第108話『きさらぎ駅に行こう!』
第五章:そうだ!きさらぎ駅に行こう!スタートです!
終電間近のローカル線の車内は、妙に静かだった。
窓の外を流れる夜景はまばらな街灯と闇ばかりで、人の気配はほとんどない。
四人掛けボックスシートに、修達七人──いや、正確には六人と一匹──が肩を寄せ合って座っていた。
修は向かいに座る結の隣をちらりと見やった。
そこには、結の母が静かに腰掛けている。
淡い笑みを浮かべ、柔らかな目でこちらを見返してきた。
「今日もよろしくね、修君」
その声は、結には届かない。
だが修は小さく頷き、自然に視線を外の闇へ向けた。
「条件は……深夜の電車に一人で乗る、だっけ?」
愛菜がスマホを覗き込みながら首を傾げる。
「でも、結局皆一緒に来てるじゃないですか」
「そりゃそうだ、一人で行ったら二度と戻れないかもしれないからな」
修が淡々と返す。
「にゃう(その通りだ)」
ノクスがリュックの中で尻尾を揺らす。
「ノクスが同意してるってことは、やっぱ危ないんですね……」
愛菜の表情が曇る。
「きさらぎ駅って、都市伝説ですよね」
結が小さく笑う。
「ネットで見ました。突然見知らぬ駅に着いて、そこから帰れなくなるって」
「俺は実際に行けるなら、幽霊の巣かどうか確かめたいだけです」
修が視線を外の闇に向けた。
「やれやれ……」
浜野先生は腕を組み、眠たげな目を細める。
「行けるもんなら行ってやるさ。でも、帰り道は保証しないぞ」
車内には他に乗客がいなかった。
走行音だけが規則正しく響き、時折、遠くの踏切音がかすかに聞こえてくる。
ふと、ひよりが窓の外をじっと見つめていた。
青白い横顔に、光と影が交互に流れる。
「……もうすぐ、変わる」
その呟きが、車輪の音に紛れて消える。
次の瞬間、トンネルに入った。
車内の蛍光灯がじりじりと唸り、外は漆黒の闇。
トンネルが異常に長い──そんな感覚が全員の背筋を冷たく撫でた。
やがて、車窓の向こうにぼんやりと光が見えた……が、それは街灯の温かさではなかった。
白く、濁った光。
水底から見上げた月のような色。
ガタン、と車輪が最後の継ぎ目を越えた瞬間、景色が切り替わった。
そこには、薄暗いホームと、古びた駅名標が立っている。
文字は滲んで読めなかったが、じわじわと黒いインクがにじみ出し、こう浮かび上がった。
──きさらぎ駅。
「……マジで来ちまった」
修が低く呟く。
「これ……本物……?」
結の声が震える。
愛菜はノクスのリュックを抱きしめ、小声で尋ねた。
「帰れる……んですよね?」
「にゃう(保証はできない)」
愛菜が顔を引きつらせながら皆に伝える。
「ノクスが……保証はできないって……って言うか、やめてよそういうの!」
愛菜が抗議するが、その笑顔は引きつっていた。
停車音が響き、ドアが開く。だが、降りる乗客は誰もいない。
いや、そもそもこの車両には自分達しかいなかったはずだ。
「行かないと……」
突然結先輩のお母さんが独り言のようにぼそりと呟いた。
「え……」
その瞬間、結先輩のお母さんは、その場から消え去る。
「ちょっ、待っ……」
「しゅーくんどうしたの?」
「にゃう……(呼ばれた……?)」
不意に、ホームの端で何かが動いた。
「……あれは?」
結が小さく息を呑む。
ホームの向こうに、長い黒髪の女性が立っていた。
白いブラウス、淡いスカート──そして、懐かしさを帯びた笑顔。
結の膝が震えた。
「……お母さん?」
「ちょ、結先輩!」
愛菜が声を上げるより早く、結は立ち上がり、ドアからホームへ飛び出していった。
「結先輩、待ってください!」
修も後を追おうとするが、電車のドアが勝手に閉まり、車両が静かに動き出す。
慌てて別のドアから飛び降り、ホームに足をつけた時には、電車はもう闇の向こうに消えていた。
「……置いてかれたな」
浜野先生が短く呟く。
ホームには、ひよりが静かに立っている。
「ここは……過去と未来の狭間。帰るには、何かを置いていかないといけない」
「置いていく?」
修が睨む。
「命でも……心でも」
ひよりはそう言って、視線を結の方へ向けた。
霧が立ち込めるホームの先で、結は必死に母を追っていた。
「お母さん! 待って!」
だが母は、こちらを振り返らず、霧の奥へと歩いて行く。
その足音は一定で、まるで呼び声を拒むかのよう。
修が追いついた時には、母の姿は霧の向こうに完全に溶けていた。
「……くそ」
修が奥歯を噛む。
「お母さん……」
結は立ち尽くし、手を握りしめていた。
遠くで、カーン……と鐘の音が響く。
その音に混じって、どこからか低い声が聞こえた。
──ようこそ、戻れない駅へ。
霧の中から、駅員服の人影がゆっくりと近づいてくる。
顔は正面を向いたまま、じわじわと逆さに回転していく。
そして、にたりと笑った。
「さあ、一人を置いていってください」
次回予告
第109話『霧の向こうに』
霧に消えた母、逆さ顔の駅員、そして突きつけられる“犠牲の条件”。
決断の猶予は──ほとんどない。
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