第102話『赤い夜が明けるとき』
逃げた。
とにかく、崖を転がるように、三人は走った。
枝が顔を叩き、岩が足を滑らせ、泥で手が切れた。
それでも、止まる事は出来なかった。
振り返れば、地蔵の顔をした“それ”が這ってくる。
笑いながら。
無数の目で、こっちを“視て”くる。
「ひっ……!」
愛菜が足を取られて転んだ。
修が即座に肩を抱えて立たせる。
その腕を結が引っ張った。
三人の息はもう、限界だった。
――そして、崖の下に、小さなトンネルのような穴が見えた。
「……あそこ!」
修が叫ぶ。
穴の奥には、かすかに揺れる青白い光があった。
どこか――現実の空気を感じさせる色。
希望だった。
三人は這うようにして穴に入り込む。
背後で、異形の者達が悲鳴とも笑い声ともつかぬ音を上げ、迫ってくる。
だが、地蔵の顔が穴の入口に到達する直前――
“時”が止まった。
空気が凍りついたように、すべての音が途絶える。
空間がねじれるような感覚。
修達の周囲に、白い光がじわじわと広がっていく。
「……ここ……夢、なの……?」
結が呟いた。
愛菜が震える手で修の腕を握る。
「違う……ここは、“ゲームのバグ空間”みたいな……」
修の目の前に、再び“視界”が広がる。
だがそれは、さっきの地蔵や村人の視界ではなかった。
――何か、巨大な“視点”だった。
神のように村全体を俯瞰し、すべての行動を“見下ろしている目”。
その“視点”が語りかけてくる。
『ループ終了。最終データ破損確認。脱出フラグ、成立。』
意味が分からなかった。
だが、白い光が全てを飲み込んでいくのを、三人は感じていた。
――もう一度、現実に戻れるのかも知れない。
――あるいは、別の“次のループ”に入るだけかもしれない。
しかし、それでも。
「帰るぞ……絶対に」
修のその言葉が、虚空に響いた時。
世界が、反転した。
赤黒い空が、朝焼けに変わる。
地蔵の顔が、ただの石像に戻る。
社は再び朽ち果て、新聞は風に吹かれて消えた。
そして――
三人は、元いた山道に、立っていた。
いつの間にか日が昇り、蝉が鳴いている。
空は青く、森の匂いが現実のものだった。
「……帰って……きた?」
愛菜が、小さく呟いた。
「……分かんねえけど……多分、な」
修は額の汗をぬぐい、力なく笑った。
結がそっと地面に座り込む。
そして、空を見上げる。
「赤い夜が、明けたのね……」
だが、修の足元に――あの“新聞”が、まだ一枚だけ残っていた。
《羽生蛇村 完全封鎖へ》
《昭和七十八年八月五日 岳新聞》
そこに、血のような赤いインクで、別の一文が追加されていた。
《※脱出者 三名 確認。次回ループ:調整中》
「……なんだよ、これ……」
修が呟いた瞬間、背後で微かに、
カタ……ン……
何かが動いたような音がした。
――六体の地蔵のうち、一つが、首を少しだけ、傾けていた。
次回予告
第103話『夜を裂くもの』
ループは終わっていなかった。
残された一体の地蔵が、静かに微笑む時、新たな“音”が始まる――。
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