表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幽霊オタクレベル99〜俺には効かないぜ幽霊さん?〜  作者: 兎深みどり
第五章:そうだ、きさらぎ駅に行こう!編
122/142

第122話『東の踏切、黄昏にて』

 黄昏が街の輪郭を柔らかく溶かしていく。


 東の踏切は、雑木林を抜けた先に忽然と現れた。

 錆びた遮断機、歪んだ警報灯、線路の上に漂う白い靄。

 踏切の片側だけ、色が一段階ほど薄れて見える。


 ひよりの白いページには、うっすらと道筋が残っていた。

 三つの角。

 二つ目が“見えない角”。

 ここを横切ると、踏切はいつまで経っても遠ざかる。

 真正面から行けば、時間が一周回って戻される。

 見えない角を曲がるには条件がある。


「にゃう(結は一人と見せかけ、踏切の鐘の三度目の音で、見えない角を曲がれる、そのまま踏み込め)」


 ノクスが鼻先で風を嗅ぐ。愛菜が頷き、結の手をそっと握る。


「しゅーくん達は視界の外で。結先輩は、一人でいると“見せかける”だけ、そして、鐘が三度鳴ると、見えない角に曲がれるそうです!」


「ありがとう愛菜ちゃん、ノクスちゃん……雨城君。行ってきます」


「先輩ならやれます!」


 結はこくんと頷き、深呼吸を一つ。

 スカーフを腕に巻き、黄昏色の踏切へと歩み出した。


 


 カン、カン、カン──。

 三度目の鐘が鳴る直前、結は“見えない角”を踏み抜いた。

 空気がたわみ、世界の膜が薄くなる。

 遠かった踏切が、たった二歩で目の前に迫る。

 遮断機は下りていないのに、渡れないという確信だけが胸に刺さった。


「……お母さん」


 呼ぶ声は、黄昏に吸い込まれていく。


 


 その瞬間、線路の向こう側に人影が立った。


 長い黒髪、眼鏡、柔らかな笑み。

 結の母が、暮れ色の風にスカートを揺らしている。


「結」


 声は確かに、あの日のまま。


「お母さん……会いたかった」


「来ては駄目。今は、まだ」


 母は首を横に振る。

 言葉は優しいのに、背後の空気は黒く、深い。


 


 物陰の修は、結から三メートルほど離れた電柱の影に身を寄せ、息を殺した。

 ひよりは書を抱え、浜野先生は踏切の基礎の傾きを目で測る。

 愛菜はノクスのリュックを胸に抱え、猫の鼓動を感じながら結の背中を見守る。


「にゃう(声は本物。だが、足元は“穴”だ)」


 愛菜だけに届く低い警告。

 彼女は小さく頷き、結の進路に視線で白線を描いた。


 


 風が一度止まり、すぐに逆流した。


 踏切の警報灯が遅れて点滅を始める。

 カン、カン、カン──音が半拍ずれて、黄昏に継ぎ目を作る。

 そこから黒い靄が細く滲み出した。


 靄の中から、もう一つの“母”が顔を出す。


 こちらは微笑まず、真っ直ぐに手を差し伸べてくる。

 指先は妙に白く、爪の形が均一で、絵の具のように平坦だった。


「結、渡ってきなさい」


 結の指がわずかに動く。


 その背で、修の視界に黒い糸が走った。

 靄の“母”の喉から踏切の枕木へ、細い、嘘の筋。


「……真語断ち・裏式《嘘暴き》」


 修の言葉は風より低く、靄だけに届く角度で投げ込まれた。


「お前は“本当の呼び方”を知らない。結先輩のお母さんは、そんな言い方はしない」


 靄の“母”の口元が、わずかに崩れた。


 微笑の角度が定規で引かれた線のように一瞬で直線に戻る。

 目の焦点が消え、顔が紙片めいて薄くなる。


「……にゃう(バレた)」


 ノクスが喉で笑う。

 愛菜は息を吐き、結に声を飛ばす。


「結先輩、半歩だけ下がって。線の外にいて」


 結は頷き、靴の踵を白線の外へ戻した。


 靄の“母”は薄い舌で音をまね、カン、カン、カンをぎこちなくなぞった。

 次の瞬間、紙のように破れて線路へ落ち、黒い灰になって消えた。


 


