第128話『常夜と隕鉄』
巨大駅員が枠を掲げ、空気そのものを硬い“囲い”に変えて迫ってくる。
「しゅーくん!あれもうこの空間ごと枠に入れようとしてない!?全滅不可避?とか酷い!負けイベか!」
濁った風が肌を逆立て、遠くの蛍光灯が嫌なリズムで明滅した。
切符の嵐が床を削り、金属の臭いが喉の奥にまとわりつく。
「愛菜!まだだ!まだ諦めるな!!ノクス、右肩の継ぎ目。先生、左膝の支柱。俺は結び目を真語断ちで緩める」
「了解だ。魔力覚醒!!解放するにゃう!!」
ノクスの翼が大きく弧を描いた。
翼膜から夜が滴り、周囲の色がいっせいに沈む。
闇はただの暗さじゃない。
水のように冷たく、風のように軽く、音を吸い込む“質量”を持っていた。
次の瞬間、その闇が裏返り、黒い星の雨へと変わる。
ひと粒ごとに微かな鳴き砂の音がして、落ちる先を自分で選ぶみたいに軌道を曲げた。
「──こいつは今のおれの最高地点!!」
ノクスが敵に向けて人差し指を突き立てる。
『灰燼に帰せ……第九階梯・極大魔法・常夜滅光!』
無数の黒い星々が煌めき、右肩継ぎ目に向かって連続で叩き込まれる。
星々の煌めきは右肩のみならず半身が吹っ飛び弾けた。
吹っ飛んだ部分から大量のネジが転がり落ちる。
金属音ではない。
規則そのものが爪で引っかかれたような、耳の奥が痺れる音。
「こいつ、機械仕掛けなのか……?いや、そういう概念って事か?」
修は疑問に思うが、それをここで気にかけても意味がない、そうこうしてる内に徐々に再生しているのだから。
枠を留めるネジが一本、また一本と外れて宙に浮き、黒い粉へ崩れていく。
巨大駅員がぐらりと沈んだ。
「――プロトコル08、発動。《METEOR KNUCKLE・MODE:FULLDRIVE:起動》!!!最大。行くぞ」
浜野先生の足元で床が僅かにたわむ。
反動が膝、腰、肩へと順に束ねられ、拳の周りで空気が焼けた。
皮膚の下で薄い光が走り、半サイボーグの関節が音もなく噛み合う。
胸郭の奥で機械の唸りが一段高くなった。
「《メテオ・リライジング・ブレイカー》!!」
拳が落ちる瞬間だけ、世界がわずかに遅れた。
次の刹那、技の衝撃が左膝をえぐり、鉄骨と“決まりの骨”が同時に悲鳴を上げる。
足場が震え、埃が輪になって跳ねた。
巨体が膝をつき、構えていた枠が低く落ちる。
握りの力が緩んだ隙を、冷たい風が横切った。
「修君!今!」
「真語断ち・弐式《叫返し》──“残るのは沈黙。帰るのは全員”」
修の言葉が喉を滑り、鎖の結び目へ降りる。
声は尖っていない。
けれど、芯がある。
別れのホームで飲み込まれた「またね」、席を立つ前に喉で消えた「ありがとう」。
そんな“最後にならなかった最後”が、いっぺんに胸へ返ってくる。
それらを束ねて投げ返す。
黒い糸の表面がふやけ、結びの輪が一つ解けた。
結の母を縫い止めていた糸が二本、淡い灰に変わって空に散る。
巨大駅員の鋏がぶるりと震え、空気の上に薄い破線が走った。
破線はまっすぐ後方の君鳥愛菜へ伸び、足首だけを器用に狙いすくめる。
一人を剥がすつもりの線だ。
「させません」
結が一歩、線の前に滑り込んだ。
目は怯えていない。
けれど、指先は震えている。
それでも声はまっすぐだった。
「“全員で帰る”──私はそう読む」
読みが線の根元に刺さる。
破線は進路を失い、床のタイルへ逃げて消えた。
