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幽霊オタクレベル99〜俺には効かないぜ幽霊さん?〜  作者: 兎深みどり
第六章:妖魔界激震編
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第132話『招かれざる使者』

 夜の大学構内は、夏の湿った空気を包み込むように静まり返っていた。


 講義棟の窓はほとんどが暗く、芝生を渡る風が草の穂先をわずかに揺らす。

 

 遠い車道の音は小さく溶け、時計台の針だけが規則正しく時を刻んでいた。


「……来るぞ」


 修が低く告げると、肩の上のノクスの耳がピクリと動いた。


「にゃあ……(いや〜な気配だな)」


「ノクスが“嫌な予感”って」


 愛菜が短く通訳する。

 彼女の左手首では、人柱紋が淡く呼吸するように光っていた。

 冷えた水面に触れているような感覚が、ときどき脈に合わせて戻ってくる。


 その時、グラウンドの端に人影が現れた。

 長身、黒のロングコート。

 歩みの度に靴音が石畳へ吸い込まれる。

 銀糸のような髪が月光をはじき、琥珀色の瞳がこちらをまっすぐ射抜いた。


「お初にお目にかかる……夜の同胞よ」


 低く響く声。

 空気の温度が一段、下がる。

 血の匂いと古い礼節の匂いが、夜気の中で静かに混ざった。


 男は名をアシュベルと名乗り、吸血鬼勢力の大幹部だと告げた。

 そして、挨拶よりも重いひと言を置く。


「ノクス殿。貴殿を“夜の王”に据えたい」


「にゃあ?(はあ?)」


 ノクスの尾がバサリと揺れ、愛菜の肩で止まる。


「代わりに……東京一円を不可侵とする協定を結ぶ。我らは干渉しない」


 淡々とした口調の背後で、長い歴史の影がうねった。

 修はアシュベルの目を見返す。

 提案を呑めば確かに街は守られる。

 だが“王冠”は飾りではない。

 縛る道具だ。

 ノクスの自由と引き換えの平穏に、頷けるかどうか。


「にゃあ……(悪くねぇ話の顔、すんな)」


「ノクス、“良さそうに見えてもダメ”って」


 愛菜の訳に、結が眼鏡を押し上げる。

 浜野は無言で周囲の見通しを確認し、ポケットの中で名刺入れを探った。


「話の場を改めよう。ここは学び舎、血の政治は似つかわしくない」


 アシュベルが視線を流す。

 植え込みの影が月に長く引かれ、先端がふっと逆向きにたわんだ。

 風ではない。


「……今の、見えた」


 結が小さく息を呑む。

 木立の間から、巨大な影が滑り出た。

 白銀の毛並み。

 扇のように広がる九本の尾の先端が、微かな光を帯びて揺れる。


「おい、西の、このお方に妙な首輪をつけようってかい。そりゃ、笑えねぇ冗談だ」


 しわがれた声。

 九尾の古狐――玄昌げんしょう

 場の匂いが一転、木の皮と古い香の匂いに変わる。

 長い時を生きた獣の、乾いた強さが近づいた。


「交渉の場を壊すな、老獣」


「壊しとらんわ、“守って”やってるんだ。王冠は飾りじゃない、噛み跡を隠す蓋だ」


 玄昌の尾がひと振り、芝の表面をさっと撫でる。

 それだけで足元の圧が抜け、肺の奥の重さが剝がれ落ちたように呼吸が通った。


「にゃあ(首輪は、ただの縛りにしない)」


 ノクスの鳴き声に、愛菜が頷く。


「“縛りの道具は別の力に変える”って」


 アシュベルが片眉を上げる。


「解釈で鎖をリボンに替える、と。だが我らの王冠は歴史で鍛えられた。簡単にはほどけまい」


 修は一歩、前へ出た。

 真正面から視線を合わせ、言葉を選ぶ。

 幽霊とは違う相手でも、言葉は刃になるはずだ。


「王冠で守るって言うなら、まず“誰を縛るか”をはっきりさせた方がいい。守りたい街の為に、仲間の首に枷をはめる守りは、長くは続かない」


 短い沈黙。

 夜風が草を撫で、月が雲の切れ目をひとつ越える。

 アシュベルの瞳に、かすかな興味の光が走った。


「なら問おう。不可侵の範囲はどこまで望む」


 修が訊き返すと、アシュベルは即答した。


