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自死代行  作者: 久保谷充
第一章
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第三話 前編

「愁さん、掃除ついでに看板拭いときましたよ」


「ありがとう。鈴鹿」


「南法律事務所」の看板は今日も塵ひとつなく曇りない。都心のオフィスビルに居を構える事務所の中には、一目でオーダーメイドだとわかる上品なベージュのスーツに身を包んだ男がデスクで紅茶を飲んでいる。男にしては長めの髪を右側だけ耳にかけ緩く後ろに流し、そこから覗く顔立ちは中性的だ。ティーカップを扱う所作も美しく、まだ若いであろう年齢より洗練された印象を感じさせる。


「鈴鹿にもいれたからこっちに飲みにおいで。相談がある」


「あざっす」


鈴鹿と呼ばれた男は手にしていたバケツと雑巾を持って裏に消え、すぐに戻って来た。パーカーにジーンズ、ツーブロックの髪は長い部分だけ金に染めていて、その姿はおおよそ法律事務所に似つかわしくない。スーツの男が座るデスクの前まで来て、居心地が悪そうに申し訳なさそうな表情を浮かべた。デスクには「弁護士 南愁」と書かれた名札が控えめに飾られている。


「愁さん…俺の分はマグカップでっていつもお願いしてるじゃないですか。ティーカップは華奢すぎて持ちづらいし、割りそうなんす。これ高いやつですよね」


「使われてこその茶器なのだから、割れたらきっとそれが寿命さ」


愁が微笑む。鈴鹿は渋々といった様子で愁の隣の簡易椅子に腰をかけ、いただきますと言ってから気持ちばかりに紅茶を口にする。


「それで、相談って何ですか。俺、まだ難しいことわかりませんよ」


ただお茶をするだけなら応接間があり、普段はそこを使っている。鈴鹿は要らないことをしないようにと、愁のデスクにはなるべく近寄らない。


「…今回は全面的に鈴鹿の力を借りることになるかもしれない」


「能力者絡みですか」


愁がティーカップをデスクの端に置いて、パソコンを操作する。動画の静止画のような画像が何枚か写し出された。かなり不鮮明だが、かろうじて人が見切れているのがわかる。顔まではわからないが、学生だろうか。


「監視カメラ?どこです、ここ」


「佐鷺町、芦川寺」


「…すみません、知らないっす」


新聞とニュースぐらいは目を通しなさいと言ったはずだけど、と愁がいくつかの記事とデータをパソコン上に表示する。


「三週間前に佐鷺町で投身自殺があった。それ自体はもちろん特段珍しいことじゃない」


鈴鹿はパソコンに顔を寄せて表示されたデータに目を通し始める。


「……この二年、多いっすね、自殺。人口比だと相当じゃないっすか。名所でもあるんすかね」


「断言するけれど、ないね」


「何で言い切れるんです?」


「地元だから」


生粋の都民かと思ってましたと驚く鈴鹿に、愁は「良いところだよ」と微笑む。


「話を戻そう。その投身自殺の現場になった橋のすぐ傍で、同日同時刻が死亡推定時刻の別の遺体が発見された。生活習慣病という名の基礎疾患をいくつも抱えていて、死因は心不全による突然死ということに落ち着いたが、言い争うような声を聞いたという証言があった。他殺の可能性も疑われたけれど、この二人に接点はなく、現場にも遺体にも争った痕跡はない」


「同じ日、同じ場所で、二人死んでると」


それだけじゃない、と愁が続ける。


「この件のさらに二週間前、この付近で交通事故があった。幸い命に別状はなかったけれど、その被害者は「自分は橋から落とされた」と証言している。被害者は錯乱状態で精神科に通院歴があったことから、虚言だと処理された」


「…たしかにオカルトっぽいですけど、たまたま不運が重なっただけじゃないすかね。てかこの情報、どこからですか。また「民間協力」ですか?うちは法律事務所であって、探偵事務所じゃないっすよ!」


いかにも不服そうな様子の鈴鹿を無視して、愁はあるウェブサイトを開く。


「自殺代理…?あなたの代わりに死にます…って。何すか、この悪趣味でちゃっちいサイトは」


「具体的に地名が挙げられてるから、町に通報が入った。サイトの作成者は佐鷺町に住む小学生で、夏休みの課題にしようと面白半分で作ったそうだ。ネット掲示板の噂を参考にしたらしい」


「まだ消されてないんすね」


「私がお願いして、譲り受けた」


鈴鹿は、この人はふざけてるのか…?と訝しげに愁を見たが、愁はいたって真顔のままだ。


「…わからないっすね。何がそんなに気になりますか?この情報が警察からだとして、警察ももう動いてないんでしょ。いくら地元だからって、愁さんは慈善活動するタイプじゃない」


真剣に鈴鹿が問う。愁は再びティーカップを手にし、紅茶を口にする。


「…妹に、悪い虫がついたかもしれない」















「ごめんね。まだ容態が安定してなくて、一般病棟に戻れてないの」


「……そう、ですか……」


涼平は差し入れの入ったビニール袋を片手に立ち尽くす。その中には三週間分の少年雑誌が入っている。


「せめて、一目見るだけでも、駄目ですか」


途切れ途切れに話す涼平に、顔馴染みの受付の女性は申し訳なさそうに、言いづらそうに告げる。


「…本人の希望もあってね。きっと心配させたくないんだわ」


「………」


顔面蒼白で動こうとしない涼平に、三歩程後ろに立っていた帰蝶が声をかける。


「帰ろう、涼平」


きっと大丈夫よ、また来てね、という声に見送られて、二人は病院を後にした。



残暑はあれど季節はすっかり秋になっている。前回の自死代行の後、なぜか報告に行かなかった涼平は後日改めて春樹を訪ねたが、そのときには容態が悪化していて面会が出来なかった。それから三週間、一度も会えずにいる。

