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ふたりぼっちの終末論  作者: 宮島ムラサキ
終末の歌が聴こえる
5/13

研究施設

ほんの少しの振動と、エンジンの音が絶え間なく響く。

車内に暖房が効いているせいか、車のフロントガラスが曇り、視界を塞いでいる。

細かな水滴の張り付いた窓の向こう側に、しつこいくらいに派手な都会のネオンがぼんやりと見える。絶え間なく流れる景色は、どこまで行ってもほぼ同じビル群だった。

宮歌はハンドルを切り、緑色のゲートに車を走らせる。

「これから高速道路乗るよ」

減速しながら車はゲートに吸い込まれていく。いくら年末といえども、この時間帯に高速道路を利用する人は少なかった。


「これからどこに向かうんだ?」

 真広が問うと、宮歌は笑って答える。

「新潟」

 意外な言葉に真広は疑問の表情を浮かべた。新潟へ行く目的が分からない。新潟といったら米くらいしかイメージにないからである。

「柏浜原発って知ってる?」

 柏浜原発、新潟県の海沿いにある日本最大規模の原子力発電所である。教科書にも載っているため、名前だけは聞いたことがあった。

「知ってるけど何でまた…」

 真広は宮歌の突飛な答えに眉をひそめる。

「そこが『施設』の正体だからだよ」

 

 宮歌は得意気に笑い、アクセルを踏んだ。ゲートを抜けた車は徐々にスピードを上げ、冬の夜を滑らかに走っていく。都会のビル群が左右に流れる。

「知らなかったね?まあそうだね?勝ち誇った気分だわー」

「いや知らないから。国家機密を俺が知っててたまるか」

 ニヤニヤとした笑みを浮かべる宮歌を睨む。

「俺たちが原発だと思っていた場所で研究が行われてるのか?」

「そういうこと」

 

 何のために、という疑問が顔に出ていたのだろう。宮歌は楽しそうに説明を付け加える。

「原子力発電所、ってことにしておけばその辺り一帯を立ち入り禁止にできるでしょ?研究にはもってこいだからだよ」

 確かに。原子力発電所なら関係者以外の出入りが少ない上、セキュリティを固める理由にもなる。閉鎖された空間で行われる国家機密級の研究にはうってつけである。

「そこで何年もスノー・ホワイトの研究が行われてきたの。今でもそれは続いてる」

 より性能の高い生物兵器を作るため。より多くの人を殺せる機械をつくるため。研究者たちは実験を繰り返している。

「そして、そこにフランはいる」

 宮歌の声の調子が強まった。

「フランは研究長という立場で、スノー・ホワイトの研究の全ての権利を持っている。私の処分を決めたのもフランだよ」


 車とすれ違う度に風を切る音がする。宮歌は強い調子で喋り続ける。

「あたしは終戦から68年間、施設に幽閉されていた」

 真広は息を呑んだ。68年という長い年月を想像する。

「フランは、アメリカ系フランス人の男。年は分からないけど、20代後半だと思う。7年前に研究所にやってきて、私の管理を任された。20歳になったばかりくらいの若造だったけど、相当頭のキレる優秀な生物学者らしくてね、当時から重要な仕事をたくさんしていた気がするわ」

 当時は別の日本人がスノー・ホワイト研究の責任者だったんだけど、年のせいで引退したみたい。その後継者としてフランが選ばれたのが5年前。すごいよね、たったの2年で最高責任者よ、外人のくせに日本の国家機密を任されたんだよ。それほどあいつが優秀だったってことね」

 宮歌は嘲るように笑った。

「優秀な頭脳と優れた判断力、若さ。すべてを兼ね備えたフランは施設の中でも人望が厚かったわ。施設の中でフランに反対する者はいなかったし、外にもたくさんのパイプを持ってたみたいだから、国のお偉いさんとかとも繋がってた。――だから勝てなかったし、私の味方なんていなかった。いくら力が強くても、いくら不死身でも、フランに勝つことができなかった」

 

真広は言葉を失う。宮歌は笑った。

「なんで真広くんがそんなショック受けるの。悲しかったのは最初のうちだけだよ。だんだん悲しいとか悔しいとかいう気持ちが麻痺してきて、何も感じなくなった。孤独でも平気だったし、寂しいとも思わなかった」

 真広は目を見開いた。何も感じずに――何も感じないようにさせられて、68年の年月を生きてきたこの少女が、まるであの狂った戦争を具現化したもののように見えた。

「あいつと出会ったころには私は何の感情も持っていなかった。フランは嫌味な奴だった。私を化け物だとか道具だとか罵倒してきたけれど、それでも何の反応も見せない私に飽きてきたみたいで、それであいつは、」

 宮歌は口の端を強く引き、笑顔を浮かべた。


「あいつはあたしを悲しませることに全力を注ぎ始めた」


 宮歌のその笑顔も、全部フランによって作りかえられたものなのだろうか。そう思うと急に笑顔が痛々しく見えてきた。笑うことも泣くことも諦めた少女が、再び意地になったように笑う理由はなんなのだろうか。――それも狂った戦争のせいなのだろうか。


「最初は施設内で苛められてたんだけどね。真っ白な独房に入れられて放置とかから始まって、食事を与えられなかったり、痛い思いをたくさんさせられたり。それでも平気だった」

