第4話「初めての依頼は猫探し?」
~契約から三日後の朝~
異世界に来て二ヶ月。霧島悠は、ミミの小さな寝息で目を覚ました。
胸の上で丸くなっている白い子猫。規則正しい呼吸に合わせて、小さな体が上下している。朝の光が窓から差し込み、純白の毛並みを金色に染めていた。
使い魔契約を結んでから三日。ミミとの絆は日に日に深まっていた。今では、目を閉じていてもミミの存在を感じることができる。心臓の鼓動、穏やかな夢、そして溢れる信頼と愛情。すべてが、契約を通じて伝わってくる。
『ん……ゆうさん、おはよう……』
寝ぼけた念話が、悠の心に響いた。ミミはまだ目を開けていないが、悠が起きたことを感じ取ったらしい。
「おはよう、ミミ」
悠が優しく頭を撫でると、ミミは気持ちよさそうに喉を鳴らした。その振動が、胸に心地よく伝わってくる。
『きょうも、いっしょ?』
「ああ、今日も一緒だ」
『やった』
ミミがようやく目を開けた。澄んだ青い瞳が、愛情に満ちて悠を見上げる。その視線を受けるたびに、悠は不思議な感覚に包まれる。これほど純粋に、無条件に愛してくれる存在がいることの幸せ。それは、現代では決して味わえなかった感情だった。
階下から、食器の音が聞こえてきた。きっとリックが朝食の準備を始めたのだろう。
「そろそろ起きるか」
『もうちょっと……』
ミミが甘えた声を出す。まるで、もう少し寝ていたい子供のようだ。
悠は苦笑しながら、もう少しだけベッドに留まることにした。この穏やかな時間を、もう少し味わっていたい。そんな気持ちが、自分でも不思議だった。
現代では、朝は戦いの始まりだった。目覚まし時計に叩き起こされ、慌ただしく身支度を整え、満員電車に飛び乗る。そこに、ゆとりなど存在しなかった。
でも今は違う。目覚めれば温かい存在があり、急ぐ必要もない。この違いが、どれほど心を豊かにしてくれるか。
『ゆうさん、しあわせ?』
ミミが突然尋ねてきた。契約の効果で、悠の感情が伝わったのだろう。
「ああ、とても幸せだ」
『よかった。わたしも、しあわせ』
ミミが満足そうに目を閉じた。しかし、すぐに何かを思い出したように目を開ける。
『あ、でも、おなかすいた』
「そうか、じゃあ朝ごはんにしよう」
結局、食欲には勝てないらしい。悠は笑いながら起き上がった。
~賑やかな朝食~
階下に降りると、既に全員が集まっていた。
「おはようございます、悠さん!」
リックが元気な声で挨拶する。エプロン姿も板についてきた。
「おはよう、ミミちゃん!」
ミリアが嬉しそうに手を振る。ミミは悠の肩から飛び降りて、ミリアのところへ駆け寄った。
『おはよう、ミリア!』
「今日も元気だね」
ミリアがミミを抱き上げる。二人はすっかり仲良しになっていた。
「おはようございます、霧島様」
イザベラが優雅に挨拶する。元貴族の作法は相変わらず完璧だが、その表情は以前より柔らかくなっていた。
「皆、おはよう」
悠が席に着くと、リックが朝食を運んできた。
焼きたてのパン、野菜のスープ、ベーコンエッグ。質素だが、温かい食事。そして何より、皆で囲む食卓という贅沢。
「そういえば、エリザベートは?」
「朝早くに薬草を摘みに行くって」
イザベラが答える。
「また新しい薬の研究ですって。霧島様のために、もっと効果的な薬を作りたいそうです」
エリザベートの心遣いに、悠は感謝の念を抱いた。真実の瞳の使用による頭痛は、彼女の薬のおかげでかなり軽減されている。
『エリザベート、やさしい』
ミミが、ミルクを舐めながら念話を送る。
「そうだな。皆、優しい」
悠の言葉に、リックが照れたように笑った。
「悠さんが一番優しいですよ。俺たちを助けてくれて、居場所を作ってくれて」
「それは、お互い様だ」
実際、悠は仲間たちから多くのものを貰っていた。温かさ、優しさ、生きる喜び。それらは、金では買えない宝物だった。
