第3話「白い子猫と運命の出会い」
~いつもと違う朝~
異世界に来て一ヶ月半。霧島悠は、よろず解決事務所の二階で目を覚ました。
朝の光が、修繕されたばかりの窓から優しく差し込んでいる。ガラス越しに見える空は、現代の東京では見られないような澄んだ青さだった。排気ガスも工場の煙もない、純粋な空の色。それを見るたびに、悠は自分が本当に別の世界にいることを実感する。
階下から、食器の触れ合う音が聞こえてきた。きっとリックが朝食の準備をしているのだろう。あの少年は、いつも誰よりも早く起きて働いている。
「俺も起きないとな」
悠は身支度を整え、階段を降りた。予想通り、リックが台所で忙しく立ち働いていた。その隣では、ミリアが眠そうな目をこすりながら皿を並べている。
「おはようございます、悠さん!」
リックの元気な声が、朝の静けさを破る。
「おはよう。今日も早いな」
「習慣ですから。それに、今日はイザベラさんの分も用意しないと」
そう、今や事務所には多くの仲間がいる。元貴族のイザベラ、錬金術師見習いのエリザベート。皆それぞれの事情を抱えながら、この小さな事務所に集まってきた。
悠は窓の外を眺めながら、しみじみと思った。現代では、隣人の顔さえ知らなかった。仕事に追われ、人間関係は希薄で、孤独を抱えて生きていた。
でも今は違う。朝起きれば「おはよう」と言ってくれる人がいて、一緒に食事をする仲間がいる。それがどれほど幸せなことか、失ってから気づくものだと悠は実感していた。
「おはようございます、霧島様」
イザベラが優雅に現れた。庶民街の質素な事務所には不釣り合いなほど洗練された所作だが、彼女はそれを全く気にしていない。むしろ、この新しい生活を心から楽しんでいるようだった。
「おはよう、イザベラ。今日の予定は?」
「午前中に3件、午後に5件の相談予約が入っています。皆様、霧島様の評判を聞いて来られるようです」
イザベラの几帳面な仕事ぶりのおかげで、事務所の運営は格段に効率化していた。かつて没落貴族として辛い日々を送っていた彼女は、今では欠かせない存在となっている。
「それから、エリザベート様が新しい薬を持って来られる予定です」
「エリザベートか」
悠の顔に、自然と微笑みが浮かんだ。最初は依頼人として出会った彼女も、今では大切な仲間の一人だ。彼女の作る薬は、悠の「真実の瞳」の負担を和らげてくれる。
「相変わらず忙しいな」
「嬉しい悲鳴というものでしょう」
イザベラの言葉通りだった。事務所の評判は日に日に高まり、様々な人々が相談に訪れる。それは悠にとって、何より嬉しいことだった。
人の役に立てている。その実感が、悠の心を満たしていく。
朝食を終えた頃、慌ただしい足音が聞こえてきた。
「悠さん! 大変です!」
リックが血相を変えて駆け込んできた。
「どうした?」
「マルタおばさんの店で、パン泥棒が!」
~隣人の困りごと~
隣のパン屋「金の麦穂」は、よろず解決事務所の最初の依頼人だった。
あの時、ライバル店との競争に悩んでいたマルタを助けたことで、事務所の評判が広まり始めた。以来、マルタは事務所の良き理解者であり、時には差し入れをしてくれる温かい隣人となっている。
その恩人が困っているとなれば、悠は黙っていられなかった。
「分かった。すぐ行こう」
悠は立ち上がった。最近は貴族街の事件など、大きな依頼も扱うようになったが、こうした身近な問題も決して疎かにしない。それが「よろず解決事務所」の理念だった。
金持ちも貧乏人も、身分の高い者も低い者も、皆等しく悩みを抱えている。その悩みに真摯に向き合うこと。それが悠の信条だった。
マルタの店に着くと、彼女が困り果てた顔で待っていた。いつもは陽気で朗らかな彼女が、今日は明らかに憔悴している。
「悠さん! また盗まれちゃったのよ」
「また?」
悠は眉をひそめた。一度や二度なら子供のいたずらで済むが、繰り返されるとなると話は別だ。
「ええ、今週で3回目。いつも焼きたての一番いいパンを持っていくの」
悠の「真実の瞳」が、自動的に情報を収集し始めた。
【マルタの被害状況】
【盗難回数:今週3回】
【被害品:高級パン(ミルクパン、クリームパン等)】
【特徴:必ず朝一番の焼きたてを狙う】
【推定損害:銀貨15枚相当】
銀貨15枚は、庶民にとって小さくない金額だ。マルタの顔に刻まれた心配の皺が、それを物語っている。
「見た人はいますか?」
「それが、一瞬なのよ。黒い影がサッと入ってきて、サッと逃げていく。まるで風みたいに」
リックが首を傾げた。
「でも、パン数個のために、そんなリスクを冒すかな? 普通の泥棒なら、もっと金目の物を狙うはず」
確かに、リックの指摘は的を射ていた。パン屋の売り上げ金を狙うならまだしも、パンだけを盗むというのは効率が悪すぎる。
悠は店内を注意深く観察した。カウンター、パンを並べる棚、厨房への入り口。そして、床に残されたかすかな痕跡。
【痕跡分析】
【足跡:非常に小さく軽い】
【侵入経路:窓の隙間(人間には不可能)】
【特記事項:獣の毛らしきものが付着】
「動物の仕業かもしれませんね」
「動物? でも、こんなに器用に特定のパンだけを……」
マルタの疑問はもっともだった。普通の動物なら、手当たり次第に食べ散らかすはずだ。
その時、店の外で騒ぎ声が聞こえた。
「泥棒だ! 向こうの肉屋でも盗まれた! あっちに逃げたぞ!」
別の店でも被害が出たらしい。悠とリックは、すぐに外に飛び出した。
~追跡~
商店街は朝の活気に満ちていたが、そこに緊張感が走っていた。
「あっちだ! 黒い影が路地に入った!」
肉屋の主人が、怒りに顔を真っ赤にして叫んでいる。
悠とリックは、指差された方向へ走った。石畳の道を蹴り、朝の冷たい空気を肺いっぱいに吸い込む。久しぶりの全力疾走に、悠の体が軋んだ。
