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ふたりぼっちの終末論  作者: 宮島ムラサキ
悔恨の雪が積もる
8/13

家族

『真広、あなたはお父さんに似て立派な大人になるわ』

 幼いころに母親は真広を見て微笑んだ。

『たくさん食べて、たくさん勉強して、強くなって、弟たちを守れる大人になってちょうだいね』

『強く?』

『そう、強く。なにも力だけが強さじゃないわ。勉強ができるのも強さだし、お友達がいっぱいいるのだって強さよ。優しさだって強さだわ。だから真広、なんでもいいのよ。ひとつでいい。ひとつだけ、強くなりなさい』

 それは夢だったのかもしれない。遠い昔のことのように思える。

優しさだって強さだと言い切った母親も、また強かったのだ。ただ、それが真広がつくりあげた理想の母親像なのか、美化した挙句本物だと思い込んだ偽りの思い出なのか、本当に母親にそう言われたのかが分からなかった。

強く。

誰かを守れるくらい強く――

それが本物の記憶だとして、幼い真広は頷いたのだろうか。大切なものを何者からも守れると、本気で信じたのだろうか。

くもりガラスの向こう側の影のように、ぼんやりとはっきりしない記憶。幼いころの孤独ではなかった自分は、今の真広を見てどう思うのだろう。絶望するだろうか。お前なんて俺じゃない、そういって泣き喚くのだろうか。

真広には何も分からなかった。



 *



店長はしばらく考え込む風に黙っていた。

 暖かな室内には誰も言葉を発する者はいなかった。真広の告白をうけて、誰も真広に言う言葉を見つけることができない。奇妙な時間が流れていた。

 真広は膝の上で握った手を、強く握りなおした。緊迫した雰囲気の中、今自分がどうするべきかを必死に考える。


「真広くん」

 その沈黙を破ったのは、柔らかな高い声だった。その場にいた全員が声の主、雪乃を見る。

「真広くんは、生き残ったことは悪いことだと思っているんですか?」

 雪乃の表情は緊張していた。もともとあまり堅苦しい場で発言することが苦手だと、以前言っていたことを思い出した。

 雪乃の問いに真広の言葉は詰まる。リビングのクリーム色の壁を視線が泳ぎ、何も言えずにただ黙り込む。

 生き残ることは罪か。

 いや、生きていることが罪なわけがない。そのことは頭では分かっている。あの火事は誰のせいでもなくて、何を憎んでもしょうがないと、何度も自分に言い聞かせてきたのだから。

「他の家族のぶんまで幸せに生きる、そんなことが正しいかは分かりませんし、不幸な人を不憫に思うのも間違っていないと思います。だけど真広くん、」

 まっすぐに見つめられた真広は身動きが取れなかった。

「あなたは何も悪くないじゃないですか」


 その言葉と同時に、雪乃の眉が下がり、涙が大きな瞳を満たしていく。

「なんで幸せになっちゃいけないんですか、いいじゃないですか、もう真広くん十分一人で考えましたよ。もういいじゃないですか。幸せになっていいんじゃないですか」

 真広は動けなかった。誰かが自分のために泣いているなんて、何年ぶりだろうか、疑問を胸に抱きながらも、思考はまったく動かないでいる。

「私たちは、絶対に真広くんをひとりになんてさせませんから」


 雪乃の涙も、全てが本物に見えた。

すぐに壊れてしまうんじゃないかという不安を感じた。

 それと同時に、永遠に壊れないもののような気もした。


「…だけど、」

 やっとの思いで吐き出した言葉は震えていた。

「俺は本当に、本当に迷惑をかけることになると思います。もしかしたら後悔するくらいに迷惑をかけてしまうかもしれないんです。俺は迷惑をかけたくありません」

 その言葉に奥さんはふふ、と短く笑った。

「そんなの心配いらないわよ。子供は親に迷惑をかけて生きていくものなのよ。お腹も痛めてないのにこんなにかっこいい息子ができたら、私うれしいわ」


 その言葉に、この人たちは優しすぎる、そう思った。

 身寄りの無い真広を雇ってくれた上、生活の面倒まで見てもらって。暖かく受け入れてもらって。純粋な下心の無い好意など長いこと受け取っていなかったから、どうしたらよいか分からず、戸惑う。

「本当にいいんですか」

 真広はゆっくりと、一家を見る。

 雪乃が頷いて、微笑んだ。

「もちろんですよ」



 家族になろうと、言ってくれる人がいる。

 本当は、本当に血の繋がった家族と生きたかった。

 さまざまな障害を力を合わせて、大変な時代だって乗り越えていきたかった。

 

 だけど、それは叶わなかった。

 本当の家族は焼かれ、真広だけが生き残り、冷たい時代を生きてきた。たったひとりが当たり前だったし、これからもそうだと思っていた。


 真広はただ、幸せに生きたかった。



 真広の苗字が綾瀬に変わったのは、その次の日。自分のことを息子と読んでくれる人たちを、父さん、母さんと呼ぶようになり、妹のことも、守れるくらい強くなろうと思った。

 高校は勉強して、都内でも有数の進学校に入学した。勉強しながら、店の手伝いをしてすごした。


 

 絶対に真広くんをひとりになんてさせませんから。



 雪乃の言葉を胸の中で咀嚼して、幸せに生きていた。





 一本の電話が鳴り響いた。

 病院からの電話。

―――綾瀬雪乃さんが、


 落としそうになる受話器。一気に足元に集まる体中の血液と、力の抜けていく脚。


 父さんも母さんも、もう、いないのに、なんで。



―――絶対に真広くんをひとりになんてさせませんから。


 平化29年12月23日の夕方だった。

 家族になってからちょうど3年の、その日だった。


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