二人の記憶:番外2世界樹へ
時間を戻して。
ティがまだエルフの里に来て、そう経たぬ頃。
二人が世界樹を始めて訪れたのは、世界樹の居所に住む様になって、一月経たぬ頃。ラスタの生母ルツェーリアの呪いを体に入れて調伏をかける少し前の話。
父王に『挨拶に行ってくるように』と言われた時であった。ラスタは手を引きながら、ティをゆっくり誘う。
その頃、ティの体は調子良さそうに見えてまだ安定していなかった。エルフの森に入った時点では全身の骨が逝っていたし、誰知らぬ間に呪い化した所長に巣食われていたのだから当然だ。他にもチラチラやらかして、まだダメージが残っているのに毎日鍛錬は欠かさない。傷病人のくせに元気がイイ為、長兄デュセーリオは、
「こいつは殺しても死なんヤツだ。何ならヤッてやろう」
「出来るものならな、デュリオ」
「まっ……た、ヒトの名を……いい気になるなよ。ヴィーが優しいからと……」
「優しくて可愛いのは当然わかってる。俺のヒヨコだからな」
「なっ! いつお前のひョ、ヒヨコなどにっっ」
「3000年前からだ。こう見えて昔は大人の男……だったから、な」
「ぉ、と、男……のっ……」
「ふっ……デュリオもかわいいなぁ。ヤッてやろうか?」
「なっ!!! どちらが『上』か理解させてやろう」
などと、二人で言い合いながら、鍛錬場に籠ってしまうし。
「ねー、ちょっとだけ……」
「もう一曲だけだぞ?」
「このハープはね。ほら、こっちもいい音するから。聞いてみて」
「あ、ホントだ。弦を変えたのか、ちょ貸しっ」
「今度、竜宮国に蝶桜貝と華藍貝のハープ、取りに行くときに、王妃様に挨拶しに行くよ?」
「あぁ、サフィールんトコか」
「そのままエンツィアの所にも行こうね」
「ぇ……師匠トコは……」
「心配してくれてるんだから、ね。精霊国と竜神国、妖精国と……ともかく対策して行くよ? 竜神国の王になるならヴラスタリの事は諦め……」
「何でそんな話になって……」
「イロイロ。君が知らない所で物事は動いているんだよ」
「でも。その。ラスタとっ……」
「わかってる。君は僕の義弟になるんだろ? そうそう旅はグラジエントが協力してくれるって。彼はウチの森守護隊に入れたから。あ、ほら、それより一曲、弾いて。また旅芸人もやろうよ」
「ぅ、わかった」
などと、次兄ウィアートルは延々とハープを弾かせていたり、別国対策を話していたりするし。
「死神のお義兄さん、これ読めるよね?」
「あーーーーこの字は余り知らん」
「でも見た事はあるんだね~……じゃ、これは?」
「ああああぁ、これはわかる」
「これはこっちの古語でねぇ……あ、ゆっくりっ! 書きつけるからぁ」
「ゆっくり、か」
「そうそう、うんうん……なるほどぉ~」
妹のクラーウィスは異世界の書物を大量に抱えて来て、ティに読ませて記録しているし。
侍女はデザイナーの姉が作る服を手に……ラスタもだが、ティにも合わせて着せかえしたいらしくソワソワしていたりするし、いつの間にか庭師と岩で造形して遊んでいたりする…………
「あの。ティ?」
「なんだ?」
……ハイエルフはもちろん、エルフは保守的で、自分達の血筋や考え、そして生活にこだわりが深く、その長い生をエルフの森と言われる場所で延々と過ごす。終生、森から出た事がない者が殆どだ。
だが退屈を感じないわけでは無い。だから害の無い珍しいモノならば、興味を持たない理由はなかった。
……冒頭一名、ただのシスコンが紛れているが。そこにラスタは気付いていない。
そしてティは構われる事を厭わない。むしろ興味津々で電池が切れるまで動き続ける幼児にストップをかける為、ラスタは声を上げる。皆が構いすぎて自分がティに接触できる時間がないと妬いているわけではない……断じて……
「ティ。そろそろお昼寝ですよ」
「え、まだ大じょ……」
「ティ。お昼寝の時間デスよ?」
「でっ……」
「オルティスは今日のお夕飯、お肉は食べられないですね? 休まなかった日に食べると胃が痛くなるでしょう?」
「っ……何故知って……」
「ちゃんと見てますから……ね?」
