第80話『血の城、声なき落城・中編』
世界が、反転していた。
霧が晴れたわけではない。
ただ、“向こう側”が、こちらに滲み出しただけだ。
御主殿跡の平地は、いつの間にかかつての姿――築城時の八王子城へと変貌していた。
石垣は新しく、兵が行き交い、幟が風にたなびく。
だが、そこにある“活気”にはどこか不穏な気配が混ざっている。
「タイム……スリップ……?」
結が呆然と呟く。
「いや、“タイムスリップ”じゃない。これは“過去の記憶”だ」
修が即座に否定する。
「この空間は、残留思念が積層した幻影。けど……密度が違う。普通はせいぜい一場面だけど、これは“城全体の記憶”がそのまま再現されてる」
「にゃお……(こんなもん、生きてる人間が踏み入れるとこじゃないにゃ……)」
ノクスがしっぽを膨らませ、背中を丸める。
「……霊の大合唱じゃないか、これ……地獄だ……」
浜野がついに素で引いた声を漏らした。
「普通なら逃げ帰る所だけど、私達は、違う」
愛菜が小さく、それでもはっきりと言った。
「ここに“呼ばれた”。そうでしょ、しゅーくん」
「そうだな」
修の目が鋭く細められる。
「問題は、“誰に”呼ばれたか、だ……ん?」
「……さ……源……」
「……藤……郎……」
「どこから、声が……」
◆
彼らの前に立ちはだかったのは――“顔のない武者”だった。
甲冑は焼け焦げ、首元からは崩れた顔がずるりとぶら下がる。
魂の形が壊れかけた、戦国の亡者。
「くるな……くるな……火の中に……皆、焼けた……!」
呻くようなその声が、周囲の空気を震わせる。
「やべえ、霊波がダイレクトに脳に来る系だ……!」
浜野が歯を食いしばり、拳を構える。
だが修は一歩も動かない。
むしろ、目を閉じた。
「――あんたは“ここに置いていかれた”んだな」
呻き声がぴたりと止まった。
霊の動きが止まり、その白い眼がこちらを見た。
いや、“視ようとした”。
「自我の残り香が、まだある」
修は低く、慎重に語りかけるように言葉を紡ぐ。
「名前は?何て名乗ってた?妻はいたか?子はいたか?」
霊の身体が小刻みに震えた。
ぶら下がった顔が、カクカクと揺れる。
「……さ……」
「“佐”?」
「……佐藤……」
修の目が静かに見開かれる。
「佐藤……源四郎……だな。八王子城・御主殿警護の下級武士」
「どうして……お前が、名を……」
「お前の“声”を拾ったのさ。今でも残ってる、お前の名前を叫ぶ誰かの想念を」
その瞬間、顔のない霊の背後に、小さな人影が現れた。
幼い少女の霊だった。
彼女は霊の背中に手を伸ばし、切なげに囁いた。
「おとう……」
霊の身体が震え、音もなく崩れた。
ぶら下がっていた“顔”が霧とともにほどけていく。
――解放だった。
「……消えた……」
結がぽつりと呟いた。
「“憎しみだけじゃない”霊がいると、難しいのよ。見極めが」
愛菜が疲れたように額を拭う。
ノクスも尻尾を戻しながら、ようやく背を伸ばした。
「にゃ……(でも、まだ……いるにゃ)」
◆
その時だった。
山の奥から、まるで鐘を逆さに響かせたような、不協和音が鳴った。
「ッ……!! これはマズい!主格級の“記憶”が目覚めかけてる!」
修が全員を振り返り、叫ぶ。
「この城が“落ちた記憶”そのものが目を覚まそうとしてる!巻き込まれたら、生きたまま“過去の死者”になるぞ!」
「どうやって止めるのよ!?霧の中、道も分からないのに!」
結の叫びに、修が即座に答える。
「道なら“ここ”に刻まれてる!」
彼は地面に指を走らせ、古い戦陣図の模様を描き出した。
「先生は霧の干渉を遮断してくれ!物理で!愛菜は結界の結び目を探して!ノクスは後衛、結を守れ!」
「了解!」
「やってやろうじゃん!」
「にゃおッ!(行くにゃ!)」
全員が瞬時に連携し、修の描いた“退路”を中心に布陣する。
空間が揺れ、山が唸る。
――それは、八王子城が落ちた“あの日”の再現だった。
兵が炎に巻かれ、女たちが井戸に身を投げ、城門が破られ、血が地面を染めていく。
「……来る。過去が、全部、押し寄せてくる!」
愛菜が霊符を広げ、御主殿に向かって叫ぶ。
「――名乗って!貴方は、誰の記憶!?」
次の瞬間。
霧の奥から、黒ずくめの女が現れた。
濡れた長髪、口元を歪めたその姿に、全員が息を呑む。
「お前は……“城主の側女”!?」
修の声に、女はゆっくりと微笑んだ。
その笑みは、愛でも悲しみでもない。
――呪いだった。
「私は、見たのよ。全てを。城が、焼けて、子が死んで……」
その声に、空が裂けた。
叫び声。
炎。
血の臭い。
記憶の地獄が、彼らを飲み込もうとしていた――。
次回予告
第81話『血の城、声なき落城・後編』
城が沈む。声が千に裂ける。
残された“女の怨嗟”を鎮めるには、失われた“約束”を思い出さねばならない。
だが、誰が、誰と、何を――?
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