第106話『供養の夜に来るもの』
9月9日。
午後5時40分。
神社の裏手にある未舗装の参道を、三人は無言で歩いていた。
蒸し暑さに背中が汗ばみ、湿った空気が肌にまとわりつく。
参道脇の杉の葉が揺れるたび、何かがこちらを見ているような気配がする。
空はまだ夕焼けにも染まらず、妙に赤黒い曇天だった。
「……本当にやるのか、この“供養”って奴」
修が口を開いた。
「やらなきゃ、また“来る”気がする。あの夢みたいな、いや、あれ以上のものが」
愛菜が顔を上げた。
顔色は悪い。
手には例のチラシが握られている。
《七体開眼法要》。
その言葉が、脳裏で反響する度、背中がざわついた。
「多分……この“法要”は、供養じゃなくて、“開口の儀式”なんだと思う」
結がぽつりとつぶやく。
「開口?」
「夢で見たの。七体目の地蔵……“口”だけがあるやつの中に、何かいた。喋ってた。言葉にはならなかったけど、最後にこう言ったの。“入っておいで”って」
修と愛菜が息を呑む。
「それ、呼ばれてるって事じゃ……?」
「うん。あれは見せられたんじゃない。“選ばれてる”」
小さな鳥居をくぐると、急に空気が変わった。
生臭いような、土の腐ったような匂い。
風が吹かない。
虫の声も消えた。
そこに――いた。
古びた祭壇。
白い布に覆われた台座。
そして、七体の地蔵。
左右に三体ずつ。
真ん中に、一体。
その“中央”の地蔵だけが、顔を持たず、口だけが彫られていた。
その口は、まだ開いていなかった。
だが、確かに“笑っていない”。
「なあ、誰もいないのに……供養って、どうやって始まるんだ……?」
修の声に、結がそっと指をさした。
その地蔵の背後――祭壇の影から、“誰か”が現れた。
白装束。
顔が見えない。
その手には、古びた“木魚”があった。
コン……コ……ン……。
低く、間を開けて木魚が鳴らされるたび、空気が振動する。
七体目の地蔵の口が、僅かに震える。
「やばい……これ、もう始まってる!」
愛菜が叫ぶ。
逃げ出そうとしたその瞬間――地面が、揺れた。
ゴグ……ゴグゴ……
祭壇の足元の土が、音もなく沈む。
そして、声がした。
男でも女でもない。人の言葉でもない。
けれど確かに、“こちらへ”と招いている。
「結先輩、これ……あの夢と一緒……?」
「違う。これは――夢の“先”だよ」
結がそう言った時、七体目の地蔵の口が、完全に開いた。
中には、空洞があった。
いや――空洞の“形をした何か”が、こちらを見ていた。
視界が、ジャックされた。
まるで映像のように、別の場所が流れ込んでくる。
古い神社。
黒い森。
そして、“誰かがこちらを見ている視界”。
修達はその視界の中にいた。
「やばい、視られてる! 今度は向こうから!」
サイレンは――鳴らなかった。
代わりに、どこか遠くで、赤子の泣き声が響いた。
次回予告
第107話『笑う地蔵と喰われる夜』
供養ではない。“開く”ための夜。
七体すべてが揃ったとき、“それ”が来る。
見てはいけない。だが、目を逸らせば――そこにいる。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
評価(★★★★★)やブックマークで応援していただけると嬉しいです。
続きの執筆の原動力になります!