現代では、デスクワークばかりで体がなまっていた。しかし、この世界に来てから、少しずつ体力が戻ってきている。それでも、若いリックにはかなわない。
「向こうです!」
リックが先行して角を曲がる。悠も必死について行く。
路地は次第に細くなり、人通りも少なくなっていく。王都の表通りから一本入れば、そこは迷路のような裏道が続いている。
「速い……」
リックが息を切らしながら呟く。確かに、犯人の動きは尋常ではない。まるで地形を完全に把握しているかのように、最短距離で逃げている。
悠の能力が、わずかな痕跡を捉え続けた。
【足跡:小さく軽い(推定体重3kg以下)】
【移動パターン:屋根や壁を使った立体的な逃走】
【特徴:四足歩行の形跡】
【推定:子供ではなく小動物】
「屋根の上?」
見上げると、確かに瓦がずれた跡がある。この身軽さは、人間には真似できない。
追跡は困難を極めた。犯人は壁を駆け上がり、屋根を飛び移り、時には狭い隙間をすり抜けていく。悠たちは地上から必死に後を追うが、次第に距離が開いていく。
「くそっ、見失いそうだ」
リックが悔しそうに呟く。彼は貧民街育ちで、裏道には詳しい。それでも、この犯人の動きにはついていけない。
しかし、悠の能力が新たな手がかりを見つけた。
【発見:血痕】
【量:ごく少量】
【推定:逃走中に怪我をした】
「リック、こっちだ。犯人は怪我をしている」
血痕を辿って、二人は更に奥へと進んだ。次第に建物はボロくなり、人の気配も薄れていく。この辺りは、貧民街の中でも特に寂れた地域だった。
やがて、行き止まりに突き当たった。三方を高い壁に囲まれた、狭い空間。逃げ場はない。
「どこに……」
リックが辺りを見回す。しかし、犯人の姿は見えない。
その時、悠の目が壁の隅に気づいた。古い木箱が積まれ、その陰に何かが隠れている。
「あそこだ」
悠は慎重に近づいた。追い詰められた動物は危険だ。下手に刺激すれば、攻撃してくるかもしれない。
「大丈夫、危害は加えない」
悠は優しく声をかけながら、ゆっくりと木箱をどけた。
そして、その陰に隠れていたものを見て、息を呑んだ。
~白い子猫との出会い~
それは、手のひらに乗るほど小さな白い子猫だった。
純白の毛は所々汚れ、小さな体は震えている。怯えたような青い瞳が、悠を見上げていた。その瞳の奥に、悠は言葉にできない何かを感じた。
知性。そう、これはただの動物の目ではない。そこには確かな知性と、そして深い悲しみが宿っていた。
悠の「真実の瞳」が、驚くべき情報を表示した。
【???(仮称:白猫)】
【種族:古代竜の末裔(幼体)】
【レベル:測定不能】
【状態:極度の衰弱、魔力枯渇、右前足に軽傷】
【特記事項:知性が非常に高い】
【危険度:現在は無害】
「古代竜の末裔……?」
悠は目を疑った。この手のひらに乗るような小さな生き物が、伝説の存在の血を引いているというのか。古代竜といえば、この世界の神話や伝説に登場する最強の生物。山を吹き飛ばし、国を滅ぼすほどの力を持つという。
しかし、今目の前にいるのは、弱り切った一匹の子猫でしかない。
「この子が犯人?」
リックが驚きの声を上げる。確かに、子猫の口の周りにはパンくずがついている。小さな牙にも、肉の繊維がわずかに残っていた。
子猫は立ち上がろうとしたが、すぐによろけて倒れた。右前足から血が滲んでいる。逃走中に怪我をしたのだろう。小さな体が、痛みと疲労で震えている。
「おい、大丈夫か?」
悠は本能的に手を伸ばした。警戒心より先に、保護欲求が湧き上がる。こんなに小さく、弱っている生き物を放っておけない。
子猫は一瞬身を硬くしたが、逃げる力も残っていないようだった。悠は慎重に、そっと子猫を抱き上げた。
驚くほど軽い。骨と皮だけのような体。毛並みの下に触れる肋骨が、浮き出ているのが分かる。一体どれほどの間、まともに食事を取っていないのだろう。
その瞬間、不思議なことが起きた。
悠の頭の中に、か細い声が響いてきたのだ。
『……たすけて……』
「!?」
思わず子猫を見つめる悠。子猫も、必死の表情で悠を見上げていた。その青い瞳から、一筋の涙がこぼれた。
『おなか……すいた……でも、もう……ちからが……でない……』
念話。高位の魔獣や精霊が使うという、意思疎通の方法。悠も知識としては知っていたが、実際に体験するのは初めてだった。
声は幼く、たどたどしい。まるで言葉を覚えたての子供のようだ。しかし、そこに込められた必死さと悲しみは、悠の心を強く揺さぶった。
「リック、急いで事務所に戻ろう。この子を助けないと」
「でも、パン泥棒の件は?」
リックの疑問はもっともだった。この子猫が犯人なら、被害者への説明も必要だ。
「それは後だ。命の方が大事だ」
悠の断固とした口調に、リックも頷いた。彼もまた、幼い頃に両親を亡くし、妹と二人で生き延びてきた。弱者の苦しみを、誰よりも理解している。
悠は上着を脱ぎ、子猫をそっとくるんだ。小さな体から、微かな体温が伝わってくる。
「もう大丈夫だ。助けてやるから」
子猫は、安心したように小さく鳴いた。その声は、もう念話ではなく、普通の猫の鳴き声だった。きっと、念話を使う力も残っていないのだろう。
帰り道、悠は子猫を胸に抱いて歩いた。時折、子猫の様子を確認する。呼吸は浅く速い。このままでは危険だ。
なぜだろう。たった今出会ったばかりの、しかも人間ですらない存在に、これほど心を動かされるのは。
きっと、この子猫の瞳に、自分と同じものを見たからかもしれない。孤独、疲労、そして生きることへの必死さ。かつての自分と重なる部分があったのだ。
~看護と真実~
事務所に戻ると、皆が驚きの声を上げた。
「まあ、可愛い!」
ミリアが真っ先に駆け寄ってくる。子供特有の純粋な反応だ。
「でも、ひどく弱ってるわ」
イザベラが心配そうに子猫を見る。元貴族として、様々な動物を飼った経験がある彼女の目から見ても、この子猫の状態は深刻だった。
