二人の結婚式:番外4:そして……ウィアートルの記憶
「あれから十年。二人とも大きくなったよねぇ……」
ウィアートルが呟きながら見やるのは、世界樹の根が作りあげる湖を渡る橋。
いつもより広くて豪華な花飾りの橋を編んでくれたのは、きっと彼らへの祝福なのだろう。たくさんの光玉や妖精の傍を通りながら、それを渡ってくる白衣の二人。手に手を取って歩んで来るのをウィアートルは見やる。
あんな話をして今まで以上にティを弟として可愛がろうと思ったのに、それからほどなくして彼は長年ラスタの生母を苦しめた呪いを喰い、二か月近く寝込む事になった。
その後も性懲りもなくイロイロやらかしてくれた。全てが何とか収まったが、この十年ウィアートルは冒険者として彼について回っていた。
きっとこの先もこの手のかかる義弟が死ぬまで構ってしまうんだろうなと薄笑いをしてしまう。
そんな事を考えるウィアートルの奥隣には撮影水晶の魔道具を隠しつつ握りしめた長女クリュシュ。その隣には涙目の長兄デュセーリオ。ウィアートルを挟んで逆隣はクラーウィス、エクラと妹二人が並ぶ。
真向かいには白芝の道を挟んでハイエルフ正妃ルツェーリア、父王を挟みエルフ妃シェアスルが立つ。父王の立ち位置は生母であり正妃を立てた形だ。
彼らの前に敷かれた白い道を新郎新婦である二人が歩いて来て、その少し先の世界樹まで歩んでいく。
この大陸には一般的に『結婚式』というしきたりはない。
何故なら誓うのは相手であり、その血や家族にであるからだ。ラスタは王族なので、民達にお披露目はする。
この大陸で普通の『婚姻』とは、微妙な違いがあれど国や王の承認、または登録、届け出などをした後に、身内で食事会をしたり、挨拶回りをしたりする程度。
婚姻に『式』を挙げるのは旧聖国だけ。
だがティが『世界樹の前でラスタに想いを捧げたい』そう言い出した。いつの時にか思い出せる縁、その場所があった方がいい、と。
そしていくつかの世界で見た『結婚式』で、花嫁が着飾る色々なウエディングドレスの話をした所で、服飾デザイナーである長女クリュシュの火が付いた。
更に『結婚式は儲かると、昔、姉だった経営コンサルが言っていた』というティの言葉を拾ったクラーウィス。
「でも世界樹に誓うって……他のエルフの皆は入れない場所にあるしなぁ……」
「別に世界樹にこだわらなくていいんだが」
「うーん……でも新しいの建てるのはお金もかかるし、自然と調和しないのはヤダしぃ。ねぇ、どうしたらいいのかなぁ、死神のお義兄さんっ」
「……元世界樹を移植できないのか? クラーウィス」
「え?」
「使ってないやつ。転移、とか? 大きすぎるか?」
使用人や重臣以外の普通のエルフは、当代の世界樹やハイエルフの住む世界樹の居所がある『第三結界』は進入禁止だ。安全に守るべき世界樹があり、そして皇居であるから。
ソコには歴代の世界樹も存在し、居所となっていないが使えそうな世界樹はいくつかある。ティは婿と言う立場があって、第三結界内も歩き放題。暇な時には保全活動込みで素材集めや訓練と称して森を巡っており、誰も居ない空の巨木の存在を知っていた。
「使命を終えた世界樹はそこにないといけないって事も無いんじゃないか? あれらの趣はイイと思うが」
「うん。死神のお義兄さん、それイイかもっ! 使っていないのに保全費用はそこそこかかっていたわけだから、移送費用よりその後の収入や効果が……」
ティの提案に五の姫が乗っかった事もあり、役目の終わった魔法の残渣が残っていない古い世界樹の一本を、優秀な転移魔法使いグラジエントや彼の実力から『先生』と呼んで師事したエルフ達が立派に育っていたため、その力を使って第一結界へと移植させた。
ちなみにグラジエントはこの三年ほど前にエルフと結婚し、既に二人目の子供の出産待ちをしている。
ともかく彼らの力で転移させた『古世界樹』に、式以外にも使用可能な緊急の避難場所や図書館なども兼ねた複合施設を作った。
今日の結婚式を撮影して民にも見せる事で、王族の権威や当代の世界樹の偉大な姿を焼きつけつつ、商売としても成り立たせる計画が動いている。
結婚式はもちろん銀婚式、金婚式、それ以上に長生を歩むエルフの間に、その長寿と縁を祝う式を行う事も視野に入れている。
その収益は賃金や運営費等を除き、税収として計上される予定だ。高い収益が望めるかはまだ分からない。だが雇用は間違いなく生まれており、世界樹が大切であると知っていても、直に触れる機会がないエルフの民は、古樹故の風格ある建物の存在をとても喜んでいる。
