表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

第3話「白い子猫と運命の出会い」

~いつもと違う朝~


異世界に来て一ヶ月半。霧島悠は、よろず解決事務所の二階で目を覚ました。


朝の光が、修繕されたばかりの窓から優しく差し込んでいる。ガラス越しに見える空は、現代の東京では見られないような澄んだ青さだった。排気ガスも工場の煙もない、純粋な空の色。それを見るたびに、悠は自分が本当に別の世界にいることを実感する。


階下から、食器の触れ合う音が聞こえてきた。きっとリックが朝食の準備をしているのだろう。あの少年は、いつも誰よりも早く起きて働いている。


「俺も起きないとな」


悠は身支度を整え、階段を降りた。予想通り、リックが台所で忙しく立ち働いていた。その隣では、ミリアが眠そうな目をこすりながら皿を並べている。


「おはようございます、悠さん!」


リックの元気な声が、朝の静けさを破る。


「おはよう。今日も早いな」


「習慣ですから。それに、今日はイザベラさんの分も用意しないと」


そう、今や事務所には多くの仲間がいる。元貴族のイザベラ、錬金術師見習いのエリザベート。皆それぞれの事情を抱えながら、この小さな事務所に集まってきた。


悠は窓の外を眺めながら、しみじみと思った。現代では、隣人の顔さえ知らなかった。仕事に追われ、人間関係は希薄で、孤独を抱えて生きていた。


でも今は違う。朝起きれば「おはよう」と言ってくれる人がいて、一緒に食事をする仲間がいる。それがどれほど幸せなことか、失ってから気づくものだと悠は実感していた。


「おはようございます、霧島様」


イザベラが優雅に現れた。庶民街の質素な事務所には不釣り合いなほど洗練された所作だが、彼女はそれを全く気にしていない。むしろ、この新しい生活を心から楽しんでいるようだった。


「おはよう、イザベラ。今日の予定は?」


「午前中に3件、午後に5件の相談予約が入っています。皆様、霧島様の評判を聞いて来られるようです」


イザベラの几帳面な仕事ぶりのおかげで、事務所の運営は格段に効率化していた。かつて没落貴族として辛い日々を送っていた彼女は、今では欠かせない存在となっている。


「それから、エリザベート様が新しい薬を持って来られる予定です」


「エリザベートか」


悠の顔に、自然と微笑みが浮かんだ。最初は依頼人として出会った彼女も、今では大切な仲間の一人だ。彼女の作る薬は、悠の「真実の瞳」の負担を和らげてくれる。


「相変わらず忙しいな」


「嬉しい悲鳴というものでしょう」


イザベラの言葉通りだった。事務所の評判は日に日に高まり、様々な人々が相談に訪れる。それは悠にとって、何より嬉しいことだった。


人の役に立てている。その実感が、悠の心を満たしていく。


朝食を終えた頃、慌ただしい足音が聞こえてきた。


「悠さん! 大変です!」


リックが血相を変えて駆け込んできた。


「どうした?」


「マルタおばさんの店で、パン泥棒が!」


~隣人の困りごと~


隣のパン屋「金の麦穂」は、よろず解決事務所の最初の依頼人だった。


あの時、ライバル店との競争に悩んでいたマルタを助けたことで、事務所の評判が広まり始めた。以来、マルタは事務所の良き理解者であり、時には差し入れをしてくれる温かい隣人となっている。


