第85話『霊園裏の静かな午後』
その日は、何の変哲もない、穏やかな午後だった。
陽が傾きかけた頃、俺達はとある霊園の裏手、小高い丘に足を運んでいた。
きっかけは、大学の近くに住む老人から聞いた話だ。
「昔、その裏の紫陽花の下に、ずっと“女の子が立ってる”って言われててな。誰も近づかんのじゃ」
「……え、それ都市伝説って奴?」
愛菜がビニールシートを広げながら言う。
「でも、普通にピクニックする気まんまんじゃないか、君」
「だって! しゅーくんが“ちょっと下見しとくか”って言うから、お菓子持ってきたのに!」
「それにこの霊園、明るいし、空もきれいです。お墓も綺麗に手入れされてますし、怖いって雰囲気じゃないですね」
結先輩が、持ってきたお茶を注ぎながら微笑む。
――そう、“表面上は”。
だが、俺はすでに気付いていた。
遠くで咲く紫陽花のひと房――色が、変だ。
通常なら青や紫のはずの花びらが、そこだけ真っ黒だった。
「先生、やっぱここ……出てますよ」
「だろうな。そこの一角、戦前に無縁墓がまとめて処理されたらしくてな。記録が残ってない」
「無縁墓って事は……名前が分からない?」
「そう。つまり、“名を持たぬまま、存在だけが残った霊”がいる可能性が高い」
名を持たぬ霊――“名無しの霊”は厄介だ。
会話も出来ず、成仏も出来ず、ただこの世に“在り続ける”。
「……いた」
俺は、黒い紫陽花のそばに立っている“少女の影”を見つけた。
肩ほどの長さの髪、古いセーラー服、そして――顔が、ない。
正確には、顔の部分だけが空白になっていた。
まるでそこだけ紙を破り取ったように、ぽっかりと“何もない”。
「しゅーくん、何か感じる……?」
愛菜の声が、どこか不安げになる。
「バリバリだな。しかも、そっちに寄ってきてる」
少女の影が、こちらに向かって歩いてくる。
一歩ずつ、一歩ずつ――音もなく、ゆっくりと。
「名前が……欲しいの?」
結先輩が、ぽつりと呟いた。
その瞬間、少女の影がピタリと立ち止まった。
動きもなく、ただそこに“留まる”。
「結先輩、ちょっと前に出て」
「……え?」
「きっと、その霊が見えているのは“名前を呼んでくれる人”なんだ。結先輩、お願い出来ますか?」
彼女は頷き、黒い紫陽花の前に立った。
「……あなたに、名前は無いかも知れないけど。私は、ここにいる“あなた”を、藍さんと呼ばせてもらいますね」
――ふわり。
風が吹き抜けた。
そして、少女の影の“顔”の空白に、わずかに輪郭が生まれた。
目元、口元、そして笑顔の気配。
名前を与えられた事で、“存在”としての意味が補われていく。
少女の影が、ふかぶかと頭を下げる。
そのまま静かに、紫陽花の中へと消えていった。
「……成仏、したのかな?」
「多分な。“名を得た霊”は、自分の物語を貰ったって事だ。そこから先に進める」
俺達はしばし沈黙し、空を見上げた。
穏やかに風が流れ、鳥が鳴き、陽の光が差し込む。
「ねえ、もう一回だけ言うけど……これ、ピクニックだったよね?」
愛菜がポテトチップを手にぼそっと言う。
「お菓子食べながら成仏させる霊能者って前代未聞だよな」
「ボク、ゆるホラー担当だから……」
「自分で役職作んな」
そうして今日もまた、静かに、一つの声が消えた。
だが、紫陽花の影では。
新たな“名無し”が、そっと顔を覗かせていた。
次回予告
第86話『ホテル活魚の怪』
千葉県の古びた宿泊施設「ホテル活魚」。
閉鎖されたはずの館に響く不気味な音。
霊と謎が交錯する夜、俺たちは何を見るのか——。
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