「っ………………………………じゃ…………ねる」
「イイ子ですね、さぁこっちに……」
「ラスタも一緒なら」
「え………………わ、わたくしは執務が……」
「ラスタも一緒にだ。小さいから寝る。寝るなら一緒だ」
そう言うと腰に手を回して飛びついて来て、その大きな瞳で見上げられる。少しだけ幼児らしくふっくらしはじめた、その顔と黒髪頭を腹部にすりすりされる。
「一緒っ」
「わたく……しっ………………」
周りの兄弟達が何とも見た事のない視線をしながら、すごすご部屋を出て行く。そうして侍女達に見守られながら、二人で午睡を取るのが常……
ラスタは自分の中の何かを削られるような、でも何にも代えられない甘酸っぱい気持ちに振り回されている毎日だった。
そしてその日、二人で世界樹のある場所を目指していた。ティにとっては初めての場所。本来ならばハイエルフにしか許されない禁断の地。つまり彼をその待遇で迎えるという父王の考えを、他のエルフに知らしめる事になる。
ラスタの兄姉弟妹は多いが、既に加齢で亡くなったり、エルフの森を出て行くか逆に引き篭もったりして、民に全く姿を見せない者が多い。結婚しているのはウィアートルだけで、それもすでに伴侶は亡くなり、花や実がなる話題は全く提供されていない。
そこに今まで約3300歳を過ぎても一切、春の兆しを見せなかった四の姫。彼女は市井に降りる事が多い為、民に非常に人気がある王族。その彼女が連れて来た、人族。それも他国の手で誘拐された同胞を救った『隻腕の赤刀使い』。
かの人族は現在五歳なれど、たった十年待てば成人。エルフにとってはちょうどいい婚約期間であり、民に話題をもたらしてくれる存在となる。
既に……その失った腕を四の姫が命を賭けて癒した……ドラゴンを単騎で倒した五歳児……二人は成長する時を同じく刻む為に姫は姿を幼く変えた……諸々、話題には事欠かない所か、真実と虚偽が混ざって満載過ぎる。
ティは冒険者として当たり前に依頼を完了した程度にしか思っていないが、他の国でも各種功績が認められている。彼は各国が取り合いしている牌。
このエルフの森でも彼の功績を利用して民心が荒れぬよう政治的に利用している。安全上の理由で顔は喧伝していないが、それでも剣術大会の時に撮られた半分顔を隠している肖像は既に有名になりつつある。
全てがラスタに会うが為の道に積み上げられた行動だが、その期間約一年。短い間にイロイロやりすぎである。
「なぁ? ラスタ」
「え、は、はい」
遠い目になりかけたラスタは慌てて返事を返した。
「ラスタ、あの王の机に生えているの何だ?」
ラスタの父王の執務部屋は総黒大理石で作られているような場所で、ソコにはたくさんの宝石が競う様にキラキラしている。そんな財宝の山よりも机の上に散らばる書類をかき分ける様に、生えている芽がティは気になったようだ。
たまに入り込んで、仕事をしている父王の膝に何故か座っている事があるが、あれを眺めに行っているらしい。
「あー。アレは芽、ですね」
「芽? まぁ芽、だな」
「世界樹の通信用? ですね。大きくなりすぎるとお父様が切っちゃいますけど」
「え。物理?」
「斧で。えいっっと」
「可愛いのに……いずれ切られるのか」
どこかしょんぼりとしているように見えるのは、下を向くと頭の上の耳がペタリとなって見えるせいか。
「あの葉の色、今のラスタの瞳色なのに」
ボソリと呟かれ、気になった理由が自分にあると知れば、ラスタは照れ臭くなる。
「でも、アレを切るのはまだまだ数百年は先ですよ? それに切った芽がうまくついて、世界樹になった例もあるそうですから。あ、そろそろ……」
今まで道なき道が、ラスタの歩みに合わせて木々や蔦、絡み合った根や草が意志あるモノの様に分かれ、道を作っていた。それが広く開け、大きな湖が現れる。
「っ…………」
ティはその樹の大きさとその場に占める雰囲気に息を飲んだ。
霧がかかった大きな湖の真ん中、イキイキとそそり立つ濃緑の大樹を二人は眺めた。湖を覆う程の枝ぶりは見事だ。そしてフワフワと大小の光玉が樹には纏わり付く。
