【異世界恋愛】ある生徒会のつれづれ日記
2021年 07月07日
23,156文字 ⬅文字数注意
貧乏男爵家の長女が学園で頑張る話。
女主人公(一人称視点)
魔法なし
「ぐだぐだ鬱陶しく泣き言を垂れてる暇があるならアンジェラにそれを全部ぶち撒けてこい!!それができないと言うのなら俺は今からすみやかにお前をぶちのめし王位簒奪し新王になって王家の家訓の一番上に『惚れた相手には直球勝負!』って末代まで残すからな!!」
「……王家家訓てなに……?」
「よーし下剋上だオラァアアアッ!!」
という、王太子とその従兄弟である公爵家次男による生徒会室放課後劇場は、洒落にならない公爵家次男の怒りにより、王太子が想い人の侯爵家令嬢を探しに生徒会室を飛び出たところで、一応の落ち着きをみせた。
「どうぞお茶です」
「……いつも騒がしくしてしまってすまん……」
公爵家次男であり生徒会副会長でもあるカイン先輩は普段はとても落ち着きのある御方だ。こんな時でもお茶に手を出す前に私に一言くれる紳士である。ぬるめにしてあるから先に飲んでくださって構いませんよ。
「おかわりをお注ぎしましょうか」
「ありがとう。頼む」
そしてカイン先輩は二杯目も一気に飲み下すと、大きなため息を吐かれた。生徒会室に苦笑が起こる。
もう一人の副会長の伯爵家嫡男ライオース先輩、書記である伯爵家令嬢マリネッタ先輩、会計である伯爵家次男トレバー先輩たちが揃って、カイン先輩に「おつかれさま」と労う。
常は冷静沈着、一を聞けば十を答えてくれる頭脳明晰な生徒会長でもある王太子は、恋愛に関してだけはヘタレを通り越してポンコツ。しかしそれを知るのは王家以外ではこの生徒会に在席している役員と、王太子の婚約者である侯爵令嬢アンジェラ先輩のみ。
私が生徒会に入った時にはすでに生徒会室は王太子の恋愛相談室となっていた。
ちなみに婚約者もいない男爵令嬢の私は、王太子の恋愛相談の聞き役にしかなれない。だが王太子と同い年の従兄弟であり幼馴染みのカイン先輩は、王太子がアンジェラ先輩に恋をした瞬間からずっとつきあわされているらしい。が。
「あいつの恋愛に対するポンコツ具合を見ていると、従兄弟として血の繋がりのある俺もああなるのではないかと不安しかない」
いつだったかそうぼやいたカイン先輩にみんなで同情してしまった。ちなみにカイン先輩のお兄さんは十歳上ですでにご結婚されていてお子様までいらっしゃる。幸いなことに恋愛ポンコツではないそうだ。しかしそれで公爵家は安泰だからとカイン先輩は自身の婚約者候補すら断っているらしい。
まあ、のちのちは王太子の側近になるだろうし、格好良いカイン先輩のお嫁さんになりたい令嬢はたくさんいるし、令嬢のいるお家はカイン先輩をがっちり狙っている。カイン先輩が結婚しようかな、などとちらりとでも言えばあっさり決まるだろう。
なんなら婚約者が必要なのは現在の生徒会内では私だけである。が、その前に弟妹が五人もいる極貧半歩手前の家の長女としては仕送りのできる職に就きたい。
結婚が一番手っ取り早そうだが、我が家は男爵。縁があるのは同じ男爵か良くても子爵家だ。そうなると結婚したからと実家への援助を頼むのも気が引ける。
私は出稼ぎ狙いで王都の学園にやって来た。成績さえ良ければ学費も免除されるというのでとにかく頑張った。なんとか入学すぐのテストで上位になり、学費免除と担任から生徒会への推薦をもらった。生徒会役員は卒業後の就職に有利と教えられたので推薦をくれた先生が神に見えた。
しかしいざ生徒会室へむかうと、大勢の自薦のキラキラしい候補者たちの群れに推薦状が無駄になったと少々落ち込む。それでもなんとか最後に王太子とカイン先輩との面接を受け、そこでなぜか合格し今に至る。
生徒会役員は学園から王城勤務への推薦がもらえると王太子から言われたので、張り切る私の毎日は忙しい。担当が雑用だからかもしれないが。
「ウェンディ、すまないがもう一杯もらえるか」
「畏まりました。少々お待ちください」
「あ、ウェンディ、私にも同じお茶をお願い」
「俺も俺も」
「僕にもちょうだい。ぬるいのを一気に飲みたい」
「畏まりました」
入学前に一度、母の友人の元に淑女教育という名の短期集中合宿に行った。家族揃って領民と共に畑にばかり出ていたので、正しい所作をきちんと習っていなかったからだ。
いつも我が家にいらっしゃる時には美味しいお菓子をお土産にくださる優しい夫人は、こと教育に関してはスパルタだった。目的地まで最短の距離を走るもの、荷物は持てるだけ持つものという日常を過ごしていた私を、生徒会の先輩方から「癒やしのお茶」と言われる腕にまでしご……叩きこ……育ててくださった。
あの二週間の合宿に比べたら王太子の恋愛談議を聞き流すなど屁でもない。
「あぁ美味しい。ねえウェンディ、そろそろ茶葉が切れるのではない? 買い出しには一緒に行きましょうね。私もインクがなくなりそうなの」
書記であるマリネッタ先輩はいつも私を気にかけてくださる。妹ができたみたいと言われてしまえば、兄や姉に憧れのあった私はコロリンと懐いた。もちろん階級を取っ払うことはできないが、マリネッタ先輩が笑ってくれるなら許される限りはおそばにいたい。
「それなら俺を誘ってくれないかマリネッタ。ウェンディに妬くぞ」
副会長のライオース先輩はマリネッタ先輩と婚約されている。幼いうちに婚約が結ばれていたというお二人は、ゆるやかに相思相愛にたどり着いたそうだ。騎士の家系であるがっちりしたライオース先輩と小柄で綿毛のようなマリネッタ先輩。生徒会室ではあまり恋人の雰囲気は出さないが、一緒の馬車で帰ったりお出掛けしてはお土産をくださるので、外野はその安定感に安堵である。
「ははっ、ライオースまでそんな風になると困るなぁ。マリネッタ、ウェンディ、お願いだからライオースも連れて行ってあげてよ。生徒会室の備品なら会計から出すから領収書は忘れないでね」
会計のトレバー先輩がライオース先輩の肩を叩きながら笑う。備品と私物の会計を一緒にしてしまうと鬼のように恐ろしいが、普段は陽だまりのような先輩である。顔が広くて、学園の全生徒、全職員と知り合いかと思うほどだ。人見知りのない人すごい。