朝食を終えた頃、扉をノックする音が響いた。
「こんな朝早くに?」
リックが不思議そうに立ち上がる。
扉を開けると、そこには恰幅の良い商人が立っていた。
~商人の依頼~
商人は、明らかに困り果てた様子だった。
豪華な服を着ているが、髪は乱れ、目の下にはクマができている。よほど心配事があるらしい。
【ヘンリー・商人・レベル16】
【職業:宝石商】
【性格:家族思い・心配性】
【現在の悩み:愛猫シルフィーが3日前から行方不明】
【特記事項:猫を実の娘のように可愛がっている】
悠の「真実の瞳」が、来訪者の情報を映し出した。
「よろず解決事務所の方ですね? 助けてください!」
商人は、悠の手を握りしめた。その手は、汗で湿っている。
「落ち着いてください。まず、お座りになって」
悠は商人を応接スペースに案内した。イザベラがお茶を用意し、リックが話を聞く準備をする。手慣れたチームワークだった。
商人は、震える手でお茶を受け取ると、ようやく落ち着きを取り戻した。
「申し遅れました。私、ヘンリーと申します。商業区で宝石店を営んでおります」
「霧島悠です。で、どのようなご相談でしょうか?」
ヘンリーは、懐から小さな絵を取り出した。そこには、美しい銀色の猫が描かれていた。
「うちのシルフィーが……3日前から帰ってこないんです」
ヘンリーの声が震えた。大の大人が、猫のことでここまで取り乱すとは。
『かわいそう』
ミミが、悠の膝の上で呟いた。同じ猫として、共感するものがあるのだろう。
「シルフィーは、特別な猫なんです」
ヘンリーは、絵を愛おしそうに見つめながら続けた。
「15年前、まだ商売を始めたばかりの頃……行き倒れていた子猫を拾ったんです。それがシルフィーでした」
ヘンリーの目に、涙が浮かんだ。
「妻は早くに亡くなり、子供もいない私にとって、シルフィーは家族そのものなんです。一緒に苦労を乗り越えて、一緒に成功を喜んで……」
その気持ちは、悠にもよく分かった。ミミと出会ってまだ日は浅いが、既に悠にとってミミは家族同然だ。もしミミがいなくなったら……想像するだけで胸が締め付けられる。
「いなくなった時の状況を教えてください」
「はい。3日前の朝、いつものように店に一緒に行ったんです。シルフィーは店番が好きで、お客様にも人気でした」
ヘンリーは、その日のことを思い出すように語り始めた。
「昼過ぎに、ちょっと目を離した隙に……気がついたら、いなくなっていたんです」
「窓や扉は?」
「全部確認しました。開いているところはありませんでした。まるで、煙のように消えてしまったんです」
リックが首を傾げた。
「でも、猫って結構狭いところも通れますよね?」
「それが……シルフィーは普通の猫より大きいんです。それに、もう15歳。若い頃のような身軽さはありません」
15歳といえば、猫としてはかなりの高齢だ。人間で言えば70代後半に相当する。
「自分で探されましたか?」
「もちろんです! 店の周り、家の周り、思い当たる場所は全部……でも、どこにもいなくて……」
ヘンリーは顔を覆った。肩が震えている。
「もう年ですから……どこかで倒れているんじゃないかと……」
『さがしてあげよう』
ミミが、悠を見上げた。その青い瞳には、強い決意が宿っていた。
『わたしも、ねこだから。きもち、わかる』
悠は頷いた。
「分かりました、ヘンリーさん。シルフィーを探しましょう」
「本当ですか!?」
ヘンリーの顔が、パッと明るくなった。
「でも、報酬は……かなり高額になりますが……」
「猫探しでしたら、銀貨20枚で結構です」
「そ、そんな! もっと払います! 金貨でも何でも!」
ヘンリーの必死さに、悠は優しく首を振った。
「大切な家族を探すお手伝いです。法外な料金は頂けません」
その言葉に、ヘンリーは感極まって涙を流した。
「ありがとうございます……本当に、ありがとうございます……」