「ミルクを温めて。それから、柔らかい布を。あと、傷薬も」
悠の指示に、皆がてきぱきと動き始めた。長い付き合いではないが、既にチームワークは完璧だ。
ちょうどエリザベートが薬を届けに来ていて、彼女も看護に加わった。
「この子、普通の猫じゃないわね」
エリザベートが、鋭い観察眼で指摘する。錬金術師見習いとして、魔力の流れを感じ取る訓練を積んでいる彼女には、子猫の異常さが分かるのだろう。
「魔力の流れが見える。とても強大だけど、今はほとんど枯れかけてる。まるで、大河が干上がりかけているみたい」
イザベラが温めたミルクを持ってきた。悠は小さなスプーンで、少しずつ子猫の口に運ぶ。
最初、子猫は飲み込むのも辛そうだった。しかし、ミルクの温かさと甘さを感じると、必死に飲み始めた。小さな舌で、一滴も逃すまいとスプーンを舐める。
「ゆっくりでいい。急ぐと体に悪い」
悠が優しく声をかけると、子猫は悠を見上げ、安心したように目を細めた。信頼の眼差しだった。
エリザベートが傷の手当てをする間、子猫は一度も鳴かなかった。痛みを我慢しているのが分かる。
「強い子ね」
エリザベートが感心したように呟く。
手当てが終わり、温かい毛布にくるまれた子猫は、ようやく緊張を解いたようだった。小さな体から、安堵のため息が漏れる。
数時間後、子猫はだいぶ回復していた。ミルクを飲み、傷の手当てを受け、暖かい場所で休んだことで、生命力が戻ってきたのだろう。
毛布の中で丸くなって、すやすやと眠っている。その寝顔は、どこにでもいる普通の子猫のようだった。
「よかった……」
ミリアが、ほっとした様子で子猫を見守る。彼女もまた、病気で死にかけた経験がある。弱っている者への共感は、人一倍強い。
「でも、どうしてこんなに弱ってたんでしょう?」
リックの疑問に、誰も答えられなかった。古代竜の末裔なら、もっと強いはずだ。なぜ、パンを盗まなければ生きていけないほど追い詰められていたのか。
夕方、子猫が目を覚ました。青い瞳をぱちくりとさせ、周囲を見回す。そして、また念話で語りかけてきた。
『……ありがとう……たすかった……』
今度は、皆にも聞こえたらしい。全員が驚きの表情を浮かべた。
「喋った!?」
ミリアが目を丸くする。
「いえ、念話ね。高位の存在の証拠よ」
エリザベートが冷静に分析する。しかし、その声にも驚きが滲んでいた。
子猫は、ゆっくりと身を起こした。まだ完全ではないが、だいぶ力が戻ってきたようだ。
『わたし……ミミ……いにしえの……りゅうの……すえ……』
言葉がたどたどしい。幼いせいか、それとも衰弱の影響か。あるいは、人間の言葉に不慣れなのかもしれない。
「ミミっていうのか。どうしてこんな所に?」
悠の問いに、ミミの瞳に悲しみの色が浮かんだ。
『おかあさん……しんだ……にんげんの……まちに……にげてきた……でも……たべものが……なくて……』
断片的な言葉から、悲しい物語が浮かび上がってきた。母親を亡くし、一人で人間の街まで逃げてきた。しかし、魔力を使い果たし、食べ物を得る手段もない。生きるために、やむなく盗みを働いていた。
「可哀想に……」
イザベラが、母性的な優しさでミミの頭を撫でる。ミミは最初びくっとしたが、すぐに気持ちよさそうに目を閉じた。
『ごめんなさい……ぬすんで……でも……おなかすいて……しんじゃうと……おもった……』
必死に謝るミミの姿に、皆の心が痛んだ。
「謝らなくていい。生きるためだもの」
悠の言葉に、ミミは驚いたように顔を上げた。
『ゆるして……くれるの?』
「もちろんだ。君は何も悪くない」
ミミの目から、大粒の涙がこぼれた。
『やさしい……おかあさんが……しんでから……はじめて……やさしく……された……』
その言葉に、悠の胸が締め付けられた。この小さな存在が、どれほど孤独で、どれほど辛い思いをしてきたのか。
悠は決意を込めて言った。
「ミミ、これからはここにいなさい。食べ物も寝る場所も提供する。もう、一人じゃない」
『ほんとう?』
ミミの瞳に、希望の光が宿った。信じられないという表情で、悠を見つめている。
「ああ、本当だ。その代わり、元気になったら事務所を手伝ってもらうよ」
『うん! がんばる! おれいに……なんでもする!』
ミミの反応は、純粋で一生懸命だった。その健気さに、皆の顔に笑みが浮かぶ。
「じゃあ、決まりね」
エリザベートが優しく微笑む。
「新しい家族が増えたわ」
家族。その言葉に、ミミは再び涙を流した。しかし今度は、悲しみの涙ではなく、喜びの涙だった。
こうして、よろず解決事務所に新しい仲間が加わることになった。それも、とびきり特別な仲間が。
~新しい生活~
ミミが事務所に来てから一週間が経った。
最初の数日は、ミミは悠から離れようとしなかった。悠が立ち上がれば後をついて歩き、座れば膝の上に乗る。夜は悠の布団に潜り込んで、ぴったりとくっついて眠った。
それは、また一人になることへの恐怖の表れだった。悠はそれを理解し、ミミの不安が消えるまで、常にそばにいることにした。
「まるで親子みたいね」
エリザベートが微笑ましそうに言う。
確かに、はたから見れば、悠は過保護な親のようだった。ミミの食事を気にかけ、体調を確認し、寝床を整える。かつて子供を持ったことのない悠だったが、自然と保護者の役割を果たしていた。
ミミの体調は、日に日に良くなっていった。栄養状態が改善され、毛並みは白銀の光沢を取り戻した。青い瞳も、生き生きとした輝きを放つようになった。
そして、念話も流暢になってきた。
『ゆうさん、きょうは、なにする?』
朝起きると、ミミが必ず尋ねる。その声には、新しい一日への期待が込められていた。
「今日は、依頼人の相談を聞く予定だよ」
『おてつだい、する!』
