第74話『静けさの向こうに ― 鈴ヶ森刑場跡』
住宅とビルが立ち並ぶ、第一京浜沿いの道路。
その隙間にぽっかりと口を開けたように、小さな緑地が現れる。
まるで都市の皮膚にぽつんと空いた傷跡のようなその場所が――
鈴ヶ森刑場跡だった。
「思ってたより……静か、ですね」
結先輩が、敷地の前で立ち止まる。
手のひらを胸の前で合わせ、深く頭を下げた。
「うん……けど、静かすぎて……ちょっと、怖いかも」
愛菜の肩に、ふっと風が当たる。
空は晴れているのに、どこか肌寒い空気。
「風向きが変わったな」
先生が目を細めて、処刑場跡の方を見やった。
無精髭にサングラスという、相変わらずの胡散臭いスタイルだが、こういう場所ではなぜか“それらしい人”に見えるから不思議だ。
俺達は、オカルト研究同好会の活動として、現在各地の心霊スポットを調査して回っている。
今回はその一環で――この“重たい史跡”を訪れる事になった。
「……江戸時代に、ここで数十万人が処刑されたって、本当なんですか?」
愛菜が、おそるおそる尋ねる。
「史料によっては誇張もあるけど、十万以上って説は有力ですね」
と答えるのは結先輩。
歴史にも詳しい彼女は、今回の“同行解説役”でもある。
「首切り、磔、火あぶり……とにかく、ここでは“色んな死に方”をした人がいる訳です」
「色んな死に方って言い方怖っ!」
俺が軽く突っ込むと、先生が鼻で笑った。
「だが雨城、ここは“見た目”ただの公園だぞ?」
「そうですね。でも……見た目だけで判断するのが、一番ヤバいです」
修の霊感は、そういう場所に入った瞬間、肌で“分かる”。
そして今――ここは“本当に静か”だ。
霊の気配もない。重いけど、荒れていない。
それが逆に不気味だった。
敷地内を歩くと、立ち並ぶ石碑、慰霊塔、そして磔台跡や火刑台跡が目に入る。
「この火刑台の跡……本当に燃やされた場所なんですか?」
愛菜が足を止め、丸い石を見つめた。
「ああ、ここで磔にされて、火を放たれたって伝わってる」
俺は、丸石の上に積もった落ち葉をそっと払いながら言った。
「で、その隣が“首洗いの井戸”な」
俺達は、敷地の奥にある金網に覆われた井戸へと向かった。
「うわ……こ、これ……」
愛菜が井戸を覗き込もうとして、すぐに顔を背けた。
何かを感じたのだろう。
「おい愛菜、大丈夫か?」
「……うん、大丈夫。ちょっとだけ、ね」
俺もしゃがんで金網越しに中を覗く。
水はほとんど枯れているが、底には赤黒い染みのようなものが見えた。
「雨城君……見える?」
結先輩の声にうなずき、俺はゆっくりと井戸の縁に手を置いた。
その時――
ガンッ!
金網が、内側から叩かれたような音が鳴った。
「っ!!」
愛菜が叫び声をあげ、結先輩は咄嗟に俺の腕を引いた。
「おい、雨城、今の音は……」
「……いたな。中に一人、残ってる」
俺の視線の先に、誰もいない。
けれど、確かに“声”が聞こえた。
――おれは……わるくない。
「え?」
低く、かすれた男の声だった。
愛菜も聞こえたようで、小さく頷いた。
「なんだ……ろう。恨み、って感じじゃなくて……ただ、さびしい……?」
愛菜がそうつぶやいた時、結先輩がふっと何かを拾い上げた。
「これ……お札?」
それは風に飛ばされたような、破れかけの古びた護符だった。
薄墨で文字が書かれていたが、ほとんど読めない。
「もしかして、封印が……」
俺は、お札を指先でなぞると、かすかに冷たい気配が指に残った。
「ここにいる霊は……完全に成仏されてる訳じゃない……ただ」
以前、ここで心霊写真が撮られたという話がある。
男女3人の記念写真。
その真ん中の女性の背後に、浮かび上がった生首の影。
その霊を霊視した人物によると、江戸末期に打ち首となった浪人の霊で、強い怨念はなかったという。
「多分……“写り込んだ”だけなんだ」
俺は空を見上げる。
晴天のはずなのに、雲の切れ間から一筋の光だけが差し込んでいた。
「撮った人と、たまたま“波長”が合ったんだろうな」
「つまり……ここって、本当に怖い場所じゃないって事?」
愛菜が問いかける。
「うん。むしろ、“ちゃんと供養されてる”場所なんだ」
それはこの場に漂う“静けさ”が、何よりも語っている。
結先輩が、もう一度井戸の前に立ち、深く頭を下げた。
「もう貴方だけです……もう休んで良いんですよ……」
風がまた、やさしく吹いた。
その瞬間――
俺の耳に、あの声がもう一度届いた。
――ありがとう。
それだけだった。
そしてその後、井戸から何かが現れる事はなかった。
帰り際、俺達は敷地の片隅にある大経寺を訪れた。
ここは、処刑された者達を弔う為に建てられた寺院だ。
本堂の前に立つと、どこか温かい空気を感じた。
やっぱり、供養って……本当に、力がある。
「雨城君。ここって、もう幽霊が出る場所じゃないよね」
「はい。ここはもう、“出なくていい場所”です」
結先輩が、そっと笑った。
愛菜もそれにうなずく。
「じゃあさ……次のスポットは、ちゃんと“出るとこ”行こうよ!」
愛菜の一言に、結先輩が「ちょっと!」と眉をひそめる。
「だって……!たまにはボクの霊感もビリビリ来てみたい!」
「それが来たら、泣くくせに」
俺が笑うと、愛菜はむっとした顔で俺の背中を軽く叩いた。
こうして俺達は、鈴ヶ森を後にした。
静かな祈りの場所――そこに今も眠る霊達は、もう“恐れられる存在”ではなかった。
ただ一つ。
この場所に敬意を払わず、ふざけて踏み込んだ者には――
何が起きても、知らないけどな。
次回予告
第75話『沈黙の十字架 ― 大和田処刑場跡』
かつて、十字架に磔にされたまま斬首された罪人達の処刑場。
白黒写真に刻まれた、終わらない苦しみ。
その場所では、今も夜になると――
首のない影が、処刑の続きを待っている。
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