~捜索開始~
ヘンリーから詳しい情報を聞いた後、悠はすぐに捜索を開始することにした。
「リック、ミミ、一緒に来てくれ」
『はい!』
ミミが元気よく返事をする。
「俺も行きます!」
リックも張り切っていた。
イザベラとミリアは、事務所で待機することになった。もし他の依頼が来た時のためだ。
三人(二人と一匹)は、まずヘンリーの店を訪れた。
商業区は、王都の中でも特に活気のある地域だった。大通りには様々な店が軒を連ね、商人たちの呼び声が響いている。
「いらっしゃい! 新鮮な果物はいかが!」
「上物の布地が入りました!」
「魔法の護符、お守りにどうぞ!」
その中でも、ヘンリーの宝石店は一際立派な構えをしていた。
「ヘンリー宝石店」の看板が、朝日を受けて輝いている。ショーウィンドウには、美しい宝石が並んでいた。
「へぇ、すごいお店」
リックが感心する。
店内に入ると、従業員が丁寧に挨拶してきた。
「いらっしゃいませ……あ、旦那様!」
「彼らは、シルフィーを探してくれる探偵さんたちだ」
ヘンリーの説明に、従業員たちの顔が明るくなった。
「本当ですか! シルフィーちゃんが見つかるんですか!」
従業員たちも、シルフィーを大切に思っているようだった。
悠は、店内を観察し始めた。「真実の瞳」が、様々な情報を拾い上げていく。
【痕跡:猫の毛(銀色)】
【場所:カウンターの下、窓際、奥の部屋】
【時期:3日前まで】
確かに、つい最近までシルフィーがここにいた形跡がある。
「ミミ、何か分かるか?」
ミミは、小さな鼻をひくひくと動かした。
『うん……ねこのにおい。でも、ふるい』
『それと……』
ミミが首を傾げた。
『へんなにおいもする。あまい、くすりみたいな』
「薬?」
悠は、さらに注意深く観察した。すると、窓際にかすかな痕跡を発見した。
【発見:粉末の跡】
【種類:睡眠薬(動物用)】
【効果:摂取後10分で深い眠りに落ちる】
「これは……」
悠の表情が険しくなった。これは、単なる失踪ではない。何者かが、意図的にシルフィーを連れ去った可能性がある。
しかし、なぜ? 身代金目的なら、既に要求があるはずだ。
「ヘンリーさん、最近、何か変わったことは?」
「変わったこと……」
ヘンリーは考え込んだ。
「そういえば、1週間ほど前から、妙な客が来ていました」
「妙な?」
「黒いローブを着た女性でした。顔は見えませんでしたが……宝石を見るでもなく、ただシルフィーをじっと見ていて……」
怪しい。明らかに怪しい。
「その女性の特徴は?」
「背は低めで……そうそう、紫色の髪の毛が、ローブの隙間から見えました」
紫の髪。この世界でも珍しい髪色だ。
悠は、さらに情報を集めることにした。
~足跡を追って~
店を出た悠たちは、シルフィーの痕跡を探し始めた。
「ミミ、シルフィーの匂いを辿れるか?」
『やってみる』
ミミは地面に鼻をつけて、慎重に匂いを嗅いでいく。時折立ち止まり、首を傾げながら、少しずつ前進していった。
『こっち……たぶん』
ミミの案内で、一行は商業区の裏通りへと入っていった。
大通りとは違い、裏通りは薄暗く、人通りも少ない。建物の影が複雑に重なり合い、迷路のような空間を作り出している。
「気をつけろよ」
悠がリックに注意を促す。こういう場所には、スリや追い剥ぎが潜んでいることがある。
しばらく進むと、ミミが立ち止まった。
『ここで、においがつよくなる』
見ると、小さな空き地があった。周りを建物に囲まれた、隠れ家のような場所だ。
悠の能力が、新たな情報を捉えた。
【発見:猫の集会所】
【使用頻度:毎晩】
【特徴:野良猫と飼い猫が集まる社交場】
「猫の集会所か」
「え、本当にあるんですか?」
リックが驚く。猫の集会は、都市伝説のようなものだと思っていたらしい。
『あるよ。ねこたちの、だいじなばしょ』
ミミが、少し誇らしげに言った。
