武庫川
宝庫川だと思っていた。
宝塚劇場の目の前にある川。
武庫川だと知ったのは、一回目の音楽学校受験のとき。
そんな力士みたいな名前なの?、とカルチャーショック的な衝撃を受けた。だって、宝庫川のほうがなんか良い。宝物感があるし。何よりも宝塚劇場の前にあるんだから。
武庫川の河原には、座っている人は誰も居なかった。私以外。自動車が通る音が思ったよりもうるさい。風もなんだか強いし。でも、私はここに座っていたかった。
幼い頃、私の記憶が始まった小学二年生のとき。それ以前の記憶は、ビデオカメラで補完されている。
祖母に連れられて、観劇した宝塚。
私の人生は、そこから始まった。
人生で一番最初の記憶。
煌びやかなステージで踊ったり歌ったり、時には笑ったり涙を流したり。
世界が開けた感覚。
そして、最後の大階段。
羽根を背中に纏った美しい男役の人が、ゆったりと歌いながら降りてくる。
同じ人間とは思えなかった。
「私もああなりたい!」
観劇後におばあちゃんに連れて行ってもらった喫茶店。
イチゴと生クリームが載ったホットケーキを頬張りながら、私はおばあちゃんにそう宣言した。
おばあちゃんは驚きながらも、目に涙を浮かべて私に微笑んだ。
「美咲なら、きっとなれるよ。」
おばあちゃんはそのとき何を頼んでいただろうか。いくら考えても思い出せない。
その一ヶ月後におばあちゃんは亡くなった。心筋梗塞だった。
「美咲がタカラジェンヌになったところ見たかったな。」
息を引き取る前に、おばあちゃんはそう言った。あのときと同じ、目に涙を浮かべて微笑みながら。
それから、バレエ教室に通い始めた。私は死ぬほど身体が堅かったらしく、毎回ストレッチの度に、先生に泣かされながら開脚を繰り返した。爪先立ちが嫌で、何かに支えてもらえないと立っていられなかった。
向いてないなんて何度も思った。
今日はサボりたいと何度も思った。
もう先生に怒られたくないと何度も思った。
でも、通い続けた。
いつの間にか、股が床につくようになっていた。爪先立ちが苦じゃなくなった。先生や周りの保護者に褒められることが多くなった。
小学校六年の発表会では、大トリを任せられた。終わった後の景色は、忘れることが出来ない。私が舞台上で一礼すると、見ていたお客さんが立ち上がって拍手をしてくれた。
「お母さん、この子はトップスターになれますよ!」
演技をした私よりも紅潮しきった表情の先生が母にそう伝えた。母は母で自慢気に大きな声で謙遜していて、勝手に盛り上がっている二人の隣に居るのが恥ずかしかった。でも、やっぱり嬉しかった。
中学に上がって、本格的に音楽学校を受験するためにバレエ教室を変えた。そこは、多数のタカラジェンヌを輩出しているバレエスクールで、踊りは勿論歌のレッスンも請け負っていた。また、上手い人順でクラス分けが行われているシビアなスクールだった。
私は当然、一番下のクラスからのスタートだった。
レベルが違う。
まずそう感じた。
井の中の蛙、大海を知る。その言葉が脳裏によぎった。
まず見た目からして全然違う。手足が細くて、身長が高い。私は、その当時一五〇cmにも満たなかった。一挙手一投足がしなやかで美しく、本当に一番下のクラスなのかとお母さんに何回も聞いた。私は、プロの中に入れられた素人のような感覚になった。皆が私を見て、あざけ笑っている。白鳥が水面を立っているように見える爪先立ちは、私の場合どうみても背伸びをして、身長をごまかしているようにしか見えない。アヒルが白鳥に憧れているみたい。醜いアヒルの子。
毎晩、布団を濡らしながら明日が来なければいいと願った。起き続けていれば、私の体は体調を崩してくれる。そしたら、スクールを休まざるを得ない。
徹夜チャレンジは毎日行われた。
けれど、いつの間にか眠ってしまって、朝はやってくる。
学校に行って、放課後は醜い姿を晒すアヒルになる。
笑われるたびに、地面が揺れて真っ直ぐに立っていられなくなりそうになった。
もう辞めたい。
そう思ったスクールの帰り道。
最寄の駅から家に向かう道中にある公園のブランコに揺られながら、お母さんになんて言おうか考えていた。
先生の教え方が悪くて、どうやってバレエするのか分からなくちゃった。
同じクラスの先輩が意地悪してくる。
学校の勉強に本腰を入れたい。
どんな理由を言っても、お母さんなら許してくれるかもしれない。
遠くに見える月に向かって、思いっきりブランコを漕ぐ。近づいたと思ったら、また引き戻される。また、強く脚を振って近づく。
お父さんも笑ってきっと許してくれる。
今日の月は満月。
暗い夜空で一つだけある光るもの。
おばあちゃんならなんて言うだろう。
…分からない。怒った顔なんて見たことない。いつもにこにこしていた。