ミミの手伝いは、まだ大したことはできない。せいぜい、書類を運んだり、依頼人を和ませたりする程度だ。しかし、その愛らしい姿は、事務所の雰囲気を明るくしていた。
「あら、可愛い猫ちゃん!」
依頼人たちは、決まってミミに心を奪われる。そして、緊張がほぐれ、相談しやすくなるのだった。
『えへへ、みんな、やさしい』
ミミは人間が好きだった。母親を殺したのも人間だが、救ってくれたのも人間。ミミは後者の記憶を大切にすることを選んだようだった。
しかし、ミミの真価は別の所にあった。
~鋭い感覚~
ある日の午後、一人の商人が相談に訪れた。
「実は、取引先に騙されたようで……」
商人は、涙ながらに事情を説明した。大金を払って仕入れた商品が、全て偽物だったという。
悠が「真実の瞳」で確認すると、確かに商人は被害者だった。しかし……
『ゆうさん、このひと、なにかかくしてる』
ミミが小声で念話を送ってきた。
『かくしてる?』
『うん。うそのにおいがする。すっぱいような、にがいような』
ミミの指摘を受けて、悠はより注意深く商人を観察した。すると、確かに不審な点が見つかった。
商人は被害者ではあるが、実は自分も過去に同じような詐欺を働いていたのだ。今回は、その報いを受けた形だった。
「なるほど……」
悠は複雑な心境になった。確かに詐欺は許されない。しかし、かつて同じことをしていた者が被害を訴えるというのも、皮肉な話だった。
結局、悠は商人に真実を突きつけることにした。
「あなたも、過去に同じようなことをしていましたね?」
商人の顔が青ざめた。
「な、なぜそれを……」
「探偵ですから。で、どうします? このまま被害届を出しますか? その場合、あなたの過去も明るみに出るかもしれませんが」
商人は項垂れ、結局、被害届は取り下げることにした。そして、過去の罪を償うため、被害者への賠償を始めることを約束した。
商人が帰った後、ミミが不思議そうに尋ねた。
『ゆうさん、どうして、あのひとをたすけなかったの?』
「助けなかったわけじゃない。別の形で助けたんだ」
『べつのかたち?』
「そう。あの人は、自分の過去と向き合う機会を得た。それは、本当の意味での救いになるかもしれない」
ミミは小さな頭を傾げたが、やがて納得したように頷いた。
『ゆうさんは、やさしいけど、ただやさしいだけじゃないんだね』
その洞察力に、悠は驚いた。ミミは見た目は子猫だが、その理解力は人間の子供以上かもしれない。
こうして、ミミの鋭い感覚は、悠の「真実の瞳」を補完する重要な能力となっていった。
~使い魔契約の提案~
ミミが来てから二週間が経った頃、エリザベートが重要な提案を持ちかけてきた。
「ミミ、あなた、悠さんと使い魔契約を結んだらどう?」
いつものお茶の時間、エリザベートが突然切り出した。
『つかいま?』
ミミが首を傾げる。
「そう。魔法使いと魔獣が結ぶ特別な契約よ。お互いに力を分け合い、絆を深める。一生涯、共に生きることを誓う神聖な儀式」
エリザベートの説明を聞いて、悠は戸惑った。
「でも、俺は魔法使いじゃない。こんな俺が、使い魔契約なんて……」
「霧島さんの『真実の瞳』は、立派な魔法的才能です」
エリザベートは真剣な表情で続けた。
「それに、使い魔契約で重要なのは、魔力の強さではありません。心の絆、相性、そして互いを思いやる気持ち。それが最も大切なんです」
エリザベートは、悠とミミを交互に見た。
「お二人を見ていると、既に深い絆で結ばれているのが分かります。契約は、その絆を形にするだけ」
『けいやく……したい!』
ミミが、即座に反応した。悠の顔を見上げ、青い瞳を輝かせる。
『ゆうさんと……ずっといっしょに……いたい。はなれたくない』
その純粋な願いに、悠の心が強く揺さぶられた。
ミミとの日々を思い返す。最初は保護するつもりだった。しかし、いつの間にか、ミミは悠にとってかけがえのない存在になっていた。
朝、ミミの温もりで目覚める幸せ。一緒に食事をする楽しさ。何気ない会話の心地よさ。それらすべてが、悠の人生を豊かにしていた。
現代では感じたことのない、深い繋がり。それは、種族や世界を超えた、魂の結びつきかもしれない。
「分かった。俺も、ミミとずっと一緒にいたい」
『ほんとう!?』
ミミが飛び上がって喜んだ。そして、悠の胸に飛び込んできた。
『うれしい! うれしい!』
小さな体から伝わる喜びが、悠の心を温かく満たしていく。
「でも、どうやって契約を?」
「それは、私に任せて」
エリザベートが自信を持って答えた。
「古い文献で、使い魔契約の方法を研究していたの。本来は複雑な儀式が必要だけど、お互いの同意があれば、簡略化できる」
こうして、使い魔契約の準備が始まった。
~契約の儀式~
契約の儀式は、その日の夜に行われることになった。
事務所の一階、普段は応接室として使っている部屋が、儀式の場に選ばれた。家具を片付け、床に複雑な魔法陣が描かれる。
エリザベートが白墨で描く魔法陣は、幾何学的で美しかった。円の中に正三角形、その中にさらに円。複雑な紋様と古代文字が、緻密に配置されていく。
「これは、竜と人を結ぶための特別な魔法陣よ」
エリザベートが説明する。
「普通の使い魔契約とは違う。ミミが古代竜の血を引いているから、より強力な絆が必要なの」
準備を手伝いながら、リックが心配そうに呟いた。
「危険じゃないですか?」
「大丈夫。危険なのは、無理やり契約しようとした時だけ。悠さんとミミなら、問題ないわ」
イザベラが、儀式用の香を焚く。甘く神秘的な香りが、部屋に満ちていく。
「この香は、精神を安定させ、魂の交流を助けるの」
ミリアは、少し離れた場所から心配そうに見守っていた。
「ミミ、痛くない?」
『だいじょうぶ! ゆうさんといっしょなら、こわくない』
ミミの勇敢な返事に、ミリアも安心したようだった。