「お父様、お母様達、ありがとうございます……」
すれ違いざまに小さな声で呟き、世界樹へと向かって歩んでいくラスタとティの二人を見送りながら、淡い金の瞳を潤ませてルツェーリアは小さな声で言う。
「こうやって私がこの場でヴィラちゃんを祝えるのは、レア姉様とティちゃん……そして何より旦那様……他にも、皆の、皆の……お陰……です」
そうして、はらり……と淡い金が溶けた雫のように、輝き落ちる涙の美しさに父王の手が伸び、掬い上げる。
「もう婿殿は……『ちゃん』付けには大きくなったが、『異論は許さない』と我を焚きつけたあの姿は……忘れられん」
「……はい」
呪い調伏の話は何度も聞いた。ルツェーリアはその時、息を止めた仮死状態で見ても聞いてもいないハズ。だがあの時を思えば、小さな手が自分を確かに掴んで『旦那様』へ手渡された感覚を覚えている気がするのだ……
「二人とも幸せそうですわね、ルツェーリア様。ほら、あなた……」
シェアスルが美しく成長した義理の娘を眺め、隣に立つ父王にハンカチを渡す。彼はうんうんと頷き、手では掬いきれずに次々溢れはじめたルツェーリアの嬉し涙を、そっと押さえてやる。
今日のラスタは細かいレースの縁がついた薄いベールを金のティアラと白い花冠で飾っている。長いトレーンの付いた純白の衣装の裾は、風の中級妖精がふわふわ捌いてくれている。肩や腕は品良く透かしレースで覆われており、貞淑なイメージを強くする。そこにブローチ仕様に仕立てた緑琥珀が真珠と共にきらりと輝く。
隣に並ぶティも白、ピークドラペルのラインが美しい燕尾に近い服を身に付けている。本人は無頓着なため、ラスタと姉クリュシュで決めたものだ。胸にはラスタの持ったブーケや髪飾りと同じ白い花、袖には緑琥珀のカフスが添えられている。
二人はゆっくり歩み寄り、世界樹の下、円形の緑芝の上に立つ。そしてまずはティが幹に触れる。十年前、ラスタが癒してくれたその右手だ。
「ラスタ。永遠の愛を。ココに誓う」
「オルティス。わたくしもずっと貴方を愛します……」
ラスタがその上からそっと左手を重ね、二人で世界樹に触れて誓えば、行き交う光玉がぽわぽわと点滅し、妖精達は白薔薇の花びらを降らせる。世界樹がふわりとその葉の色を変え、キラキラと金色の葉が降り注がせた。
幹から手を離した二人はその場で向き合い、ティはベールを取ってラスタの柔らかい唇にキスを落とす。それは優しく、しかし長く………………
「…………そっ、……………………んっ!」
ソロソロいいのでは? っと言うラスタの動きを遮り、そっと肩に置いていた手の片方で、ベールをかき分けて後頭部を押さえてティはその行動を深める。
軽くでも。
軽くであっても家族の眼前である。
確かに所かまわずティに唇を落とされ、奪われて、確かにキスの現場はちょこちょこ見られてはいるが。それは偶然なのであり。構えてするのはとても、とても恥ずかしいからと断ったラスタ。この世界では『式』がないのが一般的だから、型もないのだ。断っていいはずだ。
だが『誓いをその体に。口付けによって永遠に閉じ込め、愛を交わす儀式だから』とティに説得され、軽くなら、と言ったのに。
「っ……て……」
でも閉じた目を開いてしまえば眼前にいるティを直視する事になる。それが今のラスタには恥ずかしすぎて開けられない。だからと言ってこんな場で頬を叩くのも違う気がするし、抗議するには口を塞がれてラスタはブーケを握って羞恥に耐えた。
そして、やっと、やっと。現実的にはそこまできっと長くはなかったのだが、何とか耐えたラスタが上目遣いでティを見る。
その顔に浮かべたヒトを喰った表情は、顔が変わってもやはりあの男のもので間違いなかった。
一言、何か言ってやろうとラスタは思った……文句を言うつもりだった。だが幼かった少年は十年経て、いつだかに『楽しみにしてろ』と言った通り、とても仄暗い色香のある男になった。しかしどんな形になったとて変わらず真っ直ぐラスタを見てくる、黒い潤んだ瞳を見あげれば、ぽろりと一言、言葉が自然と零れた。
「好き……です。オルティス……」
上目遣いで発されたその言葉を聞いた途端、黒い目が見開かれ、表情が照れに変わる。いつも無表情がデフォの男だ。その中で本日は表情豊かではあったが、これまで見せた中で一番素早くさぁっと顔が赤くなった。