 残ったのは、暮れ色の風と、本物の母の影だけ。

母はそっと手を胸に当て、結を見つめる。


「結。戻らないで。今は」


「どうして……」


「向こうが、書を探しているの。ここを通じて、あなた達にも触れようとしてる」


 ひよりの腕の中で、白いページが震え、小さなヒビが走った。


 目には見えない言葉が、紙の裏で擦れ合う音。

リーベル・イナーニスの、遠い脈動。


「……私が鍵になっている。だから、今は近づかないで」


「結先輩のお母さん、貴方はページを持たれていますね?」


「ええ、出た時にお渡しします、でも今は奴らが見てる……」


 母の声は揺れず、確かだった。

 そこに嘘はない。

 修の心眼にも、黒い筋は一本も見えなかった。


 


 その時、踏切の内側で地面がわずかに沈む。

足元の砂利が、形の悪い“口”を作る。気づかれないままに飲み込む為の、静かな罠。


「雨城、右前!」


 浜野先生の警告と同時に、修は結の前へ素早く回り込んだ。

 靴先で砂利の“口”を踏み潰し、低く言葉を撃つ。


「お前達のやり方は分かってる。“卑劣な罠”で喰いやがるのは、もう終わりだ」


 砂利の口が閉じ、ヒビの音が遠ざかる。

 結は震える息を一つ、吐いた。


「お母さん。いつなら、会えますか」


「夕刻の反対。暁。東ではなく、西」


 母はゆっくりと背後を振り返り、遠くの稜線を指差した。


「古い給水塔の影。そこなら、大丈夫」


 空白の書のページに、見取り図の西側が薄く塗られていく。

 線路脇の古地図のような影、塔の丸い天井、根元に穿たれた四角い穴。

 その全てが、まだ誰にも見えない細さで。


「ただし一つ。誰も置いていかないで」


 母は微笑んだ。


「それが、あなた達の強さだから」


 


 警報灯が急に明滅をやめ、風が生ぬるくなった。

黄昏が夜へ折れる合図。

 世界の布目が、もう一度縫い直されようとしている。


「戻ろう、結先輩」


 修の声に、結は名残を飲み込むように頷いた。


「……はい」


「ひより、隠れやすそうな角はあるか?」


「角は三つ。だけど隠れやすそうなのはないみたい」


「にゃう(全力で抜けろ)」

 


 振り返れば、もう母の影はない。

 ただ、空気の柔らかさだけが残っている。

 それは確かに、人のぬくもりの形をしていた。


 


 駅へ戻る道で、修の歩みが一瞬だけふらついた。

 愛菜がすぐに肩を差し出す。


「しゅーくん、まだ“乾いてる”んでしょ」


「まあな。……けど、大丈夫だ」


 強がりを言う声は軽いが、ひよりは目を伏せ、ページの端をそっと撫でた。

 紙のヒビが、指の温度でやわらぐ。


「雨城」


 浜野先生が歩調を合わせる。


「暁は、向こうにとっても薄い。準備を増やす。お前の心、もう一つ削る余裕はねぇ」


「分かってます。次は言葉じゃなく、“残した声”で行きます」


「にゃう(書の匂いが濃くなるぞ)」


 ノクスが鼻を鳴らし、尾を揺らす。


「にゃうにゃう(塔の影、嫌な風が回ってる)」


 結はスカーフを胸に当て、夜の空を見上げた。

 星はまだ少なく、街の光が勝っている。

 けれど、その向こうに暁の色が、確かに待っている気がした。


「お母さん。次は、必ず助けます……必ず」


 誰に聞かせるでもない小さな宣言に、風が微かに頷いた。



 次回予告

 

 第123話『暁の給水塔』


 西の稜線、塔の影、空白の書が描く見えない階段。

“誰も置いていかない”約束を抱えて、暁は静かに口を開く。


 最後まで読んでいただきありがとうございます!

評価(★★★★★)やブックマークで応援していただけると嬉しいです。

続きの執筆の原動力になります!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