「俺も行きたい……疲れた……甘いの食べたい……」
机に突っ伏してしまったカイン先輩のつむじが可愛い。王太子にはっぱをかけた後はいつもこうなる。
どうみてもお互いに想い合っていて外堀も完璧に埋まっているのに、王太子はあと半歩、アンジェラ先輩に踏み込めないでいる。そして悪い方にばかり想像力を働かせてしまい、ひとりでもだもだ落ち込むのだ。面倒く……ゲフンゲフン。
「あらまぁ。でもそうね、カインも一緒に行きましょうか。ウェンディ、ライオース、いいかしら?」
憐れでしかないカイン先輩を慰める会が発足された。ほぼ毎日被害に合われているのに月に一度しか弱音を吐かないなんて、なんて我慢強いのだろう。
「ではこの間行った店に行こうかマリネッタ。ウェンディ、デザートがたくさんあったから楽しいぞ」
「わあ!素敵なお店ですね」
ライオース先輩があっさりと行き先を決めたが、私に否やはない、むしろ行きたいとても行きたい。財布と相談ではあるが。
「デザートがいっぱいか……トレバーはいいのか?」
「ライオースとマリネッタにその店を教えたのは僕だよ。それに僕は僕の婚約者様と行くからさ」
「そうか。たまのデートになってしまっていつも悪いな」
「いやカインが謝る事ではないでしょ。それに夜に彼女の家に行ける理由になるから悪いばかりでもないよ」
「泊まりか!?」
「まさか。公然とおやすみのキスをして帰れるからだよ。おでこや頬だけどね」
「あぁ……あいつにトレバーのその百分の一の気概があれば……」
「あはは、もっとわけてあげたいなあ。でもまあ正式に婚姻が済めば落ち着くでしょ」
「そうであってくれ……!よし、厄払いを兼ねて俺の奢りにさせてくれ!」
カイン先輩の魂の願いに、私たちはつい笑ってしまった。
そして奢り宣言に神を見た。
◆
「ウェンディは卒業後の進路はもう考えているのか?」
デザート盛りの神々しさにうち震えていると、すでに一口目に感動し終えたらしいカイン先輩に聞かれた。
「今のところは王城勤務が希望です。家に仕送りしたいので」
行儀が悪いがデザートを見つめたまま答える。でもカイン先輩も誰も怒らない。
「ウェンディに似ている弟さんと妹さんたちに会ってみたいわぁ」
「今度の長期休暇はウェンディの男爵領を見に行ってみるか?」
マリネッタ先輩が嬉しい事を言ってくれ、その隣に座るライオース先輩がまたもあっさりと予定をたてる。でも先輩たちが我が領に来てくれるなんてこの先はないかもしれない。
「観光できる場所は特にありませんが、我が家で精一杯おもてなしさせていただきます」
「あら、ウェンディのもてなしならきっと楽しいわね」
王太子の婚約者、アンジェラ先輩がマリネッタ先輩に微笑む。
本日は四人で出掛けるはずが六人になった。マリネッタ先輩がアンジェラ先輩に妃教育の息抜きにと誘ったら、なぜか王子まで付いてきた。ライオース先輩の家の馬車に乗り込んだら王子もいて驚いたが、カイン先輩が項垂れていたのですぐ冷静になれた。
「アンジェラ先輩も結婚前にマリネッタ先輩といらっしゃいませんか」
親友のマリネッタ先輩と遊ぶ時間もまま取れないアンジェラ先輩を誘ってみる。王子と結婚してしまえばさらに難しくなるだろう。誘えるのは先輩方が卒業する前の今しかない。
「マリネッタと?楽しそう!」
「でもウェンディが忙しくなるのではなくて?」
それはそうなのだが、私にも野望がある。
「え……と、一度でいいので、我が家でパジャマパーティーをしてみたいと思っておりまして……」
「「まあ!」」
領民とは仲がいいが、友人らしい友人がまともにいないし、領では家はただ寝る場所となっていた私。学園に通うようになってクラスメイトの話に驚き、羨ましいと思っていた。
ただし、パジャマパーティーをするには早寝早起きが染みついた私が問題である。
「え、俺は?マリネッタ?」
ライオース先輩が愕然とマリネッタ先輩に問う。なんだかんだとライオース先輩は素直な方だ。私ですらちょっとイジりたくなる。
「我が家のような田舎領は不審者はすぐにわかりますので、逆に警備もしやすいです」
「え、俺は警備なの?ウェンディ?」
焦るライオース先輩以外は笑いをこらえるが、やっぱり無理だった。からかわれたとわかってホッとするだけなのがライオース先輩の尊敬するところのひとつである。
「ではウェンディの卒業後だけれど、私付きの侍女はどう?」
結局、パジャマパーティーはマリネッタ先輩のお家での開催となった。上位貴族のお家にお邪魔するなんて緊張するが、夫人の淑女合宿を思えば先輩の家は楽園でしかない。
ライオース先輩が少しがっかりしていたが、じゃあ男版パジャマパーティーをと提案し、カイン先輩に即却下された。
「お、それはいい!ウェンディがアンジェラに付いてくれるなら嬉しいなあ!」
「お前ちょっと黙れ」
「んぐっ!?」
アンジェラ先輩の破格の提案に王子が乗っかるとなぜか不安にしかならないのが不思議である。カイン先輩が王子のケーキを雑に口に突っ込んだ。危ないですよ。
「アンジェラの侍女もいいが、こいつにまで良いように使われそうなのが気がかりだ」
「でもウェンディは有能だもの。スカウトしたいわ」
アンジェラ先輩が生徒会の雑用しかしていない私に大変な評価をくださる。カイン先輩にも肯定されてとても嬉しい。鼻と鼻の下が伸びそうである。
「俺の下にと思ったが、その方がこいつに使われそうだな……」
「では、騎士団で近いうちに女性騎士の部隊を王妃や王子妃のために作るらしい。どうだいウェンディ?」
「あら、伯爵家で私の侍女はどうかしら」
先輩方からこんなに誘ってもらえるなんて。嬉しすぎる。
「マリネッタ、伯爵家で囲われるとウェンディに会いにくくなるからやめてくれ」
「あらカイン、王城勤務になったら私が会いにくくなるわ」
「わはは、そんな取り合いしなくても、ウェンディがカインと結婚すればマリネッタやアンジェラは夫人同士でお茶会ができるじゃないか」
!……はああ!?