その恩人が困っているとなれば、悠は黙っていられなかった。


「分かった。すぐ行こう」


悠は立ち上がった。最近は貴族街の事件など、大きな依頼も扱うようになったが、こうした身近な問題も決して疎かにしない。それが「よろず解決事務所」の理念だった。


金持ちも貧乏人も、身分の高い者も低い者も、皆等しく悩みを抱えている。その悩みに真摯に向き合うこと。それが悠の信条だった。


マルタの店に着くと、彼女が困り果てた顔で待っていた。いつもは陽気で朗らかな彼女が、今日は明らかに憔悴している。


「悠さん! また盗まれちゃったのよ」


「また?」


悠は眉をひそめた。一度や二度なら子供のいたずらで済むが、繰り返されるとなると話は別だ。


「ええ、今週で3回目。いつも焼きたての一番いいパンを持っていくの」


悠の「真実の瞳」が、自動的に情報を収集し始めた。


【マルタの被害状況】

【盗難回数:今週3回】

【被害品:高級パン(ミルクパン、クリームパン等)】

【特徴:必ず朝一番の焼きたてを狙う】

【推定損害:銀貨15枚相当】


銀貨15枚は、庶民にとって小さくない金額だ。マルタの顔に刻まれた心配の皺が、それを物語っている。


「見た人はいますか?」


「それが、一瞬なのよ。黒い影がサッと入ってきて、サッと逃げていく。まるで風みたいに」


リックが首を傾げた。


「でも、パン数個のために、そんなリスクを冒すかな? 普通の泥棒なら、もっと金目の物を狙うはず」


確かに、リックの指摘は的を射ていた。パン屋の売り上げ金を狙うならまだしも、パンだけを盗むというのは効率が悪すぎる。


悠は店内を注意深く観察した。カウンター、パンを並べる棚、厨房への入り口。そして、床に残されたかすかな痕跡。


【痕跡分析】

【足跡:非常に小さく軽い】

【侵入経路:窓の隙間(人間には不可能)】

【特記事項:獣の毛らしきものが付着】


「動物の仕業かもしれませんね」


「動物? でも、こんなに器用に特定のパンだけを……」


マルタの疑問はもっともだった。普通の動物なら、手当たり次第に食べ散らかすはずだ。


その時、店の外で騒ぎ声が聞こえた。


「泥棒だ! 向こうの肉屋でも盗まれた! あっちに逃げたぞ!」


別の店でも被害が出たらしい。悠とリックは、すぐに外に飛び出した。


~追跡~


商店街は朝の活気に満ちていたが、そこに緊張感が走っていた。


「あっちだ! 黒い影が路地に入った!」


肉屋の主人が、怒りに顔を真っ赤にして叫んでいる。


悠とリックは、指差された方向へ走った。石畳の道を蹴り、朝の冷たい空気を肺いっぱいに吸い込む。久しぶりの全力疾走に、悠の体が軋んだ。


現代では、デスクワークばかりで体がなまっていた。しかし、この世界に来てから、少しずつ体力が戻ってきている。それでも、若いリックにはかなわない。


「向こうです!」


リックが先行して角を曲がる。悠も必死について行く。


路地は次第に細くなり、人通りも少なくなっていく。王都の表通りから一本入れば、そこは迷路のような裏道が続いている。


「速い……」


リックが息を切らしながら呟く。確かに、犯人の動きは尋常ではない。まるで地形を完全に把握しているかのように、最短距離で逃げている。


悠の能力が、わずかな痕跡を捉え続けた。


【足跡:小さく軽い(推定体重3kg以下)】

【移動パターン:屋根や壁を使った立体的な逃走】

【特徴:四足歩行の形跡】

【推定:子供ではなく小動物】


「屋根の上?」


見上げると、確かに瓦がずれた跡がある。この身軽さは、人間には真似できない。


追跡は困難を極めた。犯人は壁を駆け上がり、屋根を飛び移り、時には狭い隙間をすり抜けていく。悠たちは地上から必死に後を追うが、次第に距離が開いていく。


「くそっ、見失いそうだ」


リックが悔しそうに呟く。彼は貧民街育ちで、裏道には詳しい。それでも、この犯人の動きにはついていけない。


しかし、悠の能力が新たな手がかりを見つけた。


【発見:血痕】

【量:ごく少量】

【推定:逃走中に怪我をした】


「リック、こっちだ。犯人は怪我をしている」


血痕を辿って、二人は更に奥へと進んだ。次第に建物はボロくなり、人の気配も薄れていく。この辺りは、貧民街の中でも特に寂れた地域だった。


やがて、行き止まりに突き当たった。三方を高い壁に囲まれた、狭い空間。逃げ場はない。


「どこに……」


リックが辺りを見回す。しかし、犯人の姿は見えない。


その時、悠の目が壁の隅に気づいた。古い木箱が積まれ、その陰に何かが隠れている。


「あそこだ」


悠は慎重に近づいた。追い詰められた動物は危険だ。下手に刺激すれば、攻撃してくるかもしれない。


「大丈夫、危害は加えない」


悠は優しく声をかけながら、ゆっくりと木箱をどけた。


そして、その陰に隠れていたものを見て、息を呑んだ。


~白い子猫との出会い~


それは、手のひらに乗るほど小さな白い子猫だった。


純白の毛は所々汚れ、小さな体は震えている。怯えたような青い瞳が、悠を見上げていた。その瞳の奥に、悠は言葉にできない何かを感じた。


知性。そう、これはただの動物の目ではない。そこには確かな知性と、そして深い悲しみが宿っていた。


悠の「真実の瞳」が、驚くべき情報を表示した。


【???(仮称:白猫)】

【種族:古代竜の末裔(幼体)】

【レベル:測定不能】

【状態:極度の衰弱、魔力枯渇、右前足に軽傷】

【特記事項:知性が非常に高い】

【危険度:現在は無害】


「古代竜の末裔……?」


悠は目を疑った。この手のひらに乗るような小さな生き物が、伝説の存在の血を引いているというのか。古代竜といえば、この世界の神話や伝説に登場する最強の生物。山を吹き飛ばし、国を滅ぼすほどの力を持つという。