空き地には、確かに多数の猫の痕跡があった。毛、爪とぎの跡、そして……
【発見:銀色の毛(大量)】
【推定:シルフィーのもの】
【時期:2日前】
「シルフィーは、ここに来ていた」
「でも、今はいない……」
リックが周囲を見回す。
その時、物陰から一匹の猫が現れた。
黒い毛並みの、痩せた野良猫。片目が潰れていて、歴戦の強者という風格がある。
猫は、ミミをじっと見つめた。
『おまえ……にんげんの、つかいま?』
突然、念話が聞こえてきた。悠とリックは驚いたが、ミミは落ち着いていた。
『そうだよ。あなたは?』
『クロ、とよばれている』
クロと名乗った黒猫は、警戒心を解かない様子でミミを観察していた。
『なぜ、ここにきた?』
『シルフィーをさがしてる。しってる?』
クロの表情が、わずかに変わった。
『ぎんいろの、としよりか』
『しっている。2ばんまえのよる、ここにいた』
やはり、シルフィーはここに来ていたのだ。
「その後は?」
悠が尋ねると、クロは悠を一瞥した。
『にんげんか……まあいい』
クロは、重い口を開いた。
『シルフィーは、へんなにんげんに、つれていかれた』
「変な人間?」
『むらさきのかみの、おんな。まほうをつかって、シルフィーをねむらせた』
やはり、誘拐だった。しかも、魔法を使える者の犯行。
『なぜ、とめなかった?』
ミミが責めるような口調で言うと、クロは悔しそうに目を伏せた。
『とめようとした。でも、あのおんなのまほうは、つよかった』
『ほかのねこたちも、うごけなくされた』
魔法で猫たちを無力化し、シルフィーだけを連れ去る。一体、何が目的なのか。
『むらさきのかみのおんな、なにかいってた?』
ミミが尋ねる。
『「やっとみつけた」と、いっていた』
『「15ねんまえのしゅくめい」とも』
15年前。それは、ヘンリーがシルフィーを拾った時期と一致する。
これは、単なる誘拐事件ではない。もっと深い因縁が絡んでいるようだ。
~手がかりを求めて~
クロから聞いた情報を元に、悠たちは紫髪の女の行方を追い始めた。
『あのおんな、みなみのほうにいった』
クロの最後の情報を頼りに、南へ向かう。
商業区の南側は、徐々に住宅地へと変わっていく。立派な家から質素な家まで、様々な建物が混在している地域だ。
「紫の髪の女性か……目立つはずだけど」
リックが呟く。
確かに、この世界でも紫の髪は珍しい。魔法使いや、特殊な血筋の者に見られる特徴だ。
歩きながら、悠は通行人に聞き込みを始めた。
「紫の髪の女性を見ませんでしたか?」
しかし、なかなか手がかりは得られない。
『ゆうさん、つかれた?』
ミミが心配そうに見上げる。
「大丈夫だ。それより、ミミこそ疲れてないか?」
『へいき! でも……』
ミミが何か言いかけた時、一人の老婆が話しかけてきた。
「紫の髪の女かい?」
「はい、見ましたか?」
老婆は、しわだらけの顔で笑った。
「ああ、見たよ。変な女だった。大きな籠を抱えて、南の森の方へ行った」
南の森。王都の外れにある、鬱蒼とした森だ。
「いつ頃ですか?」
「昨日の夕方頃かねぇ」
ようやく、確かな手がかりを得た。
「ありがとうございます」
悠たちは、急いで南の森へ向かった。
~森での遭遇~
南の森は、王都から歩いて30分ほどの場所にあった。
昼なお暗い森で、大木が空を覆い隠している。地面は厚い落ち葉で覆われ、歩くたびにカサカサと音がした。
「不気味な場所だな」
リックが、緊張した声で呟く。
確かに、この森には何か異様な雰囲気があった。鳥の声も虫の音も聞こえない、不自然な静寂。
『きをつけて。へんなかんじがする』
ミミも警戒心を露わにしていた。
悠の「真実の瞳」も、この森の異常さを示していた。
【警告:魔力濃度が異常に高い】
【原因:不明】
【危険度:中】
「慎重に行こう」
三人は、ゆっくりと森の奥へ進んでいった。
