ほどけた夏
白い砂浜に、波が静かに打ち寄せていた。
照りつける陽射しの下で、海の色はどこまでも鮮やかに広がっていた。
夏海は、フリルのついた淡いピンクのビキニを身にまとい、両手で髪を持ち上げながら「暑いね」と笑った。
透き通るような白い肌が、太陽の下でまぶしく映える。
隣には莉奈。鮮やかな赤のビキニをまとい、砂浜を歩くだけで視線を集めるような、グラビアモデルのようなスタイル。誰がどう見ても「セクシー担当」だった。
「モテそうだね、今日も」
「莉奈ほどじゃないよ」
そんなやり取りも、夏の風に混ざって心地よく流れていく。
しばらく遊んでいた頃、ふと聞こえてきた男たちの声。
「ねぇ、そこの二人、一緒に泳がない?」
振り返ると、少しチャラついた風の男たちが手を振っていた。
剛と達也。茶髪にサングラス、柄シャツ。
少し怖そうで、少し軽そう。でも、笑顔はどこか無防備だった。
莉奈が「いーよ」とあっさり応じたのをきっかけに、夏海も渋々ながら一緒に波に足を浸けた。
思っていたよりも彼らは話しやすく、拍子抜けするほど自然に、笑い合った。
スイカを割って、写真を撮って、砂に寝転がって空を見た。
夕暮れの光が海を赤く染めていく中、今日という日が終わろうとしていた。
彼らと別れたあと、莉奈と駅前で別れ、夏海はコンビニで冷たい飲み物を手に取った。
そのときだった。
「お、また会えたな」
剛だった。
少しだけ驚き、少しだけ、嬉しかったのかもしれない。
「よかったらさ、ちょっとだけ飲みに行かない? 海沿いに、いい場所知ってるんだ」
その声に、ほんの少し迷って――夏海は、うなずいた。
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チェックインを済ませ、ホテルの廊下を歩く。
ピンクのビキニの上から、羽織っていたシャツが冷房の風で揺れた。
足元のサンダルの音が、妙に大きく響いていた。
部屋に入ると、剛は冷蔵庫から水を取り出し、無言で差し出してくれた。
口に含んだ水の冷たさが、どこか現実に引き戻すような感覚をくれた。
ソファの端に腰を下ろす。
剛がゆっくりと近づき、床に片膝をつく。
シャツのボタンにそっと手をかけたとき、夏海はほんの少しだけ息を止めた。
けれど、逃げなかった。
静かに目を閉じると、シャツが肩からすべり落ち、次に、首の後ろのビキニの紐に指が触れた。
ためらいがちに、優しく。
まるで、なにか大事なものをほどくように。
結び目が解けて、布が落ちる。
冷たい空気が肌を撫でた。
でも、それ以上に心の奥が、急にからっぽになっていくような、そんな感覚があった。
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目が覚めたのは、それからどれほど経った頃だったか。
天井の明かりは落ちていて、カーテンの隙間から薄明かりが差し込んでいた。
体を起こすと、視界の端にピンクのビキニが落ちているのが見えた。
床の上、無造作に。
少し前まで身につけていたものが、まるで意味を失った記号のように転がっている。
その向こう、窓際には夏海が立っていた。
なにもまとわず、背中を丸めるようにして、朝焼けに染まりはじめた街を見ている。
声をかけようとした剛を制するように、夏海がぽつりとつぶやいた。
「……なんで、私ここにいるんだろうね」
その背中は、どこまでも静かで、どこまでも遠かった。
剛はなにも言わずに服を着て、気まずさも残さずに出て行った。
ドアが静かに閉まり、再び部屋には冷房の音だけが残った。
夏海はそのまま、裸のまま、床に座り込んだ。
指先でビキニの紐をいじりながら、ただぼんやりと、夜と朝の境目を見つめていた。
「……バカだな、私」
そう呟いても、返ってくる声はなかった。
鏡に映った自分の顔が、やけに白く、知らない誰かのように見えた。
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ホテルを出たとき、空はすでに明るくなっていた。
羽織ったシャツは冷たく、胸元を押さえる手に力が入った。
朝の街がゆっくりと目覚めていくなかで、夏海は一人歩いていた。
サンダルの音が、乾いたアスファルトにカツカツと響く。
空は、やけに澄んでいた。
けれど心の中は、何か大切なものをどこかに落としてきたような感覚でいっぱいだった。
あのビキニの紐の結び目のように、何かがほどけて、戻らなくなってしまった気がした。
でも、もう泣く気力もなかった。
──夏の終わりが、たった一夜で訪れることだってある。
そんなことを、初めて知った朝だった。