第75話『沈黙の十字架 ― 大和田処刑場跡』
霧が濃く、冷たい夜の空気が肌を刺す。
森の奥にある大和田処刑場跡。
古びた木製の十字架が不規則に並び、そのほとんどが風雨に侵され、形を留めていない。
俺、雨城修は、その一つの前で立ち止まった。
「……なんだ、この赤い手形は」
薄暗い木の表面に、血のように赤く染まった手形がいくつも見える。
触れてみると、冷たくひんやりしていて、まるで血の生々しさが残っているようだった。
背後から、かすかな囁き声が聞こえた。
「……助けて……」
それは確かに声だったが、遠くで風が木の葉を揺らす音とも重なり合い、よく聞き取れない。
ぞくりと背筋が冷えた。
「雨城君、大丈夫?」
結先輩の声がした。俺は振り返り、彼女の顔を見る。
薄暗い灯りの下でも、結先輩の表情は真剣そのものだった。
「ここはね、江戸時代、三大刑場の一つと呼ばれた場所なんだけど。罪の無い人が沢山処刑されたんだよ……」
俺はその時、初めてここがどれだけの怨念を宿しているかを実感した。
◆
翌日、大学のオカルト研究同好会の部室に集まった俺達は、更に調べを進めた。
愛菜は手元のノートパソコンを操作しながら言った。
「大和田処刑場跡は、江戸時代に罪人が処刑され、遺体は近くの川に流されたという記録があるんだけど、罪がない人も多かったらしいよ」
結先輩が静かに続ける。
「“沈黙の十字架”って呼ばれる伝説もあるわ。処刑された者達は叫ぶ事も許されず、声を封じられて死んでいった。その怨念が、今もこの地に眠っていると言われている」
修は黙って頷いた。そんな場所に無鉄砲に足を踏み入れた事を、少し後悔した。
だが、真実を知る為に、俺達は再び処刑場跡を訪れた。
その夜、霧が森を包み込み、視界はほとんど効かなかった。
愛菜はそっとノクスを取り出し、周囲の気配を探る。
「なんだか、いつもと違う……重い気配がする」
ノクスは普段見えない霊の影を察知し、しっぽを低く垂らしていた。
突然、霧の中から黒い影が飛び出した。
「くそっ、なんだこれ!」
修は霊感で感じ取った恐怖を押し殺しながら、影を見据えた。
影は怨念の塊のように禍々しく、周囲の空気まで凍らせていた。
だが、諦めなかった。
「お前ら、何で黙ってるんだ? 言いたい事があるなら言えよ」
結先輩は静かに手を合わせ、鎮魂の祈りを始めた。
愛菜もノクスを抱き、祈りに加わる。
すると、ひとりの霊が近づき、怨念を込めた古びた紙切れを修の目の前にそっと置いた。
それは、当時の冤罪を証明する手紙の一部だった。
「これを明らかにしなければ……」
俺達は気持ちを新たに、真実の解明を誓った。
◆
だが、その夜。真夜中──
突如として大地が震え、処刑場跡の土が激しく割れた。
割れ目から這い出るように、無数の幽霊が姿を現す。
叫ぶように、泣き喚くように、怒りの声が空にこだました。
俺は、震える手を胸元に当てた。
「……お前ら、やっと動いたな」
その声は、俺を試すように、深く重い。
だが俺は、一歩、彼らに近づいた。
「もういい加減、苦しまなくていい」
霊達は怒りに満ちた瞳を俺に向ける。
その数、数十、いや百はいた。
俺は目を閉じ、口にした。
「──真語断ち《しんごだち》」
空気が変わる。
息を呑むような沈黙の中、俺の言葉が、空気を貫いた。
「この世に囁かれなかった声がある。届かなかった叫びがある。だが今、確かに“語られた”。無実の罪を着せられ、斬られ、捨てられた者達よ──その真実、俺が受け取った。そして、この地に伝えた!」
紙切れを高く掲げる。
手は震えていたが、声は、強くあれと願った。
「汚名は、晴らされた!その怒り、もう背負わなくていい!」
しばしの沈黙。
やがて、ひとり、またひとりと、霊達が表情を変えていく。
苦悶に歪んだ顔が、安堵に滲み、悲しみに揺れる。
そして──
怒りを手放した者達は、穏やかな風のように、霧の中へと帰っていった。
夜明けが訪れ、処刑場跡は再び静けさを取り戻した。
「真実を知らないままだったら、永遠に苦しんでいたんだろうな」
修はそう呟いた。
結先輩は微笑み、静かに言った。
「だから私達は調べ続ける。誰かの声になれなかった声に耳を傾けて」
愛菜はノクスを撫でながら、小さく頷いた。
「にゃお……にゃご(青春だな……知らんけど)」
この夜の出来事は、俺達にとって忘れられないものとなった。
次回予告
第76話『千駄ヶ谷トンネルの残響』
深夜、霊園の真下を走るトンネルにて。
誰もいないはずの録音スタジオに、女の声が入り込む。
それは記録か、記憶か、それとも——怨嗟そのものか。
交錯する“声”と“視線”。
幽霊すら恐れる何かが、青山に潜んでいる。
——次回、雨城 修、《真語断ち》発動。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
評価(★★★★★)やブックマークで応援していただけると嬉しいです。
続きの執筆の原動力になります!