思わず王子を凝視してしまったが、あまりにも現実離れな内容にすぐに冷静になれた。いくらカイン先輩が公爵家の次男とはいえ、田舎男爵令嬢と一緒になるのは格差があり過ぎて無理。それこそ私の能力が国に認められるほどに突出しているなら一縷の望みはあるかもしれないが、悔しいことにそんなものはない。
気分か?気分だなこのポンコツ王子め。そんなんで私の密かな恋心を潰しに来やがって下剋上すんぞコノヤロウ。
カイン先輩は最終学年だ。もう卒業してしまう。放課後に会える時間が、放課後にしか会えないというのがどれだけ貴重なものか、婚約者が同い年で同じクラスの王子にはわかりにくいのかもしれない。
まあそんな貴重な時間を己のせいで無駄にしている王子なわけだが。
ほんと。やめてほしい。
ただの後輩でいたい。
きっとそれでしか、カイン先輩の記憶に残らないから。
動揺しないふりをしながらデザート盛りからケーキを食べる。うわっ!さすがトレバー先輩のおすすめのお店だ!甘さの加減が上品!ふわりと柑橘の香りが後味をさっぱりさせ、何個でも食べられそうだ。
上級貴族は良いもの食べてるなぁ。我が領地で作るとしたら原価はいくらになるかな……まずは職人の確保よね、でも領内じゃそんなに売上げないだろうし、給金払えるかな……
せっかく王都にいるし、仕送りはできなくなるけど菓子職人を目指すのもいいかもしれない。美味しいもの、大事。
ああ、そういう事なら知識もありか。農業も王都に近いとやはり大規模だし、領地の農法を改良するのもやはり必要だ。そうなると物流の事も知っておいたほうがいいし、やっぱり選択授業は経済学をとろう。
弟妹の学費を稼いで私も学べる仕事となると、進路は改めて考えなきゃなぁ。
「おいウェンディ?聞いてたか?」
「すみません聞いていませんでした。なんでしょうか」
「毎度清々しいなそれ。カインと結婚すれば、という話だ」
まだその話題だったのか。
デザート盛りのプレートにはもうプリンしか残っていない。名前を呼ばれない事をいいことに、こんなに時間をかけて話を聞いてなかったのに別な話題がないのかポンコツ王子。
「はあ、私は卒業までまだ時間がありますし、そんな事よりご自身の結婚についてアンジェラ先輩とご相談された方がよろしいのでは。どのアクセサリーを贈られるかお決まりになられたのですか」
「おいそれ内緒って!」
「ええ、ひと月もお悩みでしたのでアンジェラ先輩へ直接お聞きになられたらとひと月も前に生徒会全員で進言させていただきましたが、その後進展はございましたかアンジェラ先輩?」
「ウェンディぃぃい!?」
「ないわね」
「ああぁぁぁ……」
やっぱりか。アンジェラ先輩は苦笑、カイン先輩は半目、ライオース先輩とマリネッタ先輩は二人の世界。王子は真っ赤になってテーブルに突っ伏している。
「アンジェラ先輩はなんでも似合うから国中のアクセサリーを買いしめると世迷い言を仰られていましたのでご相談をおすすめいたしました。詳しくはどうぞ会長へ」
「ふふっ、わかったわ。ありがとうみんな」
なんでも似合う中から自分に似合うだろうと自信を持ってプレゼントされるからいいのだ。たとえそれが最悪似合ってなくとも、後の思い出にはなる。私の両親のように。
「ではこの後は宝飾店にでも行くか。俺もマリネッタに何か選びたい」
「あらいいの?ライオース?」
「来月には婚約記念日だ。何か揃いでつけられるものがあればな。まあ、あまり高価なものは無理だが」
「ふふふ、日常で使えるものにしましょうね」
ライオース先輩の決定は早い。みならえ王子よ。そしてついでに行け、連れて行ってもらえ。
「では、インクと茶葉を購入したら行こうか」
カイン先輩の締めの言葉に急いでプリンを食べた。
◆
なぜか私まで宝飾店に連れて来られた……
インクと茶葉なら軽いので、先輩方をお見送りし荷物とともに徒歩で学園の寮に戻ろうとしたらカイン先輩に止められた。
「俺が宝飾店でひとりだといたたまれないから付き合ってくれないか」
あー。それぞれ二人組でいた方が王子もアンジェラ先輩から逃げにくいか。二人きりになると照れて逃げるとか何歳だっつーの。
宝飾店など今まで入ったことはないし、宝石商を家に呼ぶなんてこともしたことがない。お宝のお店としか印象がないが、そこは私も女子だった。見ているだけでもときめく。
「は〜、台座のデザインやカッティングでも石の印象が変わりますね〜、これは選べなくなる気持ちがわかります」
「そうか、ウェンディでもそうなるなら、母が何個も一度に注文するのも仕方ないんだな」
「カイン先輩のお母様は公爵夫人ではありませんか。高位の方は華やかさも仕事のうちですから、半分は投資です」
「投資か。ものは言いようだな」
「でもやはり高位の奥方様が身につけたものは注目度が違いますし、これらの宝石を着こなせる方々はもはや芸術です」
「ははは。そこまで言われたら母も嬉しいだろうな」
「もちろんカイン先輩もそうですし、会長もアンジェラ先輩、マリネッタ先輩、トレバー先輩もそうです。ライオース先輩は肉体の方が芸術ですが……」
「ははは!ライオースはそうだな。ちなみにウェンディは宝石の好みはあるのか?」
「ありません。こんなに種類を見たのは初めてですので。しいて言えば母が父からもらったと言っていた真珠でしょうか。我が男爵家の夫人に代々伝わるもので、今はパーティーで着ける以外は常に保管されています」
私が生まれる前に一度農作業中にばら撒いたらしいので、それを修復してからはもっぱら保管だ。遊びに来る夫人はキラキラしているのにお母様はなぜないのと小さい頃に聞いたら、ケースに仕舞われた真珠のネックレスを出して見せてくれ、そんな返事だった。
豆を撒く時にコケてばら撒き、それらを回収した経験があった私は、高価な真珠が畑にばら撒かれた様子をしっかり想像してしまい、稚心に震えたものだ。
農作業にアクセサリーは要らない。日除け用のスカーフ、麦わら帽子、手袋が毎年の誕生日のプレゼントだった。
あ、プレゼント。里帰りの時に何をお土産にしよう。でも今の手持ちは乗り合い馬車の往復分とちょっとしかない。うーん、今年は入学初年度だけど帰省をやめて長期休暇はどこかで働いて、馬車代の分で何かを送るだけにしよう。確か苦学生用に学園で求人があったはず。
「ウェンディ」
気付くとカイン先輩に覗き込まれていたので、びっくり。驚き過ぎて体は硬直したが、内心は後方に吹っ飛んで大怪我である。
「あ、あ、すみません、考え事をしてました……」
「具合いが悪いわけではないのだな?」
「はい、すみません、今年は実家に帰らずどこかで働こうと考えて……」
「……なぜそんなことを?」
「帰省手段の費用しかないのでお土産が買えないことに気づきまして……」
「……貸すか?」
「とんでもないです。それに、ゆくゆくは仕送りできる職業を見つけなければならないので、今から動いてもいいかと。もちろん学園での求人に応募しますし、なければ先生方に聞きます」
「……ふっ」
あれ、笑われた。
「宝石を目の前にしてそんなことを考えるとはな」
「……花より食い気なので……」
「そうだな。ウェンディは虚像より実像だもんな」
「花は虚像ではありませんが?」
「ああ、たとえが悪かったな……うーん……まずい、やはり俺もポンコツかもしれないな、ははは」
カイン先輩がポンコツなら宝石店でぼんやりしている私はいったい……
カイン先輩はその仕事ぶりから恋愛においてもきっと一気呵成タイプだろう。そんな人が気のない異性を口説くとは思えない。
後輩を励ますという意味なら今のたとえは謎だが、恋人にはきっと言葉を惜しまず尽くすだろう。
カイン先輩の恋人はいいなぁ。この笑顔をいつでも独占できるなんて。
「お……おすすめの短期の働き口はありますか?」
公爵家の人がそんな事を知っているわけがない。それでもまだ見ぬカイン先輩の恋人に無駄な嫉妬をし続けるよりはいい。とにかく私の意識を逸らさなくては。
「そうだな……長期休暇中の学園の厩番、は女子の募集はあったかな……それなら食堂の手伝いか? 園庭の手入れもあったはず」
あら、できそうな職種があった。明日ちゃんと調べてみようっと。
「カイン先輩は何でもご存知ですね。ありがとうございます」
「……」
「?」
なんで見下されているんだろう? もしかして誰でも知っている事だったのだろうか。そしたら私の今の感謝はカイン先輩には侮辱になってしまう……?
うわ、自分の無知で誰かを侮辱してしまうなんて!最悪だ!
「え、と、あの、「うちに来るか?」……は?」
突然のお誘いに無礼にもカイン先輩を凝視してしまった。うち?
「いや、今の学園でも扱っている長期休暇中の働き口だが、王都の我が家でもいいかもしれないと思ってな」
「……な、なぜ……?」
「まず第一に長期休暇に合わせて客が増える。もちろん公爵家の使用人は毎度きっちりこなしてくれるが、今年はメイドが二人出産予定なんだ。その分の補充がまだできていなくてな」
ああなんだ、そういうことか。え、公爵家なのに補充人員が集まらない?
「募集したのはいいが応募が殺到して選別に時間がかかっているんだ」
逆だった!
