ウィアートルの記憶1
ウィアートルさん寄りの三人称です。
薄いカンテラの灯の下、イライラとしながら机の上の少ない荷物をウィアートルは眺めていた。少ない光の中でも彼の灰色の髪や透けた灰色の目は美しく輝き、気難しく寄せる眉すら高貴な気配が漂う。
机の上には子供の服が一式、財布用の布袋、小さな銀の箱、それらが入っていたずだ袋。隣の籠には白い鳥が蹲って眠っている。
これらの持ち主は今、ここには居ない。勝手に飛び出して、囮として自分の身を使い、嗤いながら出かけて行った少年だ。預かった者の身になんかなってくれていない。
『信用してる。だからこれを頼む』
その割に、こんな紙切れ一枚書く暇があるなら、声をかけてくれれば……きっと彼を止めた、全力で。腕力で無理なら、泣き落としでも使ってきっと……
「だから、言わなかったんだろうけど……」
明らかに異常な、異様すぎる子供。まるで生きた跡を残さぬように綺麗に整えられた服、残した一筆の潔さに託されるこちらの身が竦む。
彼の師匠であるというエンツィアとウィアートルは知り合いだった。魔女の島と呼ばれている島が共和国にあるのを知り、興味本位で遊びに行ったら、そこにいたのがまさかの、あの不老不死エンツィアだった。それからはたまに旅行の折に彼女の所へ茶を飲みに行くが、この所はご無沙汰だった。
彼女ならティを良く知っている……だから話を聞きに行きたいが、今、ココを離れるわけにはいかなかった。いつ、彼が帰ってくるか、気が気ではない。今夜にだって箱詰めになって帰ってくるかもしれないというのに……
まぁエンツィアに聞いた所で、『私の弟子だよ、下手を打って死ぬならそこまでさ』という軽いように見えて、強くて太い信頼の言葉を吐くだけか。そう思って、ウィアートルは頭を掻いた。
「箱詰め犠牲者の話を聞いて、一つも足踏みしないどころか、飛び込んで。冒険者の矜持だっていっても、限度が……」
もう時計の針が夜中を指すのに、眠れるわけもなく、彼は昨日までティが借りていた冒険者ギルドの寮にいた。普段はこの国滞在用の自分の部屋に戻るが、彼の帰りを待つのはギルドに近い場所がよく、職員も感じる所があるのか、ココでの宿泊を薦めてくれたのだ。
そんな夜中に扉を叩く時間も、返事を待つ数瞬も待てないと言わんばかりで声が張られた。
「ウィアさん! ティからです。下に……」
「っ! すぐ行く」
机に広げていた服を畳み、そこにあった物を袋に突っ込む。その時に一瞬だけウィアートルは固まった。
「何で……???」
しかし今は今見たモノに思考を裂く時間がなく、鳥籠を掴んで下階に駆け降りた。
ソコには濡れ鼠の子供達が毛布に包まれ、大人達が右往左往している。黒髪黒目、居れば目立つはずのティの姿はない。だが中にエルフの子も見え、そちらに行きそうになるが、それは後だと引っ張られ、隅のソファーに座らせられる。
隣にはギルド長、その後ろには副ギルド長が控えており、目の前にはひょろひょろと気の弱そうな青年が座っている。フード付きのマントも脱がずに挙動不審な男。服装からと魔力の流れからも魔法使いとわかる。
「エルフの、ウィアートル様ですね?」
確認の言葉に頷けば彼は二つに折った一枚の紙きれを机の上に差し出して渡してくる。ティからの連絡。だがウィアートルはすぐに手に取りたいのを必死で抑える。ここは冒険者ギルドだ、ギルド長が受け取るべき所だとチラと顔を見る。
「俺宛ではなく、エルフ様に、だ、そうだ」
「……じゃあ、見せてもらうよ」
ソコには……
子供達が攫われたのは『東公国』、『竜神国』『精霊国』『東獣人国』、そして『エルフの森』。
攫われた方法は三つのパターンに分類。
『冒険者の真似事中に攫われた』
『町で不意に攫われた』
『知り合いの手引きで攫われた』
自分の足で乗った者も居るが、魔法使いが転移陣を使って『船』に直接、誘拐した者を乗せ込んでいる。
エルフの子供が『住人のお姉さん』に連れ出され、船員に『これで私は『聖国』へ戻らなくていい』と言った事。
そして最後にカクカクの拙いティの文字で、『これを届ける魔法使いグラジエントは『転移魔法使い』であり『奴隷』として彼らに従った。奴隷印消去済、ウィア保護してくれ。ティ』と書かれていた。
