第138話『血の誓環(リング)』
妖市の奥、血の匂いが濃く淀む一角。
灯籠の赤が風に揺れ、石畳の目地に黒い影を溜めていく。
ざらりとした囁きが耳の裏にまとわりつき、喧噪は遠のいていた。
「……ここから先が“奥”だな」
修が低く言う。
「ええ。足音を立てないで」
結が眼鏡の位置を整え、顎で進行方向を示した。
「にゃっ(血の匂いが濃いな)」
ノクスの尾がふくらみ、赤い瞳が細く光る。
◆
骨で組まれた鳥居をくぐると、小さな円形の広場に出た。
中央の石壇には環を描く古い文様が幾重にも刻まれ、縁は赤黒く濡れている。
銀の杯が据えられ、乾きかけた赤が内側に薄膜となって貼りついていた。
「……“環”」
修が息を詰めた時、広場の縁に黒いマントの影が立ち並ぶ。
蒼白の顔、深紅の瞳。吸血鬼達。
「東の子らよ。ここは血の環の間。話は短く済ませよう」
銀髪の男が一歩進み出る。
「……アシュベル」
浜野先生が名を呼ぶ。
「我らは“王の戴冠”を恐れる。ゆえに――儀を中止せよ」
アシュベルの指が杯の縁をなぞると、文様が赤く脈打った。
「条件はそれだけですか」
結の声は静かだが、背筋には冷たいものが走っている。
「それだけで、すべてだ。奴が目覚めれば、人も妖も我らも、等しく奪われる側となる」
修が一歩前に出た。
「……情報は共有してもらえるんですよね」
「当然だ。対価として、互いの血を差し出し、環に誓え」
杯が持ち上げられる。空気がぴんと張り詰めた。
「血の契約……」
結が唇を噛む。
「にゃあ(物騒だな)」
ノクスが短く鳴く。
◆
三人は順に血を杯へ落とした。
石壇の環が淡く光り、床面の文様へ広がる。
見えない鎖が人と吸血鬼を同じ円に括りつけた。
「……これで一時の契約は果たされた」
アシュベルが言った瞬間。
◆
「ふん……西洋の眷属どもとだけ契約とは、片腹痛いのう」
骨の門の上から、重い声が降ってきた。
九つの尾を揺らす巨大な影。黄金の瞳、燃えるような毛並み。
その存在だけで灯籠の火が萎んでいく。
「妖魔界の激震は東西の妖、皆に及ぶもの……
お主らだけで抜け駆けは許さんぞ」
尾が地を叩き、石畳がひび割れた。
結が息を呑み、修は無意識に灰羽を握りしめる。
「……九尾」
アシュベルの紅い瞳が細まり、牙が覗いた。
赤い灯籠が一斉に消え、広場を闇が包む。
次回予告
第139話『九尾の玄昌』
血の環に現れた九尾の獣――玄昌。
その尾が試すのは、修の“舌の力”。
命のやり取りを超えた言葉の戦いが始まる。
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