しかも募集はメイドだ、女子だ。これはカイン先輩を狙ってきているな。そりゃ殺到するだろう。
「ウェンディなら人となりを俺が保証できるし、採用されると思うが……どうだ?」
「お願いしたいです!もちろん不採用でも構いません」
「ははは、潔いな」
公爵家での面接ができるなんてなかなかない機会だ。どんなお屋敷なんだろう。どうせ後輩として可愛がってもらえているだけのただの学生じゃ採用されないだろうし、お屋敷を一度でも見られればいい土産話ができる。
と思ってたのに、翌日には採用通知がカイン先輩から手渡された。
……面接は?
◆
「ふおおおおおっ……!」
「ふっ!」
朝から淑女としてありえない声が出た。いやまあ学園に入るために王都に入った時も同じ叫び方をしたけど。
さすが公爵家。王都のお屋敷でかい。素敵。でかい。
語彙が死んだ私の隣では、ついでだからと馬車に同乗させてくださったカイン先輩が片手で口をおさえ肩を震わせていた。
通常であればお屋敷の玄関に馬車を横づけにするのだが、門をぬけると馬車を降り、歩きながらお屋敷自慢の庭を説明してくれた。
「これから仕事を頼むのに歩きで悪いが、我が家自慢の庭を見せておかないと仕事しか思い出がなくなりそうだからな」
これが見せるための庭かと大感動である。社交の時期に合わせるからとしても、これだけの種類の花を手入れするのがすごい。我が男爵家は雑草はマメに抜くが庭木の手入れはお客が来そうな時だけだ。
なんてこった。これが貴族の心得だ。
さすが公爵家。敷地に一歩入っただけでも学ぶところがたくさんある。
「カイン先輩ありがとうございます。素敵な庭を絶賛できる語彙を持ち合わせていないのが悔しいです」
「ははは!斬新な褒め言葉だな」
そうして玄関にたどり着くと、老紳士が一人いて、カイン先輩に「おかえりなさいませ」と腰を折った。
ふおおおっ!優雅!素敵!
「今帰った。サミュエル、彼女が話していたワントン男爵令嬢だ。ウェンディ、彼は我が家の執事長のサミュエルだ」
執事長まで素敵だなんてさすが公爵家!馬車を降りてから感動しかない!
家名を紹介されたので、そっと息を吐いて高ぶりを押さえ淑女の礼をとる。学園の制服だけど。
「ウェンディ・ワントンです。この度は公爵家に仕える栄誉をいただきありがとうございます。お手数をおかけしますがよろしくお願いいたします」
「ウェンディ様ようこそいらっしゃいました。執事長を務めておりますサミュエルです。こちらこそよろしくお願いいたします。さっそくですがお部屋へご案内いたします」
「かしこまりました。カイン先ぱ、失礼しました、カイン様、御前失礼いたします」
「ああ、頑張れよ」
「はい!」
カイン先輩と別れ、サミュエルさんについて行く。床に敷かれた絨毯の毛並みに足が取られそうになりながら、体幹に少しのブレもないサミュエルさんに慄く。
絨毯がなくなると建物の様子が素朴で落ち着いた雰囲気に変わった。
「こちらの建物は裏方になります。この奥が従業員用の部屋です。厨房を挟んで男女の部屋分けをしています。すみません、本来であれば部屋まで侍女長がご案内するのですが私しか手が空いておらず……」
カイン先輩のただの後輩をこんなに丁寧に扱ってくれるとは……!さすが公爵家!
「お気づかいありがとうございます。長期休暇まで待っていただいた分、これから精一杯つとめます」
サミュエル様の歩みがゆっくりになり、ひとつの扉の前で止まった。
「こちらがウェンディ様のお部屋になりますが、本当にこちらでよろしいでしょうか。今からでも客室を準備いたしますが……」
サミュエル様の気づかいが嬉しいが私に公爵家の客室なんて分不相応すぎる。
「はい。従業員としてカイン様にご紹介をお願いしたのは私ですのでこちらのお部屋で充分です。あと私のことはどうぞウェンディとお呼びください」
サミュエル様がにこり。
「ではその様にさせていただきます。部屋にお仕着せがあるはずですので着替えてください。その後、先程通った厨房前でお待ちください。侍女長のミラが参ります。それと、部屋の鍵はご自分で管理してくださいね」
「はい。承知しました」
「ではまた後程」
「はい。よろしくお願いします」
サミュエル様を見送り、部屋の扉を開ける。室内にはベッドと小さなドレッサー、扉付きのワードローブ。窓にはカーテン。
「なにこの部屋最高か……!」
学園の寮も一人部屋で、広さに備え付けの家具はほぼこの部屋と同じ。大きく違うのはドレッサーの代わりに学習机なだけだ。
いや、「だけ」じゃない。質が違う。高級家具のブランド名もよく覚えていない私がすぐに良いものだと気づくような物ばかりだ。
公爵家すごい。使用人にもこの設備すごい。この部屋で良かった。公爵家の客間なんて恐怖しかない。
実家は妹たちと同室だし、寮で一人部屋という夢をひとつ叶えたが、この部屋はさらに贅沢を叶えてくれた。
公爵家すごい。命がけで働かなければ。
ベッドの上に折り目正しく置いてあったお仕着せに着替え、その隣に置いてあった部屋の鍵を持ってきた荷物の中から編み紐を取り出し、穴に通し首にかける。ポケットだと落とす可能性があるので、紐を持ってきておいて良かった。靴も用意されていて、ショートブーツの紐を結ぶ。学園のものよりはっきり映る鏡で身だしなみを確認し、いざ厨房前へ。
さっきは静かだった厨房がもう騒がしい。カイン先輩がお帰りになられたから張り切っているのかもしれない。食材の搬入口は向こう側のようだけど、こっちでも邪魔にならないところにいなければ。
ああ、鶏を煮る匂いがしてきた。
待機場所に選んだ廊下の端から見えるだけの厨房を観察していると、お屋敷本館の方から侍女長とみられる女性がいらした。
「ウェンディ様、お待たせいたしました。侍女長のミラと申します」
「ウェンディ・ワントンです。ミラ様、よろしくお願いいたします。どうぞウェンディとお呼びください」
丁寧に腰を折ってくださったミラ様は執事長サミュエル様に近いお年かもしれない。白髪の入った茶髪は綺麗に結ばれ、目尻のシワがとても素敵だ。
頭を下げた私にミラ様は目を細めると「ではそのようにいたします」と微笑んだ。
よし!仕事開始!
◆
私の仕事は掃除メイド。実家でやっていた掃除よりかなり丁寧にしたが、同僚のお姉さまたちの仕事は丁寧かつ早い。手元が素早すぎて見えず、しかしお姉さまたちが通った後の窓や床はキラリと光る。すごい!