しかし、今目の前にいるのは、弱り切った一匹の子猫でしかない。


「この子が犯人?」


リックが驚きの声を上げる。確かに、子猫の口の周りにはパンくずがついている。小さな牙にも、肉の繊維がわずかに残っていた。


子猫は立ち上がろうとしたが、すぐによろけて倒れた。右前足から血が滲んでいる。逃走中に怪我をしたのだろう。小さな体が、痛みと疲労で震えている。


「おい、大丈夫か?」


悠は本能的に手を伸ばした。警戒心より先に、保護欲求が湧き上がる。こんなに小さく、弱っている生き物を放っておけない。


子猫は一瞬身を硬くしたが、逃げる力も残っていないようだった。悠は慎重に、そっと子猫を抱き上げた。


驚くほど軽い。骨と皮だけのような体。毛並みの下に触れる肋骨が、浮き出ているのが分かる。一体どれほどの間、まともに食事を取っていないのだろう。


その瞬間、不思議なことが起きた。


悠の頭の中に、か細い声が響いてきたのだ。


『……たすけて……』


「!?」


思わず子猫を見つめる悠。子猫も、必死の表情で悠を見上げていた。その青い瞳から、一筋の涙がこぼれた。


『おなか……すいた……でも、もう……ちからが……でない……』


念話。高位の魔獣や精霊が使うという、意思疎通の方法。悠も知識としては知っていたが、実際に体験するのは初めてだった。


声は幼く、たどたどしい。まるで言葉を覚えたての子供のようだ。しかし、そこに込められた必死さと悲しみは、悠の心を強く揺さぶった。


「リック、急いで事務所に戻ろう。この子を助けないと」


「でも、パン泥棒の件は?」


リックの疑問はもっともだった。この子猫が犯人なら、被害者への説明も必要だ。


「それは後だ。命の方が大事だ」


悠の断固とした口調に、リックも頷いた。彼もまた、幼い頃に両親を亡くし、妹と二人で生き延びてきた。弱者の苦しみを、誰よりも理解している。


悠は上着を脱ぎ、子猫をそっとくるんだ。小さな体から、微かな体温が伝わってくる。


「もう大丈夫だ。助けてやるから」


子猫は、安心したように小さく鳴いた。その声は、もう念話ではなく、普通の猫の鳴き声だった。きっと、念話を使う力も残っていないのだろう。


帰り道、悠は子猫を胸に抱いて歩いた。時折、子猫の様子を確認する。呼吸は浅く速い。このままでは危険だ。


なぜだろう。たった今出会ったばかりの、しかも人間ですらない存在に、これほど心を動かされるのは。


きっと、この子猫の瞳に、自分と同じものを見たからかもしれない。孤独、疲労、そして生きることへの必死さ。かつての自分と重なる部分があったのだ。


~看護と真実~


事務所に戻ると、皆が驚きの声を上げた。


「まあ、可愛い!」


ミリアが真っ先に駆け寄ってくる。子供特有の純粋な反応だ。


「でも、ひどく弱ってるわ」


イザベラが心配そうに子猫を見る。元貴族として、様々な動物を飼った経験がある彼女の目から見ても、この子猫の状態は深刻だった。


「ミルクを温めて。それから、柔らかい布を。あと、傷薬も」


悠の指示に、皆がてきぱきと動き始めた。長い付き合いではないが、既にチームワークは完璧だ。


ちょうどエリザベートが薬を届けに来ていて、彼女も看護に加わった。


「この子、普通の猫じゃないわね」


エリザベートが、鋭い観察眼で指摘する。錬金術師見習いとして、魔力の流れを感じ取る訓練を積んでいる彼女には、子猫の異常さが分かるのだろう。


「魔力の流れが見える。とても強大だけど、今はほとんど枯れかけてる。まるで、大河が干上がりかけているみたい」


イザベラが温めたミルクを持ってきた。悠は小さなスプーンで、少しずつ子猫の口に運ぶ。


最初、子猫は飲み込むのも辛そうだった。しかし、ミルクの温かさと甘さを感じると、必死に飲み始めた。小さな舌で、一滴も逃すまいとスプーンを舐める。


「ゆっくりでいい。急ぐと体に悪い」


悠が優しく声をかけると、子猫は悠を見上げ、安心したように目を細めた。信頼の眼差しだった。


エリザベートが傷の手当てをする間、子猫は一度も鳴かなかった。痛みを我慢しているのが分かる。


「強い子ね」


エリザベートが感心したように呟く。


手当てが終わり、温かい毛布にくるまれた子猫は、ようやく緊張を解いたようだった。小さな体から、安堵のため息が漏れる。


数時間後、子猫はだいぶ回復していた。ミルクを飲み、傷の手当てを受け、暖かい場所で休んだことで、生命力が戻ってきたのだろう。


毛布の中で丸くなって、すやすやと眠っている。その寝顔は、どこにでもいる普通の子猫のようだった。


「よかった……」


ミリアが、ほっとした様子で子猫を見守る。彼女もまた、病気で死にかけた経験がある。弱っている者への共感は、人一倍強い。


「でも、どうしてこんなに弱ってたんでしょう?」


リックの疑問に、誰も答えられなかった。古代竜の末裔なら、もっと強いはずだ。なぜ、パンを盗まなければ生きていけないほど追い詰められていたのか。


夕方、子猫が目を覚ました。青い瞳をぱちくりとさせ、周囲を見回す。そして、また念話で語りかけてきた。


『……ありがとう……たすかった……』


今度は、皆にも聞こえたらしい。全員が驚きの表情を浮かべた。


「喋った!?」


ミリアが目を丸くする。


「いえ、念話ね。高位の存在の証拠よ」


エリザベートが冷静に分析する。しかし、その声にも驚きが滲んでいた。


子猫は、ゆっくりと身を起こした。まだ完全ではないが、だいぶ力が戻ってきたようだ。


『わたし……ミミ……いにしえの……りゅうの……すえ……』


言葉がたどたどしい。幼いせいか、それとも衰弱の影響か。あるいは、人間の言葉に不慣れなのかもしれない。


「ミミっていうのか。どうしてこんな所に?」


悠の問いに、ミミの瞳に悲しみの色が浮かんだ。


『おかあさん……しんだ……にんげんの……まちに……にげてきた……でも……たべものが……なくて……』


断片的な言葉から、悲しい物語が浮かび上がってきた。母親を亡くし、一人で人間の街まで逃げてきた。しかし、魔力を使い果たし、食べ物を得る手段もない。生きるために、やむなく盗みを働いていた。


「可哀想に……」


イザベラが、母性的な優しさでミミの頭を撫でる。ミミは最初びくっとしたが、すぐに気持ちよさそうに目を閉じた。


『ごめんなさい……ぬすんで……でも……おなかすいて……しんじゃうと……おもった……』


必死に謝るミミの姿に、皆の心が痛んだ。


「謝らなくていい。生きるためだもの」


悠の言葉に、ミミは驚いたように顔を上げた。


『ゆるして……くれるの?』


「もちろんだ。君は何も悪くない」


ミミの目から、大粒の涙がこぼれた。


『やさしい……おかあさんが……しんでから……はじめて……やさしく……された……』


その言葉に、悠の胸が締め付けられた。この小さな存在が、どれほど孤独で、どれほど辛い思いをしてきたのか。


悠は決意を込めて言った。


「ミミ、これからはここにいなさい。食べ物も寝る場所も提供する。もう、一人じゃない」


『ほんとう?』


ミミの瞳に、希望の光が宿った。信じられないという表情で、悠を見つめている。


「ああ、本当だ。その代わり、元気になったら事務所を手伝ってもらうよ」


『うん! がんばる! おれいに……なんでもする!』


ミミの反応は、純粋で一生懸命だった。その健気さに、皆の顔に笑みが浮かぶ。


「じゃあ、決まりね」


エリザベートが優しく微笑む。


「新しい家族が増えたわ」


家族。その言葉に、ミミは再び涙を流した。しかし今度は、悲しみの涙ではなく、喜びの涙だった。


こうして、よろず解決事務所に新しい仲間が加わることになった。それも、とびきり特別な仲間が。


~新しい生活~


ミミが事務所に来てから一週間が経った。


最初の数日は、ミミは悠から離れようとしなかった。悠が立ち上がれば後をついて歩き、座れば膝の上に乗る。夜は悠の布団に潜り込んで、ぴったりとくっついて眠った。


それは、また一人になることへの恐怖の表れだった。悠はそれを理解し、ミミの不安が消えるまで、常にそばにいることにした。


「まるで親子みたいね」


エリザベートが微笑ましそうに言う。


確かに、はたから見れば、悠は過保護な親のようだった。ミミの食事を気にかけ、体調を確認し、寝床を整える。かつて子供を持ったことのない悠だったが、自然と保護者の役割を果たしていた。


