5番目の記憶
昼下がり、北の森はとても静かだった。
普通なら狩りをする者が居てもおかしくない時間帯だが。しかし人の気配が夜に魔獣と戦った辺りに偏っていたため、そっと迂回した。
「ココに逃げ込むだけなら、腕切らなくて良くなかったか?」
やってしまったモノは仕方がないし、奴隷の黒墨など引きずりたくなかったからイイとしよう。人間諦めも大切だ。
赤刀は普通の刀と違って願えば傷口を焼いてくれるし、農具の鎌や鉱山の穴掘り道具や使い、腕を落とすより遥かに清潔ではあったろうが。
「無茶が過ぎたか?」
本当は神印さえ捺してもらえれば、子は宝と言う建前上、まともな治療も受けられると思っていた。実際には違っていても、奪った金も、金になる物資もあればどうにかなると思っていたのだ。
だが、当てが外れた。何故あれほど神殿に恐怖を見たかはわからない。けれど本能があの場所やあの人間達に近づく事を拒否してしまった。
キラキラと光る虹色の風は遠くから吹いている。
「ラスタが……遠い」
この森を抜け、西の山脈を行けば物理上、他の国にたどり着く。妖精国か北方国だ。北方国側の方が人族の多い国なのでそちらが好ましいだろう。それに虹色の風は東から吹くから、西にある妖精国より北方国側の方が方向的に合う。
だがこの森と山は『不可侵領域』だ。だからこそ物理の壁がない。ここは獣や魔獣と言った生物の世界。俺はその生体に詳しくはなかった。
知っているのはこの森の町寄りはうさぎやネズミがいるし、稀に熊が出るが、基本は夜に戦ったあの魔獣のテリトリー。夜にバサバサ切り殺して回ったが、魔獣は凶暴で、刀を持たない俺なら即死の相手になる事。
普通の人間が狩りの獲物に出来るのはあの魔獣が限界で、この奥に居る生き物はもっと強いという。
つまり昨日の魔獣はその奥の生き物には勝てない『雑魚獣』だ。
とりあえずアイツらには勝てる事は証明できた。だからずっとそのテリトリーで過ごすという手もあるが、それではラスタの下には辿り付けない。それにココではいずれ人の目にもつくだろう。
それにあいつらは見れば俺に飛びかかって来たから、あの勢いで倒し続ける事が可能なら、早々に全滅する。
その時に奥からやって来る別の魔獣に対応できるか不明だ。
「とにかく体調を整えたい」
夜の方が魔獣は凶暴だった気がする。昼間のうちに水と安全を確保し休まないと……
そう思った時、俺の膝がガクリと折れた。躓いたわけでもなく、ぽっきりと折れるように。
「ヤバい……マジで」
立ちくらみなど起こしている場合ではない。ここは魔獣が棲む場所だ。食べてくれと獣の檻で寝るようなもの。酷く汗が出ていて、身体が痛い。気付いてしまえば、酷い吐き気に頭痛までする。
右手がない為、形の悪い四つ這いになりつつ、立ち上がろうとモガく。その揺れで懐から布切れと不思議なモノがバラバラ…ころんと落ちた。
「は?」
一瞬、痛みを忘れるほど驚いた。
と、言うか忘れていた。
俺の服はフード付きマントの下に、布を割いて簡単に縫った前あきの物を纏っている。袖のない着物を帯で締めたような、生成り色のありふれた服だ。
その懐に俺は手拭きと共に、小さく丸っこい生き物、そして自分の右手という、ありえない組み合わせを放り込んですっかり忘れていた。
落ちた布切れはわかる。だが乾いた少しの砂と共に続けて落ちた白い細長い欠片。そして鶏の卵程の大きさのまるく白い物体……俺が入れた覚えのないそれら。
目の前で細長い欠片に、ころりと丸い物体が近づくと欠片は吸い取られるように……
「き、えた」
消える一瞬、その小さく細長いモノが何なのかわかった。
「骨て……おま、喰ったのか……」
骨。
あれは小さな子供の指の骨だった。
つまり俺の切り落とした手を……こいつは『喰った』のだ。フライドチキンを食べるように、骨を残して。その骨さえポリポリと食べてしまった。
白い毛玉はその赤い小さな瞳で俺を見上げる。お互いぱちりとまばたく。次の瞬間、俺の目の前には白い小さな鳩が居た。
「ど、ドリーシャ……」
それは俺が日本にいた時、懐いていた豆鳥と同じに見えた。そしてソレと同じにクルル……と鳴いた。
ぞわり……と鳥肌が立つ。こいつ、俺の記憶を読んでいる。最初こいつを拾った時は『ヒヨコ』を思い出していたから、ぴよと鳴き、次は俺の記憶の中から『ドリーシャ』の姿を映している。
一瞬でも哀れみをかけた自分が馬鹿げていた。得体の知れない、まだ小さい何かが恐ろしい。こいつは俺の手を喰って確実にデカくなっている。初めはウズラの卵くらいがいつしか鶏卵、そして瞬きのうちに小さめの鳩サイズになっている。こいつから逃げねばと心から思ったが、すでに限界だった身体は動かない。
「くるぽっ」
身体を支えきれず、ずるずる腹這いに倒れた俺の体の下になった、豆鳥に擬態した何かが、ばたばたと必死に抜け出そうと羽ばたいている。
その滑稽な動きに笑いがこみ上げて、ごろりと退いて仰向けになってやれば、天を突くほどの暗い森の木々の隙間にほんの微かに青空が見える。
ああ、いつの日にか吸った煙草の紫煙を吐いた時に見たような、青空の欠片。『表』は好まなかったが、俺は稀に煙草を吸っていた。脳が酸欠になる、何も考えないでいい瞬間が嫌いではなかった。
「今生は吸う機会もなかったか」