この掃除術があれば実家も劇的に変わるかもとの私の個人的熱意に、お姉さまたちは丁寧な指導をしてくださった。私がその作業を早く覚えただけ、公爵家は清潔を保てる。職人の心得が眩しい。
「おいしい……!」
昼休憩の賄い飯がお腹に染み入る。お姉さまたちとともに厨房の隅の簡易テーブルセットでいただきながら感動。お姉さまたちはそんな私を生温かく見ている。
「ウェンディ、午後も頑張ったらお菓子をあげるわ」
「ふふふ、私もクッキーを持ってくるわね」
「ウェンディは長期休暇はずっといるのよね、次の休日に美味しいものを買ってくるわね」
新人にも優しいお姉さまたちに神のご加護をみた。お菓子をくれる予告なんて、お姉さまたちは神の使徒か。
「いやあ、こんなにうまそうに食べてもらえるのは久しぶりだなあ」
騎士団で剣を振るっていますと言われても納得してしまうほどがっちりとした体の料理長がしみじみと笑う。味に妥協はしていないが、誰もが忙しくしていて食事が作業だったと言う。
「美味しいです。学園の食事もでしたが、新たな感動を味わっています。はぁ、幸せ〜」
別に実家では芋しかかじっていなかったわけではない。平民並みの食事はしていた……うん、平民並みだったはず。食卓に並ぶおかずがほぼ野菜しかなかったが。
だから学園に通えるようになって寮部屋の次に感動したのが食事である。デザートは実費だが、毎度の食事の栄養配分に見た目そして味。ほっぺたが本当に落ちると思ったし、部屋に帰って泣いた。
弟妹たちよ、ねーちゃんだけ美味いもの食ってすまぬと。
そりゃそうだ。高位貴族子息も通う学園だ。素材の味しかないなんてあるわけがない。
ざっと眺めただけでも調味料の棚には何十種類と瓶がある。さすが公爵家。学園の食事でも私の中の塩胡椒最強説は覆されたが、公爵家でとどめを刺された。
「美味しい〜〜!」
お仕事頑張ろう。
美味しい食事の対価にと張り切ったが、私の動きなど公爵家のスペシャリストたちには全く及ばず、少々落ち込みながら自室に戻り、今日覚えた作業をノートに書き出す。予習のしようがないので復習はしっかりしておかないと。全部をすぐには無理でも、期間が終わる頃には私という戦力を惜しんでもらいたい。
うん。目標は高く。
「ウェンディ、ごめんなさい、今出られるかしら?」
ノックとともに先輩お姉さまの切羽詰まったような声がし、急いでドアを開ける。
「はい。何かありましたか?」
「勤務時間が終わったのにごめんなさいね。このシーツを二階の若さまとお嬢さまの客間に持って行ってほしいの。私たちはこれからお湯を持っていくわ」
「わかりました」
カイン先輩のお兄さんである次期公爵さまは、奥さまのご出産に合わせて現在は領地にいらっしゃる。社交期に合わせて王都へ入る予定だったが、奥さまが心配でまだ粘っているらしい。なので、お子さまたちだけ先にこちらに来られたそうだ。
男女の双子で御歳5歳。公爵夫人であるお祖母様(カイン先輩のお母様)が迎えに行かれたとはいえ、よく親元を離れていらしたなあと感心。さすが公爵家を継がれるお子たちだ。
お二人ともに礼儀正しく、こちらのお屋敷に着いてからは公爵夫妻、公爵はお仕事なので主に夫人と過ごしていらっしゃる。
掃除中に遠目で見かけたが、とても可愛いらしいお二人だった。
困ったことといえばこちらに来てからの毎晩のおねしょらしいが、5歳ならばそんなこともあるだろう。私なんか7歳までしていたし。
可愛い二人を近くで見られる!と不埒な気持ちも含めて向かったら、大変な騒ぎになっていた。
「探せ!敷地内をくまなく探せー!」
公爵さまが青い顔で叫んでいた。
◆
おねしょの始末に公爵さまが指揮を取られるんだ……と混乱していたら、お湯を入れた壺を抱えてオロオロとしていた先輩お姉さまを見つけた。
「お姉さま、何があったのですか?」
「ああウェンディ!私も来たばかりで何がなにやら。とにかく若様とお嬢様がお部屋にいらっしゃらないらしいの」
なんですとー!?
「窓が開いていたということで誘拐では、と公爵さまが指示を出しているわ」
「ゆ!?」
「部屋のどこにも、クローゼットも見たけれどいないらしいわ」
「なんと……!」
私たちも捜索に加わろうとしたが、公爵家の使用人が、それこそ公爵家お抱えの騎士までがお屋敷を走り回っている。今日来たばかりの私なんて邪魔にしかならない。うん。
「べラーナ、ウェンディ」
呼ばれて振り向くと侍女長ミラ様が早歩きでいらした。
「私たちはベッドの汚れ物を交換します。捜索は皆に任せ、私たちは若様とお嬢さまがいつ戻られてもいいように動きます」
「「 かしこまりました! 」」
ミラ様は使用人の女子の部屋を確認してきたようだ。公爵にそう報告している横を通り、ベッドの片づけをする。汚れものを持ち、洗濯場へ行こうとした時にふと何か気になった。
立ち止まり、部屋を眺める。
「ウェンディ?」
お姉さまの声に返事をしようとしたが、私の体は部屋の柱時計に向かっていた。私よりも大きな柱時計の前に立ち、ガラス扉に手をかける。普通なら鍵が掛かっているはずのその扉はなんなく開いた。
「「 あ…… 」」
中には動かない振り子とともに、カイン先輩によく似た天使が二人寄り添っていた。若様とお嬢様だ。
二人は怯えたように私を見上げている。
その様子に誘拐の単語を思い出し、怖がらせないようにしゃがみこむ。知らない人に上から見下されると怖いよね。お仕着せのままだから不審者には思われないとは思うけど。
「良かった、ここにいらしたのですね。お怪我はありませんか?」
すると二人はぽかんとした。可愛い……!
「……怪我はしていません……」と若様。しかしお嬢様は泣いていたのか目も鼻も真っ赤だ。どれほど怖い思いをしたのだろう。
「ご、ごめんなさい……そ、そそう……してしまいました……」とお嬢様。ん?
「んんん?……あ、そういえばシーツの交換に来たんだったっけ」
「「 え? 」」
「もしかして、粗相したから隠れたのですか?誰かがお部屋にしのびこんで来たのではなく?」
コクリと頷くお二人。
「窓は僕があけたの……シーツが早くかわくように」
真っ赤になって俯くとか抱きしめたくなっちゃう!
「なーんだ良かったー!」
「「 え?? 」」
「じゃあとりあえずお風呂に入りましょうか。キレイになりましょう」
お二人に手を差し出すと、戸惑いながらもそれぞれに手を置いてくださった。はー!手が小さい!
