第93話『三雲トンネルの封印』
滋賀県、湖南市と甲賀市の境界に位置する旧道。
その途中に、まるで山が口を開けたような暗がりが、ぽっかりと現れる。
三雲トンネル。
開通から数十年が経過し、今ではバイパス道路の登場により、交通量はほとんどない。
老朽化が進み、外壁にはひび割れや苔が広がっていた。
昼でも照明がなく、薄暗さが視界にまとわりつく。
「うわー……写真よりずっと、雰囲気あるじゃん……」
トンネルの前に立った君鳥愛菜は、カメラを構えながら首をすくめた。
ノクスはその足元で、いつになくしっぽをふくらませている。
「にゃあ……(ここはマジでやばいとこだ)」
「気配が濃いな。これ、結構生きの良い霊がいそうだぞ」
修はそう言って笑ったが、笑みは軽くも冗談でもなかった。
彼の目はすでにトンネル内部へと向けられていた。
結が手帳を片手に、周囲の温度計と電磁波測定器の数値を確認していた。
「雨城君、見て。気温が一気に2度下がったわ。しかも、この電磁波の数値……通常の5倍以上。自然発生では説明出来ないレベルよ」
「へえ、良いねえ。幽霊が歓迎してくれてんのかな?」
修は懐中電灯を片手に、トンネルの中へと一歩足を踏み入れた。
中は静まり返っていた。
音が吸い込まれるような静寂。
歩く度、靴音が異様に響く。
天井には水滴が垂れ、時折「ぽちゃん」と音を立てた。
「本当にここ、除霊されたの?2019年に誰か有名な霊能力者が来たって、ネットには書いてあったけど……」
「それって“ちゃんと終わった”って意味じゃないんだよね」
修が言う。
「例えば除霊じゃなくて、“蓋をしただけ”って可能性もある。しかも、蓋をした理由が“危険すぎたから”だったら……?」
その時——
「……けて」
かすれた、小さな声が聞こえた。
空耳のようで、明確に耳に届いたそれは、明らかに「助けて」の後半だった。
全員が同時に立ち止まる。
「今……聞こえたよね?」
「……録音機、回してる?」
「うん……でも、今の入ったかな……?」
結が録音機を操作しながら振り返るが、その表情は不安に曇っていた。
「愛菜、ノクスの様子は?」
「すっごい警戒してる……ほら、ほら見て。毛が全部逆立ってるし、爪まで出しっぱなし」
ノクスはうなり声をあげながら、トンネルの奥へと睨みを向けている。
「にゃあっ……!(来るぞ!)」
闇の奥、ぼんやりと何かが立っている。
背の低い人影。だが輪郭がぼやけており、何かが“欠けて”いた。
「……顔が、ない」
愛菜がぽつりと呟いた。
それは静かにこちらへと近づいてくる。
だが、その歩き方がおかしい。
左右の脚が同時に前に出る。
まるでビデオテープの再生が乱れたように、ガクガクと不自然な動きだった。
「やるぞ!」
修が懐中電灯を構え直した。
ノクスが唸り声を上げ、前方に飛びかかる。
「にゃあああっ!(くらえっ!)」
しかしその瞬間、“それ”の姿は霧のようにスッと消えた。
まるで存在自体が無かったかのように、視界から消え失せる。
残ったのは、冷たい空気と、さや……さや……と何かが這いずるような音。
(……今の、なんだったの?」
結が震える声で訊いた。
「残留思念にしては動きが複雑すぎたな。攻撃性はない。だけど、訴えるような“意志”があった。……あれは、何かを繰り返してる。記憶か、もしくは……未練だな」
修はトンネルの奥に目を向けながら、何かを探るような眼差しを向けた。
「記録、残ってるか確認する」
結がビデオカメラを再生する。
映像には、ただただ暗いトンネルの奥が写っていた。
「……やっぱり、映ってないね。音も入ってない」
「いや、逆に言えば“録画できない存在”って事だ。強力な霊は機械に干渉して、記録を消す事もある」
「そんなのって……本当に実在するの?」
「するんだよ、実際に……俺のばあちゃんの本にも載ってた。“反録型幽霊”って奴。記録される事すら拒む存在だ」
その時、再び——
「……ま……して……」
囁き声が、耳のすぐ横で響いた。
四人全員が振り向いたが、誰もいない。
「今のは……“待って”か? それとも“やめて”?」
「あるいは、“やまして”……滋賀の方言?」
愛菜がぽそっと呟いた。
「方言って、もしかして“やました”って誰かの名前かも……?」
修がふっと息を飲んだ。
「なあ、調べてみないか。ここで失踪した人、あるいは……事故とは別の“消された人”がいないか」
「それってつまり……事件……?」
「事件として処理されなかった何か。……俺らが、今それに触れようとしてる」
沈黙。
風も吹かぬトンネル内で、誰かが啜り泣くような音が、どこかから響いていた。
そして、その音に混じるように、ノクスが静かに呟いた。
「にゃ……(……やめておけ、これ以上、進むと戻れなくなる……知ってるか?一番怖いのは幽霊より……)」
その言葉が、まるで予言のように、トンネル全体に重く響いた。
「ノクスが怖い事言ってる!!皆帰ろう!!」
愛菜の必死な説得により、調査は断念した。
ーーこの数年後、滋賀県在中の女性の死体が近くに埋められていたとか……犯人は、心霊スポットに来る若い女性をターゲットにした凶悪な犯人で、あったという……
次回予告
第94話「竹林に消える門」
兵庫県・加古川の廃屋敷。
血の手形、呪いの井戸、首のない女の霊。
謎が深まる武家屋敷(高田牧場)で、夜の探索が始まる。
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