第49話『覚えていなくても、忘れてなかったもの』
別の日。
落陽が教室の窓を染める頃、光の届かぬ奥の隅に、一つの影がじっと佇んでいた。
修は、その影を黙って見つめていた。
姿はぼやけ、声はない。
けれど、そこに確かに“誰か”がいる。
そしてその“誰か”は、何度も修の名を呼んでいた。
記憶にはない。
思い出せない。
けれど――胸の奥が疼いている。
「あんなに名前を呼んでくれてたのに……」
ぽつりと呟く声が、教室の静けさに滲んだ。
「思い出せない俺が、悪いのかもな。……だけど」
喉が詰まりかけたが、それでも修は目を逸らさなかった。
「お前の声は、きっと、ずっと……届いてほしかったんだよな?」
その瞬間、影がふるりと震えた。
教室の空気が微かに波打つ。
背中のリュックがもぞりと動き、ノクスがするりと姿を現す。
床に降りた彼は、ゆっくりと影の方へ歩み出る。
「にゃう(ずっと、言葉に出来なかったんだにゃ。その想いだけが、ここに残った)」
影は言葉を返さない。
ただ、そこに立ち尽くしている。
だが、修には感じられた。
心の奥に、誰かの“叫び”が、静かに渦巻いている。
届かぬ想い。
伝わらぬ声。
失われた記憶の中で、ずっと彷徨っていた言葉達。
「しゅうくん……ずっと想ってた……でも、その想いを伝える前に……病気で……」
無意識のまま、修の口から言葉が漏れた。
自分でも驚くほど自然に、それは“彼女”の叫びと重なっていた。
「辛かったよな……悲しかったよな……伝えたかったよな……」
声が、空間に染み渡るように響く。
その瞬間、影が大きく揺れ、少女の輪郭が一瞬だけ現れた。
そして消えかける。
けれど修は、踏み出した。
思い出せない事に、目を背けない為に。
「――真語断ち・弐式《叫返し》」
その声と同時に、影の内側からこだまのような音が鳴る。
言葉にはならない、けれど確かにそこにあった“叫び”が、修の言葉によって外へ引き出される。
「お前の想いは、届いた。誰にも届かなかった声、ちゃんと受け取ったから――」
教室の空気が和らぎ、影の揺らぎがやさしく溶けていく。
どこにも行けずにいた“想い”が、ようやく形になったのだ。
影は微かに頭を下げたように見えた。
そして、何も言わず、音もなく、夕暮れの光に溶けていった。
それと同時に鈴が地面に落ちた。
◆
「しゅーくん!無事っ!?」
愛菜が駆け寄ってくる。
その後ろには、結がやや遅れてやってくる。
「雨城君!」
二人の顔を見て、修は安心したように息を吐いた。
「……大丈夫。終わったよ」
その声に、愛菜も結もほっとした表情を浮かべる。
ノクスが二人を見上げ、小さく呟いた。
「にゃう(ようやく、伝えられたにゃ)」
◆
数日後。部室。
修の机の上に、小さな鈴が置かれていた。
古びたもので、裏にはうっすらと名前が刻まれている。
「この名前……見覚えある気がするんだけど」
結が、古い名簿と照らし合わせながら言う。
だが、どの記録にも彼女の名前は載っていなかった。
「ボクも知らないなぁ……でも、なんかちょっとだけ懐かしい気がする」
愛菜が鈴の音を鳴らす。
澄んだ音が、部室にふわりと響いた。
修はその音を聞きながら、ゆっくりと口を開いた。
「小学校の頃……一緒に帰った事があった子だと思う。
でも、それっきりで、何も覚えてない」
彼は静かに続けた。
「きっと俺は、あの子の事……忘れようとしたんじゃなくて、気づいてなかったんだ。それでも――心の奥には、ちゃんと残ってた」
「にゃう(だから、会えたんだにゃ)」
ノクスが優しく言った。
名前は思い出せない。
顔も声も、すっかり曖昧だ。
けれど、ひとつだけ確かに分かる。
“想いは、消えなかった”。
次回予告
第50話『ささやく夢と、目覚めの声』
繰り返される謎の夢。
図書室の奥に眠る、白いワンピースの少女。
彼女――ひよりが静かに目を開ける。
何かが動き出す。
それはまだ、名前を持たない“書”の気配。
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