そのままゆっくりと時計から引き出すと「では失礼します」と断り両腕に抱っこした。
「わあ!」「きゃあ!」
「ルーファス!ルイーズ!」
お二人の声にすぐさま公爵様が反応された。飛びつかれる勢いだったが、恥ずかしくて隠れていたらしいと説明すると腰を抜かしてしまわれた。しかし風呂に入る許可はくださり、ミラ様とお姉さまたちがお湯の準備をしてくれた。私の服も汚れてしまったし、そのまま私がお二人を風呂に入れることに。お姉さまが私の着替えを取りに行ってくれた。
「公爵家の石鹸の泡立ちがすごい!」
楽しくなっちゃってお二人の体を泡で包んでしまったら、お互いの姿にお二人ともたくさん笑ってくれた。あまり遊んでも体が冷えてしまうので、泡を流して浴槽に入ってもらう。
「お風呂って面白いね!」
「本当ですね!私もこんなに泡立つ石鹸を初めて使いました!もこもこなお二人が素敵でした!」
「またしたいわ!」
「明日もやってみてください。でも顔に泡が付かないようにしてくださいね。目に泡が入るととても痛くなってしまうので」
石鹸をこんなに泡立てるなんて贅沢、子供の体ならあと何回かは許してもらえるだろう。公爵家の跡取りだし。
「ウェンディって力持ちだね。僕たちを二人抱っこするのはお父さまとカイン兄さまだけだったのに」
「お母さまだってソファに座ってだったわ」
「ふふふ、私には弟と妹が5人いますので抱っこもおんぶも鍛えられたのです」
「おんぶ?」
「背中にのる?」
「そうですそうです。あれは冬の寒い時だと背中が温かくていいんですよ〜」
「「 へー!ウェンディやって! 」」
「かしこまりました。お着替えが終わったらしましょうね」
と、それまでニコニコだったお二人がしゅんとなった。
「ベッドに入りたくない……」
「夜嫌い……」
「あらま。変な匂いでもするんですか?」
「「 におい? 」」
「ええ。おならの匂いとか」
「「 おなら! 」」
「私、もっと小さい時は妹たちと同じベッドで寝ていたのですが、たまに寝ながらおならをする時がありまして、妹たちに臭いと怒られたことが」
私の失敗談で笑ってくれたが、「領地ではしないおねしょをするから」と教えてくれた。
領地ではしない。そうでなければ子供だけを王都に来させるわけがない。途中の宿でも粗相はしておらず、こちらのお屋敷に着いてからおねしょをするようになったそうだ。
「お二人ともすごいですね!私なんか7歳までおねしょしてましたよ」
「「 え?7さい? 」」
「はい。妹たちより長くしてました……」
「お、怒られなかった?」
「怒られるというか、呆れられるというか。自分で洗濯をするようになって、洗濯が面倒だなと思ってるうちしないようになりました」
「わ、私たちもお洗濯をした方がいい?」
「とんでもない。それは私たちの仕事なのでお任せくださいませ。でも、領地とこちらで何が違うんでしょうね。あ、寝る前は何かなさっていましたか?」
「お母さまがご本を読んでくださったわ!」
「お父さまも!」
あー、なるほど。
「……お父さま、早く来ないかな……」
「……お母さまにも会いたい……」
さすが公爵のお子たちだ。目を潤ませながらも寂しいと泣かないなんて。
「明日、お手紙を書いてみませんか?」
きょとんとするお二人。
「こちらで元気にしてますよーって、お父さまとお母さまにお伝えしたら、どんなお返事が届くか楽しみですね」
お二人は顔を見合わせるとその目がキラキラしだした。
風呂場を出てからはお二人担当の侍女様と交代し、身支度を整えて公爵夫妻の待つ部屋へ、侍女長ミラ様に連れられて伺った。
ご両親と離れて寂しいのがおねしょの原因かもしれないと伝えると、お二人のお祖母様である公爵夫人がため息をつかれた。
「懐いてくれていると思っていたけれど、親には敵わないのね……」
「年齢の割りにしっかりしていると思っていたが……そうか、我慢していたか……」
孫とはいえ、公爵夫妻が全ての時間を一緒にいるのは無理だ。常にお忙しい中、空いた時間は全てお二人と過ごされていたが、今まで常に母親と一緒だった子どもには足りないのだろう。
若様とお嬢様の気を逸らすためにご両親に手紙を書くことを提案したと伝えると、夫人がそれに付き添ってくださることになった。
御前を辞してから、侍女長ミラ様に若様とお嬢様の入浴のお世話をしてしまったことを謝った。許可を取ったとはいえ専属侍女さまを差し置いてやってしまったのは減点だ。
「若様とお嬢様の乳母は領地で奥様についているからこちらで改めてお二人に仕えさせたのだけれど、もうひと息だったようね……今回の事はもっと気を配らなければならなかった私の采配ミスだわ。ウェンディ、今日は遅くまでご苦労さま」
優しい……!
明日から改めて頑張ります!
「ウェンディ」
使用人区画に入るところでカイン先輩に呼ばれた。
「ミラ、すまないがウェンディと少し話がしたい」
「どうぞ。私たちはこれから休むところですが、もう遅い時間ですので手短にお願いします」
ミラ様はそう言うと少し離れてくださった。見えるところに立つミラ様を確認し、カイン先輩が息を吐く。
「ウェンディ、今日はお疲れさま。体調は大丈夫か?」
カイン先輩は若様とお嬢様の捜索をし、見つかった後はお屋敷の警備体制の確認をされていたと聞いた。それなのに後輩の体調まで気にかけてくださるとは。
「はい。公爵家の掃除術をしっかり覚えて生徒会室をピカピカにして、先輩方を驚かせたいです」
「ははっ、そうか。期待している」
「お任せください」
「そうだ、明日から俺もルーファスとルイーズに付くことになった。兄上が来るまで遊べとさ」
「わあ……カイン様、子守りの経験は……?」
「赤ん坊の頃の二人を抱いた程度だが……まぁ……なんとかなるだろう……」
「疲れた時は範囲を限定しての隠れんぼです。運動量が少ないですから」
「なるほど。疲れた時はそうしよう。じゃあ明日も頑張れよ。おやすみ」
「はい。おやすみなさい」
夜でも爽やかに去っていくカイン先輩の後ろ姿を少し見つめ、そしてミラ様のところまで行く。
カイン先輩とおやすみの挨拶ができるとは……日記に書こう。
「すみません、お待たせしました」
「いいえ。本当に少しだけだったけれど、良かったの?」
「え?ええと、はい、大丈夫です」
なぜかミラ様は一瞬だけ難し気な表情をなさったけれど、すぐに柔らかな笑顔になられた。
「カイン様は学園ではあんな感じなのですね」
「はい!頼れる先輩です!」
「ふふふ、あんなに小さかった坊ちゃまが……ふふふ」
坊ちゃま……!
◆
朝イチから社交のための広間をお姉さまたちと仕上げ磨きをしていると、タタタタと軽い足音が。
「待て二人とも!」
あれ?カイン先輩の声だ。お姉さまたちも聞こえたのか、みんなでそちらを見ると、若様とお嬢様が入り口に並んでいた。その後ろには走ってきたらしいカイン先輩が。
「「 ウェンディいた! 」」
「ほら、まずはみんなに挨拶だよ」
「「 はい兄さま。みんなおはよー! 」」
可愛い!朝から可愛い!
私たちはそれぞれその場で挨拶を返した。監督をしていた侍女長のミラ様が、私たちに作業再開の指示を出してカイン先輩たちに近づく。
「仕事中にすまない。ここの作業はいつ終わるだろうか」
「予定ではあと一時間をみています。どうかなさいましたか」
「いや、二人がウェンディと約束があると言ってきかなくてな。昼休憩まで待てなくて、途中休憩の時間を聞きにきたんだ」
「若様とお嬢様がお約束ですか……」
あ。そういえば昨夜におんぶの約束をしていたっけ。
ミラ様の手招きに作業だった雑巾を置き、エプロンで手を拭く。そばまで行くと、ミラ様がこそりと質問してこられたので私もこそりと返す。
「約束とは?」
「はい。入浴を終えたらおんぶをします、と」
「おんぶ?」
「はい。あの、おんぶ紐をお貸し願えませんでしょうか……」
「それはいいけれど、お二人とも5歳とはいえそれなりに重さはあるわよ……」
「はい。夕べお二人を同時に抱っこできたので一人ずつならば掃除中でも大丈夫かと思います」
「あぁそういえばそうだったわね。でも背負っての作業はさせられません」
「はい……」
ですよね……弟や妹なら背負って色々したけども。
そわそわしているお二人に話かけてもいいか確認すると、休憩時間は規定通りだから少しだけとお目こぼしをもらえた。ミラ様ありがとうございます!
「「 ウェンディ!おんぶして! 」」
「はい。昨夜は申し訳ありませんでした。休憩時間になりましたらお伺いいたします」
「「 わかった! 」」
お二人とも今日はカイン先輩がいるからかとても元気いっぱいだ。ほっこりしているとお二人に手招きされ、近づくと内緒話のようにニヨニヨしつつそれぞれ口もとに両手を添えたのでしゃがんで耳を寄せる。
「「 おねしょしなかったよっ 」」
やった!