ウィアートルは紙切れをぺらりとギルド長に渡し、副ギルド長も覗き込んでいる。状況的に転移魔法を彼が使って子供達と戻ってきた事、その中にティは含まれてない事はわかった。
「これは……グラジエント、君が書いたの?」
「文面はそのまま口頭で。一時間は経っていないかと……僕達が離脱前に」
「船は?」
「東獣人国沖のワープゾーンへ向かって……」
「この雨と波だと早くても到着は朝でしょうから、手配をかけます」
船の位置を聞いて、副ギルド長が移動する。ウィアートルは質問を続ける。
「君達のネグラは聖国のどの辺りにあるの?」
「……聖国です」
「だからドコだ……って、聖国本体って事?」
クマの酷い顔でグラジエントが頷く。聞いていたギルド長が唸った。
「コトが大きすぎる……侯爵に話をつけないと無理だ。俺は繋ぎをつける、早くても会議は明日だ」
「そんな事より。ねぇ、ティはまだ……船の中なの?」
「は、い」
「跳べる? 君、跳べるよねぇ!? ここまで全員連れて跳べたのだから!」
「落ち着け!」
移動魔法使いに飛びかからんばかりのウィアートルを、ギルド長が止める。びくびくっと体を竦ませたグラジエントが、
「船、沈んだ……かも」
その一言でウィアートルの動きがやっと止まる。
「黒墨を消している間、ティ様の結界で守られていて気付かなかったけど……船、怪物に襲われて」
「え?」
「その隙にティ様が茨を消してくれて……そのまま子供達のいた船倉に行ったら、水浸しで……」
「水! 穴ぁ開いてたの?」
船体の内部は浸水を一区画で喰い止める水密隔壁になっているから、すぐに沈むわけじゃない……ギルド長がウィアートルの耳に説明を入れる。
「ギリギリでっっ皆で跳んだけど、あそこに敷いた魔法陣はもう……使えない」
「船に直で行けないのか」
「行ける……けど、水の中かと……」
ウィアートルはソファーに座り直す。ギルド長は他の職員達に、
「とりあえず子供達を風呂に入れて着替えさせろ。その後に食事させて寝せてやれ。三階の大広間を解放して災害時仕様でまとめて眠れ……」
「ギルド長、この魔法使いは俺が預かりますよ?」
「……重要参考人だ。奴隷の罪で奴隷は裁かれないが、足抜けがバレれば消される可能性もある。とりあえず冒険者ギルドに加入してライセンス発行による身分保障、一時的に発信機も身に付けて欲しいが」
グラジエントはウィアートルを見た。
「ティ様が僕を委任した、貴方に従います」
「……じゃぁ手続きしてきて」
ウィアートルはしばし手の中に顔を埋め、思考を走らせる。数分ほど考えてから、捕まっていたエルフの少女達に声をかけて話を聞いた。その時、船の行方を押さえに行った副ギルド長が話しかけてくる。
「あの、すみません。船、見つかりました」
「えっ……あ、君達、ギルドの人たちの指示に従うんだよ。不安にさせるかもしれないけど、ごめんね。またきっと、顔を見にいくから。良い子にしてれば、すぐ帰れるハズだから。また、ね。…………で……何て?」
少女達に合わせていた目線を変え、立ち上がる。副ギルド長は少し目を泳がせた。
「魔道無線、取って下さい。お知り合いのようなので」
「どういうこと?」
「船、東獣人国に戻って来たみたいで……」
要領を得ないままウィアートルは案内された場所に座り、魔道具のイヤホンを取り、対のマイクに向かう。
「っと……もしもし?」
「あ。ウィアちゃんだ!」
「え? その声、竜宮国の……」
「王妃でーす。ご無沙汰してます。ティちゃんが船、どこかにつけてっていうから、とりあえず一番近かった東獣人国に届けたの。ティちゃんに、なんかウィアちゃんがそこに居るって聞いてたから~ここのギルドに話したら、そっちに繋いでくれちゃったのよ」
「ええっと、王妃様が何故……」
「だってウィアちゃん、蝶桜貝のハープ、ちっとも取りに来ないでしょ? ついでに見つけちゃった華藍貝で、対のハープも作って待っているのにっ」
「え! あ、あの貴重な華藍貝でハー……ではなくって! いやいや、ティは? ティに会ったって事だよね???」