水面には花が咲き、花開いたばかりの中から妖精が生まれ、ゆっくりと空を舞う。世界樹を母と慕う様に楽し気に光の玉と妖精はひらひらと辺りを飛び回っている。
「このエルフの森でもわたくしが一番好きな場所です」
「これが……世界樹…………居所の世界樹とは違うな」
あちらの樹は居城になる幹が太く、葉は白や透明で所々に宝石が輝いているが、イキイキと言うより静かで厳かな雰囲気が強い。
「あの樹は数代前にその役を終えてますから。それに回りが湖ではありませんから雰囲気が違いますね。十人十色と言う様に世界樹の元となる樹の性質は毎回同じではありません。こちらに来てください、ティ」
樹の幹は湖の中央にある島にあり、回りには小船一隻すらない。だがラスタが湖に足を踏み出せばソコにするりと樹の根が組み合わさり、水藻の花で飾られた橋がするするとかかっていく。ラスタには見慣れた光景だが、ティはずっと目を見開いて見入っている。
「この樹の根が、核に繋がっているのか?」
「ええ、当代の樹の根だけが繋がり、その葉が受けた情報などを伝えるそうです」
ぽわぽわと湖の花から光の玉が宙に放たれる。妖精をティは見る事が出来ないようだったので、ラスタは握った手から魔力を送って視界を調整してやった。ティは一瞬、眩し気に眉を寄せたが、今まで見えない者が見えた様で不思議そうに手をのばす。
妖精は戸惑っていたが、ラスタが微笑めば警戒しつつもティの指先に触れ、髪や垂れた耳を興味深そうに揺らしていく。
「世界樹が枯れたら魔獣とか厄災とかに見舞われて、最後には核が割れ、世界が崩壊すると言われています」
「これ、一本しかないのか」
「代替わりしますけど、当代は一本だけ、ですよ」
「……アレはこの大陸に生誕し、コレを枯らしてこの星を喰うつもりだった、のか……」
「どうかしましたか?」
「いや」
小さく呟いた為、ラスタにその言葉はハッキリとは届かなかった。何でもないと首を振り、ラスタに手を引かれるままについて来る。向こう岸、世界樹の幹が生える島までゆっくりと根の橋を歩んでいく。ラスタが歩んで行けばその足元はふかふかと芝が生え、ぽふぽふとティはそれを踏んでいく。橋は揺れる事無く二人を島へと渡らせてくれる。
「下から見上げるとまた綺麗なのですよ」
「ああ」
緑の葉は陽の光を透過し、降り注ぐエメラルド色の光がラスタの金髪に光る緑影を落とす。世界樹の枝葉を見上げているハイエルフの姫ラスタが一番綺麗だ。ティはそう思い、彼女に導かれるまま、世界樹の根元までたどり着いた。
「幹に触れて、挨拶を。心に念じて下さい」
ラスタがその幹に触れれば呼応するかのように光玉が明滅し、樹が揺れてその葉を散らす。その葉が風に溶けて緑色から金に光りながら空気に溶けて、その清浄さに心が洗われるようで、その光景はとても美しく荘厳だった。
「ティも」
ラスタに促され、その幹に触れればひたりと樹の梢は揺れを止め、森が静寂に満ちた。今まで鳥がさえずり、妖精は無邪気に笑っていたのに。風さえも動かない。ティが挙動不審に目を泳がせ、ラスタも彼をみおろして。
瞬間、ぶわっと吹き上げるような風が吹いた。
サザめくを通り越してザワめき吹き始めた突風に妖精達が乗り、きゃぁきゃぁと光玉を掴み、飛び回る。湖を覆っていた霧が晴れて空を舞い、光が強く射した。今渡って来た橋の上に、虹が二重にかかる。森の鳥が美しい声を上げて空を舞い、遠くの魔獣の声が聞こえ、緑の角をした鹿の群れが森から出てくるとのんびりと水を飲む風景が見えた。
その美しく楽し気な光景にラスタは微笑んだ。
「ティの事、歓迎してくれてますよ」
「ああ、礼を受けるのは……俺じゃ……ない」
「どう……したのですか?」
「嬉しいだけだ……ラスタと来られて……よかった……」
そう言って幹から手を離したティは、迷いなくラスタに抱き付いてきた。帰り際、少し疲れたと言って彼はよく顔を見せなかったが、すれ違いに見やった黒い瞳には涙が零れんばかりだった。嬉しい涙にしては、悲しい気配が強くてラスタはその綺麗な眉を寄せた。