「ら、すた。俺も好き、だ」
その返事で自分が何を言ったか気付き、ラスタも耳の先まで熟れていく。そんな感情が高まった瞬間を待っていたかのように、彼女は足元からふわりと暖かな風を感じた。
「まぁ……世界樹が…………」
純白ドレスがふかふかの緑芝に触れた裾から、その色を吸い上げる様に淡い緑に色付いていく。細かいレースの裾が金色に染まり、妖精が色とりどりの花を次々とそこに咲かせていく。髪に飾った白薔薇は艶やかに赤薔薇へと染まり、その色は年々真金に近くなっていくラスタの金髪にとてもよく映えた。
「大地の女神のようだね、我が娘は」
王のそんな言葉を聞きながらラスタが横を見ると、ティの服も同じ薄緑色に染まり、いつの間にか頭の上には赤薔薇の冠が乗っていた。
「茨の冠、って……」
「この薔薇は…………イル様の色ですね。……どこかで見ているのでしょうか」
「いつか……俺好みになってあげるって言ってたな、イル」
「何ですか? それは……」
そんな会話をしているうちに、バサバサと羽音がして、薔薇の棘などものともせずに、いつものようにドリーシャがティの頭を陣取った。
「おま、また……」
「くるっぅくるっ」
妖精達がくすくすと嬉しそうに笑いながら、イルの赤に色づいた薔薇の花びらを撒いて行く。
ココに来た頃はラスタの力添えがなければ見えなかった妖精を、ティも自力で見られるようになっている。その姿を目で追いながらラスタに微笑んだ。
「ラスタ、手を」
そっと二人は手を重ね、ラスタの、いや二人の家族に囲まれる。
「本当に行くのかっ」
その時、デュセーリオが涙目ながらにラスタに尋ねる。その質問に彼女は首をかしげる。
父王は成人する十六歳まで世界樹の居所に住む様に『命令』し、ティはその齢を越えた。これを機にラスタは世界樹の居所を出たかったが、ティの方がソレを止めている。
「ぇ? 行きませんよ? ティがずっと世界樹の居所に住むから……と、譲らないので」
「そ、……ぅなのか? ……よかっ、た。その、おめで、とう」
「ありがとうございます。これからもオルティスと共によろしくお願いいたします」
「あ、ぁぁ」
デュセーリオが言ったのはこの居所を去るコトもだが、人間と結婚する事自体も指していた。だがここ十年の付き合いでティが妹の為に厭わず走る事を知っているし、幸せそうな妹の姿に表立って反対も出来ず。
それも妹が世界樹の居所を出て行かないのは、あの男のお陰とわかって溜飲は下がる。
とりあえず居所を去る事だけはないのに安心し、取り繕って祝いの言葉をかけた……のだが、その部分までも勘違いさせた『元凶』を辿り、ウィアートルをギッっと睨む。
「やぁ……イイ式だねぇ。結婚おめでとう」
ソレをそ知らぬふりして、二人を祝うウィアートルは手にしていた魔道通信の回路を開く。
『おめでとう。ヴィラ』
小さな端末に写るのは療養中の姉母フィレンディレアだ。彼女はここ十年でじわじわと揺り椅子やベッドで寝入る事が多くなった。ハイエルフに至っては不老、そしてエルフは個人差があれど年齢を感じさせない容姿を保つ者が多い。
しかし死期を前にゆっくりゆっくりと睡眠時間が長くなっていく。それに禁忌の影響で始終痛みを感じる体、夢の中まで追いかけてくる痛みにも、彼女は笑顔で姪であり、義娘であるラスタ、そしてその婿を画面越しに祝う。
『オルティス。貴様はヴィラを任せるに値すると思っている……頼んだぞ』
「必ず」
「ヴィラはその手を離さず、その運命を掴んでおけ……ずっと巡る『時』を逃さぬようにな』
「はい、レアお母様。……またお部屋に行きますね」
ティとラスタが短く答えれば、ゆっくり青と赤のオッドアイを細め、溜息を吐くように眠りに落ちていく。優しく『切るよ』と告げ、ウィアートルは通信を切った。
「良き日だ。我が四の姫よ」
うんうんと頷き、父王はそっと隣のルツェーリアの肩を抱く。
十年前、立ち上がるのにも苦労する程、呪いで衰弱していた妹母は随分と元気になって、公務も少しずつ務められる様になっている。原因が判明した事で、治療を進めて以降、風邪などには未だにかかりやすいが、随分健康に近くなった。
「綺麗よ、ヴィラちゃん。きれい……心に、ずっと残るわね……ずっと……」
こくんと頷いたラスタは泣きそうになりながらも精一杯に笑う。そんな二人を見ながらティはこの笑顔が守れてよかったと思う。
「……もう、貴方もハイエルフ王族の一員ですからねぇ? よろしくお願いね?」