「ええ。………………うちの息子と遊びに行っちゃったわ」
「ど、どこに???」
「………………さぁ? ドコかしら? 男の子ってちっとも教えてくれなくって……バシレウス様もウィアちゃんの事、よくお家に帰って来ない放蕩息子がって言ってたわぁ」
船は……犯罪者の乗る船を攻撃する権利が竜宮国にはある。とりあえず船を襲ったのは彼らで、ティは今の所は無事なようだ。きっとすぐ帰ってくるだろう……か? ウィアートルは疑問詞をつける。
船の目的地は聖国だった。そしてティは言わないが、切り離された右手には奴隷印があったのだろう……奴隷制を敷いているのはこの大陸には聖国だけ。その場所にわざわざ行くとは流石に……
「ティ、水没、水死は免れた様だよ、グラジエント……船も東獣人国に辿り付いたみたい、海賊? で生きていたのは、操舵室で完全に気を失っていた奴隷の黒墨持ち魔法使い一人だけだって」
適当な所で無線は切り、手続きをしてきたグラジエントに安否を知らせてやる。ティを様付で呼んでいる所をみると、恩を感じているのだろう。
「ティ様も、ああ彼女も生きて……よかった、ヒトとして生きていていい……あの二人だけ生きているなんて……」
彼は嬉しそうにしているが、複数人、ココに連れて一気に飛んで、疲れているのか、顔色が悪い。
「で、君、悪いんだけど」
その細い体を包む様にして肩をポンとたたき、
「跳んでくれないかな?」
ウィアートルは手にしていたエルフ特製の回復薬が入った小瓶を彼に渡してニッコリと笑った。
その後、彼はグラジエントの力でエルフの森近くまで飛び、その入り口で同胞に魔法使いを預けた。そして各所に手配し、ある場所に向かった。
コンコン……静謐な空気の中に音が響く。
時刻は明け方。ざぁざぁと降り続く雨の中、柔らかな朝日は厚い雲に遮られていた。小さな民家、木をくりぬいて作られた入り口、森に溶け込む外観。エルフ好みに活けられた花のアプローチは植え替え終わったばかりなのか、土がまだ馴染んではいなかった。
「ウィアートルだよ? こないだは断られたけど、どうしても……ねぇ開けてくれる?」
ノックに応え、重く、とても緩慢に扉が開いた。
「おはよう。久しぶり、だね?」
「……っ」
エルフは保守的で、自分達の血筋や考え、そして生活にこだわりが深く、その長い生をエルフの森と言われる場所で延々と過ごす。3000年程の終生、森から出た事がない者が殆どだ。
だが外の世界に興味を示す『変わり者』はどこにでも居て、ウィアートルはその際たる者だ。
彼は森を離れた同族を気遣って、各国を巡回している。例えばシ・ザールのばーさまが、ソレに当たる。
それがたまにハタと消息がつかめない者が出るようになった。変わり者にはよくあると言えばあるのだが、それでも何かウィアートルは違いを感じていた。
普通は可愛がっていた花の鉢を預けたり、成長する木の家を任せたり……エルフの引っ越しを思わせる行動なく消える………………それもそう言う者が戻ってくると、大抵エルフの森に引きこもってしまうのだ。その姿はまるで何かに怯えた様に……
この家の主もある日、唐突にエルフの森から消えた。外に興味がある変わったエルフだったから、ウィアートルは良く知っていた。彼女が消えた時、誰も彼も気にしなかった。
『あの子変わっていたし。適当に……数百年もすれば戻るでしょ……』
2~3000年生きるエルフにとってはその程度は些細な時間、気まぐれで気の向くままに生きるのは、種族性質。だから気にされない事が多いのだ。
それでも町から町に、国から国へ旅するウィアートルだから、どこかで会えればと思っていたが……広い外界、彼女に会う事も噂さえも聞く事もなかった。エルフは他の種と違い、数が少なくその容姿は変幻していても目立つので、噂になりやすいのにも拘らず、だ。
そして……この頃、急に戻ってきたと聞いて、ウィアートルは会いに行ったが『疲れている』と言って顔も見せてくれなかった。
彼女だけではない……『外に出ていたエルフが戻って来ると引きこもる』のは。
