オルティスの記憶:番外2
「デュリオ?」
「動くなよ、童」
氷の鎖は俺を捉えた。編まれた鎖の魔力は強く、即座に解くには完璧に仕上げられていた。デュリオの几帳面な性格が出た美しい呪文と魔法陣。
「デュリオ、誰がどんな趣味を持っていても止めんが……それに乗る気はないぞ……」
俺の言葉に一瞬首を傾げたが、ニヤッと嗤えば下品なネタだとやっと気付いたらしい。ソレが子供の口から出たのが意表を突いたのか、それともそういう煽りを受けた事がないのか、バッっと顔が赤くなった。やはり……ラスタみたいだ。
「んな、ワケなかろう。黙れ、童っ!」
「ジョーダンだ、冗談。で?」
そうしているうちに俺の下に別の魔法陣がふわりと描かれた。そして動揺を収め、眉を寄せて難しい顔をしたデュリオが、左手で支えた右手を俺の胸の辺りに翳す。その魔法陣を読み取り、首をかしげる。
「治癒はまだしも、祓い系?」
「ふむ、読めるのか。流石に導師エンツィアの弟子の名は飾りではないという事か」
「何か『いる』のか?」
手掌に浮いた魔法陣が心臓へ近づくにつれて、激しい痛みがした。俺は反射でその痛みをキャンセルする。だが口から返ってくる血が止められず、口の端から零れ落ちた。更にゴホゴホと咳をすれば撒き散ってしまうのを見て、デュリオの眉が動く。
「何を考えている」
「いや、布団が汚れるな、と」
「お前じゃない。中のヤツだ」
『やめロ……殺す気カ。仲間じゃないのかァ』
「あ???」
コレ、どこかで聞いた声、だ。
背中がぞわっとする。気付かなかった、気配も出せないほど弱っているようだが、何か俺の体に入っている。それもこの口調、言いまわし、音調は違うが断定できる。
「聖国の研究所所長、だか、だ。コレ」
「ほう」
「……んと、だな。仲間じゃないのか、殺す気かって言っているな」
「仲間、ではないな……童が死んだ所で何も困らんが」
二ッとデュリオの左の口角が上がる。
『せっかク、乗り移ってやったというの二。この幼児、無茶ばかりしおっテ。怪我人だゾ、重病人が何故そう動ク! 少しは安静にせヨッ、こっちが死ヌワッ』
「こいつ、俺達が倒した精霊国の地下にいたドラゴンに入っていたヤツだ……何か俺、無茶苦茶だって怒って心配してる? てか、おま、既に死んでるだろ?」
「弱ったお前の体に霊魂が寄生……呪化して宿っていると言う事か。ウィアがお前の体の回復がオカシイと報告を受けていたのだが、そいつのセイだな。同化し過ぎたせいで逆にその体に捕らわれ、童のあばらが折れたのに串刺しになって動けないか、所長とやら。」
『やめロ、ぅわわっッツ』
叫んだところで聞こえるのは俺の耳だけだ。
デュリオは俺の肺と心臓の辺りに手を翳す。そのまま手が、身体の中に吸い込まれる。ごそごそ、ニュルニュルと体内を漁られる感覚と所長の叫び声に水音が混じる。
気持ち悪いし痛い気もするが、感覚を切っているので良くはわからない。ただタラタラと口に血が返ってくるから、あんまり健康には良くない気がする。
「捕まえたぞ。人族の体を使ってこのハイエルフの居所に踏み入るとは……許せんな」
『ひいいいいいっッ』
薄青く光る魔法陣が変形し、ゴム手袋のように覆ったデュリオの右手。彼が捕まえていたのは、大人の手に余るデブの爬虫類だった。
うにうに、黒くて動く様が、どう表現しようもなく、イヤだ。トラウマになりそうだ、しばらく爬虫類の肉は食べたくないくらいには。
「きもっ……カベチョロ、だ」
フラムドラゴンが死ぬ寸前、俺の体に乗り移っていたのか。竜官士の目も、医者の目も掻い潜る為、その姿で俺の『中』を駆けまわっていたのだと思えば、本当に気持ち悪い。