「良い読みだにゃう」
「今更だけど、先輩しゅーくんの真語断ちみたいの使えてない?」
「さすが先輩!多分修行前の奴かもな、あれに霊力込められたら真語断ちになるぞ!」
修が心から感嘆すると、結は恥ずかしそうに修をチラ見する。
巨大駅員の口が裂ける。
咆哮。
柱影から無数の手が噴き上がった。
指先は細く長く、白い針みたいに冷たい。
掴んで、分けて、残す為に伸びてくる。
「ノクス、頼む!」
「了解だにゃう!!」
ノクスが翼を剣へ変える。
黒い羽が幾重にも重なり、迫る手をまとめて撫で斬りにする。
羽音は低く、しかし止まらない波のように続いた。
砕けた指が黒い粉になって風へ溶ける度に、視界がわずかに軽くなる。
「先生!」
「任せろ!!!――プロトコル09、発動。《OVER DRIVE:起動》、オールグリーン。リミット解放──俺は、ここで終わる訳には……リーヴァ、力を貸してくれ!!」
浜野先生が拳を握り直し、さらに深く沈み込む。全身から眩い熱が噴き出した。
「──限界を、超える!! オーバードライブ!!!」
両脚が床を弾き、砲弾のように躯が跳ね上がる。
コアの回転音が一音上がるたび、周囲の空気が薄く震えた。
「──極拳メテオラ・スターバースト!!!」
拳が腹部装甲へ沈んだ瞬間、粉塵が内側から爆ぜ、ホームの床が波みたいにめくれ上がる。
装甲の合わせ目に深い亀裂。
湿っていた“規則の糊”が一気に乾き、ひび割れ、奥の核が覗いた。
黒い心臓。
ここだけは、言葉が通る。
「修君」
結の視線が修を捉える。
心配と決意が同じ場所に宿っている目だった。
「大丈夫」
喉が焼ける。
胸の奥で砂が擦れる。
零式は心を削る。
それでも、ここしかない。ここで撃つ。
「先輩、全てを終わらせます。信じてください。俺は大丈夫だから」
「……はい」
修は一歩、核の正面へ出た。
怖さは確かにある。
足の裏から冷たさが這い上がり、心臓の拍が耳の内側で大きくなる。
それでも、もっと強いものがあった。
皆で帰ると決めた気持ち。
結の“読む”覚悟。
愛菜の震えを堪える息。
ノクスの翼の熱。
浜野先生の拳の音。
ひよりの書の冷たい滑り。
それら全部が、背中を押していた。
「奥義──零式《虚空》」
叫ばない。
息を無駄に弾ませない。
言葉は静かに落とす。
狙いは核だけ。
ぶれない真言。
「“ルール”は終わりだ。お前達の決まりは、ここで虚無になる」
空気が止まる。
蛍光灯の明滅が一枚の絵みたいに凍り、黒い核の表面に浮いていた無数の“線”が、内側からほどけた。
線は一瞬、白い糸になり、次の瞬間、紙の灰へ変わる。
音は無い。
けれど、全身が僅かに沈む。
何か巨大な重しが、見えないまま落ち切った証拠の沈み方だった。
核の中心で、丸い空白が開く。
穴ではない。“意味”の無い場所。
そこに張られていた全ての命令文は、字の形だけ残して砂になった。
命令が命令である為の芯が、ぽっきり折れた。
巨大駅員の胸がぐらりと揺れる。
両腕が重力を思い出したみたいにだらりと下がり、握っていた枠の重みだけが指から伝わって震える。
足元で乾いた音が連なった。
浜野先生の拳で入った亀裂が、零式の余波で内側から広がっていく。
「効いたにゃう。芯が消えた」
ノクスの瞳の赤がわずかに明るくなる。
真祖の翼が低くうなり、残った手の群れを遠ざけるように広く払った。
「愛菜!」
「分かってる!」