しばらく進むと、開けた場所に出た。
そこには、小さな小屋が建っていた。丸太を組んで作られた粗末な小屋だが、窓から煙が上がっている。誰かが住んでいるようだ。
『シルフィーのにおいがする!』
ミミが興奮した様子で念話を送る。
間違いない。ここに、シルフィーがいる。
悠は、慎重に小屋に近づいた。窓から中を覗くと……
そこには、予想外の光景が広がっていた。
小屋の中は、意外にも清潔で整っていた。薬草が天井から吊るされ、棚には瓶詰めが並んでいる。まるで、薬師の工房のようだ。
そして、部屋の中央には……
銀色の大きな猫——シルフィーが、クッションの上で眠っていた。
その隣には、紫の髪の若い女性が座っていた。
【ルナ・元宮廷魔法使い・レベル28】
【年齢:32歳】
【性格:動物好き・過去に囚われている】
【現在の状態:後悔と罪悪感】
女性——ルナは、シルフィーを優しく撫でていた。その表情は、悲しみに満ちている。
「ごめんなさい、シルフィー……でも、もう一度だけ……」
ルナの声は、涙で震えていた。
これは、どういうことなのか。
悠は、状況を理解しようと能力を集中させた。すると、より詳細な情報が見えてきた。
【ルナの過去:15年前、宮廷魔法使いとして王城に仕えていた】
【転機:実験の失敗で多くの動物を死なせてしまう】
【シルフィーとの関係:唯一生き残った実験体】
【現在の目的:罪滅ぼしのため、シルフィーに会いたかった】
なるほど、そういうことか。
悠は、扉をノックした。
中から、驚いたような声が聞こえた。
「誰!?」
「よろず解決事務所の者です。シルフィーを探しています」
しばらくの沈黙の後、扉が開いた。
ルナは、諦めたような表情で立っていた。
「やっぱり、見つかってしまいましたね」
~真実と和解~
小屋の中で、ルナは全てを話し始めた。
「15年前、私は王宮で魔法の研究をしていました」
ルナの声は、過去を思い出す苦痛に満ちていた。
「動物の生命力を高める魔法……それが成功すれば、多くの命を救えると思っていました」
しかし、実験は失敗した。魔法の暴走により、実験体の動物たちは次々と命を落とした。
「唯一生き残ったのが、この子でした」
ルナは、眠るシルフィーを見つめた。
「当時はまだ子猫でしたが、なぜか私の魔法に適応したんです」
実験の失敗の責任を問われ、ルナは宮廷を追放された。シルフィーは、証拠隠滅のために処分されるはずだった。
「でも、私にはできませんでした。せめてこの子だけでも、幸せに生きて欲しくて……」
ルナは、シルフィーを城外に逃がした。それが、ヘンリーに拾われることになったのだ。
「15年間、ずっと後悔していました。あの子は今、どうしているのか。幸せに暮らしているのか」
そして、つい最近、偶然ヘンリーの店でシルフィーを見つけた。
「幸せそうで……本当に安心しました。でも……」
ルナの目から、涙がこぼれた。
「もう一度だけ、会いたくて。謝りたくて。それで……」
『かわいそう』
ミミが、小さく呟いた。
ルナの行動は確かに間違っていた。しかし、その動機は理解できる。
「でも、シルフィーには飼い主がいます」
悠の言葉に、ルナは深く頭を下げた。
「分かっています。すぐにお返しします。本当に、申し訳ありませんでした」
その時、シルフィーが目を覚ました。
銀色の大きな猫は、ゆっくりと体を起こし、周囲を見回した。そして、ルナを見つめると……
「にゃー」
優しく鳴いて、ルナに体をすり寄せた。
「シルフィー……」
ルナは驚きの表情を浮かべた。
『このねこ、おぼえてる』
ミミが、悠に念話を送る。
『ルナのこと、わるくおもってない。むしろ、かんしゃしてる』
「感謝?」
悠の問いに、ミミは頷いた。
『いきていられるのは、ルナのおかげだって、わかってる』
なるほど。シルフィーは、15年前の記憶をちゃんと持っていたのだ。そして、命の恩人であるルナを恨んではいなかった。
