第104話『笑う石仏と森の音』
それは、何気ない日常に混じっていた。
大学の部室に戻り、夏休み中の気だるい雰囲気がキャンパスに漂う。
蝉の声、アスファルトの照り返し、汗ばむ空気。
数日前の出来事が、夢だったように思えてくる。
「しゅーくん、ちゃんと寝てる?」
愛菜が自販機の前で尋ねた。
「まあな……夜は寝苦しいけどな」
修は缶コーヒーを手に取りながら、軽く笑って返す。
だが、その笑顔は、どこか張りついていた。
あの“岳集落”から帰ってきた後、三人はそれぞれ日常に戻った。
だが、心の奥底に、何かが引っかかっている。
“まだ五体、残ってる”――あの紙の文字が。
「結先輩、来てないね」
「うん。熱っぽいって……LINE来てたけど」
愛菜の声が心なしか沈んでいた。
その時、近くの掲示板に何気なく目を向けた修が、ピタリと動きを止める。
――そこに、貼り紙があった。
《落とし物 地蔵(大)/文学部前にて発見》
《現在、学生課にて保管中》
「……おい、これ」
愛菜もその紙を見て、顔色を変えた。
「……地蔵?」
それは、まぎれもなく“見覚えのある顔”だった。
六体のうちのひとつ――首を傾け、笑う地蔵。
修と愛菜は駆けるようにして、学生課の窓口に向かった。
ガラスの奥に――置いてあった。
“それ”は、本当に、そこにあった。
高さおよそ四十センチ。灰色の石。
滑らかすぎる質感。歯のようなものが浮かぶ笑顔。
そして、首は、少しだけ、左に傾いている。
「誰が持ってきたんですか、これ……?」
修が窓口越しに尋ねると、職員は首を傾げて笑った。
「それがね、誰も見てないのよ。朝来たら、置いてあったの。不気味だよねぇ、ハハ」
愛菜が袖を握る。震えていた。
「見てる……これ、見てる……」
修も感じていた。
まるで、目が合っているような感覚。
魂の奥を覗きこまれるような、ねっとりとした視線。
その夜。
修の部屋のベランダに、何かが立っていた。
網戸越しに、わずかに見える影。
音もなく、気配だけが空気を撫でる。
そっとカーテンを開けると、誰もいなかった。
だが、ベランダの床には――白い砂利が、ひとつぶだけ。
あの地蔵の周囲にあった、あの、異様に白い砂。
スマホの画面が急に暗転した。
そして、勝手に再生された動画。
そこには、森の中。
笑う石仏の前に、三体の人影が立っていた。
――修、愛菜、結。
まるで、外から“撮られていた”ような映像だった。
そして、ラストカット。
地蔵の背後から、何かがこちらを見ていた。
黒い輪郭。無数の指。
そして――“もうひとつの顔”。
画面が真っ黒になったあと、画面中央にだけ表示されていた。
《また、くるね》
翌日、結から連絡が入った。
《おはよう。ごめん、今日は大丈夫。……ただ、少し変な夢見てた》
《六体、じゃなかったみたい》
次回予告
第105話『七つ目の口』
地蔵は“余分”だった。もう一体、“余計な存在”が混じっている。
開いた口が、また一つ――夜を喰い始める。
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