四話 家出ってどういうことですか!?
「そう言えば、聞きました?伯爵夫人のお噂」
街を歩いていたときにそんな噂を聞いたのは、離縁してから二週間ほどが経ったある日のことだった。
ここ最近、〝伯爵夫人の噂〟とやらを耳にする機会が増えていた。けれど、どっかの伯爵夫人のことかと思っていて、私とは無関係だと思っていた。
――噂とともに名前が聞こえてきた今日までは。
「ええ、もちろん。ジュリアス様も大変ねぇ。ヴェロニカ様が家出されるだなんて」
「信じられないわよね。私、あのお二人ほど仲の良い夫婦を他に知りませんわ。それなのに……」
………………は?
い、家出?家出ってどういうこと?
離縁したことはしばらくは公表しないとは言ったけど、家出したことにされなきゃいけないわけ!?ま、まあ確かに、家出という段階を踏んでいたほうが離縁は信じられやすくなるかもしれないけど!?だからってこんなの言ってなかったじゃない!
いえ、でも噂は噂。信じるのも馬鹿らしいわ。
「…………なんて思えるわけ無いじゃない!」
そもそも、ジュリアスがこれを仕組んだのかしら?……いえ、でもきっとジュリアスの仕業よね……一体何のために……?
ぐるぐると行ったり来たりの思考を持て余してふらふらと歩いていると、不意に聞こえてきた噂話を耳が拾った。
「最近、恋愛結婚も増えてるけれど離縁の件数も増えてるんですってね」
離縁してから、離縁という単語に過敏になっている節がある。意識しないようにしていても、本能的に反応してしまう。
「そんな話をよく耳にしますね。でも、私の友人は夫に浮気されたけど離縁しないことを選んでるらしいわ」
「まあ、そうなの?」
「ええ、奥様が旦那様に相当入れ込んでいるらしいの」
「なるほどねぇ……でもかわいそうね」
「ええ、そう思うのだけど。友人はそんなに悲しんでないのよ」
「まあ、どうして?」
「それがね、旦那様も妻は友人だけだって言ってるらしいの」
「どういうこと?」
つい聞き耳を立ててしまう。
「浮気相手はただの遊び。本命は友人だって言い張ってるらしいの。友人は由緒正しいお家柄だから、妻は友人以外はありえないのだって」
「まあ。欲張りな男ねぇ」
「本当。友人が不憫なのだけれど、側に居るだけで幸せみたいだから、私何も言えなくって」
ひどい話だ。妻は健気に夫を思っているのに、それを良いように利用してるだけではないか。
……あら?でもこの話って……
私の状況と似てないかしら……!?
そう思ってしまった途端、嫌な予感がした。
広まった噂が、離縁ではなく家出したという嘘だったこと。離縁しようと突然言ったにも拘らず、ジュリアスがさして気にしていなかったたこと。
それは、端から離縁するつもりが無かったからではないの……?
気づけば、離婚届を提出したあの教会に向かっていた。
「つかぬことをお聞きしますが、伯爵様が離婚届を持ってこられませんでしたか?」
あの日、離婚届を提出する際に立ち会っていた神父様は居ないようだった。だから代わって、もう一人の神父様に尋ねた。
「伯爵様ですか?いえ、離縁なんてされてませんよ。第一、伯爵夫妻ほどの仲の良い夫婦が離縁だなんてするとは思えませんし」
どうなっているの!?
私は確かに離婚届を提出したわ!
離縁は成立しているはずじゃ……
「大丈夫ですか?」
急に黙り込んだ私を不審に思ったのか、怪訝そうに覗き込んでいた。
「あ、いえ……何でもないです。失礼いたします」
険しい顔をしていると分かりながら、神父様に一礼して私は教会を後にした。
どうして私たちは離縁できてないの……?
考えたところで、ジュリアスの本意などわかるはずもない。
――浮気相手はただの遊び。本命は友人だって言い張ってるらしいの。友人は由緒正しいお家柄だし……
ふと、聞いたばかりの噂話を思い出した。
……そうか。
これでも私は有力貴族の出だ。
欲しかったのは、私じゃなくて地位だったのね。だから結婚後は私のご機嫌取りの必要もなくなって、すれ違うことばかり増えてしまったたのか。
……それなら、私を逃がしたくないから離縁だって無かったことにされたの?
そんなのって。
「あんまりじゃない……私は、本当にあなたを愛していたのに……」
いっそこの街から……この国から、出てしまおうか。
そうすれば、もうあの人に会うことも、妻と呼ばれることも無くなるはず……
そうだ。そうしてしまえば私は、今度こそ自由になれるはずよ。
けれど、私の足は止まっていた。
「―――ヴェロニカ。やっと見つけた」
あなたはまだ私を縛り続けるの……?