とても不思議だったが、外の世界の生き物の生命は短く儚い。きっと外の世界でそういう玉響の出会いと別れに傷ついたのだろう……と、ウィアートルは自分の経験と重ねて消化しようとした。
しかしそれでも鋭い棘のように気にかかっていた……長年の疑問が今、目の前にその『糸口』を晒していた。だから彼はそれを引くしかなった。
「二日ほど……またこの森から出かけていたみたいだね」
「……出かけて悪いの」
外の世界のあこがれを語るエルフの概ねの者は、明るく元気で、お調子者とも言える性格の者が多く、ウィアートルが知る限り、彼女もそうであったはずなのに。
今の彼女はどうだ。
まるで誰もを拒絶する世捨てした猫獣人のような刺々しい態度。本当に心底疲れているのだろう。寝てないのか、とても不健康そうに見える。けれどもウィアートルは扉に足を挟んで、閉められる事を阻止した。
「一緒に連れ出した姉妹は?」
「…………知らないわ」
「ねぇ……」
「知らないったら! 知らないのっ。私、私はぁっ悪くないの。悪くないのよっ」
扉が閉まらず、彼女は家の中に入って、その奥の勝手戸から出てしまう。だが開けた先には緑の制服に身を包んだ男が待ち構えていた。
彼女は目を見開き、ボロボロと涙を流した。
「私は悪くないっ! 百年、百年耐えたのよ? エルフには短い時間よ? ちょっとよっ、ホンのちょっと。私も耐えたわ? だからもう、だからもうイイでしょおぅ」
制服の男達はエルフの警察にあたる機関の者。泣きわめき、犯行を否認するが、ウィアートルが顎で指示すると、速やかに馬車の護送車に乗せ、連れて行く。
「イヤだ、離して、やっと森に、やっと森に帰って来たんだから……ヤだッ、なんで私だけ、私だけなのおっ」
雨が降る静かな森を彼女の悲痛な叫びが響く。
「お家に、森に、森に帰りたかっただけなのっ。私ィっ頑張ったのに。帰りたかっただけなのにィ」
その後、取り調べにより、彼女は百年ほど前に『聖国』に攫われ、その身を捉えられていたとわかる。その年月『聖国魔法研究神殿』にて働かされていた。働くと言えば聞こえは良いが、その身の血や皮膚、涙などを採取され、それ以外にも言うも悍ましい目にあっていたらしい。そこではエルフが契約していた妖精なども主を慕って離れずに捕らえられ、酷い目にあっていたそうだ。
その採取されたモノは『生長の薬』や、その薬を飲む者の体を美しく維持する『美容薬』に化けていたという。
そんな彼女が他のエルフを二人以上誘い出せれば、ココから出してやるという誘いに乗ったのは……致し方無かったのか……
たぶん彼女の件だけではない、気になったいくつかは自主的に消えたのではなく、誘拐、それも同胞による手引きが考えられた。それをウィアートルは立場的に晒さないわけにはいかない。報告書を書いて、人員を手配しなければならない。
やるせない感情に心を揺らしながらも、ただただ雨が落ちる空を眺めた。
彼の頭に代筆の文が過る。
『エルフの子供が『住人のお姉さん』に連れ出され、船員に『これで私は『聖国』へ戻らなくていい』と言った事。』
報告に紛れ、特に『エルフの事』を知らせてきた一行に、ウィアートルが『誘拐』の事を気にかけていたのを、ティが気付いてくれていたのだと知る。
エルフに特化した記事ではなかったけれど、出会った時に竜神国ギルドの掲示板で『子供が行方不明、その消えた足取りを探して欲しい』という同じ依頼を見ていた。
「一週間、同じトコにいて。何を見てたんだろ?」
立ち木に止まって待っていた白い鳥がパタパタと彼の肩に止まった。
「あの無駄のない手紙……アレ一つでも異常すぎるんだよ、ティ……」
どこの世界に五歳の幼児が箇条書きで無駄ない状況報告書が口頭で作れるのか……あ、ここ居たし……じゃないよっっと呟くウィアートルに、白い豆鳥はスリスリと頭を頬に撫でつけてくる。
「君の主は……一体『何』なのさ?」
「くるっくぅぅぅーーーーーーーーーー」
そう一鳴きすると、白い鳥が雨の空に飛び立って行く。
冷たくて凍てついた空、零れ落ちる雨はまるで誰かの涙の様だ……ウィアートルが見上げる空はまだ晴れそうになかった。
お読み頂き感謝です。
ブクマと↓の☆☆☆☆☆から評価頂けましたら幸いです。




