ご飯を買うのに必死になるのって高校三年間だけ
食堂前の売店は、昼休みと言うこともあり生徒で溢れかえっていた。男女関係なく、押し押される光景
は、見ているだけで様々な妄想が浮かぶものだが、如何せん、彼らの頭には食欲の二文字しかないことを俺は知っている。
「杉本君」
近くの壁に背中をもたれて、人が少なくなるのを待っていると、平坦な声が俺の名前を呼んだ。振り返ると、とろんと眠そうに垂れた両目がこちらに向いている。
クラスメイトである一瀬紗綾。女子の中でも身長が低い部類に入る一瀬が、高校一年男子の平均身長より十センチほど高い俺と並ぶと、やはり小さい。
「真野君が、出来ればミルクティー買ってきてくれって」
一瀬はポケットから百円玉を取り出すと、掌に乗せて俺に差し出す。
うぐ、と喋ってもいないのに何かが喉に詰まる感覚を覚えた。指先に神経を集中させて、薄い百円玉を、一瀬の手に触れないようなんとか救う。
「あぁ、分かった。わざわざ悪い」
一瀬は、気にするな、と言うように首を横に振ると、生徒がごった返している売店に目を向けた。俺もまた、そちらへと向き直る。
ミルクティーは売れ残っていたら買おう。なければ適当にそれっぽいものを買っていけばいいだろう。
そういえば、一瀬が売店に来るなんて珍しい……というか、常連である俺から見ても初めてのことだ。普段は弁当を持ってきていた筈だが、今日は忘れてきたのだろうか。
というか、一瀬、この中に入るつもりなのか? 身長と腕の長さという利点のある俺でも苦労する、食欲の塊へ。
「……なんか食われちまいそうだ」
「何が?」
「いや、なんでもない」
思わず口に出してしまった言葉をすぐに誤魔化すと、一瀬はそれ以上追及することなく「そう」とだけ言った。悲しいような、有難いような、何とも言えない気分だ。
とりあえず、当初の予定では、ある程度人が引いたら、売れ残りの中でマシなものを買うつもりだったのだが……。
「…………」
「…………」
気まずい。
隣でぼーっと食欲同士の激突を眺めている一瀬を盗み見る。腰まで届く髪、切り揃えられた前髪。まるで時代劇に出てくる姫様のような髪型だが、その色は薄く柔らかい感じの茶色。中学入学の頃、つまり三年ほど前から変わっていない髪型だが、こうして近くで見る機会はあまりなかった。一瀬に頼んだのは偶然だろうが、真野には内心感謝する。
それにしても、こうしてじっくりと見てみると、色だけではなく髪質も大分柔らかそうだ。ロングのストレートだから分かりにくいが、少しふわふわしているような……。
「……杉本君、どうして私の旋毛をじっと見てるの?」
いつの間にか、一瀬が目線だけこちらに向けていた。
み、見てない! と咄嗟に否定しそうになったが、すぐに思いとどまる。さっき自分で認めていたじゃないか。じっくり見ていたって。
「悪いな。やっぱり地毛なんだ、って思って」
地毛であることは中学時代から知っていたが。
一瀬は旋毛を隠すように右手を頭に乗せると、「うん」と頷いた。
「あー、一瀬も昼飯買いに来たのか?」
再び気まずい沈黙が流れる気がして、適当な話題を振る。が。
「うん」
「そうなのか。珍しいな」
「うん」
「……弁当忘れたとか?」
「うん」
「そうなのかー」
「…………」
「…………」
俺は頑張ったと思う。だから、イエスかノーかで答えられる質問しかできない無能だと自分を責めるのは止めよう。
「特製メロンパン売り切れ! 売り切れだよっー!」
売店のおばさんが叫びながら手に持ったベルを鳴らすと、「えー!」という不満げな声が大部分の生徒から漏れた。そして、先程より少し理性を取り戻した生徒達は、それぞれ適当な物を買って、足早に去っていく。背伸びして冷蔵ケースを覗いてみると、ミルクティーはまだいくつか残っていた。俺の昼飯は、ジャムパンと爆弾おにぎりになりそうだ。
人が少なくなったのを見て、そろそろ行こうかと考え始めると、どうしても一瀬のことが気になった。大分人が少なくなったとはいえ、一瀬が入ればもみくちゃにされて出てこれなくなる可能性すら……いや、それはないだろうけど、やっぱり気になる。というか、このままでは、一瀬の昼飯は抹茶パンになってしまう。それは流石に可哀想だし、ここで何も声を掛けずに一人で買って教室に戻るのはあまりにも素っ気ないというか、何というか。
「……一瀬、俺がついでに買ってきてやろうか?」
まぁ、ようするに、俺、杉本正太郎は、一瀬紗綾に惚れているのだった。