だから、涙を見たときびっくりしたんだ。悲しい場面に出くわしたわけじゃないのに、おばあちゃんが流した涙に。
私の言葉を聞いたとき、泣くほど嬉しかったんだ。おばあちゃんは。
ブランコを漕ぐのを辞める。
いくら漕いでも、ブランコじゃ月には届かない。
地に脚をつける。目を瞑って、今日習った踊りを繰り返す。手の先、脚の先、頭のてっぺんまで、神経を尖らせて舞う。目を瞑って踊れば、私の舞台は公園からあの発表会の舞台に変わる。
舞えば舞うほど、月の光が私を強く照らし出す。
月光がスポットライトに変わる。
身体を静止する。
耳をつんざくような拍手の嵐。
私は一礼して、客席に向かって微笑む。
観衆の中で涙を流しながら微笑むおばあちゃんと、お母さん、お父さんが見える。
そうだ。私はあの人達のために、踊っているんだ。
お母さんは、私が宝塚を目指したいと言った日から、パートを始めた。
お父さんは、わざわざ私がスクールに通いやすいように都内に家を買った。
私があの舞台で歌い踊るために。
そして、何より。
私はやっぱり、あの劇場であの舞台に立ちたい。
辞める決意は、脆く散った。
代わりに続ける意志が私の中に宿った。
中学二年になる頃には、身長が一六〇㎝を超えた。そして、クラスも真ん中のクラスに上がった。先生から頷かれながら、肩を叩かれることが多くなった。後輩が入ってきた。
憧れの先輩です!と差し入れを渡されたこともあった。
中学三年。クラスは一番上。成績も一番。
先生の合格者の頭数に入れられた。テレビの密着がついたときもあった。
「この子が受からなきゃ、このスクールはもう畳まないといけないかもしれないです。」
真っ白の字幕で画面に表示される。
私の踊っている映像を背景に、先生がそう語ったのをテレビで観た。
日に日に手の震えが止まらなくなった。
誰にもばれたくなかった。
手が悴んでいるからと、ご飯のときは箸じゃなくて、スプーンを用意してもらった。
一次試験は通過。
容姿は問題ないらしい。
二次試験、歌と踊り。
宝塚におばあちゃんと行ったとき以来、久しぶりに訪れた。
あの何も知らなかったときとは、何もかも違う。
タカラジェンヌになるには、何十倍の倍率を潜り抜けなければなれないこと。歌劇団になるには、音楽学校に合格しなければならないこと。あの大階段を最後降りる人は、トップスターだってこと。あの羽根は、二十キロの重さがあること。
目線が成長すれば、知りたくないことも知らなきゃいけなくなる。
上級生が超厳しいとか、いじめ問題が過去にあったこととか、お金がかかるとか。
あの頃よりも現実を知った。
でも夢には近づけたと、思っていた。
二次試験は、不合格だった。
泊まっていたホテルで、お母さんと一緒にホームページを見た。
お母さんが涙を流しながら抱きつくから、泣いちゃいけないと何故か思った。
お父さんと先生に電話する、とお母さんが部屋を出て行った。幼い頃よりも小さく見えるその後ろ姿。私の背は、いつの間にかお母さんを追い越していた。
皆が驚いていた。私が落ちたことに。先生に会うのは、テレビでああ言っていた手前きまずかったし、何ならそれが一番憂鬱だった。
「すみませんでした。実力不足でした。」
先生に会って開口一番に言ったことがそれだった。今思えば、恥ずかしい。別にプロでもないのに、ただ期待されていただけのやつがそんなプロフェッショナルみたいなことを。
先生は一瞬、悲しそうな顔をした。
そして、何も言わずに私を抱きしめた。先生からは、百合の花の香りがした。
「ここからよ。」
私を離した後、私の目を見据えてそう言った。その顔はいつもの怖い先生だった。
高校生になってからは、レッスンの日々。行く予定が無かった高校は、とても退屈で中学のときよりもつまらなかった。日中は授業を受けて、放課後はスクールに行く。遊ぶ相手、友達も作らなかった。それが功を奏したと分かったときには、私はもう入学式で歌う校歌の練習をしていた。
「みさきー」
同期の鹿島が走ってくる。出会ったときから、短髪で髪が長い頃の写真を見せてもらったときは、本当に別人かと思うぐらい、美人だった。
「もうそろそろ行かないとやばいかもー」
焦っている気配が感じられない口調に私はいつも癒される。
「はい、いきまーす。」
宝庫川が武庫川だと知れてよかった。
おばあちゃんと観劇できてよかった。
バレエを始めてよかった。
先生についていってよかった。
そして、何より。
私は目を瞑る。
あの大階段を降りながら、万雷の拍手を受ける自分を想像する。
目を開ける。
瞑る必要なんてない。
イメージする必要なんてない。
これから体感するんだから。
ブランコじゃ月に届かない。
地に足ついて、爪先立ちで私は舞う。
武庫川に風が吹く。
川は波紋を作りながら、穏やかに揺れている。
太陽の光が清らかな水面に反射している。
それはとても美しいものだった。