第53話『虚ろなる鏡、名なき影』
2025/09/05 文章の一部に誤りがあり変更しました。
現れたのは、ひよりと瓜二つの少女だった。
しかし、それは確かに“ひよりではなかった”。
瞳の色が違う。
ひよりの目が淡く光を宿すような空色なのに対し、こちらの少女の目は――虚無だった。
何も映さず、何も宿さず、ただそこに“在る”。
「……お兄さん、下がって」
ひよりが俺の前に出る。
初めて見る、彼女の緊張した横顔だった。
「こいつ……“わたしの欠片”だと思う」
「欠片?」
修が思わず問い返す。
「私が“まだ名前を持っていた頃”、この子は、わたしの中にいたの」
ひよりの言葉に、空気が一気に冷え込む。
目の前の少女が、口を開いた。
「ちがうよ、私は“あなた”じゃない」
「……」
「私は“忘れられた名前”。私の事を捨てて、“ひより”になったあなたが……いちばん、許せない」
その声が、図書室の天井に響くと同時に、照明がバチバチと音を立てて明滅した。
「にゃう(やばいにゃ……!これは、めちゃくちゃ危険にゃ!)」
ノクスが全身を逆立てて愛菜の肩にしがみつく。
「しゅーくん……これ、ボクでも気配が分かる……すっごく濃くて、深くて……変だよ」
俺は一歩前に出る。ひよりが、俺の袖をつかんだ。
「この子は、“書”に触れすぎたの。リーベル・イナーニスの“影”に取り込まれて、もう自分を保てない」
影の少女がゆっくりと首を傾げた。
「じゃあ、返して。私の名前を。私の記憶を。 私の存在を、わたしに返してよ……」
その時だった。
修の心眼が、ふと開いた。
目の前の“影”の奥にある、もうひとつの想いが見えた。
――捨てられた名前。
――消された記録。
――本に書かれた“白紙のページ”。
「……お前、本当は知ってるんだろ」
俺は低く呟いた。
「自分が“名もなきまま”でいられるって事が、お前を、“特別な存在”にしてたって事を」
影が、僅かに動揺する。
「でも、それが怖くなったんだよな? “意味のある存在”になりたくなった。 “名前が欲しかった”。“記憶が欲しかった”。“誰かに、自分を呼んで欲しかった”。」
俺は一歩、踏み出した。
「なら教えてやる。お前の“叫び”を、俺が代わりに――」
──真語断ち・弐式《叫返し》
「……“私はここにいた”って。それだけで良かったんだって、叫べば良かったんだよ」
影が、ピクリと震えた。
次の瞬間、その身体にひびが走る。
「っ……ああああああああ……っ!!」
崩れゆく影の少女。
その断末魔のような声は、どこか、解放に近い響きだった。
音もなく、彼女はその場から霧のように散った。
散った霧はひよりの胸部に……心のある場所に吸収されていった。
◆
静寂が戻る。
だが、それはほんの僅かな間だけだった。
「……ありがとう、お兄さん、あの子喜んでいるよ」
ひよりが静かに微笑む。
けれど、その瞳の奥には奇妙な“揺らぎ”があった。
「この世界には……“思い出されないまま消えていった存在”が、沢山いるの」
「お兄さんは、忘れられた誰かの“声”を聞ける。それれって、凄く残酷で、凄く救いなんだよ」
「にゃう(今の……今の言い方、ちょっと怖いにゃ)」
愛菜がノクスを見下ろして小さく息を呑む。
「ひよりちゃん……姿は見えないけど、君の事、ちょっとだけ分かる気がする。普通の幽霊じゃないんだよね」
「ふふ、普通なんて、つまらないでしょ?」
ひよりがまた、あの表情のない微笑を浮かべ、スっッと消えていった。
◆
その夜、浜野先生の元に、一通の封筒が届いていた。
宛名も差出人もなく、ただそこにはこう書かれていた。
『京介へ。君はかつて、“ひより”と呼ばれるものに会っている。思い出せ。全ては、そこから始まった。』
先生は封筒を握りしめ、目を細めた。
「……またか」
その声には、懐かしさと、ほんの僅かな怯えが混ざっていた。
次回予告
第54話『忘れた者と、思い出す者』
浜野京介――彼の記憶に封じられた、ひよりとの邂逅。
空白の書の力が、また一つ真実を引きずり出す。
見えていなかったものが、浮かび上がる時。
“先生”が語る過去、それは想像を超えた始まりだった……。
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