愛菜が護符を二枚、苦い息と一緒に滑らせる。
紙片が白い弧を描き、巨大駅員の足首にまとわりついた影を剥がした。
影は薄く裂け、床へ広がる前に消える。
「ひより!」
「ここです」
ひよりの書がふっと軽く開き、潜む穴と偽の足場を淡い線で示した。
その線は頼りなく見えるのに、触れた足には確かな“固さ”を返す。
「先生、もう一撃いるかな?」
「いや、君鳥。雨城が撃った。それで十分だ」
浜野先生は拳を下ろし、肩で息をした。
胸郭の内側でコアが規律正しく回転し続ける音が、僅かに落ち着く。
左腕の皮膚に走った薄いヒビが、白い蒸気の中でゆっくり閉じていった。
巨大駅員は、まだ完全には崩れない。
空になった核の代わりに、周囲の闇と規則の欠片を寄せ集め、小さな“芯”を作り直そうとし続けている。
だが、そこへ届く命令文はもう無い。
残っているのは、惰性だけだ。
修は舌の奥で血の味を噛みしめ、もう一度だけ息を整えた。
零式の棘が胸に残る。
動かす度に刺さる。
けれど、その痛みはいい。
ここが生きた証だと、逆に教えてくれる。
「結先輩、下がって。お母さんを離さないでください」
「はい。大丈夫です」
結の頬に汗が光る。
腕の中の母の体温は弱いが、確かにある。
結はスカーフの結び目を握り、震えを呼吸で押し沈めた。
「ノクス、右肩の継ぎ目、もう一度だけ」
「任せるにゃう。ここで削り切るにゃう)」
ノクスが翼を斜めに構える。
常夜の光が一度だけ瞬き、残った継ぎ目に細い星が連続して落ちた。
音はさらに小さく、しかし深い。
釘が一本、床に落ちるみたいに、はっきりとした終わりの音がした。
巨大駅員の肩が崩れ、握っていた枠が素手の板切れみたいに重くなる。
規則の支えが外れた物体は、ただの物体だ。握り切れず、床に滑り落ちる。
鈍い音。破片が跳ね、白い火花が一つだけ咲いた。
「雨城」
「分かってます」
修は視線を核のあった場所に据えた。
もう黒は無い。
空白だけがある。
そこへ、もう命令を落とす必要はない。
だから言葉を引き戻す。
胸の棘が、少しだけ抜けた気がした。
巨大駅員の顔が、はじめて“迷い”に似た歪みを見せた。
空洞の口が音にならない音でぱくぱく動く。
掴む先、切る手順、“残す”為の図面。
その全部が、核と一緒に消えてしまった結果の顔だった。
「雨城!」
「大丈夫、先生」
修は頷き、半歩下がる。
零式の余波で目眩がかすめた。
すぐ横で愛菜が肩を貸し、ノクスが翼で陰を作る。
「しゅーくん、呼吸合わせよ」
「ああ」
短く息をあわせる時、ひよりの白いページがまた一枚、自然にめくれた。
紙の端に、細い、けれど確かな道が一筋見える。
出口へ続く白だ。
「結。行こう」
「……はい」
結は小さく頷き、母の手を握り直した。
指先の力が、最初より強い。
震えの幅が、さっきより狭い。
「まだ来るなら、来いにゃう。こっちは“全員”だにゃう」
ノクスが低く笑い、翼を震わせる。
黒い粉がまた一度だけ舞い、空に消えた。
空気は、まだ止まっている。
だが、それは恐怖の凍りではない。
決まりが終わった後の、短い静けさ。
ここから先は、こちらが選ぶ。
こちらが読む。
こちらが決める。
修は乾いた喉で唇を湿らせ、目の前の巨影を最後に睨んだ。
核は無い。
枠は崩れた。
鋏は鈍い。
ただ残響だけが、弱い波のように足元へ寄せて返す。
「……終わりだ」
彼はそれ以上、何も言わなかった。