「ルナさん」
悠は、優しく語りかけた。
「シルフィーは、あなたを許しているようです」
「え?」
「むしろ、感謝しているみたいですよ」
ルナの目が、信じられないという表情で見開かれた。
「そんな……私は、この子を実験に使って……」
「でも、最後は逃がしてくれた。そのおかげで、シルフィーは幸せな15年を過ごせたんです」
悠は、シルフィーとルナを交互に見た。
「それに、シルフィーも会いたがっていたのかもしれません。だから、あの集会所にいたんでしょう」
確かに、15歳の高齢猫が、わざわざ夜の集会に参加するのは不自然だ。もしかしたら、シルフィーも何かを感じていたのかもしれない。
「でも、ヘンリーさんが心配しています」
リックが現実的な指摘をする。
「そうですね……」
ルナは、シルフィーを抱き上げた。
「この子は、ヘンリーさんの元に返します。当然です」
しかし、シルフィーはルナから離れようとしなかった。まるで、もう少し一緒にいたいと言っているかのように。
『ゆうさん』
ミミが、悠を見上げた。
『いいかんがえがある』
~ミミの提案~
ミミの提案は、シンプルだが的を射たものだった。
『ルナも、いっしょにいけばいい』
「一緒に?」
『そう。ヘンリーに、ほんとうのことをはなして、ときどきシルフィーにあわせてもらう』
なるほど、それなら皆が幸せになれる。
「でも、ヘンリーさんが許してくれるかどうか……」
ルナが不安そうに呟く。
「大丈夫です」
悠は自信を持って答えた。
「ヘンリーさんは、シルフィーを本当に愛しています。シルフィーの恩人なら、きっと理解してくれるはずです」
それに、悠にはもう一つ考えがあった。
「ルナさん、今は何をしているんですか?」
「薬草を売って、細々と暮らしています」
元宮廷魔法使いが、こんな森の奥でひっそりと。もったいない話だ。
「ヘンリーさんの店で、魔法のアクセサリーを作るのはどうですか?」
「え?」
「宝石に魔法を込めて、特別なアクセサリーにする。きっと需要があるはずです」
ルナの目が、希望に輝き始めた。
「でも、私なんかが……」
「過去は変えられません。でも、未来は変えられます」
悠の言葉に、ルナは涙を流した。
「ありがとうございます……本当に……」
こうして、一行はヘンリーの元へ向かうことになった。
~感動の再会~
ヘンリーの店に戻ると、彼は店の前で待っていた。
「シルフィー!」
ヘンリーの声に、シルフィーが反応した。ルナの腕から飛び降りて、ヘンリーの元へ駆け寄る。
「ああ、シルフィー! 心配したんだぞ!」
ヘンリーは、シルフィーを抱きしめて涙を流した。15年間共に過ごしてきた家族との再会。その光景に、見ている者たちも目頭が熱くなった。
しかし、ヘンリーはすぐにルナの存在に気づいた。
「あなたは……」
ルナは、深く頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。私が、シルフィーを連れ去りました」
ヘンリーの表情が、驚きから怒りへと変わりかけた。しかし、悠が間に入った。
「ヘンリーさん、まず話を聞いてください」
悠は、ルナの過去とシルフィーとの関係を説明した。15年前の出来事、ルナの後悔、そしてシルフィーへの思い。
話を聞き終えたヘンリーは、複雑な表情を浮かべていた。
「つまり、あなたがシルフィーの命の恩人……」
「恩人なんて、とんでもない。私は、この子を危険に晒した罪人です」
ルナの自責の念に、ヘンリーは首を振った。
「いいえ、あなたがいなければ、私はシルフィーに出会えなかった」
ヘンリーは、シルフィーを見つめた。
「この子は、私の人生を変えてくれました。孤独だった私に、生きる喜びを教えてくれた」
そして、ルナに向き直った。
「むしろ、私の方こそ感謝すべきです。シルフィーを助けてくれて、ありがとうございます」