準備が整い、悠とミミは魔法陣の中央に向かい合って座った。
悠は正座し、ミミはちょこんと座っている。月明かりが窓から差し込み、二人を優しく照らしていた。
「準備はいい?」
エリザベートの問いに、二人は頷いた。
悠の心は、不思議と落ち着いていた。これから起こることへの不安よりも、ミミと正式に絆を結べることへの喜びの方が大きかった。
「では、始めます」
エリザベートが呪文を唱え始めた。
「天地の理に従い、古き契約の名の下に」
魔法陣が淡く光り始めた。青白い光が、ゆらゆらと立ち上る。
「竜の血を引く者よ、人の身を持つ者よ」
光が次第に強くなっていく。悠は、体の奥から何かが湧き上がってくるのを感じた。それは、今まで眠っていた力が目覚めるような感覚。
「互いの魂は、ここに交わらん」
ミミの体も、淡い光を放ち始めた。白い毛並みが、月光のように輝く。
エリザベートの声が、厳かに響く。
「霧島悠よ、汝はこの獣と契約を結び、生涯を共にする覚悟はあるか?」
「ある」
悠の声は、迷いなく力強かった。
「白き獣よ、汝はこの人間に仕え、力を分かち合う覚悟はあるか?」
『ある!』
ミミの念話も、決意に満ちていた。
「では、契約の言葉を。心を込めて、同時に」
悠とミミは、互いの目を見つめた。青い瞳と黒い瞳が、真っ直ぐに向き合う。
そして、二人は同時に言葉を紡いだ。
「我、霧島悠は、ミミと契約を結ぶ」
『わたし、ミミは、ゆうさんとけいやくをむすぶ』
声が重なり、共鳴する。
「共に歩み、共に戦い、共に生きることを誓う」
『ともにあゆみ、ともにたたかい、ともにいきることを、ちかう』
「喜びも悲しみも分かち合い」
『よろこびも、かなしみも、わかちあい』
「決して裏切らず、決して見捨てない」
『けっして、うらぎらず、けっして、みすてない』
「この契約、我が命尽きるまで」
『このけいやく、わがいのち、つきるまで』
最後の言葉が発せられた瞬間、魔法陣の光が爆発的に強まった。
光の柱が二人を包み込む。まぶしくて目を開けていられない。しかし、恐怖はなかった。むしろ、温かく優しい感覚に包まれていた。
その瞬間、悠は不思議な体験をした。
ミミの記憶が、走馬灯のように頭に流れ込んできたのだ。
~ミミの記憶~
暗い洞窟の中、巨大な白竜に寄り添う小さな子猫。それが、ミミの最初の記憶だった。
母親の竜は、優しく子守唄を歌っている。その声は、山を震わせるほど大きいのに、ミミには心地よく響いた。
『おまえは、わたしの宝物。この世界で一番大切な存在』
母の愛情に包まれた、幸せな日々。
しかし、その平和は長く続かなかった。
人間たちが、竜の財宝を狙ってやってきた。武装した冒険者、欲に目がくらんだ魔法使い。彼らは次々と洞窟に侵入してきた。
母は戦った。圧倒的な力で、侵入者たちを退けた。しかし、戦いは絶えることがなかった。
『ミミ、おまえだけでも逃げなさい』
ある日、母が悲しそうに言った。
『いや! おかあさんと、いっしょにいる!』
『だめよ。このままでは、おまえまで危険に晒される』
最後の戦い。
数十人の魔法使いと戦士が、同時に攻めてきた。母は必死に戦ったが、多勢に無勢。そして、卑劣な罠にかかった。
『ミミ……生きて……』
母の最期の言葉。
巨大な体が崩れ落ちる瞬間、母は最後の力でミミを遠くへ飛ばした。
気がつくと、ミミは見知らぬ森にいた。一人ぼっちで、恐怖と悲しみに震えながら。
それから、長い放浪が始まった。
森では魔物に狙われ、人里では石を投げられた。誰も、小さな竜の子供を受け入れてはくれなかった。
次第に魔力は枯渇し、食べ物を得ることも困難になった。
そして、最後の力を振り絞って辿り着いたのが、この王都だった。
記憶の共有が終わり、悠は涙を流していた。
ミミが経験してきた孤独と苦しみ。それは、悠の想像を遥かに超えていた。
『ゆうさん……みちゃったの?』
ミミが心配そうに尋ねる。
「ああ。ミミ、よく頑張ったな。もう、一人じゃないから」
『うん……ゆうさんも、みせて』
今度は、悠の記憶がミミに流れていった。
~悠の記憶~
現代日本での生活。
毎日同じ時間に起き、満員電車に揺られ、遅くまで働く日々。
探偵としての仕事は、人の醜い部分ばかりを見せつけた。浮気、裏切り、欲望。そんなものばかりを追いかけて、心が擦り切れていく。
警察官時代の挫折。
正義を信じて入った警察で、組織の論理に押し潰された。真実を曲げることを強要され、それを拒否した結果、居場所を失った。
孤独なアパートでの生活。
帰っても「おかえり」と言ってくれる人はいない。コンビニ弁当を一人で食べ、テレビの音だけが部屋に響く。
次第に、生きる意味を見失っていく。
そして、過労で倒れ、この世界へ。
最初は戸惑いばかりだった。しかし、少しずつ、この世界の温かさに触れていく。
リックとミリア、イザベラ、エリザベート。
仲間たちとの出会いが、凍りついていた心を溶かしていく。
そして、ミミとの出会い。
小さな白い子猫が、悠の人生を決定的に変えた。守るべき存在ができ、愛する存在ができた。
記憶の共有が終わると、ミミは悠に飛びついてきた。
『ゆうさんも、さみしかったんだね』
『でも、もうだいじょうぶ。わたしが、いるから』
小さな体で、精一杯悠を抱きしめようとするミミ。その温もりが、悠の心の奥底まで届いていく。
光が収まると、ミミの額に小さな紋章が浮かび上がっていた。三日月を模した美しい紋章。契約の証だ。
同時に、悠の右手の甲にも、同じ紋章が淡く浮かび上がった。
「成功ね」
エリザベートが安堵の笑みを浮かべる。
「これで、あなたたちは真の相棒。魂で繋がった、かけがえのない存在よ」
『ゆうさん! つながった! きもちが、つたわってくる!』
ミミの喜びが、契約を通じてダイレクトに伝わってきた。それは、言葉では表現できないほど純粋で、深い感情だった。