どうしてすぐに報告に行かなかったのかと何度目になるかわからない後悔に陥って、歩みが遅くなる。


「……涼平が倒れたら誰がお見舞い届けるの。私はやらないから」


隣を歩く帰蝶が何か言うが、うまく反応が出来ない。最後に春樹に会ったのは帰蝶だと、ふと思い出す。


「春樹の様子はどうだった。体調悪そうだったか」


言葉足らずな質問になったが、帰蝶はすぐに答えを返す。


「わからない。元気だって自己申告はしてたけど。隠されたら、私には気づけない」


帰蝶はこの質問をされるのはもう五度目だったが、淡々と同じことを伝え続ける。


「涼平がジュース買ってくれないってぼやいてた。次は美味しいジュース、持って行ってあげたら」


「……そうか」


会話が途切れ、二人は黙ったまま涼平の家へと歩く。涼平がピアノを弾かないので同好会は休止状態だ。この三週間、帰蝶は出来るだけ涼平の送り迎えをするようになっていた。放課後すぐなので、まだ日は高い。

こじんまりとした駅前の商店街を抜けて人通りの少ない道を行く。二人はどんどんと路地を抜け、誰もいない公園へと辿り着いた。

何も気づいていなさそうな涼平を自分の後ろに隠すようにして、帰蝶は振り返った。


一人の若い青年が公園へと入ってきて、二人に近づいてくる。安そうな金髪にピアスだらけの耳。ラフなパーカーにジーンズ姿の青年は、二人から三メートル程のところで立ち止まり、帰蝶に笑いかけた。


「お嬢さん可愛いっすね。隣は彼氏っすか」


「可愛くないし彼氏じゃない。消えて」


「お、強気な女の子は好きっすよ。ちょっとお二人に聞きたいことがありまして。少し付き合ってくれますか」


ようやく事態を飲み込んだらしい涼平がぼそりと呟く。


「………帰蝶、任せていいか」


「あれ、彼女に丸投げっすか。いけないなぁ、頼りにならない男は駄目っすよ」


大抵の荒事は帰蝶が物理で解決出来る。涼平は大人しくしていた方が被害が少ない。性別なんて関係ない。適材適所が涼平のモットーだ。

危機感を感じていない涼平の隣で、帰蝶はなぜか緊張を解かなかった。


「…涼平、離れないで。まだあと一人いる」


帰蝶がそう言うと、青年が「はあ、やっぱ面倒くせ」とこぼした。空気の変わる気配がして、涼平の神経が一瞬で研ぎ澄まされた。飛び出そうとした帰蝶を押さえつけて叫ぶ。


『聞くな!!』


【眠れ】


涼平と青年の声が同時に空気を切り裂いた。公園が静まりかえる。

時が止まったかのような沈黙の後、青年が膝から崩れ落ちて嘔吐した。憎々しげに涼平を睨みつける。


「てめえ…「返し」やがったな…」


ひどく苦しそうな青年がもう一度嘔吐する姿を見て、涼平は青ざめていた。


「「返し」てない…「還った」だけだ」


「適当言いやがって…!」


青年が立ち上がれないでいると、物陰からひょこりと何かが現れた。ようやく我にかえった帰蝶が警戒するが、現れた人物はのんびりとした調子でこちらに歩いてきて、嘔吐いている青年の隣で立ち止まった。


「やられちゃいましたね」


「槙…何とかしろ…」


「嫌ですよ。疲れますもん」


「お前な…!」


緊張感のかけらも感じさせないその人物は、帰蝶たちと同じ年頃だろうか。くせっ毛な髪は整えられておらずぼさぼさで、首にはヘッドホン、くたびれたジャージを着ている。今しがた布団から出てきましたとでも言わんばかりの格好だ。


「鈴鹿さんが敵わないなら僕たちもうお手上げでしょ。だから普通に愁さん待てば良かったのに」


「いいから、早く治せ…!」


ごちゃごちゃと話している二人を置いて、帰蝶は青い顔をしたままの涼平の手を引いた。公園の出口へと早足に歩き出す。「待て…!」とかけられた声は無視した。

しかし公園を出ようとした二人の前に、ベージュのスーツが立ちはだかった。帰蝶は固まってから、ゆっくりと顔を上げて、その人物を見る。


「久しぶりだね、帰蝶」


「愁、兄さん…」


動けないでいる帰蝶の隣で、涼平の身体がぐらりと傾いた。帰蝶がとっさに支えるが、意識がない。


「…少し休んだ方が良さそうだ。休んでから、話をしよう」


焦がれた兄の優しい声だ。唐突に、もういつだったか、国語の授業を思い出した。

そうか、そうか、つまりきみはそんなやつなんだな。

潰れてしまった、蝶の標本。


帰蝶はうつむいて、静かに頷いた。



細々続きます

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