ルナの目から、再び涙がこぼれた。しかし今度は、安堵と喜びの涙だった。
「それに」
ヘンリーが続けた。
「シルフィーも、あなたに会えて嬉しそうです」
確かに、シルフィーはヘンリーの腕の中から、ルナに向かって前足を伸ばしていた。
『みんな、なかよくなれる』
ミミが、満足そうに呟いた。
~新しい関係~
店の奥の応接室で、詳しい話し合いが行われた。
「ルナさん、よかったら定期的にシルフィーに会いに来てください」
ヘンリーの申し出に、ルナは恐縮した。
「でも、ご迷惑では……」
「とんでもない。シルフィーも喜ぶでしょう」
さらに、悠が提案した魔法アクセサリーの件も話題に上った。
「魔法を込めた宝石ですか……面白いですね」
ヘンリーは商人らしく、すぐにビジネスの可能性を見出した。
「護符の効果がある指輪とか、幸運を呼ぶペンダントとか……需要はありそうです」
「で、でも、私の魔法なんて……」
「ルナさんは元宮廷魔法使いでしょう? その技術は本物のはずです」
話し合いの結果、ルナは週に数回、ヘンリーの店で魔法アクセサリーの制作を手伝うことになった。
「これで、いつでもシルフィーに会えますね」
リックが嬉しそうに言う。
シルフィーも、この取り決めに満足しているようだった。ヘンリーとルナの間を行ったり来たりして、どちらにも甘えている。
「本当に、ありがとうございました」
ヘンリーは、改めて悠たちに礼を言った。
「約束の報酬です」
差し出された袋には、銀貨ではなく金貨が入っていた。
「これは多すぎます」
「いいえ、シルフィーを見つけてくれただけでなく、素晴らしい出会いまで作ってくれた。これでも足りないくらいです」
さらに、ヘンリーは小さな箱を取り出した。
「これは、ミミちゃんに」
箱を開けると、美しい鈴が入っていた。銀で作られ、小さな宝石があしらわれている。
『わぁ、きれい!』
ミミが目を輝かせる。
「声が素敵だったので、これをつけたらもっと可愛いかなと」
『ありがとう!』
ミミは嬉しそうに、悠に鈴をつけてもらった。チリンと澄んだ音が響く。
『いいおと!』
ミミが動くたびに、優しい鈴の音が鳴る。それは、幸せの音色のようだった。
~事務所への帰り道~
夕暮れ時、三人は事務所への道を歩いていた。
オレンジ色の夕日が、王都の街並みを美しく染めている。商店街では、店じまいの準備が始まっていた。
「いい解決でしたね」
リックが満足そうに言う。
「誰も傷つかず、みんなが幸せになった」
確かに、理想的な解決だった。シルフィーは無事に戻り、ヘンリーとルナは和解し、新しい関係が生まれた。
『ゆうさん、すごい!』
ミミが、悠の肩の上で嬉しそうに身を寄せる。新しい鈴が、チリンチリンと鳴った。
「ミミの提案のおかげだよ」
『えへへ』
ミミが照れたように目を細める。
歩きながら、悠は今日の出来事を振り返っていた。
最初は単純な猫探しの依頼だった。しかし、その裏には15年前の悲しい出来事があり、後悔と贖罪の物語があった。
もし力ずくでシルフィーを取り返していたら、ルナはずっと罪悪感を抱えて生きていくことになっただろう。ヘンリーも、真実を知らないままだった。
でも、真実を明らかにし、互いの気持ちを理解し合うことで、新しい関係が生まれた。
これこそが、悠の目指す解決方法だった。
『ゆうさん、うれしい?』
ミミが、悠の感情を感じ取って尋ねる。
「ああ、とても嬉しい」
『よかった。わたしも、うれしい』
ミミの純粋な喜びが、契約を通じて伝わってくる。それは、悠の喜びをさらに大きくした。
「それにしても、猫って不思議だな」
リックが呟く。
「15年も前のことを覚えていて、恩を忘れない」
『ねこは、おぼえてるよ』
ミミが、少し誇らしげに言う。
『だいじなひとのことは、ずっとわすれない』
その言葉に、悠は胸が温かくなった。