思わずカイン先輩を仰ぐと、苦笑しながら頷かれた。
休憩時間になり、ミラ様に連れられて三人がいらっしゃるお部屋に伺うと、カイン先輩がソファにぐったりとされていた。わあ……ポンコツ王子の時は机に突っ伏すけど、お家だとこういう格好もするんだ……おつかれさまです!
「15分ですよ」
「承知しました」
わざわざ時間を口にしてくださったミラ様は部屋を出ていかれた。カイン先輩がのろのろと起き上がり、お二人はそわそわと私のもとまで来られた。
そのまましゃがみ、さっそくルイーズさまから背に乗ってもらう。おんぶ紐の結び方が気になるのか、ルーファスさまは私たちの周りをぐるぐるされた。
「わあ……!」
ルイーズさまは目線が高い位置で固定されたのが楽しいようで、壁際に設置されている家具の見え方の違いに大騒ぎ。
続いてのルーファスさまは天井に向かって手を伸ばし、足をばたばた。
「とどかない〜!」
その後はルイーズさまがお持ちのぬいぐるみをおんぶされたり、ルーファスさまと交代したり。
「きゃーっあはははははーっ」
後ろから抱き上げてぐるぐる回ってみたりもしたが、お二人を交互にしてあげていると時間になってしまった。お二人はカイン先輩に宥められながら部屋の前まで出てくださった。
「ぐるぐるするのが面白かった!またやって!」
「私も!」
こんな田舎遊びでも楽しんでくれて良かった。またやってあげたいけれど、使用人だしなぁ。時間外ならいいかミラ様に聞いてみよう。これから勉強らしいお二人は準備のために部屋に入ったが、カイン先輩がまだ立っていた。
「想定していたより疲れた……」
「おつかれさまです……」
「子守りとはどうしたらいいかわからんもんだな……」
「ふふふ、玩具を準備しても気に入らなければ無駄ですし、何日も同じ遊びが続いても満足だったり、すぐに飽きたりしますからね……だからと言って子供だけで遊ばせると大惨事ですし。私もやらかしましたけど」
「ほぅ……なにを?」
「隠れんぼで玄関の花瓶を倒して水と花を撒き散らし床を水浸しに……」
「……あぁ……」
「怒られました……」
遠い目をするカイン先輩と私。
「なので、隠れんぼは水ものをのけてからがおすすめです」
「わかった」
その後もお二人は理由をつけては私を呼び出し、社交開始前日にはとうとう公爵さまから辞令が。なんと寝かしつけ係である。
……一番しんどいやつなのでは……?……まあいいけど。
◆
幼いとはいえ未来の公爵だ。次期公爵さまがまだいらっしゃらなくても社交には顔出しはする予定である。
なので明日のためにも今夜はぐっすり寝てもらわなければならない。ちなみにカイン先輩は馴れない子守りの日々にげっそりなさっていて、現在は自室で休まれている。おつかれさまです。
「「 それはなあに? 」」
「日記帳です。内容は他の人には内緒にしてくださいね。ふふ」
大きなソファでお二人に挟まれた状態で書く。するとお二人は気を使ってくださったのか動かない。内容を口にしながら書き進める。
今日の作業行程とその反省、賄いの美味しさ、もらったおやつの美味しさ、お二人との時間。はっきり言えば内緒にするほどの内容ではない。
でもお二人は楽しげに聞いてくださる。
「ルーファスさまとルイーズさまは、本日一番楽しかった出来事はなんですか?」
「僕はカイン兄さまに肩ぐるましてもらったこと!ウェンディよりずっと高くてこわかったけど楽しかったよ!」
「私はおばあさまにご本を読んでもらったこと!お姫さまがめでたしめでたし!」
「ではお二人も書いてみませんか?私の日記帳に出演をお願いします」
「「 ! 書く! 」」
お二人とも5歳児にしては字が上手だが一文字のサイズが大きいので、一人1ページ分になってしまった。満足感に溢れた二人が可愛い。
「お二人は明日からお客様にたくさんご挨拶なさるご予定です。上手にできたか、明日の晩も日記帳に書いてくださいね」
「いいの?」
「もちろんです。堂々としたご挨拶が直接見られないのがとても残念ですが、日記に書いてもらえたら私の思い出にもなりますから」
「「うん、上手にする!」」
「うふふ、楽しみにしてますね」
そして明日のためにとお二人はベッドに入ると、すぐに寝息をたてられた。
部屋の外に待機されていた専属侍女様と交代すると、カイン先輩がこちらにいらっしゃった。
「すまない、少し休むつもりがすっかり寝てしまった……ん?もしや二人はもう眠ったのか?」
「はい。よほどお疲れだったようで、ベッドに横になられるとすぐに眠ってしまわれました」
「そうか……良かった……」
「カイン様もおつかれさまでした。お二人ともとても楽しまれたようですよ」
「そうか、なら良かった。しかし疲れた……子守りとは大変だな……」
ふふ、ですよねー。本当におつかれさまでした。
「なあウェンディ、いつものように呼んでくれないか」
「はい?」
「先輩ってさ」
あれ、なんか学園にいる時よりも気安い。
「ウェンディに『カイン様』と呼ばれると落ち着かない。本気で使用人を相手にしてるようだ」
「ですが……」
「ああまあ、そういう契約なんだが……今は二人だけだ。可愛い後輩に呼ばれる癒やしをくれ。疲れた」
そういうカイン先輩はポンコツ王子に激を飛ばした後のような顔をなさった。ああ、いつもならお茶を差し出すのに。
そう思うと、生徒会室にいるような気がした。
……そうか。可愛い後輩と思ってくださってるんだ……嬉しい。
「ふふふ、カイン先輩、本日もおつかれさまでした」
少し目を丸くしたカイン先輩はくしゃりと笑うと、私の頭をぽんぽんとなさった。
「ウェンディもな」
う。
「おやすみ。明日も頑張ってくれ」
「は、はい。おやすみなさいませ」
カイン先輩の後ろ姿を見つめながら、おなかに力を入れる。いや、全身に力を入れていないと顔が崩れそうだ。
わわわわわわわ〜っ!わ〜っ!わ〜っ!!
カイン先輩の姿が見えなくなった途端、その場に崩れ落ちてしまった。ここは本邸で、こんな格好をしているわけにはいかないのだが腰に力が入らない。
ああああぁ頭ぽんぽんされた……初めてカイン先輩から触られた……嬉しすぎる。
よく、ライオース先輩がマリネッタ先輩へしているのを羨ましく思っていたのだが、ここまでのものだったとは。マリネッタ先輩はなんで平気にしていられるのだろう。婚約者だから?年季?