「東は湾岸線、西は多摩の山並み。南は海、北は河。異端の儀は禁止。人柱は――」


 視線が、愛菜の手首に吸い寄せられた。

 淡い光が波紋を作る。


「……鍵は、すでに起きているのだな」


「見るな」


 修の声が低く落ち、ノクスの尾が空を切る。

 目に見えない風が走り、アシュベルのコートの裾がわずかに揺れた。


「にゃあ(それ以上は礼節に反するぞ?)」


「“礼節に反する”って」


 アシュベルは肩をすくめる。


「礼節は守ろう。だからこそ提案する。王位は枷ではない。都市を護る剣だ」


 玄昌が鼻で笑う。


「剣は持ち手を選ぶ。柄に鎖が付いてる剣は、最初に自分を切る」


 空気がまた張り詰める。

 次の瞬間、玄昌がふっと力を抜いた。


「おっと……自己紹介がまだだったな」


 懐から上質な和紙の名刺を取り出す。

 端に小さく古社の印。


「え、そこから」


 修が思わず漏らす。


「浜野京介、オカルト研究同好会の顧問だ」


 先生も律儀に名刺入れを出す。

 差し出されたカードには大学の連絡先と、なぜか商店街のスタンプカードがホチキス留めされている。


「今月、ポイント二倍。悪くない条件だろ」


「……ああ、条件提示は嫌いではない」


 アシュベルは一拍遅れて受け取り、玄昌も器用に爪でつまむ。

 九尾と吸血鬼と半サイボーグと大学生――月光の下だけで成立する、妙にビジネスライクな間合いが生まれ、緊張の糸がわずかに緩んだ。


「にゃあ(ポイントは力)」


「ノクス、それ今じゃない」


 愛菜が小声で突っ込み、結が思わず口元を押さえる。

 しかし核心はまだそこにある。


「不可侵の対価が“戴冠”なら、こちらの条件もある」


 修が言うと、アシュベルは顎を引いた。


「聞こう」


「王冠は護りの証として使う。縛る為じゃない。支配の道具を、守る基準に作り替える。それが飲めないなら、話はここまでだ」


 短いやり取りの間に、愛菜の手首の光は静まった。

 ノクスが肩から降り、彼女の足元に座る。

 尾の先が、砂粒を小さく払った。


「にゃあ(今は、首輪をただの縛りにしない。それが先)」


「“まずは縛りを変える”って」


 玄昌が長い尾を二度揺らし、芝生に残る瘴気を霧のように散らす。


「答えは出たな。今夜は、物別れだ」


 アシュベルが小さく笑い、月光の中で銀髪を遊ばせる。

 踵を返し、コートの裾が夜を切る。

 足音は整い、すぐに遠ざかった。

 足跡は残らない。

 ただ夜だけが、ほんの少し深くなる。



「言うのを忘れていた」


「なんだ?」


「奴が狙っている……」


「奴?誰の事だ?」


「妖魔達を統べる者、妖魔王が……」


 その名を聞いて、ノクスは静かに震えていた。



 静けさが戻る。

 遅れていた蝉が、一声だけ鳴いた。

 植え込みから、小鳥の寝息がこぼれる。


「雨城君」


 結が呼びかける。

 眼鏡の奥の瞳は揺れているが、芯は固い。


「私達は、動く準備を急ごう。向こうも仕掛けてくる」


「先生、ルートの見直しを」


「任せろ。夜間はこっちの門を閉じて、警備の死角を抜けるコースが一つある」


「玄昌さん、結界は」


「ひと晩はもつ。明日は別の社へ移る。若いの、足で見て、言葉で縫え」


 修は頷き、胸の内で言葉の重さを確かめた。

 幽霊に向けてきた言葉は、血を持つ異形にも届くのか――届かせる。

 それが今の役目だ。


「にゃあ(腹、減った)」


 ノクスのお腹が鳴る。


「今それ?」


 愛菜が笑い、先生が肩をすくめる。


「学食の夜メニュー、まだギリいける。……行くか」


 夜風が少し温度を戻した。

 四人と一匹は並んで歩き出す。

 月は高く、遠く、しかし確かに見ていた

 次回予告


 第133話『巫女の痕』


 古社の記録と一枚の写真が、愛菜の過去を呼び起こす。

 “人柱の巫女”は境界を鎮める楔――古い誓いは、まだ終わっていない。


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