第71話『封じられた怨霊』
ギィィ……
古びた扉が、まるで何かを諦めたように、ゆっくりと開いた。
軋む音は、夜の静けさの中で不自然なほどに長く、そして重々しかった。
中からは埃と土と、何かが腐ったような――それでいて生臭い空気が、もわりと吐き出される。
「……うわ……」
愛菜が小さく呻いた。
扉の先に広がっていたのは、思った以上に広い空間だった。
かつては生活の場だったのだろう。
畳の敷かれた部屋と、奥に続く廊下。
しかし、それらはすでに原形を留めておらず、床は歪み、壁紙は剥がれ、柱の一部には爪痕のような傷が無数に刻まれていた。
結が足を踏み入れるのを躊躇していると、ノクスが腕の中で震えながらも、「ニャゥ」と一声を上げた。
それが合図のように、修が一歩を踏み出した。
「行くぞ。……油断するな」
懐中電灯の明かりを細かく振りながら、彼は廊下へと進む。
結、愛菜、先生が続いた。
床はギシギシと不安定で、いつ崩れてもおかしくなかった。
天井には黒い染みが広がっており、ぽたり……とどこかから水が滴る音が絶え間なく響く。
「……ここ、誰かが“住んでた”というより、“閉じ込められてた”感じがするね……」
愛菜の言葉に、先生が小さく頷く。
「そうだな……普通の家じゃない。“生活”の痕跡がなさすぎる……祭壇とか、あってもおかしくないな」
その時。
コツ……コツ……
廊下の先、二階へと続く階段のほうから、何かが“降りてくる”音がした。
人の歩みのように、静かで、ゆっくりと――。
しかし、その音は、誰もいないはずの空間から響いている。
「っ……!」
結が反射的にノクスを抱き締める。
ノクスは低く唸りながら、じっと階段の方を見ていた。
音は止んだ。
が、それが終わりではなかった。
カタ……カタ……カタ……
階段の下の闇から、何かが這うような音が聞こえてきた。
木材を爪でひっかくような、異様な音。
誰かが“降りてくる”というより、“這い降りてくる”――そんな気配だった。
修が懐中電灯を向けようとした、その瞬間。
バンッ!!
二階の戸が一つ、内側から勢いよく閉まった。
「上だ!」
修が声を上げた。
その叫びと同時に、家全体がわずかに“揺れた”。
愛菜が叫ぶ。
「だ、誰かいるよ……! この家、絶対……!」
「落ち着け、君鳥!」
先生が前に出ようとするが、その瞬間、背後の玄関が――バタン!と音を立てて閉まった。
まるで外から、鍵を掛けたかのように。
「閉じ込められた……!」
結の声が震える。
修が、懐中電灯を再度構えた。
「おい……何か……感じないか?」
家の中の空気が変わった。
酸素が減ったように、急に呼吸が浅くなる。
体の奥から、得体の知れない“嫌悪”が這い上がってくる。
ぎぃ……ぎぃ……ぎぃ……
階段の上の闇の中から、“それ”は現れた。
女のように見えた。
長い髪。
ぼろぼろの白い着物。
顔は、ない。
いや――あるのだが、“歪んでいた”。
輪郭が曖昧で、まるで水に溶けて滲んだように、表情の一部だけが時折、鮮明に浮かび上がっては消えていく。
「……ずっと……ここにいた……」
女の声が、頭の中に直接響く。
言葉というより、“想念”に近い感触だった。
愛菜が頭を抱えてしゃがみ込む。
「や、やだ……頭に入ってくる……!」
ノクスが愛菜を守るように前に立ち、低く唸る。
修が踏み出した。
「お前……ここに“封じられてた”のか……」
女の目だけが、一瞬、修を捉えたように見えた。
「……お前は……見えるのか……?」
そう言った次の瞬間。
女の体が、裂けた。
内側から無数の“手”が這い出す。
それは、誰かの記憶。恨み。断ち切れなかった思念の連鎖。
「返して」「苦しい」「あの夜を」「生きたかった」
無数の声が、壁から、床から、天井から響いてくる。
結が耳を塞ぎ、歯を食いしばる。
「っ……これ、“ただの幽霊”じゃない……!思念が複数……混ざってる……!」
修が目を見開く。
「――合成霊だ……!」
“一つ”の魂ではない。
かつてこの家で“封じられ”、朽ち果てていった存在達の集合体。
名前も、形も、記憶も失い、ただ憎しみだけが残った存在。
修が叫ぶ。
「全員、今すぐ退け!ここはもう“霊域”だ!まともな対話も祓いも通じない!」
しかし――。
ドン!
突如、玄関から“何か”がぶつかってくる音がした。
「え……何……?」
愛菜が言葉を漏らした。
次の瞬間、家の中の“気配”が一変する。
凄まじい冷気とともに、女の霊が吠えた。
「でていけええええええええええッ!!」
全員の鼓膜を震わせるような、心臓の奥を掴まれるような怒声。
照明が一斉に落ち、懐中電灯の明かりまでもが、霊気にかき消される。
視界が奪われる。
闇の中で、修が小さく息を吐いた。
「……仕方ねぇな」
彼は、ゆっくりと口を開く。
「お前……“生きてたかった”んだろ?でもな、もうとっくに――」
「死んでるんだよ…分かってくれ」
その言葉は、刃のようだった。
“真語断ち”。
それは、言葉で霊を断つ、修の“無意識の祓法”だった。
女の霊の姿が、ぶわりと揺らぎ、形が崩れ始める。
「いや……まだ……終わって……ない……!」
女が最後に叫んだ瞬間、二階の奥から、別の気配が這い出してきた。
それは、女ではなかった。
もっと、“古く”て、“禍々しい”――“何か”だった。
次回予告
第72話『土間の下で眠るもの』
“封じ”はまだ終わっていなかった。
二階の奥から現れたのは、かつて村を滅ぼした“因縁”の核心。
今、ひとつの記憶が暴かれる――それは、失われた誰かの「声」。
次回、さらなる“呪い”の起源へ――。
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