婚約って……すごい。
うわ〜日記に書きたい。でもルーファスさまとルイーズさまに見られてしまう……恥ずかしい。
でも結局書いた。この喜びを溜め込むと明日から使いものにならなくなってしまいそうだったから。
◆
朝はいつもの時間に起床だったのだが、さすが公爵家さすが都会。あれだけ用意周到に準備したにもかかわらず私たち裏方は目まぐるしい初日となった。
まあ、公爵家の催し初参加の私だけが打ちのめされているだけで、お姉様たちは侍女長ミラ様の指示に颯爽と動く。
とにかくお客の数が多い。
というわけで、私の本日の業務は厩番だ。
掃除メイドがなぜ厩番かというと、遠方からのお客が想定以上で、点検、馬の世話にいっぱいで厩担当が馭者のもてなしにまで手が回せないとあちこちを辿って侍女長まで話がきた。ならばここは侍女業初心者の私が行くしかない。馬の世話なら実家での経験もあるし、厩から厨房までの距離を考えればそこを何度も往復できる体力がいる。
「自分の判断で適度に休むのよ。無理はしないように」
「はい。お任せください」
立候補したらミラ様やお姉様たちに心配されたが、その優しい言葉に気が引き締まる。
決して、昨夜の頭ポンポンへの高ぶりを発散するためでは…………爆発する前に発散したい。ぜひ。
今カイン先輩に会ってしまったら挙動不審になりそうで。
それは今後のためにもいただけない。
私は末席とはいえ生徒会役員で、先輩方がつつがなく業務を遂行するお手伝いをするのが仕事である。いちいち挙動不審になっていたら何の役にも立たない。
……王子、毎度呆れて物が言えないと思っていてすみません。ちょっとだけ理解できました。
頭が行き詰まった時は体を動かすに限る。淑女合宿での詰め込み学習で思い知った。
厨房から持てるだけの軽食を持って厩番の小屋前に着くと、丁度担当者が出てきて荷物を半分持ってくれた。
「ありがとうございます。本日お手伝いしますウェンディです。よろしくお願いいたします」
「あれま、ずいぶんと小さい子が来たな。すまんがよろしく。さっそくだがお茶出しを頼むよ。俺らは馬の方に行くから、何かあったら厩舎に来てくれ」
「承知しました」
小屋に入ると馭者さんたちはのきなみぐったりしていた。いや、半分くらいは健やかな寝息を立てている。
何時に着いたんだろうか……?
とにかく、まだ意識のある人に軽食をすすめ、お茶もまずは温かいものを差し出す。
馭者用の部屋も用意されていると説明すると、すぐにご主人に付かなければならない人もいて、せめてと風呂の手配をしに本邸へ走る。すると使用人用の浴場がすでに準備されているという。さすが。
また厨房で持てるだけの軽食を預かり、今度は希望する馭者さんたちを浴場へご案内。風呂担当者へ引き継ぎし、厩へ戻る。まだ寝ている人をそのままに、空いた食器を厨房へ運び、再度お茶用のお湯をもらう。
「ウェンディ、足は大丈夫か?」
料理長が調理をしながら声をかけてくれた。
「はい。お仕着せ用ではなくて自分の靴なので大丈夫です」
お仕着せ用の靴は作業用でもあるが少し踵が高い。メイドといえど見た目も重視されているデザインなので、外を走るのには向いていない。厩周辺は舗装されていないので砂埃もたつし泥もはねる。どうせ汚れるのならと慣れている自分の靴を履いた。走りやすいし。
「よし、口開けろ」
言われたまま口を開けると料理長にミートボールを入れられた。うん、冷めててもスパイスがきいてて美味しい!
「行儀が悪いが俺らはまともに飯を食う時間が取れない。使用人用につまめる物を置いておくから隙きをみて自分で取って食ってくれ」
目が輝いただろう私に料理長が苦笑する。
「甘いのとしょっぱいのとバランス良く食えよ。水分補給は絶対に忘れるな。あと疲れたらすぐ言え。若いやつは無茶するからな、年長者の言うことも聞け」
「はい!ありがとうございます!」
領地の収穫期に比べればまだまだ動けるが、ここは公爵家なので無様なことはできない。直属の上司である侍女長ミラ様からも無理はするなと厳命されているし、倒れたりして迷惑だけはかけないようにが今日の目標の一つである。
夜にはルーファスさまとルイーズさまのお話も聞きたいし。
そうして小屋と調理場を行ったり来たりしつつ、馬場に行って運動し足りない馬の散歩をしたり、毛並みの手入れをしたり、厩番のおじさんたちと軽食を食べたり、馭者さんの道中の話を聞いたり、ご主人様のどんなところが自慢かを聞いたり、隙をみて掃除をしたり。
そうこうしているうちにいつの間にか日も傾き、交代の時間になった。
仮眠をとった厩番のおじさんが「助かった!ありがとな!」と労ってくれたので、足取り軽くお屋敷へ戻れた。お客様の人数には驚かされたが、仕事としては楽しかった。ほとんどお喋りだったし、どこのお家の馬もとても手入れされていて良い子たちばかりだったし。
お屋敷に入ると丁度侍女長ミラ様がいらして、「ウェンディおつかれさまでした。お腹がすいているかもしれないけれど、先に湯浴みしてきなさいな」と言ってくれた。確かに埃っぽいのでそのまま風呂場へ向かう。そこにはすでにお姉様たちもいて、マッサージの仕方を教わったり背中の流し合いをしてみたり。
さっぱりしてお姉様たちと厨房へ行くと温かい夕飯が用意されていた。
「よし。たんと食ってから寝ろよ」
「ありがとうございます!いただきます!」
労働の後の温かい食事が染み入る。すごいな公爵家の福利厚生。上位貴族すごい。
その後、夜勤の方々に申し送りをし、寝る準備万端のルーファスさまとルイーズさまの元に行って日記を書いた。二人とも上手に挨拶できたようで、張り切って日記を書いてくれた。お客様にも褒められたが、祖父母である公爵ご夫妻の喜びようがお二人の自信になったようだ。なによりである。
お二人の寝顔に癒やされ、専属侍女さまと交代し、自室に向かおうとした時にカイン先輩に呼び止められた。振り返ると廊下を小走りでこちらにやってくるカイン先輩。
「おつかれウェンディ」
うわぁうわあ……!礼装の先輩格好いい……!
「わあ、先輩素敵……!」
ぽかんとしたカイン先輩に心の声が漏れたことを悟る。恥ずかしいので言い訳しようとしたが、どうせ言われ慣れていると思い直した。私の称賛など今さらおまけにもならない。
「え、そうか?」
「はい。カイン先輩も何をお召しになられても素敵ですね」
「……も?」
「はい!マリネッタ先輩もアンジェラ先輩もトレバー先輩もついでに殿下も!」
「……ふっ……ついで……ライオースは?」
「筋肉枠で!」
大笑いのカイン先輩はいつもより少し幼く見えて、ものすごく得した気分になる。
ああ、放課後の生徒会室にいるみたい。
「はー、ウェンディのお茶が飲みたい」
「うふふ、嬉しいです」
「そうだ。ルーファスとルイーズと四人でお茶会でもどうだろう」
「わあ!え、よろしいのですか……?」
「社交が終わってからになると思うが、兄上もこちらに着けばすぐには帰らんだろうし。念のためにウェンディの勤務最終日は休みにしてもらおう」
「ええそこまで!ああ、でもそうですね、掃除の合間にお茶の支度はまずいかもしれませんね」
「ははは、そこは気にしないよ。それよりも二人と遊んでくれると助かる」
「それはぜひお任せください!」
充実した仕事だったからか、カイン先輩への変な緊張はない。
「おっと、つい長話をしてしまうな。呼び止めてすまなかった」
「先輩とお話できて嬉しいので、なにも問題ありません。明日も頑張れます」
「ふふっ。じゃあ明日もよろしく。おやすみウェンディ」
「おやすみなさい、カイン先輩」
先輩の後ろ姿を見送りながらしみじみ思う。憧れの人とおやすみの挨拶ができるのもそうだが、こんなに皆さんによくしてもらえて、公爵家で働けて良かった。
うん。明日も頑張ろう。
内容が全然「つれづれ」じゃないことに気付き、仮タイトルに。でも思いつかず。