胸の奥の棘はまだ残る。
けれど、それでいい。
痛みは、帰る為の合図になる。
空気は静かだ。
静けさの中心で──
空気が止まる。
次の瞬間、核の表面を走る黒い文字が全部ほどけた。
音はない。
光だけが爆ぜ、蛍光灯が逆流の白を吐き、ホームそのものがゆっくりと裏返る。
切符の嵐は逆向きの風に呑まれて天井へ昇り、柱は線だけの骨になってほどけ、看板は一枚の白紙に戻って舞い上がった。
巨大駅員の輪郭が、真ん中から千切れる。
空洞の顔に貼られていた“通行条件”の札がばらばらに散り、黒い灰になった。
「結、今!」
「はい!」
鎖の最後の結び目が、零式の余波でほどける。
身体が落ちる前に、修は膝から滑り込んで腕を伸ばし、そのまま受けとめた。
心は軋む。
視界の端が白い。
けれど、腕の中の温度は確かだ。
「修君!」
「大丈夫です、先輩。動けます」
背後で黒い砂が巻き上がる。
駅の残骸が、最後の力でこちらを引き戻そうとしていた。
「道を開けるにゃう」
ノクスが翼を打ち鳴らし、黒い羽の嵐で砂を押し返す。
愛菜の護符が弧を描き、足元の割れ目を白く縫い止めた。
「皆さん、こちらです」
ひよりの言葉を修が皆に伝える。
ひよりの書が明るく灯り、改札の方向に細い道が描かれる。
薄い線はすぐに一本の帯へ太り、出口の光をはっきりと示した。
結は母の手を握り、頷く。
浜野先生が最後尾で破片を蹴散らし、愛菜はノクスのリュックを抱えて横へ付く。
「修君!右!」
「見えてる!」
黒い残光が、最後の足掻きで鋏の形を作った。
残骸の刃が結へ伸びる。
「させない!」
修は半歩、結の前に出る。
言葉は短く、鋭く。
核を失ってなお残る“切り離し”の線だけを撃ち抜く。
「真語断ち・壱式《魂打ち》──消えろ」
刃は根元から白く砕け、粉になって消えた。
「にゃう(出口、開いてる)」
「うん!」
改札の白が、大きく息をした。
現実の光が流れ込む。
「帰ろう、結先輩」
「……はい。皆で」
外の空気が胸に落ちる。
冷たい。
けれど墓の湿り気はない。
油とコーヒーの匂い。
遠くの発車メロディ。
人の声。
「全員、いるな」
浜野先生の声に、修は頷いた。
黒咲結。君鳥愛菜。ノクス。ひより。浜野京介。黒咲結の母。そして雨城修。
七人全員、皆が、ここにいる。
「修君」
結の声が小さく震えた。
けれど、怖さではない。
張り詰めていた糸が緩む音だった。
「ありがとう。あなたが……」
「俺達で、だ」
修は笑う。
胸のざらつきはまだ残る。
零式の棘は、すぐには抜けない。
それでも、今はそれでいい。
代わりに皆がいる。
「ノクス、助かった」
「当たり前にゃう」
「愛菜、護符ナイス」
「うん!おばあちゃんの護符強々だね!」
「ひより、道、完璧だった」
「……良かった」
「先生、流石!」
「当たり前だ、雨城」
駅舎のスピーカーが一瞬だけ歪み、砂を踏むみたいなノイズが走る。
けれど、もう怖くない。向こうの“ルール”は、零式でかき消した。
結は母の手を離さず、胸のスカーフの“結び”を確かめた。
そこに書かれた一行は、もう揺れていない。
──全員で帰る。扉は私達の声。
次回予告
第129話『ただいま』
空間は閉じ、日常へ戻る
見えるようになった“母”と、変わらない朝の音──
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