なぜなろうの高ポイント作品を書籍化しても意外に売れなかったりするのか?―原因はなろう作家の“逆異世界転生”!?―
本作は『書籍化作家残酷物語』『書籍化作家の90パーセント以上はモブキャラです!』に続く「エッセイ三部作」の最後の作品になります。
突然ですが質問です。
小説家になろうで活動している皆さんにとってポイントとはどんなものでしょうか?
そんなことどうでもいい、とにかく欲しいものだー!
ってな感じでしょうか?(笑)
まあ、ポイントが少ない人にとっては切実な悩みですよね。
でもなんでそこまでしてポイントが欲しいんでしょうか?
書籍化できる可能性が高まるから。
自己承認欲求が満たせるから。
何となく他人より上な感じで優越感が持てるから。
主なものとしてはこんなところでしょうか?
ほんとポイントってお金みたいな感じであると何となくリッチな気分になり、無いと惨めな気分になる感じがします。
もっともお金みたいに何か他の物に交換できるわけでもないので効果は限定的だと思いますが。
ポイントは何となくなろうの中で絶対的権威として君臨している感じがします。
なろうにおける価値基準の絶対的尺度みたいな。
でもなろうを一歩外に出ると一切通用しないものでもあるんですよね。
それに先ほども言ったようにお金に換えることもできません。
ユーチューブでも動画再生回数を元に収入を得られますし、最近は小説投稿サイトでも収入が得られるものもあります。
私はカクヨムでも活動しておりますがそこでも収益プログラムがあります。
そんななろうのポイントについて考えてみることでなろうの本質や問題点が見えてくるように思います。
ちなみに先ほどなろうのポイントについてどう思うのかを皆さんに尋ねましたが、私はなろうのポイントは学歴(偏差値)に近い性質のものだと思っています。
いわばなろうポイント=偏差値論です。
どういうことなのか説明しましょう。
なろうにはランキングというものがあることは皆さん周知の通りですが、それはポイント順に上から○位という感じで並んでおります。
偏差値も東大あたりを頂点に上から○○大学、○○学部、という感じで並びます。
また偏差値は学部別、というのもあったりしますが、なろうで言うならさしずめジャンル別ですかね。(笑)
あと皆がなぜ少しでも偏差値の高い大学を目指すかといえば、そうすれば就職が有利になると信じられているからです。
なろうのプロになりたい作家がなぜポイント獲得に血眼になるかといえば、そうすれば書籍化に少しでも有利になると信じられているからです。
ここでもよく似た構造があるように感じます。
また日本の大学の学歴は基本的に日本の中でしか通用しません。
例えば大谷翔平選手といえば野球のメジャーリーグの二刀流選手として大活躍中です。
でもその彼が東大はおろか日本の大学すら出ていない、という理由でアメリカのマスコミに批判されたりはしません。
なろうのポイントも基本的にはなろうの中でしか通用しません。
小説家になろう○万ポイント獲得作品、などと言われてもなろうを知らない人にとっては意味不明でしょう。
以上を踏まえてさらに話を続けて行きましょう。
さてポイントが高い方が書籍化に有利と思われるという話を先ほど少ししました。
そして高ポイントを獲得してなおかつ書籍化して成功してらっしゃる方は大勢おられます。
特に『転スラ』などのもはやなろう発の名作と呼ばれるレベルの作品はほとんどそうだと感じます。
ただ自分がこれまで経験したところでは、意外に○万ポイントという結構な高得点の人でも書籍化して失敗された方も今まで何人か見かけたことがあるんですね。
それも『書籍化残酷物語』に出てきた人みたいに人間的に問題ある、とかだったら分かりやすいのですが、私から見ても特に人間的に問題なさそうな人でも失敗してしまったりするので話は複雑です。
それも心なしか最近そういう作品が増えてきたような感じもするのですね。
つまりこれってなろうがいいと思っているものと世間がいいと思っているものがずれてきてるんじゃないかな、と思うわけです。
これが正確に○年からなどと自分にも正確に年を区切れるわけではないのですが、自分の体感ではコロナが広まったあたりからそのズレが激しくなったように感じます。