悠もまた、ミミの存在をより強く感じていた。心臓の鼓動、呼吸のリズム、そして溢れる愛情。すべてが手に取るように分かる。
「ミミ……」
「おめでとう!」
仲間たちが、口々に祝福の言葉をかけてきた。
リックは感動で目を潤ませ、ミリアは嬉しそうに拍手をしている。イザベラは優しく微笑み、エリザベートは満足そうに頷いていた。
この瞬間、悠は心から思った。
この世界に来て、本当によかった。
~パン泥棒事件の解決~
翌朝、悠はミミを連れてマルタの店を訪れた。
昨日の今日で、契約の余韻がまだ残っている。ミミとの繋がりは、一晩経ってもより強く感じられた。
「マルタさん、パン泥棒の件なんですが……」
悠は、事情を説明した。母親を亡くした子猫が、生きるために盗みをしていたこと。今は事務所で保護していること。そして、これからは仲間として一緒に生きていくこと。
話を聞いたマルタの目に、涙が浮かんだ。
「そうだったの……可哀想に。お腹が空いてたのね」
マルタは、ミミをじっと見つめた。ミミは少し緊張しているようだった。
『ごめんなさい……おばさんの、だいじなパン、とっちゃって……』
ミミの念話は、悠を通じてマルタにも伝わった。
その瞬間、マルタの表情が一変した。
「まあ! 本当に話せるのね!」
驚きよりも、感動が勝っているようだった。マルタは、ミミを抱き上げて頬ずりした。
「いいのよ、もう済んだこと。それより、これからは遠慮なく来なさい。余ったパンならいくらでもあげるから」
『ほんとう?』
「もちろん! こんなに可愛い子が、お腹を空かせてるなんて許せないわ」
マルタの優しさに、ミミは感激した。
『ありがとう! おれいに……なにかする!』
「お礼なんていいのよ」
『ううん、する!』
ミミは、小さな体で精一杯背伸びをした。そして、目を閉じて集中する。
悠は、契約を通じてミミの魔力の流れを感じた。それは、とても優しく温かい力だった。
すると、店内の空気が変わった。何か温かいものに包まれるような、幸福感に満ちた雰囲気。
【祝福:小さな幸運】
【効果:3日間、売り上げが少し上昇】
【発動者:ミミ(魔力消費:極小)】
悠の「真実の瞳」が、ミミの魔法を解析した。
「これは……幸運の祝福みたいです。ささやかですが、マルタさんの商売繁盛を願って」
「まあ!」
マルタは感激のあまり、また涙を流した。
「ありがとう、ミミちゃん! なんて優しい子なの!」
『くすぐったい!』
マルタに抱きしめられて、ミミが幸せそうに身をよじる。その様子を見て、悠も心が温かくなった。
事件は、こうして温かく解決した。
帰り道、ミミが悠に尋ねた。
『ゆうさん、これでよかった?』
「ああ、完璧だ」
『えへへ。マルタおばさん、やさしかった』
「そうだな。ミミも優しかった」
『ゆうさんが、やさしいから。つたわってくる』
契約の効果で、お互いの感情がより深く理解できる。それは、言葉を超えた交流だった。
~初めての戦闘~
平和な日々は、一週間後に破られた。
夕方、事務所に血相を変えた商人が駆け込んできた。服は乱れ、顔は恐怖で青ざめている。
「助けてください! 息子が攫われました!」
【ギルバート・商人・レベル17】
【状態:パニック】
【真実:闇金融から借金、返済不能で息子を人質に】
【息子の状態:無事だが恐怖で震えている】
悠の能力が、事態の深刻さを示していた。
「落ち着いて、詳しく話してください」
悠は商人を椅子に座らせ、水を飲ませた。少し落ち着いた商人は、震え声で事情を説明し始めた。
商売の資金繰りに困り、闇金融に手を出した。最初は少額だったが、法外な利息でどんどん膨らんでいった。そして今日、返済期限が来て、金の代わりに10歳の息子を連れ去られたという。
「犯人の居場所は?」
「旧市街の廃工場です。でも、用心棒が大勢いて……一人じゃ二十人はいるって」
これは、今までで最も危険な依頼だった。相手は組織的な犯罪者で、武装している可能性も高い。
しかし、子供の命がかかっている。断るという選択肢はなかった。
「分かりました。すぐに向かいます」
「本当ですか!? でも、危険です! 衛兵に頼んだ方が……」
「衛兵が動くまで待っていたら、手遅れになるかもしれません」
悠の言葉は現実的だった。この世界の衛兵は、貴族や金持ちの事件は素早く対応するが、庶民の問題には腰が重い。
「悠さん、私も行きます」
リックが立ち上がる。その目には、強い決意が宿っていた。
「危険だ」
「分かってます。でも、同じ年頃の子が攫われたんです。放っておけません」
リックもまた、過去に似たような危険を経験している。だからこそ、他人事とは思えないのだろう。
イザベラとエリザベートも同行を申し出た。
「私も護身術くらいは心得ています」
「簡単な攻撃魔法なら使えます」
仲間たちの申し出は嬉しかったが、全員を危険に晒すわけにはいかない。
「リックとエリザベートは来てくれ。イザベラは、ミリアと一緒に待機を。もし俺たちが戻らなかったら、衛兵に通報してほしい」
「分かりました。でも、必ず無事に戻ってきてくださいね」
イザベラの心配そうな顔に、悠は力強く頷いた。
『わたしもいく!』
ミミが、決意に満ちた念話を送る。
「でも、危険だ」
『だいじょうぶ。ゆうさんをまもる。それが、つかいまのやくめ』
ミミの青い瞳に、強い意志が宿っていた。母親を失った悲しみを知っているミミにとって、家族を失うかもしれない子供を放っておけないのだろう。
「分かった。でも、無理はするな」
『うん!』
こうして、一行は夜陰に紛れて廃工場に向かった。
~ミミの真の力~
旧市街は、王都の中でも特に治安の悪い地域だった。
廃墟となった建物が立ち並び、浮浪者や犯罪者の隠れ家となっている。街灯もなく、月明かりだけが頼りだった。
廃工場は、かつて魔法道具を作っていた大きな建物だった。今は屋根も壁も朽ち果て、不気味な影を作り出している。