ミミも、母親のことを忘れていない。そして今は、悠たちのことを大切に思ってくれている。
「俺たちも、忘れないよ」
悠の言葉に、ミミは嬉しそうに喉を鳴らした。
~事務所にて~
事務所に戻ると、皆が心配そうに待っていた。
「おかえりなさい! どうでしたか?」
イザベラが真っ先に尋ねる。
「無事に見つかったよ」
「よかった!」
ミリアが安堵の表情を浮かべる。
悠は、今日の出来事を詳しく説明した。ルナの過去、シルフィーとの関係、そして新しい始まり。
「素敵な話ね」
帰ってきていたエリザベートが、感動した様子で言う。
「過去の過ちを償い、新しい関係を築く。それは、とても勇気のいることだわ」
確かに、ルナは勇気を出して真実を語り、ヘンリーも寛大な心で受け入れた。
「人って、やり直せるんですね」
イザベラが、しみじみと呟く。彼女もまた、没落貴族から新しい人生を歩み始めた一人だ。
「そうだな。大切なのは、過去に囚われずに前を向くことだ」
悠の言葉に、皆が頷いた。
夕食の時間、ミミの新しい鈴が話題になった。
「可愛い! ミミちゃんにぴったり!」
ミリアが、ミミを抱き上げて鈴の音を楽しむ。
『くすぐったい!』
ミミが笑い声のような念話を送る。
和やかな雰囲気の中、リックが呟いた。
「最初は猫探しって聞いて、簡単な依頼だと思ったけど……」
「どんな依頼にも、物語があるんだな」
悠の言葉に、皆が同意した。
一見単純に見える依頼でも、その裏には人々の思いや歴史が隠されている。それを丁寧に紐解いていくことが、真の解決につながる。
「これからも、こういう解決ができるといいね」
エリザベートの言葉に、悠は頷いた。
「ああ。力ではなく、理解と共感で問題を解決する。それが、よろず解決事務所のやり方だ」
『そうだね!』
ミミが元気よく同意する。鈴の音が、楽しげに響いた。
~夜の語らい~
その夜、悠の部屋で、ミミと二人きりの時間。
『きょうは、たのしかった』
ミミが、悠の胸の上で丸くなりながら言う。
「そうだな。いい一日だった」
『シルフィー、しあわせそうだった』
「ああ。ヘンリーさんもルナさんも、皆幸せそうだった」
『ゆうさんのおかげ』
「いや、皆のおかげだよ。特に、ミミの提案が良かった」
悠は、ミミの頭を優しく撫でた。柔らかい毛並みと、温かい体温が心地よい。
『ねぇ、ゆうさん』
「ん?」
『わたしたちも、ずっといっしょだよね?』
ミミの問いかけに、悠は微笑んだ。
「もちろんだ。契約したろう? 生涯を共にするって」
『うん!』
ミミが嬉しそうに身を寄せる。
『シルフィーみたいに、15ねんたっても、いっしょ?』
「15年どころか、もっとずっとだ」
『やくそく?』
「約束する」
ミミは満足そうに目を閉じた。
しばらくして、ミミがまた口を開いた。
『ゆうさん、わたし、おもった』
「何を?」
『かぞくって、いいね』
その言葉に、悠の胸が熱くなった。
確かに、今日見た光景はすべて家族の物語だった。ヘンリーとシルフィー、そしてルナ。血は繋がっていなくても、互いを思いやる気持ちが家族を作る。
そして、この事務所も。
悠、ミミ、リック、ミリア、イザベラ、エリザベート。皆、血の繋がりはない。でも、確かに家族だ。
「そうだな。家族って、いいな」
『うん!』
ミミの鈴が、優しく鳴った。
窓の外では、二つの月が静かに輝いている。
今日もまた、小さな奇跡が起きた。人と人、人と動物の絆が、新しい幸せを生み出した。
明日は、どんな依頼が来るだろうか。どんな出会いがあるだろうか。
でも、怖くない。
なぜなら、ここには家族がいるから。
小さな白い子猫と、その仲間たち。
よろず解決事務所の物語は、まだまだ続いていく。
『ゆうさん、あした、がんばろうね』
『ああ、一緒に頑張ろう』
ミミの寝息と、鈴の音を聞きながら、悠も眠りについた。
幸せな一日の終わりだった。