 そんなの普通の人間なら耐えられるわけがない。発狂して、自らを死に追い込むのは目に見えている。

「なん、で、平気なんだよ」

 震える声で宮歌に問うと、宮歌は笑顔のまま言った。驚くほど冷たい声だった。


「だってあたし人間じゃないから」


 真広は宮歌を見た。相変わらず笑顔は崩れない。

「仕方ないよ」

 仕方ないと諦めて受け入れて。いったいいくつの理不尽を受け入れてきたのか。


「ほんとうに人間じゃないのか。少し違うだけじゃないのか」

 宮歌は、ふふ、と少し声を出して笑った。

「真広くんは優しいね。でもあたし、人間とは決定的に違うんだよ」


 スノー・ホワイトになる注射を打たれたあのときからね、という前ふりとつけてから、指を折り曲げながら理由を挙げていく。

「まず、あたしは食事が必要ない。消化器官があるから可能ではあるんだけど、なくても死なない。戦時中の食糧不足でも死なないように造られたから。

 同じような理由で睡眠も休息も必要ない。疲れたっていう感覚がそもそもないんだ。

 高温でも低温でも、飢えでも乾きでも、衝撃でも出血でも圧迫でも、私は死なない。基本的には不死身だからね。戦場で何があってもターゲットになる人間の集団にたどり着けるためにそうできているんだ」

「…それでも、二本足で歩いて意思を持って、知能だってあるじゃないか」

「だってそれは基が人間だから。戦争のために作られた『そういう兵器』だから。

 ――もっとも、その戦争は終わって、あたしはお役御免になったわけなんだけどね」

 宮歌は驚くほど淡々と語る。自分のことを兵器だと、人間じゃないと言い放つ。


「話が逸れちゃったね。そして『実験』と称した拷問が、フランの手によって行われ続けた。あたしはそれに耐え続けた。といってもそこまでしんどくはなかったけれど。そんな生活を続けてたら、気付いたら長い時間が経っていた。

 戦争が終わってから、67年が過ぎていた」

「…マジかよ」

 たったの2年前まで幽閉され拷問を受けていた少女。宮歌は笑った。


「それである日、フランはあたしに言ったの。

『外のセカイを見ておいでよ。キミが施設内で過ごしているうちに、エグイほど変化したこのセカイを。キミが処分される前にね』って。

 あたしは今まで着ていたものよりもかなり綺麗な、今風の洋服を一着与えられた。目隠しされて車に乗せられて、何時間かなんて分からなかったけど、結構長い時間移動して、そして次に視界が開けたとき、見たこともない高さの建物の群れの真ん中に立ってた。東京だった。実はあたし新潟生まれ新潟育ちで、今まで東京なんか話で聞いたことしかなかったし、その話に聞いていた東京だって、『人力車がそこらじゅうに走っていて、自動車に乗っている人さえいて、洋風の建物がたくさんあって、人が半端じゃないくらい住んでいる』くらいのレベルだったから、ここが本当に日本なのかって、ラジオで聞いたニューヨークの街並みなんじゃないかって、敵国につれてこられたんじゃないかって、不安だった。だけど本当に日本だった。知らない間に、老いないあたしなんて関係なく成長していた東京だった」

 高速道路から見える都会のネオンを追い越してゆく。年末だというのに異常なほど明るいオフィスビルと、最終電車の発車する音。


「お金なかったからさ、汚いこともいっぱいしたよ。知らないおじさんの相手するなんて当たり前だったし、詐欺の電話をかけたり、白い粉をやばそうな人に売ったり。そうしてあたしはお金を稼いで、稼いで、ボロボロになっても働き続けて、そんなとき―――雪乃に出会った」

 宮歌はにっこりと笑った。大きな瞳が三日月の形に細められる。


「そこから先は真人間になっていったよ。詐欺グループも抜けて、密売グループからは未だに命狙われてるけどあたし死なないし、風俗からも足洗った。死ぬ気で貯めたお金は高校に入るのは充分だった。ちょうど公立高校無償化とか運は完全にあたしの味方だな、みたいな。雪乃と同じ学校に通って、そこそこ楽しい青春ライフを送って。だからあたし、真広くんが思っているほど不幸な奴じゃないんだよ。普通の人間みたいに生きて、普通の人間みたいに死ねる。何年も若いままの姿なんて、解釈によっては女としてこれ以上ないくらいの幸福じゃん。だからあたし、大丈夫なんだよ」

 都会のライトが徐々に遠ざかっていく。彼女はここに二度と帰らないのだろう。宮歌は東京のビル群を見つめる瞳に、ほんの少しの愛しさを混ぜたようだった。


「死ぬのは、悲しくないんだよ」



 しばらくの静寂が車内を包んだ。ちりちりと空気のこすれる音が聞こえそうなくらい、お互いに何も発せずに居た。

「…もしかしたらもう寝るチャンスないかもしれないから、今のうちに寝ていいよ。新潟に着いたら起こすからさ」

 静寂を割って、宮歌の優しい声が響く。真広は頷いた。寝られる気はしないが、素直に受け取っておく。

 真広は窓の外をぼんやりと見つめた。東京から一歩外に出ると高層ビルは見えない。あの大都会が嘘のように低い建物が連なっている。その様子がなんとなく滑稽に見えた。

 都会で忙しく、明日以降のために働いている人間が嘘のようだった。


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