ミミの体調は、日に日に良くなっていった。栄養状態が改善され、毛並みは白銀の光沢を取り戻した。青い瞳も、生き生きとした輝きを放つようになった。


そして、念話も流暢になってきた。


『ゆうさん、きょうは、なにする?』


朝起きると、ミミが必ず尋ねる。その声には、新しい一日への期待が込められていた。


「今日は、依頼人の相談を聞く予定だよ」


『おてつだい、する!』


ミミの手伝いは、まだ大したことはできない。せいぜい、書類を運んだり、依頼人を和ませたりする程度だ。しかし、その愛らしい姿は、事務所の雰囲気を明るくしていた。


「あら、可愛い猫ちゃん!」


依頼人たちは、決まってミミに心を奪われる。そして、緊張がほぐれ、相談しやすくなるのだった。


『えへへ、みんな、やさしい』


ミミは人間が好きだった。母親を殺したのも人間だが、救ってくれたのも人間。ミミは後者の記憶を大切にすることを選んだようだった。


しかし、ミミの真価は別の所にあった。


~鋭い感覚~


ある日の午後、一人の商人が相談に訪れた。


「実は、取引先に騙されたようで……」


商人は、涙ながらに事情を説明した。大金を払って仕入れた商品が、全て偽物だったという。


悠が「真実の瞳」で確認すると、確かに商人は被害者だった。しかし……


『ゆうさん、このひと、なにかかくしてる』


ミミが小声で念話を送ってきた。


『かくしてる?』


『うん。うそのにおいがする。すっぱいような、にがいような』


ミミの指摘を受けて、悠はより注意深く商人を観察した。すると、確かに不審な点が見つかった。


商人は被害者ではあるが、実は自分も過去に同じような詐欺を働いていたのだ。今回は、その報いを受けた形だった。


「なるほど……」


悠は複雑な心境になった。確かに詐欺は許されない。しかし、かつて同じことをしていた者が被害を訴えるというのも、皮肉な話だった。


結局、悠は商人に真実を突きつけることにした。


「あなたも、過去に同じようなことをしていましたね?」


商人の顔が青ざめた。


「な、なぜそれを……」


「探偵ですから。で、どうします? このまま被害届を出しますか? その場合、あなたの過去も明るみに出るかもしれませんが」


商人は項垂れ、結局、被害届は取り下げることにした。そして、過去の罪を償うため、被害者への賠償を始めることを約束した。


商人が帰った後、ミミが不思議そうに尋ねた。


『ゆうさん、どうして、あのひとをたすけなかったの?』


「助けなかったわけじゃない。別の形で助けたんだ」


『べつのかたち?』


「そう。あの人は、自分の過去と向き合う機会を得た。それは、本当の意味での救いになるかもしれない」


ミミは小さな頭を傾げたが、やがて納得したように頷いた。


『ゆうさんは、やさしいけど、ただやさしいだけじゃないんだね』


その洞察力に、悠は驚いた。ミミは見た目は子猫だが、その理解力は人間の子供以上かもしれない。


こうして、ミミの鋭い感覚は、悠の「真実の瞳」を補完する重要な能力となっていった。


~使い魔契約の提案~


ミミが来てから二週間が経った頃、エリザベートが重要な提案を持ちかけてきた。


「ミミ、あなた、悠さんと使い魔契約を結んだらどう?」


いつものお茶の時間、エリザベートが突然切り出した。


『つかいま?』


ミミが首を傾げる。


「そう。魔法使いと魔獣が結ぶ特別な契約よ。お互いに力を分け合い、絆を深める。一生涯、共に生きることを誓う神聖な儀式」


エリザベートの説明を聞いて、悠は戸惑った。


「でも、俺は魔法使いじゃない。こんな俺が、使い魔契約なんて……」


「霧島さんの『真実の瞳』は、立派な魔法的才能です」


エリザベートは真剣な表情で続けた。


「それに、使い魔契約で重要なのは、魔力の強さではありません。心の絆、相性、そして互いを思いやる気持ち。それが最も大切なんです」


エリザベートは、悠とミミを交互に見た。


「お二人を見ていると、既に深い絆で結ばれているのが分かります。契約は、その絆を形にするだけ」


『けいやく……したい!』


ミミが、即座に反応した。悠の顔を見上げ、青い瞳を輝かせる。


『ゆうさんと……ずっといっしょに……いたい。はなれたくない』


その純粋な願いに、悠の心が強く揺さぶられた。


ミミとの日々を思い返す。最初は保護するつもりだった。しかし、いつの間にか、ミミは悠にとってかけがえのない存在になっていた。


朝、ミミの温もりで目覚める幸せ。一緒に食事をする楽しさ。何気ない会話の心地よさ。それらすべてが、悠の人生を豊かにしていた。


現代では感じたことのない、深い繋がり。それは、種族や世界を超えた、魂の結びつきかもしれない。


「分かった。俺も、ミミとずっと一緒にいたい」


『ほんとう!?』


ミミが飛び上がって喜んだ。そして、悠の胸に飛び込んできた。


『うれしい! うれしい!』


小さな体から伝わる喜びが、悠の心を温かく満たしていく。


「でも、どうやって契約を?」


「それは、私に任せて」


エリザベートが自信を持って答えた。


「古い文献で、使い魔契約の方法を研究していたの。本来は複雑な儀式が必要だけど、お互いの同意があれば、簡略化できる」


こうして、使い魔契約の準備が始まった。


~契約の儀式~


契約の儀式は、その日の夜に行われることになった。


事務所の一階、普段は応接室として使っている部屋が、儀式の場に選ばれた。家具を片付け、床に複雑な魔法陣が描かれる。