何とかカバンに収めていた果物を取り出して、口に中に押し込んだ。熟れてもない、美味しくもない、すこぶる不味い、たぶんこれが最後の晩餐。のどの渇きだけは癒えた気がする。
俺は要らない生き物だ。
どうせ捨てられるだけ。
わかっている。
生まれた瞬間に疎まれて消える者。
「くるぽ、くるぽ……」
ドリーシャの姿を真似た何かが、記憶の彼女と同じ声で鳴いている。腹が立つが、俺はこいつの餌になるのだろう。俺の人差し指を突いて、その小さく流れた血をくちばしでガジガジと舐めてせっせと口にしている。
「せめて気を失ってからにしてくれ……」
もう体が動かない。刀を出してこいつを追い、刺し殺す起動力は皆無、猛り狂う魔獣が住む森でこんな鳥一匹ヤレたところで焼け石に水だ。
俺は賭けに負けたのだ。かりそめの安寧などクソくらえとは思ったが、コレは余りに短い時間だった。
本当にしょーもない生き様だ、力に浮かれて、噂を鵜呑みにして、何にも出来ずに死んでいく。魔法使いになれる事もなく、とても無様に内臓をこいつに提供するのだと思うと、情けなかった。
「ラスタ……逢いたかった……」
何度も転生して、きっと同じように皆巡っていく。俺もまた同じように。記憶を持ったままなのが、他の人間とは違うか。
俺の場合、容姿は黒髪黒目かそれに近い事が多いが、全く同じではない。皆、容姿も、国も、土地も、惑星も、宇宙、そして世界線をも超えて、ぐるぐる生きては死んでいる。
その中ですれ違っているかもしれないが、自分を『知る』人物と会う事などなかった。気付く事などないのだ。
俺が覚えていて、よしんばそれが誰かわかったとしても、相手はソレを覚えていない。
しかしラスタは俺を覚えているハズだ。
あいつはハイエルフ、300歳で乙女だと言った。もしあれから仮に3000年が経過していようと他の誰でもないアイツなのだ。忘れられているかもしれないが、別の誰かってことはない。
何故、無性に会いたいかわからない。
あいつには好きな奴も居た。イルだ、赤薔薇の小悪魔。今も彼が好きだろう、きっとあいつは永遠に乙女だから。
そう言う意味合いでなくても、こうやって自分が知っている者が生まれ住んでいる土地に、降り立つ機会は今までなかった。とても貴重な時間……何よりアイツを冗談でも泣かせてしまった。あの涙が今回、俺を呼び起こし、虹色に見える彼女の匂いがする風が、その存在を知らせるという偶然。何故そんなモノが吹くかはわからないが、悪意はないと思う。
「きっと、そんな事はこれを逃せば二度とない……」
諦めが大切だと思ったばかりなのに。
遠い空のわずかな青を見ながら、俺の意識は途切れた。
夢だったのだろう。
あったかい布団。ぬくぬくの羽毛布団。
幸せってとても単純だ。
例えば……このあったかい布団。
空いた腹が膨れる茶碗一杯のごはん。
できれば楽しく暮らせる家族や仲間など居れば尚イイ。
ソレが望めないなら……
冷たい床に這いつくばって、腹をすかせて、野良犬の様に追い払われても、たった一人に遭えるなら……俺はそれでイイ。
「この? あ……あったかい?????」
視界が真っ白い柔らかいモノに覆われており、それも全身ぬくぬくやわやわと快適な……けれども意識を失った場所が場所だっただけに、俺はその白いモノから這い出て、振り返る。
「おま……ぇ…………今、デカかった、ろ?」
「くるぽ?」
振り返る一瞬、目の端に白い大影を捉えたが、焦点が合った時にはその影は俺が知っている小さな鳩の姿で、それもあざとく小首を傾げて、きゅるんっっと赤い瞳を瞬かせた。
「俺を喰わなかったのか……」
それどころか守ってくれていたようだ。
目の前には昨日の夜倒したのと同じ獣が十匹程、そして爪の長い熊が絶息し横たわっていた。そのいずれもが、散弾銃を浴びたかのような細かい穴が開いている。
「お前が倒したのか……」
「っるっくーーーー」
地球で……ドリーシャは小さな鳩だった。何故だか懐いてくれた、とてもとても賢い子だった。今のように話しかければ答えたような返事をしてくれるほどに。けれど小動物が人間の俺より長生きである筈もなく、死んでお墓だって作ってやった。
だと言うのに、まるで彼女と同じに、いや俺の記憶通りに俺の頭の上にバサバサと遠慮なく留まった。
「おま……さ。………………まぁ……助かった」
もう、とりあえずいろいろは後から考えようと思う。
体力は意識を失って眠った事で回復傾向、最後の晩餐のつもりの果物が熱中症っぽい症状を和らげてくれたようだ。
もう、夜が迫っている。
俺は謎の白い鳥らしき何かが倒した熊の腹を赤刀で裂く。皮も脂肪もモノともせずに切れる刀。まだ体温がしっかり残っておりムワッとした匂いと熱を感じながら、心臓と肝臓を取り出した。一番わかりやすかった臓器で、片手の俺がカバンに括って持って歩ける量だったからだ。
「水場を探して、どうにかしてさっさと食おう」
洗って、焼いて、喰おう。水の細菌が怖いが、ココは人間がほぼ入らない、それによる汚染は考えずともイイ。腐りやすい部位だが栄養価は高い筈だ。
こうして俺はどうにか生き延び、ラスタに近づく為の方法を再び考え始めた。
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