「見張りが2人」
リックが偵察から戻ってきた。貧民街育ちの彼は、こうした隠密行動に長けている。
「中には、もっといるみたいです。松明の明かりが見えました」
「子供は?」
「奥の部屋らしいです。泣き声が聞こえました」
子供が泣いている。その事実が、悠の決意をさらに固めた。
「正面突破は無謀だな。どうするか……」
『ゆうさん、まかせて』
ミミが前に出た。月光を浴びて、白い毛並みが銀色に輝く。
『みはりを、ねむらせる』
「できるのか?」
『うん。ちょっとだけ、ほんきだす』
ミミの体が、かすかに光り始めた。契約の紋章も、呼応するように輝く。
そして、小さく鳴いた。
「にゃー」
一見、普通の猫の鳴き声。しかし、悠には分かった。そこに込められた魔力の波動を。
見張りの二人が、ゆらりと揺れた。まるで、子守唄を聞いた赤子のように、穏やかな表情で目を閉じていく。そして、静かにその場に崩れ落ちた。
【睡眠の歌】
【効果:聴いた者を深い眠りに誘う】
【範囲:指向性あり(対象を選択可能)】
【威力:抵抗困難】
「すごい……」
エリザベートが感嘆の声を上げた。
「これほど高度な魔法を、こんなに簡単に……」
『えへへ。でも、つかれた』
確かに、ミミは少し息を切らしている。まだ幼体なので、魔力の消費が大きいのだろう。
一行は、眠った見張りを縛り上げ、工場内に侵入した。
内部は予想以上に広かった。錆びた機械が並び、所々に松明が灯されている。不気味な影が、壁に踊っていた。
奥へ進むと、声が聞こえてきた。
「ガキは大人しくしてろ!」
「お父さん! お母さん!」
子供の泣き声。悠の中で、何かが弾けた。
~覚醒~
扉を蹴破って、悠たちは部屋に飛び込んだ。
中では、縄で縛られた少年が震えていた。10歳くらいの、リックと同じ年頃の子供。目は恐怖で見開かれ、顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。
周りには、柄の悪い男たちが5人。全員が武器を持っている。剣、棍棒、そして一人は弩を構えていた。
「誰だ!」
リーダー格の男が怒鳴る。顔には大きな傷があり、目は残忍な光を宿していた。
「その子を解放しろ」
悠の声は、静かだが有無を言わせない迫力があった。
「は? 正義の味方気取りか?」
男たちが嘲笑する。
「たった3人と猫一匹で、俺たちに勝てると思ってんのか?」
男たちが武器を構える。今にも襲いかかってきそうだった。
「リック、エリザベート、少年を」
「分かりました!」
戦闘が始まった。
悠は、警察官時代の訓練を思い出しながら、男の一人と対峙した。しかし、剣での戦いは初めてに等しい。相手の攻撃をかわすので精一杯だった。
リックは素早い動きで敵を撹乱し、エリザベートは簡単な魔法で援護する。しかし、多勢に無勢。次第に押されていく。
「ちっ、しぶとい奴らだ」
リーダーが苛立ったように舌打ちする。
「おい、ガキを盾にしろ!」
卑劣な命令に、部下の一人が縛られた少年に近づく。
その瞬間だった。
『もう、がまんしない』
ミミの念話が、怒りに震えていた。
『よわいものいじめ、ゆるさない!』
ミミの体が、眩い光に包まれた。
悠は契約を通じて、ミミの感情を感じ取った。それは、純粋な怒りと、弱者を守りたいという強い意志。母親を失った悲しみが、少年を守りたいという決意に変わっていた。
光が強まり、部屋全体を白く染める。男たちが、眩しさに目を覆った。
そして——
光が収まると、そこには白い子猫ではなく、体長2メートルほどの白い獣がいた。
美しくも恐ろしい姿だった。純白の毛皮は月光のように輝き、鋭い牙は銀色に光る。力強い四肢には鋭い爪があり、背中には小さいながらも翼が生えている。そして、額には契約の紋章が、より大きく輝いていた。
まさに、竜の血を引く者の姿。
「な、なんだ、ありゃあ!」
男たちが恐慌状態に陥る。剣を構えていた手が震え、顔は恐怖で引きつっている。
ミミは、低く唸った。
その声は、もはや可愛い子猫のものではなかった。原初の恐怖を呼び起こす、捕食者の咆哮。太古の記憶に刻まれた、竜への畏怖が男たちを支配した。
『わるいひとたち、にげなさい』
ミミの念話は、全員に届いた。それは命令であり、最後の警告でもあった。
「ひぃっ!」
男たちは我先にと逃げ出した。武器を投げ捨て、仲間を押しのけ、出口に殺到する。あれほど威勢の良かった男たちが、まるで子供のように泣き叫びながら逃げていく。
あっという間に、部屋には悠たちと縛られた少年だけが残された。
『ふう……つかれた』
大きな姿のまま、ミミはその場に座り込んだ。威厳ある姿なのに、疲れた様子は子猫の時と変わらない。
『まだ、こどもだから……ながくは、むり』
「ミミ、すごかったよ」
悠が駆け寄ると、ミミは嬉しそうに尾を振った。大きな尾が床を叩き、埃が舞い上がる。
リックが少年の縄を解いている間に、ミミの体が再び光に包まれた。そして、元の小さな子猫の姿に戻っていく。
「みゃー」
今度は普通の鳴き声で、ミミは悠の腕の中に飛び込んできた。小さな体は、魔力を使い果たしてぐったりしている。
「よく頑張った」
悠はミミを優しく抱きしめた。契約を通じて、ミミの疲労と満足感が伝わってくる。
~救出、そして感謝~
少年を無事に救出し、一行は事務所に戻った。
ギルバート商人は、息子を抱きしめて泣いていた。
「ありがとうございます! 本当にありがとうございます!」
何度も何度も頭を下げる父親。少年もまた、まだ恐怖が抜けきらない様子だったが、父親にしがみついていた。
「これ、お礼です」
商人が差し出したのは、金貨50枚入った袋だった。
「こんなに……」
「命には代えられません。それに、皆さんも危険を冒してくださった」
確かに、今回は本当に危険だった。もしミミがいなかったら、どうなっていたか分からない。