エリザベートが白墨で描く魔法陣は、幾何学的で美しかった。円の中に正三角形、その中にさらに円。複雑な紋様と古代文字が、緻密に配置されていく。


「これは、竜と人を結ぶための特別な魔法陣よ」


エリザベートが説明する。


「普通の使い魔契約とは違う。ミミが古代竜の血を引いているから、より強力な絆が必要なの」


準備を手伝いながら、リックが心配そうに呟いた。


「危険じゃないですか?」


「大丈夫。危険なのは、無理やり契約しようとした時だけ。悠さんとミミなら、問題ないわ」


イザベラが、儀式用の香を焚く。甘く神秘的な香りが、部屋に満ちていく。


「この香は、精神を安定させ、魂の交流を助けるの」


ミリアは、少し離れた場所から心配そうに見守っていた。


「ミミ、痛くない?」


『だいじょうぶ! ゆうさんといっしょなら、こわくない』


ミミの勇敢な返事に、ミリアも安心したようだった。


準備が整い、悠とミミは魔法陣の中央に向かい合って座った。


悠は正座し、ミミはちょこんと座っている。月明かりが窓から差し込み、二人を優しく照らしていた。


「準備はいい?」


エリザベートの問いに、二人は頷いた。


悠の心は、不思議と落ち着いていた。これから起こることへの不安よりも、ミミと正式に絆を結べることへの喜びの方が大きかった。


「では、始めます」


エリザベートが呪文を唱え始めた。


「天地の理に従い、古き契約の名の下に」


魔法陣が淡く光り始めた。青白い光が、ゆらゆらと立ち上る。


「竜の血を引く者よ、人の身を持つ者よ」


光が次第に強くなっていく。悠は、体の奥から何かが湧き上がってくるのを感じた。それは、今まで眠っていた力が目覚めるような感覚。


「互いの魂は、ここに交わらん」


ミミの体も、淡い光を放ち始めた。白い毛並みが、月光のように輝く。


エリザベートの声が、厳かに響く。


「霧島悠よ、汝はこの獣と契約を結び、生涯を共にする覚悟はあるか?」


「ある」


悠の声は、迷いなく力強かった。


「白き獣よ、汝はこの人間に仕え、力を分かち合う覚悟はあるか?」


『ある!』


ミミの念話も、決意に満ちていた。


「では、契約の言葉を。心を込めて、同時に」


悠とミミは、互いの目を見つめた。青い瞳と黒い瞳が、真っ直ぐに向き合う。


そして、二人は同時に言葉を紡いだ。


「我、霧島悠は、ミミと契約を結ぶ」


『わたし、ミミは、ゆうさんとけいやくをむすぶ』


声が重なり、共鳴する。


「共に歩み、共に戦い、共に生きることを誓う」


『ともにあゆみ、ともにたたかい、ともにいきることを、ちかう』


「喜びも悲しみも分かち合い」


『よろこびも、かなしみも、わかちあい』


「決して裏切らず、決して見捨てない」


『けっして、うらぎらず、けっして、みすてない』


「この契約、我が命尽きるまで」


『このけいやく、わがいのち、つきるまで』


最後の言葉が発せられた瞬間、魔法陣の光が爆発的に強まった。


光の柱が二人を包み込む。まぶしくて目を開けていられない。しかし、恐怖はなかった。むしろ、温かく優しい感覚に包まれていた。


その瞬間、悠は不思議な体験をした。


ミミの記憶が、走馬灯のように頭に流れ込んできたのだ。


~ミミの記憶~


暗い洞窟の中、巨大な白竜に寄り添う小さな子猫。それが、ミミの最初の記憶だった。


母親の竜は、優しく子守唄を歌っている。その声は、山を震わせるほど大きいのに、ミミには心地よく響いた。


『おまえは、わたしの宝物。この世界で一番大切な存在』


母の愛情に包まれた、幸せな日々。


しかし、その平和は長く続かなかった。


人間たちが、竜の財宝を狙ってやってきた。武装した冒険者、欲に目がくらんだ魔法使い。彼らは次々と洞窟に侵入してきた。


母は戦った。圧倒的な力で、侵入者たちを退けた。しかし、戦いは絶えることがなかった。


『ミミ、おまえだけでも逃げなさい』


ある日、母が悲しそうに言った。


『いや! おかあさんと、いっしょにいる!』


『だめよ。このままでは、おまえまで危険に晒される』


最後の戦い。


数十人の魔法使いと戦士が、同時に攻めてきた。母は必死に戦ったが、多勢に無勢。そして、卑劣な罠にかかった。


『ミミ……生きて……』


母の最期の言葉。


巨大な体が崩れ落ちる瞬間、母は最後の力でミミを遠くへ飛ばした。


気がつくと、ミミは見知らぬ森にいた。一人ぼっちで、恐怖と悲しみに震えながら。


それから、長い放浪が始まった。


森では魔物に狙われ、人里では石を投げられた。誰も、小さな竜の子供を受け入れてはくれなかった。


次第に魔力は枯渇し、食べ物を得ることも困難になった。


そして、最後の力を振り絞って辿り着いたのが、この王都だった。


記憶の共有が終わり、悠は涙を流していた。


ミミが経験してきた孤独と苦しみ。それは、悠の想像を遥かに超えていた。


『ゆうさん……みちゃったの?』


ミミが心配そうに尋ねる。


「ああ。ミミ、よく頑張ったな。もう、一人じゃないから」


『うん……ゆうさんも、みせて』


今度は、悠の記憶がミミに流れていった。


~悠の記憶~


現代日本での生活。


毎日同じ時間に起き、満員電車に揺られ、遅くまで働く日々。


探偵としての仕事は、人の醜い部分ばかりを見せつけた。浮気、裏切り、欲望。そんなものばかりを追いかけて、心が擦り切れていく。