ある書籍化作家が自分の初版が売れなかったのはコロナのせいだ、などと愚痴っているのを目撃したことがありますし、書籍化作家じゃないなろうユーザーの方から、コロナになってから創作意欲がわかない、と言われたこともあります。
また単純に最近なろう発の作品、もっと言うならラノベで大ヒットしている作品のタイトルを聞かないのも気になります。
これもなろうと世間がずれてきている証拠の一つと言っていいんじゃないですかね。
そこで私が考えている仮説がこれです。
ズバリ“なろうの新人賞化”。
再びどういうことか説明しましょう。
文芸関係の新人賞って本当に色々あって、その中でも権威がありかつ有名なのは「芥川賞」でしょうか。
あとできたの比較的最近ですが「本屋大賞」も比較的有名ですね。
でも正直に言ってしまうと私にはこの手の賞に選ばれる作品の良さがさっぱり理解できないんですよね。(笑)
まあ私は村上春樹の良さですらさっぱり分からない人間ですが。
特に○○文芸新人賞、みたいなのはさっぱり理解不能で、何となくやたら偉そうな先生が選ぶ権威ある賞みたいなイメージです。
偏見に満ちていて申し訳ありません。
しかも以前はそういった賞には“攻略法”なるものがあったりして、ある現役作家の方が雑誌やら新書やらで色々指南していたりしていたんですね。
早い話がなろうでポイントが欲しくて欲しくてしょうがない作者が必死になって色々やるのと似たような話です。
昔から書籍化したくてしょうがない人は血眼になって攻略法を実践してたんでしょうね。
ところで自分はこの“攻略法”にはめちゃめちゃ問題があると思っています。
その問題とは一言で言うと“作品の趣向が偏るから”です。
またまたどういうことか説明しましょう。
ある新人賞で書籍化したい作者が必死になって“攻略法”を実践したとしましょう。
賞を取るためには基本的に選考委員に選ばれそうな作品を書くことが求められます。
いわば選考委員への“忖度”です。
そうしないと賞に選ばれないのですからしょうがありません。
ただ無事そうやって賞に選ばれて書籍化に成功したとして、果たしてその作品は一般の読者に受けるでしょうか?
私自身は大いに疑問です。
だってその作品、選考委員なんかの好みに合わせて作られるわけですから。
こうして完成するのは“賞は取るけど一般の読者にさっぱり受けない作品”です。
一般の読者には選考委員の趣向など分からないですから。
まあ、この手の新人賞の主催者側に言わせれば“一般の読者には我々が選んだ作品の価値は分かるまい”ということなのかもしれませんが。
なろうでもみんなポイントが欲しいので多くの人が“攻略法”を実行します。
中にはクレ○レみたいな小技もありますが、何と言っても一番よく使われる攻略法がテン○レ小説を書くことです。
ポイントを獲得するにはとにかく読者に興味を持ってもらう必要がありますからね。
読者への“忖度”は止むなしです。
こうして完成するのが“なろうでは高ポイントを獲得するが一般の読者にはさっぱり受けない作品”です。
これ新人賞と構造が酷似してるってこと一目瞭然ですよね。
“選考委員”と“読者”を入れ替えればほぼ完璧に相似形です。
要は両方とも主導権を握っている選考委員(読者)への“忖度競争”です。
双方共に何となく密室で書籍化が決まっているような感じもします。
ここまで行くともはや“ポイント獲得競争ゲーム”ですよね。
皆が攻略法を駆使してポイントの高さを競い合うゲームです。
まあ、個人的には攻略法に頼りたくなる気持ち自体は理解できなくもありません。
私もゲームをやるときは必ず攻略本を買う派ですから。(笑)
こうなったらいっそのこと事前に“一定期間中に一番ポイントを獲得した作品を書籍化します”とアナウンスした方がいい気さえします。
そうすればとりあえず公平かつ透明性が保たれた状態で書籍化作品が決まることでしょう。
何より分かりやすすぎて清々しさすら感じます。(笑)
もっともそうして書籍化された作品が一般市場で受ける保証もないとは思いますが。
ちょっと話脱線しちゃいました。
長くなりましたけど要は“なろうの新人賞化”が進行してその結果一般の読者とかけ離れた場所になっているんじゃないか、という話です。
つまり“なろうの異世界化”ですね。
さて、“なろうの異世界化”が進むと一体どんなことが起こるのでしょうか?