「かべちょ?」
「ああ『壁を這う者』って意味だ」
ついどこかで聞いた爬虫類の呼び方を説明しているのを隙と見たか、小さな火を吐き、デュリオの手袋型魔法陣が焼けた。そして緩んだ手から、カベチョロが逃げる。
「逃がすか!」
デュリオが宙に跳ねた爬虫類を腰に帯びていた短刀で切りつけるが、気体のようにすり抜けてしまう。俺は咄嗟に部屋の壁と床、そして物体全てに結界を張り巡らした。あの伸縮性に富んだ服に出来る結界だ。火や水のような魔法は破壊特化だが、結界はかなり柔軟に対応できる。
世界樹の居所が特殊とは言え、物質をすり抜けてしまうなら、あのカベチョロがそのまま俺の身体に溶けていたように、居所を侵食してしまいかねない。逃がして居所の中に入り込んだら一大事だ。
父王がどうにかしてくれるかもしれないが、災いは払ってみせると豪語したばかり。結界をデュリオの鎖にも張り巡らせ、その内部で炎を叩きつけて破壊する。
『ふふ……ァ? なななんで逃げ込めなィ!』
ベチャっと床に落ちたカベチョロは、一瞬嗤ったようだったが、思った通り体が抜けて行けなかったのだろう。壁に張り付き、天井まで駆け上っていくソレを、俺はデュリオがやっていた手袋魔方陣に近い物を作り、その両手で掴んで床に膝をつくくらいの高さまでズルズルと引き摺り下ろす。手袋はまた俺の中に入り込まれても厄介なのでその対策だ。
『くっッ……』
「刺せっ、デュリオ!」
「だがっ」
『この幼児の手がまた無くなってもいいのヵッ』
「迷うな、刺せ! 払いの魔法を纏わせて手ごとヤれ」
『やめロォ』
「だが、その右手は……ヴィーがその身を賭して癒した手だっ」
所長の声は聞こえていないが、彼は迷う。俺の手がどうと言うより、ラスタが癒した手を砕く事がデュリオの中で禁忌だったようだ。俺も迷わなかったわけでは無いが、その動揺が命取りになる事は知っている。
左手で押さえればデュリオが思い切ってくれそうかとも思ったが、賭けに出る暇はない。俺の腕で赤刀に慣れたのは左手だったから、右手でソレを押さえ、左手で喉仏に触れつつ出した小太刀にした赤刀をくるりと逆手にして持ち替え、その甲を迷わずブッ刺した。
この刀は神のモノ。
呪いだろうが、霊魂だろうが、何だろうが貫き、切り割ける。カベチョロが逃げようとしたが、俺の魔力は破壊特化、絶対に壊すと決めたら譲りはしない。
「燃せっ!」
『やめロォうおうぉうううううぁァ』
痛いし、熱い。だが俺の手は焼けない、でも感覚は切っているのにしっかり伝わってくる痛覚。しかし絶対に逃がさないと鍔まで手の甲を刺し、カベチョロだけに集中して火力を注ぐ。下手すると壁を燃やして結界を壊し、逃がしかねない。ただ集中させるのは自分の手中にあるから、酷く苦痛だ。
『ぎゃああああああああああああアァ』
ジュワっっとその黒い影のような爬虫類が断末魔を上げながら焼け溶けていく。燃やす方に力を割いた為、部屋中に張った結界が解け、部屋の外から怒鳴る声が入ってくる。
「ねぇ! ティっ。リオ兄っ居るなら開け……開いたっ……って何してんのさっティ! リオ兄もっ」
壁に押し付けたカベチョロの最後の一片が燃え尽きる。
ソレの数瞬前に結界が消え、ウィアートルがドリーシャを頭の上に乗せてなだれ込んできたので、その最後の瞬間が見えたと思う。
俺はできるだけ自然と、自然と赤刀を消す。壁に描いていた血糊は刀が吸い上げ、俺に刀傷は残らない。だいたい刀は俺の体の一部だから刺した所で問題、ない。よな?