警察官時代の挫折。


正義を信じて入った警察で、組織の論理に押し潰された。真実を曲げることを強要され、それを拒否した結果、居場所を失った。


孤独なアパートでの生活。


帰っても「おかえり」と言ってくれる人はいない。コンビニ弁当を一人で食べ、テレビの音だけが部屋に響く。


次第に、生きる意味を見失っていく。


そして、過労で倒れ、この世界へ。


最初は戸惑いばかりだった。しかし、少しずつ、この世界の温かさに触れていく。


リックとミリア、イザベラ、エリザベート。


仲間たちとの出会いが、凍りついていた心を溶かしていく。


そして、ミミとの出会い。


小さな白い子猫が、悠の人生を決定的に変えた。守るべき存在ができ、愛する存在ができた。


記憶の共有が終わると、ミミは悠に飛びついてきた。


『ゆうさんも、さみしかったんだね』


『でも、もうだいじょうぶ。わたしが、いるから』


小さな体で、精一杯悠を抱きしめようとするミミ。その温もりが、悠の心の奥底まで届いていく。


光が収まると、ミミの額に小さな紋章が浮かび上がっていた。三日月を模した美しい紋章。契約の証だ。


同時に、悠の右手の甲にも、同じ紋章が淡く浮かび上がった。


「成功ね」


エリザベートが安堵の笑みを浮かべる。


「これで、あなたたちは真の相棒。魂で繋がった、かけがえのない存在よ」


『ゆうさん! つながった! きもちが、つたわってくる!』


ミミの喜びが、契約を通じてダイレクトに伝わってきた。それは、言葉では表現できないほど純粋で、深い感情だった。


悠もまた、ミミの存在をより強く感じていた。心臓の鼓動、呼吸のリズム、そして溢れる愛情。すべてが手に取るように分かる。


「ミミ……」


「おめでとう!」


仲間たちが、口々に祝福の言葉をかけてきた。


リックは感動で目を潤ませ、ミリアは嬉しそうに拍手をしている。イザベラは優しく微笑み、エリザベートは満足そうに頷いていた。


この瞬間、悠は心から思った。


この世界に来て、本当によかった。


~パン泥棒事件の解決~


翌朝、悠はミミを連れてマルタの店を訪れた。


昨日の今日で、契約の余韻がまだ残っている。ミミとの繋がりは、一晩経ってもより強く感じられた。


「マルタさん、パン泥棒の件なんですが……」


悠は、事情を説明した。母親を亡くした子猫が、生きるために盗みをしていたこと。今は事務所で保護していること。そして、これからは仲間として一緒に生きていくこと。


話を聞いたマルタの目に、涙が浮かんだ。


「そうだったの……可哀想に。お腹が空いてたのね」


マルタは、ミミをじっと見つめた。ミミは少し緊張しているようだった。


『ごめんなさい……おばさんの、だいじなパン、とっちゃって……』


ミミの念話は、悠を通じてマルタにも伝わった。


その瞬間、マルタの表情が一変した。


「まあ! 本当に話せるのね!」


驚きよりも、感動が勝っているようだった。マルタは、ミミを抱き上げて頬ずりした。


「いいのよ、もう済んだこと。それより、これからは遠慮なく来なさい。余ったパンならいくらでもあげるから」


『ほんとう?』


「もちろん! こんなに可愛い子が、お腹を空かせてるなんて許せないわ」


マルタの優しさに、ミミは感激した。


『ありがとう! おれいに……なにかする!』


「お礼なんていいのよ」


『ううん、する!』


ミミは、小さな体で精一杯背伸びをした。そして、目を閉じて集中する。


悠は、契約を通じてミミの魔力の流れを感じた。それは、とても優しく温かい力だった。


すると、店内の空気が変わった。何か温かいものに包まれるような、幸福感に満ちた雰囲気。


【祝福:小さな幸運】

【効果:3日間、売り上げが少し上昇】

【発動者:ミミ(魔力消費:極小)】


悠の「真実の瞳」が、ミミの魔法を解析した。


「これは……幸運の祝福みたいです。ささやかですが、マルタさんの商売繁盛を願って」


「まあ!」


マルタは感激のあまり、また涙を流した。


「ありがとう、ミミちゃん! なんて優しい子なの!」


『くすぐったい!』


マルタに抱きしめられて、ミミが幸せそうに身をよじる。その様子を見て、悠も心が温かくなった。


事件は、こうして温かく解決した。


帰り道、ミミが悠に尋ねた。


『ゆうさん、これでよかった?』


「ああ、完璧だ」


『えへへ。マルタおばさん、やさしかった』


「そうだな。ミミも優しかった」


『ゆうさんが、やさしいから。つたわってくる』


契約の効果で、お互いの感情がより深く理解できる。それは、言葉を超えた交流だった。


~初めての戦闘~


平和な日々は、一週間後に破られた。


夕方、事務所に血相を変えた商人が駆け込んできた。服は乱れ、顔は恐怖で青ざめている。


「助けてください! 息子が攫われました!」


【ギルバート・商人・レベル17】

【状態:パニック】

【真実:闇金融から借金、返済不能で息子を人質に】

【息子の状態:無事だが恐怖で震えている】


悠の能力が、事態の深刻さを示していた。


「落ち着いて、詳しく話してください」


悠は商人を椅子に座らせ、水を飲ませた。少し落ち着いた商人は、震え声で事情を説明し始めた。


商売の資金繰りに困り、闇金融に手を出した。最初は少額だったが、法外な利息でどんどん膨らんでいった。そして今日、返済期限が来て、金の代わりに10歳の息子を連れ去られたという。