それはイコールなろうと読者一般の価値観がどんどんかけ離れていくってことですね。
それ自体は結構色々な変化が起こるんじゃないかと思うんですが、自分が特に今回取り上げたいのは書籍化作家についてです。
それはズバリ“書籍化作家が逆異世界転生してしまう”っていうことが起きる可能性です。
いやあ、いきなり言われると意味不明ですね。(笑)
特に“逆異世界転生”っていう言葉が。
ええ、まずはここから説明しましょう。
この言葉を説明するためにこれ以上ないっていうくらいいい例を挙げます。
小説家になろうとは直接何の関係もない件ですがむちゃくちゃ有名な事件です。
さすがになろう、というより日本人でもこれを知りもしないっていう人はあまりいないんじゃないかと思います。
それぐらいのインパクトがあった事件です。
数年ほど前、まだ東京オリンピックが開かれる前のことです。
オリンピック大会組織委員会の会長をやられていた元首相の方がとある場で“女性がたくさん入っている会議は時間がかかる”みたいな意味のことを言いました。
この発言が原因でこの方は、日本はおろか世界中から批判されて結局会長を辞任した一件です。
分かりやすく言えばこの方は自分とその周辺のごく狭い範囲でのみ通用する常識を現代の日本に持ち込んでしまったわけですよ。
まあ永田町は“永田町の常識は世間の非常識”なんて言われるところですから、それこそ我々一般人からすれば“異世界”みたいなところなんだろうな、と思いますがね。
これが自分の考える“逆異世界転生”の一番わかりやすい例です。
よくなろう系の“異世界転生”の作品では主人公が現実世界の進んだ技術なりノウハウなりを使って異世界の問題を解決する、みたいなパターンがあります。
この“逆異世界転生”はその逆パターンです。
ようは主人公が“異世界”の常識を現代に持ち込んでしまうパターンです。
これがフィクションだったら例えば主人公が織田信長みたいな歴史上の有名人で現代との価値観のズレを笑いに変える、なんてこともできるかもしれません。
でも“逆異世界転生”で元首相みたいなことになったら一切笑えませんよね。
最悪そのまま人生が詰んでしまうような場合すらあり得ます。
正直これとよく似たようなことがなろう発の書籍化作家にも起こっている気がするんですよ。
もちろんここまで派手かつ極端ではないのですが。
『書籍化作家残酷物語』でもちょっと描いたんですけど、なろう発の書籍化作家の方には明らかに自分の正しさを疑ってないっぽい人がいるんですよね。
なんか下手したら自分のことを省みることすらないんじゃないか、みたいな人が。
これは『書籍化作家残酷物語』では取り上げてない人なんですが、書籍化に失敗した挙句になんかSNSやアマゾンのレビューなんかで色々言われたみたいでツイッターで発狂してしまった方なんかも見かけたことありますし。
いずれにせよ書籍化作家をはじめとするなろうで通用している価値観と世間一般の価値観のかけ離れ方って相当深刻なような気がするんですね。
ここまで聞いて腹を立てている方の中には“じゃあ、どうすりゃいいんだよ”ってなことを私に言いたい方もおられるかもしれません。
まあ、正直に告白しますと私もどうしたらいいのかわかりません。
あと“犯人探し”をしたいわけでもありません。
つまり、作家が悪い、読者が悪い、運営が悪いなんてことを言いたいわけでもありません。
運営に関して言うと、個人的には無策だったとは思いません。
私が知っている限りでも二回くらいシステム改革みたいなことをやっていますしね。
でもそれにも関わらずあまり状況が変わっていない感じがするので問題は本当に根深いと思います。
この問題はおそらく構造的な欠陥としか言いようがないと思われます。
それも運営が把握していたとしても手がつけられないレベルの。
日本の国家レベルの問題で言えば格差社会が誰もが感じている問題であるのも関わらず政府が一向に解決できないのと同種の根深さを感じます。
でも私にはこの状況が変わらない限り、今後もなろうの“異世界化”はますます進行するはあっても止まることはないと思っております。
そしてますますなろうと世間がかけ離れた場所になっていって…。
悲観的な予想で申し訳ないですが、そういうことです。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
※先週土曜日に公開しました拙作『はっきり言います!今の書籍化作家の90パーセント以上は“モブキャラ”です!!―小説家になろう界隈をラノベにたとえると―』をご覧になった方の中で不快な気分なられた方がいるという噂を耳にしました。
直接言われた方にはその場で対応しましたが、そうでない方もいらっしゃると思いますのでこの場を借りてお詫び申し上げます。
作品に関してですが今のところ運営から警告のようなものは来ていないので、もし来た場合は対応を検討したいと思います。