。なんだかんだあったが、楽しかったよ」
下駄箱まで来たところで、草月は立ち止まるとそう口にした。
「…………どしたの?」
杏ははしたなく口をあんぐり開けた後、信じられないものを見たような面持ちで草月に尋ねる。
それくらい、その言葉は彼らしくなかったのだろう。
「迷惑じゃなかったの?」
「終わってみりゃ、悪くない一日だったかもしれないな、って思っちまった」
「そう。ならまた誘うわ」
少女が冗談なのか本気なのか分からないことを言って、
「勘弁しろよ」
少年はまんざらでもない様子で断る。
どちらともなく笑い合うと、じゃあ、とどちらともなく手を振った。