「犯人の居場所は?」


「旧市街の廃工場です。でも、用心棒が大勢いて……一人じゃ二十人はいるって」


これは、今までで最も危険な依頼だった。相手は組織的な犯罪者で、武装している可能性も高い。


しかし、子供の命がかかっている。断るという選択肢はなかった。


「分かりました。すぐに向かいます」


「本当ですか!? でも、危険です! 衛兵に頼んだ方が……」


「衛兵が動くまで待っていたら、手遅れになるかもしれません」


悠の言葉は現実的だった。この世界の衛兵は、貴族や金持ちの事件は素早く対応するが、庶民の問題には腰が重い。


「悠さん、私も行きます」


リックが立ち上がる。その目には、強い決意が宿っていた。


「危険だ」


「分かってます。でも、同じ年頃の子が攫われたんです。放っておけません」


リックもまた、過去に似たような危険を経験している。だからこそ、他人事とは思えないのだろう。


イザベラとエリザベートも同行を申し出た。


「私も護身術くらいは心得ています」


「簡単な攻撃魔法なら使えます」


仲間たちの申し出は嬉しかったが、全員を危険に晒すわけにはいかない。


「リックとエリザベートは来てくれ。イザベラは、ミリアと一緒に待機を。もし俺たちが戻らなかったら、衛兵に通報してほしい」


「分かりました。でも、必ず無事に戻ってきてくださいね」


イザベラの心配そうな顔に、悠は力強く頷いた。


『わたしもいく!』


ミミが、決意に満ちた念話を送る。


「でも、危険だ」


『だいじょうぶ。ゆうさんをまもる。それが、つかいまのやくめ』


ミミの青い瞳に、強い意志が宿っていた。母親を失った悲しみを知っているミミにとって、家族を失うかもしれない子供を放っておけないのだろう。


「分かった。でも、無理はするな」


『うん!』


こうして、一行は夜陰に紛れて廃工場に向かった。


~ミミの真の力~


旧市街は、王都の中でも特に治安の悪い地域だった。


廃墟となった建物が立ち並び、浮浪者や犯罪者の隠れ家となっている。街灯もなく、月明かりだけが頼りだった。


廃工場は、かつて魔法道具を作っていた大きな建物だった。今は屋根も壁も朽ち果て、不気味な影を作り出している。


「見張りが2人」


リックが偵察から戻ってきた。貧民街育ちの彼は、こうした隠密行動に長けている。


「中には、もっといるみたいです。松明の明かりが見えました」


「子供は?」


「奥の部屋らしいです。泣き声が聞こえました」


子供が泣いている。その事実が、悠の決意をさらに固めた。


「正面突破は無謀だな。どうするか……」


『ゆうさん、まかせて』


ミミが前に出た。月光を浴びて、白い毛並みが銀色に輝く。


『みはりを、ねむらせる』


「できるのか?」


『うん。ちょっとだけ、ほんきだす』


ミミの体が、かすかに光り始めた。契約の紋章も、呼応するように輝く。


そして、小さく鳴いた。


「にゃー」


一見、普通の猫の鳴き声。しかし、悠には分かった。そこに込められた魔力の波動を。


見張りの二人が、ゆらりと揺れた。まるで、子守唄を聞いた赤子のように、穏やかな表情で目を閉じていく。そして、静かにその場に崩れ落ちた。


【睡眠の歌】

【効果:聴いた者を深い眠りに誘う】

【範囲:指向性あり(対象を選択可能)】

【威力:抵抗困難】


「すごい……」


エリザベートが感嘆の声を上げた。


「これほど高度な魔法を、こんなに簡単に……」


『えへへ。でも、つかれた』


確かに、ミミは少し息を切らしている。まだ幼体なので、魔力の消費が大きいのだろう。


一行は、眠った見張りを縛り上げ、工場内に侵入した。


内部は予想以上に広かった。錆びた機械が並び、所々に松明が灯されている。不気味な影が、壁に踊っていた。


奥へ進むと、声が聞こえてきた。


「ガキは大人しくしてろ!」


「お父さん! お母さん!」


子供の泣き声。悠の中で、何かが弾けた。


~覚醒~


扉を蹴破って、悠たちは部屋に飛び込んだ。


中では、縄で縛られた少年が震えていた。10歳くらいの、リックと同じ年頃の子供。目は恐怖で見開かれ、顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。


周りには、柄の悪い男たちが5人。全員が武器を持っている。剣、棍棒、そして一人は弩を構えていた。


「誰だ!」


リーダー格の男が怒鳴る。顔には大きな傷があり、目は残忍な光を宿していた。


「その子を解放しろ」


悠の声は、静かだが有無を言わせない迫力があった。


「は? 正義の味方気取りか?」


男たちが嘲笑する。


「たった3人と猫一匹で、俺たちに勝てると思ってんのか?」


男たちが武器を構える。今にも襲いかかってきそうだった。


「リック、エリザベート、少年を」


「分かりました!」


戦闘が始まった。


悠は、警察官時代の訓練を思い出しながら、男の一人と対峙した。しかし、剣での戦いは初めてに等しい。相手の攻撃をかわすので精一杯だった。


リックは素早い動きで敵を撹乱し、エリザベートは簡単な魔法で援護する。しかし、多勢に無勢。次第に押されていく。


「ちっ、しぶとい奴らだ」


リーダーが苛立ったように舌打ちする。


「おい、ガキを盾にしろ!」


卑劣な命令に、部下の一人が縛られた少年に近づく。


その瞬間だった。


『もう、がまんしない』


ミミの念話が、怒りに震えていた。


『よわいものいじめ、ゆるさない!』


ミミの体が、眩い光に包まれた。


悠は契約を通じて、ミミの感情を感じ取った。それは、純粋な怒りと、弱者を守りたいという強い意志。母親を失った悲しみが、少年を守りたいという決意に変わっていた。


光が強まり、部屋全体を白く染める。男たちが、眩しさに目を覆った。


そして——


光が収まると、そこには白い子猫ではなく、体長2メートルほどの白い獣がいた。


美しくも恐ろしい姿だった。純白の毛皮は月光のように輝き、鋭い牙は銀色に光る。力強い四肢には鋭い爪があり、背中には小さいながらも翼が生えている。そして、額には契約の紋章が、より大きく輝いていた。