だからすぅっと立って近づいて、デュリオ自慢のスラッとした足の後ろに隠れる。気持ちでしかないが。そして灰色の麗人を横からそっと覗き見た。
「ティ! 何やってるのっ。え? は? ナニ、ヤってんの?」
「「これはだな……」」
なんか、デュリオと台詞が被る。お互いやりどころがなく、口をつぐむ。
「り、リオ兄、ティを殺っ……」
「違うが?」
冷ややかに言ってから、握った短刀をキンッっと金属音を立てつつ鞘に仕舞う、デュリオの姿は格好いい。
だが布団には血や氷の鎖の破片が飛び散っている。そして俺は一瞬前まで壁に向かって置いた手の甲を、己の刀で刺し貫いた格好だった。白い服は……血まみれで、何もなかったではナカナカ説明できない。な。
「例の、精霊国で倒した親ドラゴンの中で会った、『不審者』がいた」
「は?」
「俺に巣食っていたのを、デュリオが気付いて取り出して」
「逃しかけた所を、今、この童が……始末した」
「ちょ……」
ぱたん。
ウィアートルが後ろ手に扉を閉め、息を思い切り吸ってゆっくり長く吐く。落ち着こうとしているようだ。……何かあったか? と言ったら、キレそうな雰囲気だ。
ドリーシャが場にそぐわない軽い声でクルクル鳴いて、部屋の片隅にある籠に収まる。
俺、この部屋に初めて入ったのだが、何でドリーシャが好む柔らかい絹布が丸めて入れられた籠があるのか、よくわからん。いろんなヒトの髪を引っ張りまわしているのは知っていたが、デュリオの部屋まで遊びに来て、それも受け入れられているとは思わなかった。
「はァ。うん、なんか、ヤバい事になりかけていたのはわかった。リオ兄、フロア封鎖して。父さんは気付いているだろうけど、ヴラスタリに今、コレ見せれないから」
コレ、って言う所でグレーの透き通った綺麗な瞳で見られて、俺はこてりと首を傾げた。
「その、血まみれで何がって顔、ヤメてッ!」
その後はこの居所付きの医師が呼ばれた。何度か孤児院で会っているエルフで、またお前かよって顔で生暖かく診てくれた。人族の子供なんて嫌いなのだろうな。
出来るだけ動かさない方がイイからと、デュリオの部屋で治療される。突き刺さった骨を正常位置に戻して、穴が開いた内臓を塞いでくれる。
「痛みを、痛覚をゆっくり戻っ……いけません! 痛みでショック死しますよっ」
「ちょっとずつは苦……手っだ」
体が不自然に跳ねたと思えば意識が遠ざかって……
……どのくらい、したのか……
『リオ兄、他にもいくつか寝室、あるだろ? 俺がココで見張るから……』
『場所や枕が変わると寝つきが悪い。この頃、悩みが多くてな、ウィアートルがこんなのを連れてくるから……父王が認めたからには仕方がない、が?』
『そんな怒ってんなら俺のトコ、連れて行くよ? そっと運べば……』
『今日は動かさぬよう言われただろう? それもこいつの中にいた奴の件で各所に連絡する仕事も残っているはずだ。童は明日、連れて行ってくれればいい。ただ……ヴィーは何と?』
『リオ兄んトコのベッドで寝ちゃったから、そのまま寝せるって言ってある。客室で落ち着かなくて真面な場所で寝てなかったみたいだから。有り難がって、起こさないでそのまま寝せてくれって……』
『やはりヴィーは天使だな。で、ゼアは?』
『口数少ないし、リオ兄止めたっしょ? だからヴラウタリに言わないと思うよ、ティが血を吐いていたなんて』
ハイエルフの兄弟がコソコソ念話で喋っているのが聞こえた。まぁウィアートルは正確には精霊ハーフだけど。
『リオ兄、けっこう小さいモノ好きだよね』
『そんな事は』
『俺もよく可愛がってもらったし』
『弟、だからな』
『ティは義理だし、人族だから。瞬きの間しか一緒にいないけど。それでももう俺らの弟、だよ?』
立ち上がる気配がして、部屋の扉が開く音がする。
『おやすみ。しっかり寝て。どうせリオ兄、徹夜明けだったんだろ? 手間かけるけど、ティの服は起きたら着替えさせて。その血塗れ、見られたらヤバいから』
ウィアートルが出て行く気配に合わせ、俺はドリーシャを彼の頭に移動させた。
『あれ? 付いてくんの?』
くるくる鳴く声が扉で遮られる。
それから暫しして電気が消えた。ベッドの逆端が軋んで、重みがかかる。隣でデュリオが横になったようだ。大人が三人以上並んでもユッタリ眠る事が可能なベッド。どこの御貴族様だ……って、ハイエルフ王族様だった、俺のラスタも含めて。
それでも隣でゴソゴソと成人男性が寝返りを打てば、気にはなる。
「おま、場所や枕が変わると寝つきが悪いようなタマじゃないだろ? 何の用事だ」
「やはり起きていたか、童」
「話せ、ウィアが居ては困る話題なんだろう?」
そう言えば、デュリオは身を起こして、一度消していた床頭台のランプに魔法で火を灯した。
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