二人の記憶:番外3相談
世界樹から戻って……
その夜、世界樹の居所に戻ると体調を崩したティを眠らせ、ラスタは次兄ウィアートルの部屋を訪れた。
彼は手際よくミルクと茶葉にスパイスを効かせた、他大陸の甘い飲み物を彼女に入れてくれた。ソレを口にしながらティの挙動がおかしかった事を告げる。
「世界樹に声をかけられたかのようで…………礼、を言われたのではないかと思うのですが。それは自分の受けるモノじゃない、と。世界樹を枯らしてこの星を喰う? とか、何とか言って。わたくしにはわからなくて」
彼は自分のカップを手に彼女の腰掛けたソファー前に、テーブルを挟んで自分も腰を下ろした。
「聖国の聖女が亡くなったのは聞いているよね、ヴラスタリ」
「え、あ……はい、聖都に『封印』されていた『邪悪』を消滅させるのに、命を捧げ『白聖龍』になって空に消えたと……」
「俺が聞いたのも『聖国の聖都で聖女様が白聖龍を呼んで、国を守った』だったかな……あの数日はイヤな風が雨と共に強くて……」
ラスタにもその気配に覚えがある。大地が伝えてくる異常な光の槍が降り注ぐ光景。それこそ物語にあるような、邪悪を縫い止める為に賢者が降らせた星の豪雨。
その後にもたらされた聖都崩壊、そして破綻した国。
周辺国の支援を受け、今は別の陣営が立て直しを図っているが、かなり形態が変わる事は確かだ。この機に独立したり、弱った国の土地を狙ったりなど、各国の政治情勢が如実に表れている。
「あの時、ティは俺と一緒には居なかった。たぶん………彼は聖国に居た。その少し前まで一緒に居たサフィール……竜宮国の息子が聖国で別れたと言っていたから。ティは知らないって言ったケド、ネ」
「まっ……た、あの男は………………」
小さくて幼くて自称六歳のオルティスと、不敵な笑みで背を預けてくれたあの男が重なる。
世界樹の居所に来て、この時はひと月経たぬほど。そこそこ彼がやった事をラスタは聞き及んだつもりだったが、まだ知らない事があるらしい。
その事にイラっとするが、再び出会ったその日に彼はしれっと『また魔法使いになり損ねたのだが』と吐き捨てている。
3000年と言う約束を守った死者が、随分回復していたが寸前まで瀕死、それも自分で切り落として隻腕でやってきた。
ラスタの頭は煮えてしまってとにかくその手を再生し、自らの姿を幼くしてしまったため、そちらの対応にも追われた。
彼は今世や前世の事なども聞けばかいつまんで話すものの、最終的には『終わった事だ』と言って区切ってしまう。もともと重要と思われる事でもそんなに喋らないし、誤解を受けやすい、と言うより相変わらず誤解しかないような言い回しをしてくれる。
「でもウィア兄上は話したのですね」
「うーん。本人話した記憶はないのじゃないかな? あの日、帰って来た彼には傷一つなかったんだよ……服はボロボロだったし、数日前に囮で彼は誘拐犯の船に乗り込んで。そこでイロイロあったはず、なのに。一つも、なくって。いい事のはずだけど不自然で……ただ酷い熱で浮かされて話しただけ」
それも細切れ断片で、その後に情報を集めて彼が関わっているだろうとアタリをつけただけと言う。
「だって『白聖龍』、なんて言われそうなモノ。この大陸に今、俺は一つしか思い当たらないよ?」
「そう、ですよね……やはりドリーシャ、ですよね」
グラキエースドラゴン。
本の中でしか知らないが、どの種よりも気位が高く、誰かが従魔とした記録が残っていない孤高の竜。その気高さ故にヒトを拒み、氷の焦土を赤道下に作ったと言われる。
それが鳩の姿でその辺を飛んでいる。あの鳩の姿は3000年前、彼が一時期連れていた豆鳥とよく似ている。目下の趣味はエルフ自慢の編み込み髪を乱して回る事……あいさつ代わりらしく、ティの親しい者だけ限定で。あの鳩がただの鳩でない事が分からない者は世界樹の居所にいない。
「ティと聖女は血縁がある……そうだよね?」
ウィアートルの呼びかけにラスタはハッとして後ろを振り返れば、少し落とした照明で出来た暗い場所に幼い子供が立っていた。いつから居たのか、ちょうど背にした場所だったのもあり、ラスタは言われるまで気が付かなかった。彼はラスタに着せ込まれた寝間着姿を現す。