まさに、竜の血を引く者の姿。


「な、なんだ、ありゃあ!」


男たちが恐慌状態に陥る。剣を構えていた手が震え、顔は恐怖で引きつっている。


ミミは、低く唸った。


その声は、もはや可愛い子猫のものではなかった。原初の恐怖を呼び起こす、捕食者の咆哮。太古の記憶に刻まれた、竜への畏怖が男たちを支配した。


『わるいひとたち、にげなさい』


ミミの念話は、全員に届いた。それは命令であり、最後の警告でもあった。


「ひぃっ!」


男たちは我先にと逃げ出した。武器を投げ捨て、仲間を押しのけ、出口に殺到する。あれほど威勢の良かった男たちが、まるで子供のように泣き叫びながら逃げていく。


あっという間に、部屋には悠たちと縛られた少年だけが残された。


『ふう……つかれた』


大きな姿のまま、ミミはその場に座り込んだ。威厳ある姿なのに、疲れた様子は子猫の時と変わらない。


『まだ、こどもだから……ながくは、むり』


「ミミ、すごかったよ」


悠が駆け寄ると、ミミは嬉しそうに尾を振った。大きな尾が床を叩き、埃が舞い上がる。


リックが少年の縄を解いている間に、ミミの体が再び光に包まれた。そして、元の小さな子猫の姿に戻っていく。


「みゃー」


今度は普通の鳴き声で、ミミは悠の腕の中に飛び込んできた。小さな体は、魔力を使い果たしてぐったりしている。


「よく頑張った」


悠はミミを優しく抱きしめた。契約を通じて、ミミの疲労と満足感が伝わってくる。


~救出、そして感謝~


少年を無事に救出し、一行は事務所に戻った。


ギルバート商人は、息子を抱きしめて泣いていた。


「ありがとうございます! 本当にありがとうございます!」


何度も何度も頭を下げる父親。少年もまた、まだ恐怖が抜けきらない様子だったが、父親にしがみついていた。


「これ、お礼です」


商人が差し出したのは、金貨50枚入った袋だった。


「こんなに……」


「命には代えられません。それに、皆さんも危険を冒してくださった」


確かに、今回は本当に危険だった。もしミミがいなかったら、どうなっていたか分からない。


「それと……」


商人は神妙な顔で続けた。


「闇金融には、もう関わりません。真っ当に商売をやり直します」


「それがいいでしょう」


息子を抱いたまま、商人は深々と頭を下げて帰っていった。


事務所に静寂が戻る。


ミミは、悠の膝の上でぐっすりと眠っていた。あれだけの力を使ったのだから、当然だろう。


「ミミ、本当にすごかったわね」


エリザベートが感心したように言う。


「あの姿、まるで伝説の神獣のようだった」


「でも、まだ子供なんですよね」


リックが、眠るミミを優しい目で見つめる。


「こんなに小さいのに、僕たちを守ってくれた」


確かに、ミミはまだ幼体だ。本来の力の何分の一も出せていないだろう。それでも、仲間を守るために全力を尽くしてくれた。


「これで、事務所の設備を整えられるね」


イザベラが現実的な提案をする。


「新しい家具とか、もっと良い応接室とか」


「そうだな。でも……」


悠は眠るミミを見下ろした。


「まずは、ミミのための物を揃えよう。専用のベッドとか、おもちゃとか」


「賛成!」


ミリアが嬉しそうに手を挙げた。


「ミミちゃんのお部屋も作ろう!」


皆の愛情に包まれて、ミミは幸せそうな寝息を立てていた。


~深まる絆~


その夜、悠の部屋で、ミミがゆっくりと目を覚ました。


「起きたか」


『ゆうさん……みんなは?』


「もう寝たよ。ミミもよく寝てた」


『そっか……あのこ、ぶじだった?』


ミミの最初の心配が、救出した少年のことだったことに、悠は心を打たれた。


「ああ、無事に父親の元に帰った。ミミのおかげだ」


『よかった……』


ミミは安心したように、また悠の胸に顔を埋めた。


『ゆうさん、こわくなかった?』


「正直、怖かったよ」


悠は素直に認めた。


「でも、ミミがいてくれたから、勇気が出た」


『ほんと?』


「ああ。ミミは俺の勇気の源だ」


その言葉に、ミミは嬉しそうに喉を鳴らした。


『わたしも、ゆうさんがいるから、がんばれる』


『おかあさんがしんでから、こわいことばっかりだった』


ミミの声が、少し震えた。


『でも、ゆうさんにあえて、みんなにあえて、もうこわくない』


悠は、ミミをそっと撫でた。小さな体から、温もりが伝わってくる。


「ミミ、約束するよ」


「これからも、ずっと一緒だ。楽しいことも、辛いことも、全部一緒に乗り越えていこう」


『やくそく?』


「ああ、約束だ」


ミミは満足そうに目を閉じた。


『ゆうさん、だいすき』


「俺も、ミミが大好きだ」


静かな夜。二つの月が、窓から優しい光を投げかけている。


悠は、ミミの寝息を聞きながら思った。


この小さな命と出会えたことは、きっと運命だったのだろう。種族も、世界も、すべてを超えて結ばれた絆。それは、何物にも代えがたい宝物だ。


~新たな日常、そして——~


ミミが正式に仲間になってから、さらに一週間が過ぎた。


事務所の日常は、ミミを中心に回るようになっていた。


朝は、ミミの「おはよう」の念話で始まる。朝食の時は、皆のテーブルを回って挨拶をする。仕事中は、書類を運んだり、依頼人を癒したり。夕方には、ミリアと一緒に遊ぶ。


「ミミちゃん、こっち!」


「みゃー!」


事務所の中を、二人で追いかけっこ。その様子を、大人たちは微笑ましく見守っていた。


ミミの存在は、事務所全体の雰囲気を明るくしていた。辛い依頼で心が重くなっても、ミミの無邪気な姿を見れば、自然と笑顔になれる。


そして、ミミの能力も、日々の仕事で大いに役立っていた。


「ミミ、この人、どう思う?」


『うーん……わるいひとじゃない。でも、なにかかくしてる』


ミミの直感は、ほぼ百発百中だった。嘘の匂い、隠し事の気配、悪意の存在。すべてを、動物的な鋭さで見抜いていく。


『きょうは、おおきなしごとがくるよ』


ある朝、ミミが予言めいたことを言った。


「どうして分かる?」


『かぜのにおいが、ちがう。なんか、きんちょうしてる』


ミミの予感は、いつも的中する。


はたして、昼過ぎに王城からの使者が訪れた。


立派な服装の騎士が、緊張した面持ちで立っている。


「よろず解決事務所の霧島悠殿ですね?」


「はい」


「国王陛下からの、極秘の依頼です」


騎士が差し出した書状には、王家の紋章が押されていた。


内容を読んで、悠は息を呑んだ。


第三王女の行方不明事件。それも、城内で忽然と姿を消したという。魔法による誘拐の可能性もあり、通常の捜査では手がかりが掴めない。


「これは……」


今までで最も重大な依頼だった。王族が関わるとなれば、失敗は許されない。


しかし——


『だいじょうぶ』


ミミが、悠の不安を感じ取ったように寄り添う。


『ゆうさんなら、できる。わたしも、てつだう』


小さな相棒の励ましに、悠は勇気づけられた。


「分かりました。お引き受けします」


騎士は安堵の表情を見せ、詳細な情報を伝えて帰っていった。


事務所に、緊張感が漂う。


「王女様の事件かぁ」


リックが心配そうに呟く。


「大丈夫かしら」


イザベラも不安を隠せない。


しかし、悠は落ち着いていた。ミミという心強い相棒がいる。仲間たちもいる。


「大丈夫だ。皆で力を合わせれば、きっと解決できる」


その言葉に、皆の表情が引き締まった。


『そうだよ! みんなでがんばろう!』


ミミの明るい念話が、緊張を和らげる。


夕日が、事務所を金色に染めていた。


新たな挑戦が、悠たちを待っている。しかし、恐れはない。


なぜなら、ここには家族がいるから。


小さな白い子猫との出会いが、悠の人生を大きく変えた。孤独だった探偵は、今では多くの仲間に囲まれている。そして、何より大切な相棒を得た。


『ゆうさん、あした、がんばろうね』


『うん、一緒に頑張ろう』


ミミとの絆は、これからも深まっていく。


どんな困難が待ち受けていても、二人なら乗り越えられる。


異世界での冒険は、まだ始まったばかりだ。


窓の外で、二つの月が優しく世界を見守っていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