ふわふわ~っと笑いながら、エルフ妃シェアスルがティに小さく釘を刺す。その言葉にルツェーリアも反応し、
「ティちゃん…………無理をしては駄目、なのよ? そう言っても止まらない事はわかっているけれど。貴方の無茶や無理に泣くのはヴィラちゃんだから……」
首を縦に振ってティは肯定する。どの妃もティに優しいが、義母として皆、叱ってもくれる。父王も宣言通り『父』として可愛がってもくれ、厳しい一面も見せてきた。
ティはいくつもの数を生きて来たが『真面な親』に当たる事は少ない。クズが多い中、こんなにも真面な『親』を一度にたくさん持てた事は、ティにとって奇跡。彼らはそれほどに理解していないだろうが、彼は深く喜んでいた。
「ヴィーねーさまぁ、おめでとうございます」
「ああヴィー姉、とても綺麗ですわ」
「ありがとう、ウィス、エクラ。クリュー姉上も素敵なドレスを仕立てて下さって……」
「綺麗なアレンジだわ~後から念写で残すからぁ。すぐ脱がないでね。本当に素敵だったわっ。いつか私も結婚するなら式をしようかしら」
「あれ、その水晶ぅぇ……えぃ、映写していらしたのですかっ」
「良く撮れていてよ。キス、イイ感じに」
「ぅえええぇ……恥ずか……っ……」
「あ、ヴィーねーさまに言い忘れていたけれど、これを結婚式のベース資料に使う事になっているから、よろしくね!」
「ええええええぇっ。そんなコトわたくし聞いていませんよウィス!」
「おかげでいい機材を借りれたんだよ? これでレアかーさんに調子がいい時、見てもらえるんだよ!」
「それは……いい、ですけど……でもっ、恥ずかし……」
照れながらも幸せな顔で家族と会話するラスタを見ながら、ティは本当に良かったと思う。この星が崩れる事無く健在で。
いつかラスタを置いてまた去る自分が、もしまたも人生を巡り続けるのなら。どんな苦難も乗り越え、必ず、必ずココへ戻って来たい……そう願うティは空を見上げる。
綺麗な青空、きっと紫煙を吹かせたら心地いいだろう。彼はそう思うが、今世ではまだ吸っていないし、これからも吸う事はないだろう。何故ならラスタが好きではないと言ったから。
「俺のヒヨコが健在なら、それで幸せだ……」
「ティ? なにか?」
「いや。行こうか」
橋を渡り、居所に戻って行くハイエルフ一家を見送る世界樹は、さわさわとその金色を解き、いつもの色へとそっと戻した。
番った彼女『ネイト』を想い。
~小藍様からの寄稿~
「君がいる時に、やってみたかったな」
ネイトの墓標の前に立って。
呟くように告げる。
ウィアートルの胸元で、夕日のオレンジを弾いて輝くのは、革紐に通された二つのデザインリング。
一つは、ハープをそのままリングにしたような指輪。
もう一つは、楽譜をそのままリングにしたような指輪。
双方のリング裏面には、「ネイト」「ウィアートル」の名が彫られている。
デザインしたのはデザイナーである長女クリュシュで、有名な細工師に造らせた一点もの。
「その健やかなるときも、病めるときも〜って、神様? に誓いを立てるんだって。その後『誓いのキス』をして……」
そこでつい、苦笑が溢れる。
ネイトのことだから、公衆の面前でキスなんて、出来るわけないよね、っと思う。
一人広場でハープを弾いて、歌まで歌う度胸があるのに。
そういうコトは、これでもかという程、奥手だった。
恥ずかしがっている姿は可愛いかったし、ゆっくり時間をかけて慣らしていくのも、お互いを少しずつ丁寧に、分かち合い積み重ねていくようで、新鮮だった。
毎回恥ずかしがって、それが可愛くてつい、長くなってしまっていたけれど。
そういえば、彼女と肌を重ねたのは、数えるほどしかない。
それでも。
満たされていたし、触れ合い愛を囁きあって、口付けを交わした、愛しく幸せで幸福な日々だった。
「エルフや精霊は森に還帰るから、「お墓」なんて概念はないし、「形見の品」を持つ習慣もないけど……」
君との思い出の品は、ハープがあるし、と。
彼女が出会った時に持っていた、木製のハープを大事そうに撫でる。
「ティとヴラスタリを見てたらーー。あの結婚式を見たから。絆を強く繋ぐ物が、証の品が、……欲しくなっちゃったんだ」
するり、胸に下がる二つのリングを手に取って。
「ネイト。死が二人を分かってもーー。僕の魂は永遠に。君と共に」
リングに口付けて。
まるで、誓いのように囁いた。