「それと……」
商人は神妙な顔で続けた。
「闇金融には、もう関わりません。真っ当に商売をやり直します」
「それがいいでしょう」
息子を抱いたまま、商人は深々と頭を下げて帰っていった。
事務所に静寂が戻る。
ミミは、悠の膝の上でぐっすりと眠っていた。あれだけの力を使ったのだから、当然だろう。
「ミミ、本当にすごかったわね」
エリザベートが感心したように言う。
「あの姿、まるで伝説の神獣のようだった」
「でも、まだ子供なんですよね」
リックが、眠るミミを優しい目で見つめる。
「こんなに小さいのに、僕たちを守ってくれた」
確かに、ミミはまだ幼体だ。本来の力の何分の一も出せていないだろう。それでも、仲間を守るために全力を尽くしてくれた。
「これで、事務所の設備を整えられるね」
イザベラが現実的な提案をする。
「新しい家具とか、もっと良い応接室とか」
「そうだな。でも……」
悠は眠るミミを見下ろした。
「まずは、ミミのための物を揃えよう。専用のベッドとか、おもちゃとか」
「賛成!」
ミリアが嬉しそうに手を挙げた。
「ミミちゃんのお部屋も作ろう!」
皆の愛情に包まれて、ミミは幸せそうな寝息を立てていた。
~深まる絆~
その夜、悠の部屋で、ミミがゆっくりと目を覚ました。
「起きたか」
『ゆうさん……みんなは?』
「もう寝たよ。ミミもよく寝てた」
『そっか……あのこ、ぶじだった?』
ミミの最初の心配が、救出した少年のことだったことに、悠は心を打たれた。
「ああ、無事に父親の元に帰った。ミミのおかげだ」
『よかった……』
ミミは安心したように、また悠の胸に顔を埋めた。
『ゆうさん、こわくなかった?』
「正直、怖かったよ」
悠は素直に認めた。
「でも、ミミがいてくれたから、勇気が出た」
『ほんと?』
「ああ。ミミは俺の勇気の源だ」
その言葉に、ミミは嬉しそうに喉を鳴らした。
『わたしも、ゆうさんがいるから、がんばれる』
『おかあさんがしんでから、こわいことばっかりだった』
ミミの声が、少し震えた。
『でも、ゆうさんにあえて、みんなにあえて、もうこわくない』
悠は、ミミをそっと撫でた。小さな体から、温もりが伝わってくる。
「ミミ、約束するよ」
「これからも、ずっと一緒だ。楽しいことも、辛いことも、全部一緒に乗り越えていこう」
『やくそく?』
「ああ、約束だ」
ミミは満足そうに目を閉じた。
『ゆうさん、だいすき』
「俺も、ミミが大好きだ」
静かな夜。二つの月が、窓から優しい光を投げかけている。
悠は、ミミの寝息を聞きながら思った。
この小さな命と出会えたことは、きっと運命だったのだろう。種族も、世界も、すべてを超えて結ばれた絆。それは、何物にも代えがたい宝物だ。
~新たな日常、そして——~
ミミが正式に仲間になってから、さらに一週間が過ぎた。
事務所の日常は、ミミを中心に回るようになっていた。
朝は、ミミの「おはよう」の念話で始まる。朝食の時は、皆のテーブルを回って挨拶をする。仕事中は、書類を運んだり、依頼人を癒したり。夕方には、ミリアと一緒に遊ぶ。
「ミミちゃん、こっち!」
「みゃー!」
事務所の中を、二人で追いかけっこ。その様子を、大人たちは微笑ましく見守っていた。
ミミの存在は、事務所全体の雰囲気を明るくしていた。辛い依頼で心が重くなっても、ミミの無邪気な姿を見れば、自然と笑顔になれる。
そして、ミミの能力も、日々の仕事で大いに役立っていた。
「ミミ、この人、どう思う?」
『うーん……わるいひとじゃない。でも、なにかかくしてる』
ミミの直感は、ほぼ百発百中だった。嘘の匂い、隠し事の気配、悪意の存在。すべてを、動物的な鋭さで見抜いていく。
『きょうは、おおきなしごとがくるよ』
ある朝、ミミが予言めいたことを言った。
「どうして分かる?」
『かぜのにおいが、ちがう。なんか、きんちょうしてる』
ミミの予感は、いつも的中する。
はたして、昼過ぎに王城からの使者が訪れた。
立派な服装の騎士が、緊張した面持ちで立っている。
「よろず解決事務所の霧島悠殿ですね?」
「はい」
「国王陛下からの、極秘の依頼です」
騎士が差し出した書状には、王家の紋章が押されていた。
内容を読んで、悠は息を呑んだ。
第三王女の行方不明事件。それも、城内で忽然と姿を消したという。魔法による誘拐の可能性もあり、通常の捜査では手がかりが掴めない。
「これは……」
今までで最も重大な依頼だった。王族が関わるとなれば、失敗は許されない。
しかし——
『だいじょうぶ』
ミミが、悠の不安を感じ取ったように寄り添う。
『ゆうさんなら、できる。わたしも、てつだう』
小さな相棒の励ましに、悠は勇気づけられた。
「分かりました。お引き受けします」
騎士は安堵の表情を見せ、詳細な情報を伝えて帰っていった。
事務所に、緊張感が漂う。
「王女様の事件かぁ」
リックが心配そうに呟く。
「大丈夫かしら」
イザベラも不安を隠せない。
しかし、悠は落ち着いていた。ミミという心強い相棒がいる。仲間たちもいる。
「大丈夫だ。皆で力を合わせれば、きっと解決できる」
その言葉に、皆の表情が引き締まった。
『そうだよ! みんなでがんばろう!』
ミミの明るい念話が、緊張を和らげる。
夕日が、事務所を金色に染めていた。
新たな挑戦が、悠たちを待っている。しかし、恐れはない。
なぜなら、ここには家族がいるから。
小さな白い子猫との出会いが、悠の人生を大きく変えた。孤独だった探偵は、今では多くの仲間に囲まれている。そして、何より大切な相棒を得た。
『ゆうさん、あした、がんばろうね』
『うん、一緒に頑張ろう』
ミミとの絆は、これからも深まっていく。
どんな困難が待ち受けていても、二人なら乗り越えられる。
異世界での冒険は、まだ始まったばかりだ。
窓の外で、二つの月が優しく世界を見守っていた。