頭の上に鎮座していた件の豆鳥は勝手知ったかのように、ウィアートルの部屋の隅に置かれた籠に入って寛ぎ出す。
ティはその様子を見やりながら、無愛想に変声期前の声で、短く答える。
「たぶん。感覚だが、概ね」
彼は竜神国と言う、人間でも少し感覚が変わった国民が住む、それも王家の血筋であるらしい。奴隷として育ったはずなのに。再三、彼には召喚状が届いているので、間違いもないが。
その彼が『感覚』でたぶんと言うなら、それは『真実』。
「俺、ウィアに話したのか……」
「うん、大泣きで。ね」
「………………知らん」
いつも表情が昇らない顔に、熱があるせいか淡く上気した色が乗っている。恥ずかしい、のも込みかもしれない。
「腹違いだ、と……まぁイロイロあって。俺が手にかけた」
「っ……」
本当になんてことない口調で言い放つ。昔ならラスタは『最低な男ですねっ』と叫び、聞き耳も持たず一蹴しそうだったが、ただそれではいけないのだと飲み込んだ。
「貴方は………………言葉が少ないのです」
そう言って小さな彼を隣に座らせる。少し離れて座ったのだが、ラスタはそっと近くに座り直して、その肩を抱く。顔には出ていないが、びくり、彼の体が震えるのが伝わる。触れていなければわからないくらいの筋肉の動き。
ソレと共に伝わる高すぎる体温に、本当は寝かせた方がイイのだろうとラスタは思ったが、ココは無理を通そうと決めた。
自分の体も小さいが、彼もまた幼い。3000年かけて、また再び会えた。歩み寄れる時間は彼が言った約束の五十年。
それは長いようで短い。そして今日、この時間は二度とやってこない。だから逃したくなかった。
ウィアートルは席を立って、コップやポットを用意する。
「ティも。飲むでしょ」
「ああ……」
そうして彼の入れたお茶を各自何杯か飲める時間、ラスタはティを問い詰めてみた。
ラスタの肩に紺がかかった黒髪頭を預けて、温かい飲み物を凍りつくほどに冷やして飲みながら、とつとつと返事を返してくれる。
「よくわかりました」
ラスタは手にしていたカップに残った最後のひと口を飲み、ことりとテーブルに置く。
そして溜息と共に言い切った。
「基本アナタがなーんにもわかっていない事が」
ピクッと頭の耳がその言葉に揺れた。
「なーんにも…………って事はない……と、思う、ぞ?」
「なら、何でウィア兄上の貴方に関する情報を話しているのに、へーーとか、ほーーとか言っているんですか!」
「いや。まぁ、ウィアの情報力は……凄いのなーーっと……なぁ……」
「そしてたぶんとか、だいたいとか。殆どのまくらがソレで始まっていますよね?」
「何となくとしか言えないコトばかり聞く、から」
「まぁまぁ。ティって、そんな感じだから。ほら。シワ寄せない~」
むぅーーっとした顔をするティの眉間によるシワをウィアートルが指摘すると、彼はその辺を撫で、そのまま手で目を擦った。
「俺は、生まれる事が罪…………でも、後悔はない。ラスタに会えるなら、何も」
ふわっっと息を飲むティの瞳が、幼いラスタを見て、小さく笑う。
「世界樹、綺麗だった、な……今日もラスタがヒヨコで可愛く……て」
「ティ?」
「ん……ラスタが無事で……そ、で、会えた……それでいい……ん、だ…………」
「オルティス?」
「ほか、は……何も…………要らな……ぃ…………」
急激に言葉がたどたどしくなってきたと思えば、すとん、と、彼が寝落ちしてしまう。ゆっくり傾いて行くティの体をラスタは慌てて膝に寝せ、ウィアートルは予測したかのように、ティの手から落ちそうになったカップを掴むとテーブルに置いた。
「やっと効いたね……前より効かなくなっているかなぁ」
かしゃかしゃとウィアートルが振って見せるのは、魔獣グリフォンも寝ると言う口コミの薬瓶である。椅子にかけていた膝掛けをティにかけると、彼はソファーに腰かけ直した。
「もう今日はこれくらいにしてあげよう……っていうか、ティは自分に構わなさすぎだから。後の事はお任せ~って……だから自分のする事の影響なんてわかってないし、説明した所で他人事。そんなの、ヴラスタリの方がわかっているんだろうけど」
