第96話『三十五の墓標――常山城跡にて(前編)ー予感ー』
湿った夏の空気が肌にまとわりつき、森の中は静寂に包まれていた。
岡山県玉野市にある常山城跡――かつて若き女武者・鶴姫とその三十四人の侍女達が壮絶な最期を遂げた場所として知られ、今なおその怨念が深く残ると言われる山城の跡地だ。
登山口に立つ修は、手に持った資料の写真と目の前の景色を何度も見比べながら、低くつぶやいた。
「……うわ、本当に“墓”みたいだな」
山の斜面にびっしりと並ぶ無数の石の地蔵達。長い年月で苔むし、首がもげたものもあるが、そのどれもが何かを訴えかけてくるような、不気味な存在感を放っていた。
「このお地蔵様……みんな手作りなんですか?」
愛菜はカメラを構えつつ、好奇心混じりに問いかけた。
「地元の人達が、亡くなった侍女達の霊を慰める為に建てたらしい。ほら、あそこに大きな石碑がある」
修が指差した先には『鶴姫・女軍三十五柱之霊』と刻まれた慰霊碑が立っていた。
結は少し俯き、静かに周囲の空気を感じ取っている。
「……雨城君」
その小さな声に、修が視線を向ける。
結は自分でも理由の分からない不安を抱えていた。
「雨城君、何か……誰かに気をつけてって言われてる気がします……」
結にはただの予感のように感じられていたが、修には違った。
背後で囁くような、あの声。
《ここは、数多くの深い未練が渦巻く地です……気をつけて》
修はその言葉を胸の内に留めた。
(結のお母さんが警告してくるなんて、相当だな……)
風もないのに、周囲の草がざわりと揺れた。
どこかで、かすかに誰かが泣いているような音がした。
「気のせい……だよね?」
愛菜がカメラを下ろし、足を止めた。
「どうした?」
「しゅーくん……今、“鶴姫様”って声が……」
修は息を飲んだ。愛菜は霊感はそこまでないはずだ。
「ノクス……?」
愛菜の足元から顔を出した黒猫が、森の奥に向かって身を低くした。
「ニャ!ニャアッ!!(くるぞ!くるぞ!)」
その瞬間、浜野が肩を叩かれたように反射的に振り向いた。
「……今、誰かに――」
言いかけて、言葉を止める。
そこには、誰もいなかった。
急に気温が数度下がったかのような冷気が辺りに流れる。
蝉の声も遠ざかり、森の音が不自然なほど消えていった。
「……なんだこの空気。息が詰まる……」
浜野が眉をひそめ、胸元のシャツを掴んで引いた。
ノクスはしきりに周囲を警戒している。
「しゅーくん……」
愛菜が心配そうに顔を向ける。
「大丈夫、まだ本格的に来てはいない。でも……この感じは、確かに“いる”な」
修が口にした瞬間、結がぴたりと足を止めた。
「……誰か、呼んでる」
結は、空を見上げるようにして、ふと口を開いた。
声色は柔らかいが、どこか遠くの誰かと会話しているような、不思議な響きがあった。
――霊感のないはずの彼女が。
「結先輩……今、なんて?」
「分かりません……でも、確かに“誰か”が私を見てる気がするんです。名前も知らない誰か。けれど、すごく強い想いが伝わってくるような……そんな気がして……」
静かだった空気が、一気にざわめいた。
頭上の枝がざっ、と揺れ、何かが風の中に紛れていった。
数分後、山道は本格的な登りに入った。
木々の密度が増し、昼間なのに視界が薄暗くなる。
古びた案内板には「本丸跡まで700m」と書かれている。
「この先が……本丸?」
愛菜が不安そうに言うと、ノクスが口を開いた。
「ニャア……(この先、何かが封じられてる……)」
「封じられてる……?」
愛菜が問い返すと、ノクスは一歩前に出て森をじっと見つめた。
「……結界の痕跡がある。かなり古いけど、幾重にも……」
「霊達を、閉じ込めてるの?」
「ニャア……(わからない。封じているのか、守っているのか……)」
修達は沈黙し、足を進める。
そして、頂上目前。
風の中に、微かに――“すすり泣き”の音が混ざる。
「……まただ」
修が立ち止まり、周囲を見回す。
石畳の一角に、朽ちた石碑があった。
名前はもう読めないが、周囲の草花だけがなぜか綺麗に手入れされている。
「ここ……なんだか温度が違う」
結が、膝をついてそっと石碑に触れる。
その指先が触れた瞬間、強い風が吹き抜けた。
木々が大きく揺れ、誰かの悲しげな声が風に乗って届いたような気がした。
「く……ださい……」
「わた……達、を……」
愛菜が両手で耳を塞いだ。
「ボク、だめだ……なんか、胸が苦しい……」
「無理するな、ここで一旦休憩だ」
修は周囲を確認しながら、全員を一箇所に集めた。
その時、浜野が顔をしかめた。
「……誰か、俺の名を呼んだような……」
「先生?」
彼の首筋から、白い霧がすっと立ち上がっていた。
だが次の瞬間には、霧はすうっと消えていた。
「何でもない。いや、何でもないって思いたい……」
険しい顔のまま、浜野は再び歩き始める。
「にゃう……(くるぞ、次の段階が)」
ノクスの声が、今だけは人語に近い響きで、確かに皆に届いたように思えた。
修はゆっくりと目を閉じ、深呼吸をした。
“彼女達”の記憶に触れる準備を、心の奥で整えながら――。
次回予告
第97話『三十五の墓標――常山城跡にて(中編)ー激闘ー』
過去の幻が現れ、鶴姫達の最後の戦いが蘇る。
霊障、憑依、暴走――それぞれが試される夜。
そして、ノクスが“真祖”として覚醒する……。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
評価(★★★★★)やブックマークで応援していただけると嬉しいです。
続きの執筆の原動力になります!




