第84話『檜原村・夜鳴き橋の誓い』
山の奥深く、檜原村。
東京都とは思えないほどの深い山々と、木霊するような静けさ。
そんな中に、ひとつだけ“夜になると人の声が聞こえる橋”があるという。
「ねえ、“返事をしてはいけない”って、都市伝説あるけど……実際、返事したらどうなるの?」
愛菜が恐る恐る尋ねた。
「死ぬ」
「ぶっ!? しゅーくん、即答……」
「だってよくあるだろ、返事したら連れていかれるってやつ」
「本当にあるの?そういう霊って」
結先輩が真剣な表情で尋ねる。
「あります。特に“夜鳴き橋”と呼ばれてる場所は、過去に人が失踪してる」
夜鳴き橋。
地元では古くから、「橋の上で名前を呼ばれても、絶対に答えてはいけない」と言い伝えられている。
名前を呼ばれ、それに返すと――魂ごと、連れていかれると。
「ねえ先生、こういうのって“誰が呼んでる”んでしょうか」
「……んー。大抵の場合、“帰ってこなかった誰か”だな。あと、呼び方もポイントだ。フルネームか、あだ名か、優しいか怒鳴るか……それで“誰の記憶”に根ざしてる霊か分かるんじゃないか?」
「うわ、先生、めちゃくちゃ詳しいですね……なんか逆に怖い……」
「宇宙人にも名前呼ばれた事あるからな!」
「それはまた別のオカルトだってば!!」
さて。
俺達は、橋の袂に着いた。
それは古い木造の橋で、川霧がうっすらと立ちこめている。
時間は午後八時すぎ。街灯もない。
唯一の明かりは、俺達の手持ちの懐中電灯だけだった。
「……誰もいないよね?」
「それが“いないように見えるだけ”って奴だよ、愛菜君?」
「ぎゃー!ボクに言うなー!」
俺は橋の中央まで歩いてみた。
板のきしみ、風の音、川の流れ……耳をすませば、自然の音だけが支配する世界。
そう、今の所は。
――カラン。
足元で、何かが転がった。
「ん?」
懐中電灯を向けると、小さな鈴だった。
赤い紐のついた、子供用の鈴。
「なんでこんなとこに……?」
拾い上げた瞬間。
「……しゅー……くん……」
聞こえた。
背後から、柔らかく、優しい声で。
「愛菜?」
思わず振り返る。
そこには――誰もいなかった。
「……ちょっと待って、俺、“返事”したか?」
「した。完ッ全にした!」
愛菜が顔を青くして言う。
「しゅーくん、ダメだよ!『返事してはいけない』って言ったのに!」
「くっそ、無意識に……!」
俺がもう一度橋の中央に戻ると、そこには“別の俺”が立っていた。
しかも、さっきと同じ格好で、同じ表情で、同じ場所に。
「えっ!?分身!?しゅーくん、影分身の術!?」
「落ち着け愛菜、これは“名前を呼んで返事した相手の模倣霊”だ!」
模倣霊。
本物そっくりに姿を真似て現れる霊で、目的はひとつ――“本人と入れ替わる事”。
「へへ……いい声してるじゃねぇか……俺」
模倣霊の俺が、ニヤリと笑った。
「お前の代わりに、あの子達と一緒に学園生活、エンジョイさせてもらうぜ?」
「悪いな、俺が何人もいたら、愛菜が胃薬買い占めちまう」
俺は右手を突き出し、構えた。
「真語断ち(しんごだち)――“名は、呪いだ”!」
模倣霊が叫ぶ。
「ぐ、あああああ……! やめろ……俺は、お前だ……!」
「違う!“しゅーくん”は、一人で十分なんだよ!!」
言霊を叩きつける。
模倣霊は悲鳴を上げ、霧の中へと消えていった。
「……ふう」
「愛菜……さっきの、違う!っての、ちょっと嬉しかったぞ?」
「そう?」
愛菜は少し顔を赤らめていたが、当然修は気付かない。
結先輩がくすっと笑った。
「お疲れさま。これで“夜鳴き橋”も、少しは静かになるかもしれないわね」
「いや、問題は“返事するバカ”が後を絶たないって事だな」
「はいはい、ボクが霊より先にしゅーくんを連れて帰りますよ!」
そして俺達は、橋を後にした。
帰り道。ふと背後から、また小さな声が囁いた。
「……また、おいで……」
この橋には、まだ“誰か”が残っている。
名前を呼び、返事を待ち続けている誰かが。
次回予告
第85話『霊園裏の静かな午後』
霊園に咲く紫陽花の下に、誰かが眠っている。
日常のようで、どこか歪な午後の時間。
“本当にいるのは、誰だろう?”
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