第126話『開くのは言葉』
夜明け前の淡い光が塔の脚を照らし、金属がひんやりと息をしている。
ひよりの持つ白いページは、約束の重みを帯び、手のひらを冷たく湿らせていた。
「行こう!」
「うん」
「にゃう(列を崩すなよー)」
見えない階段を一段、二段、三段──そして存在しない“四段目”を置く。
「全員で帰る」
結の一言で空気に段差が生まれる。
修がそこに重さを加え、ノクスが喉を低く鳴らし、空白の書のページがふっと軽くなった。
四段目は確かな足場になった。
塔の根元に白い風が灯り、四角い枠が形を作り、扉が現れる。
結は胸元の“結び”を白いページに重ね、全員で同じ向きに読む。
「全員で帰る」
扉が静かに開いた。
紙とインクの匂い。
冷たいのに、墓場のような湿り気はない。
中は真っ白な部屋。
壁も床も天井も白く、所々に“薄い行”だけが漂っている。
中央の低い台座には真っ白な本が置かれていた。
近づくほど、自分の鼓動が本の拍動に重なっていく。
「開くのは、言葉です」
ひよりが頷く。
全員で息を揃え、一息に飲み込むように息を吐く。
ぱち、と留め具が外れ、白紙のページが開く。
文字はないのに、“読むべき道”が心の奥に浮かび上がる。
拍が点になり、線になり、薄い風がその先を示した。
「……見える。歩幅を合わせて」
最初の拍へ一歩。
沈まない、柔らかな感触。
拍から拍へ移る度、部屋の空気が少しずつ温かくなる。
その途中、白紙の奥がふっと揺れ、映像がにじんだ。
夏の縁側。
小さな結に、母が麦茶を渡す涼しい指先。
学芸会の幕間、黒い舞台袖でそっと握られた手。
雨上がり、傘をなくした帰り道に差し出された透明な傘。
どれもささやかな、けれど確かな思い出。
ページは声のない写真のように、温もりだけを返してくる。
そんな、叶わなかった未来達……。
「……お母さん」
「にゃう(見てろ。全部“帰す”為の道だ!負けるな!!)」
台座の脇で、薄い紙束がふわりと浮き上がった。
端は灰で焦げているが、中央は真っ白なまま。
結が一枚を摘む。
羽のように軽いのに、「鍵」という意味だけが掌にしっかりと乗る。
天井の白が少し濁り、黒い栞が一枚、ひらりと落ちてきた。
見開きの角に刺さり、“全員”を“誰か一人”へと書き換えようとする。
「来た」
「にゃう(触るな。痩せさせろ)」
「真語断ち・裏式《嘘暴き》。“全員”は“一人”じゃない。俺達は在り続ける!!」
修の言葉で栞の輪郭が薄くなる。
続けて黒い鋏の影が一度だけ光り、ページの端を切ろうと滑った。
「真語断ち・壱式《魂打ち》。俺達の絆は切れない」
刃先が鈍り、切込みは途中で止まる。
ひよりの白いページが黒い影を吸い込む、こちらの“読み”が勝った。
拍を七つ進むと、突き当たりに小さな窓が現れた。
薄い膜の向こうで髪が揺れ、眼鏡が光を返す。
「……結……」
「……今度こそ……会えるよね……?……』
「迎えに来てくれてありがとう。今はここまで。次で“鍵”を使って」
「どうやって」
「拍を七つ、あなたの“結”を三度。全員で“全員で帰る”を一度。沈黙を五つ置いて、扉に重ねるの」
窓の縁に糸のような光が結ばれ、結の形をした印が残る。
「必ず。次で」
「行きます」
黒い風が背後で一度だけ揺れた。監視が近い。
「戻る。列を崩すな」
三、二、一──全員で階段を踏み、足早に戻る。
結が胸元で白い鍵の一枚を抱え、ひよりの書のページに重ねる。
端が微かに光り、鍵の印が馴染んだ。
「次は向こうで合わせる。きさらぎ駅そのものに入る合図だ」
「にゃう(真正面だ)」
結はスカーフを握り、息を整える。
恐さは残るが、“読む覚悟”はそれ以上に揺れなかった
次回予告
第127話『扉の先にて』
扉の向こうは、きさらぎ駅。
巨大化する駅員、囚われの母。列を崩さず、迎えに行く──
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