「ええ。本当に……本当に、変わらないんですよ。自分は弾に当たらないって思っているかのように、厭わず飛び出して行くんです。痛く無いはず、ないのに。初めて逢った日なんて、こーんなに足を腫らしてるのに全く感じさせなくて、イル様に言われてやっと……」
はらはらと泣く彼女にウィアートルは静かにハンカチを渡した。寝入ったティを起こさぬよう、彼女は小さく呟くように言う。
「何故なのでしょう、ウィア兄上。この男だって理不尽なはずなのに。生まれたのが罪なんて、そんな事あるはずないのに。何故、彼は名さえなく、奴隷で。自らの腕を切り、身内まで……」
「ヴラスタリ……」
「でも、でも彼はソレを受け入れるんです。悲しい事なんて何一つなかったかのように嗤って……」
小さな彼を慮ってラスタが話しているのを見て。ウィアートルは自分の判断は間違っていなかったのだと思う。彼女のティを見る目は、かつて自分が『番』にもらい、そして与えた慈しみが籠っていたから。
「本当のコト言うとね、ヴラスタリ。彼を君に会わせていいのか、迷ったトコはあるんだよ」
「っ………………」
「彼がイロイロ複雑な所はわかっていたし。イイ子だと思うけど…………例えばリオ兄が『結婚する』って子供を連れてきたら? 例えばクラーウィスが男娼を連れて来て『一緒に住むの』って言ったら?」
ラスタの目線が下がった。皆いい大人で、最後はしたい様にと言うだろうが、まず最初は正気を疑うし止めるだろう。
「では何故……」
「放って置けないのはあったけれど。……俺達は為政者だ。けど、彼は違う」
ラスタ達は生まれつきの王族。父王がエルフの森を結界で守り、外敵から守られている。王族内の結束は固いが、やはり遠戚や家臣達が全員同じ方向でいるとは限らない。
ハイエルフが重症化して死に至る病……アレが流行ったのは同族と思っていたエルフ達の所為で、深い呪いまでもが掛かっていた。
その時はイルのお陰で解決したが、彼はもうこの森に1000年は姿を見ない。彼は救世の英雄、しかしイレギュラーであって、始終頼れるモノであってはならない。
そしてどれほど民の為と心を砕こうと、いつ同じような鉾が王家に向くかはわからない。
「彼の行動原理は『ラスタ』。ヴラスタリ、君だけの為だ。馬鹿げているほどに。何があっても彼は君の為に動く。それは自分の命でも、血縁の姉でも、例え世界がかかっていても。それは貴重な存在なんだよ」
「わたくしは……彼にそんなコトを望んではいません」
「わかっているよ。けど何が起きるかわからないのが、生きるということだからね。ヴラスタリの想いがティにあるなら、彼は君に相応しい。どういう扱いを受けた人間であっても……彼はその側にいる限り、全力で我が妹を守ってくれる。それは王家を守るコトに繋がるんだよ」
血は混じる事になるけれど、それはそれでまた違う話だから、そこまで言ってからウィアートルはふっと笑った。
「でも。まさか3000年も前に絡んだ命運とは思わなかったよ? それにさ、俺が止めても。きっと遅かれ早かれ、どうやってでもヴラスタリに辿り付くだろうね。だって……ティだもの」
君に対する時のティったら甘いったらないよねぇ……そう言われてラスタは気恥ずかしくなり、膝の上の幼子を見やる。
そしてティの髪を撫でた。
上質な兎猫の毛を思わせる細い質の黒髪。閉じられた瞳を開ければその黒い瞳は黒曜の様に輝き、そのまなざしは蠱惑に光る。小さな手なのに信じられないほど重い赤刀を振り回し、竜を切り貫き、凍らせて燃やす。走り跳ぶ体は魔法をかけて脆弱を押さえ、危険に向けて躊躇しない。
「こんな小さくて可愛らしいのに……」
「まぁ見た目、ね。ふてぶてしいトコもあるけど、ティってお人好しなんだよ。ここは王城、政治がある所だ。だからどうしても俺達も彼を利用する所はある。けれど、その分以上に可愛い義弟としてティを守ってやりたい、そう思っているよ」
そう言ってそうしないうちに……ティはラスタの生母ルツェーリアの呪いを調伏する為に二か月近く、寝込み、まぁ……体が回復するかしないかの内にはまたやらかすのである。
そうしてヤラかしを繰り返しつつ、ティはこの大地で大人と言われる十六歳の年、ラスタにプロポーズした……




