第52話『ひよりの残滓と、もうひとつの部屋』
夜の図書館。
人気のないその建物に、俺達は四人で入り込んだ。
ひよりは俺のすぐ隣に立ち、白いワンピースの裾を静かに揺らしている。
気配が殆ど無いのに、何故かその存在は確かに重い。
「……なんで夜中に図書館なんて……」
愛菜がリュックを抱きしめながら呟いた。
肩にはノクスが乗っている。
彼はいつになく緊張した様子で、ずっと目を細めて前を睨んでいた。
「にゃう(あそこだ……奥の部屋)」
ノクスの言葉に俺が頷くと、結先輩が不安げな顔で口を開いた。
「古文書室って……本来立ち入り禁止の場所よね。どうしてそんな所に?」
「さっきの“書”が反応した。たぶん……そこに何かがある」
俺の手には、ひよりが持っていた《リーベル・イナーニス》がある。
触れてからずっと、手のひらがじんわりと熱を持っている感覚が続いていた。
「この本が何を示してるか、俺にもまだよく分からない。けど――」
言いかけたその時、古文書室の扉が“自ら”開いた。
まるで待っていたかのように。
――ぎぃ……
「っ……!」
開いた扉の向こうは真っ暗だった。照明の類は一切ない。
それなのに、その奥から、誰かの囁く声が聞こえてきた。
言葉にはなっていない。
ただ、誰かが“こちらを呼んでいる”のは、確かだった。
「……入るよ」
俺は《リーベル・イナーニス》を胸に抱え、扉の向こうへ足を踏み出した。
それに続くように、ひよりがすっと隣に並ぶ。
愛菜と結先輩はしばし躊躇したが、やがてゆっくりと足を動かし、あとを追った。
「にゃう(気をつけろ。ここは……“危険な匂い”が濃すぎる)」
◆
古文書室の中央には、埃をかぶった大きなテーブルと、それを囲むように並べられた椅子があった。
だが、その中央に“何か”が置かれているのを見た瞬間、全員が息を呑んだ。
それは、黒い箱に収められた日記のような冊子だった。
「……誰の、日記?」
愛菜が小さく問う。
「私の、だと思う」
ひよりが、静かに答える。
「思う、って?」
「思い出せないの。でも、その日記を見てると……心が、ざわつく」
俺はその日記をそっと開いた。
ページは風化しており、インクも滲んでいる。
だが、あるページにだけ――明らかに“後から書き足された”奇妙な言葉があった。
『目を覚ませ、浜野 京介。
お前はすでに、彼女を見たはずだ』
「……先生の名前?」
結先輩が息をのむ。
「でも、どうして先生の名前が……?」
「これが本当なら、先生は……過去にひよりと会ってる?」
「でも、先生は幽霊が見えないんじゃ……?」
「にゃう(それは表面だけにゃ。あいつは、“改造”されてるにゃ、あとこいつは恐らく幽霊ではなくて……)」
愛菜がびくっと肩をすくめる。
「ノクス、それって冗談じゃないよね……?」
「にゃう(冗談なら、もっと面白く言うにゃ)」
冗談ではないのだとしたら――この記述は、ただの記録じゃない。
ひよりの過去、そして“誰かの記憶”が、ゆっくりと形を現し始めている。
◆
その時。
部屋の片隅、閉ざされたキャビネットの中から、「コツ、コツ」と何かを叩く音が響いた。
ノクスが即座に毛を逆立てる。
「にゃう(来るぞ。過去の影だ)」
ひよりが、そっと俺の腕を掴んだ。
「……お兄さん。この部屋、開けちゃいけなかったかもしれない」
「遅いよ。もう開けた」
俺はそう言い、目の前の暗闇に向けて、言葉を放つ準備をした。
心眼が開き始める。
言葉に出来ない“誰かの叫び”が、そこに渦巻いていた。
「――来いよ。全部、受け止めてやる」
◆
闇の中から現れたのは、“彼女”によく似た、別の“何か”。
ひよりと瓜二つの少女の影が、微笑みながらこう囁いた。
「……私は、ひより“じゃない”よ」
《真語断ち》が、発動の時を迎えようとしていた。
次回予告
第53話『虚ろなる鏡、名なき影』
ひよりと瓜二つの少女──彼女は一体誰なのか?
囁く声の正体は?
“先生”の忘れた記憶に、今、触れようとする。
闇の中で、言葉の剣が放たれる……!
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