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自死代行  作者: 久保谷充
第二章
31/34

枝道

深夜、事務所の入口がひっそりと開く。


「………電気も点けないで、こんな時間に何してんすか」


暗闇の中、私のパソコンの液晶だけが煌々と光りを放っている。


「調べものがあってね。君こそ、こんな遅くに一体何の用かな」


「……………」


鈴鹿は事務所に入口に佇んだまま、こちらにやって来ない。黒いシルエットだけが浮かんでいて、表情は窺えない。

とても思い詰めた顔をしてるんだろう。近くで見せてくれればいいのに。


「……愁さん、俺、」


「暇が欲しい?」


鈴鹿が息を呑む気配して、苦笑がもれる。私も存外、余裕がないらしい。


「私はね、槙が消滅したとはどうしても思えないんだ」


「……愁、さん」


「呪った分だけ時間が巻き戻り、存在が消えてしまった…と考えるのが自然かもしれない。でもそれなら、彼の呪いは一体どこへいったのかな。呪いは後始末こそが厄介だと聞いたのだけど」


「……俺にも、わからないんす。今までも、槙の呪いは俺にだけ特別な効果を発揮してきました。だけど本来なら、根本的な治癒は出来ないはずで」


自分の頭の中を整理するように、鈴鹿が言葉を並べていく。


「あいつならこんな奇跡を起こしてしまうかも、とも思います。けど結局、どうしたって呪いは呪いで。……こんな、何も残らないなんて、おかしいんす」


鈴鹿の声が微かに震える。


「……俺の中に、槙の呪いはありません。他に還る宛もない。俺が呪いを引き継いでいないなら……まだ、どこかに、」


鈴鹿はそれ以上は言わずにしばらく黙ってから、心当たりがあるんです、と呟いた。


「……これのこと?」


「……!!」


私は手に持っているものを掲げて見せる。液晶の光に照らされた、割れた小瓶。

鈴鹿は驚いたようで、すぐにこちらに詰め寄って来た。

ようやく表情のわかる距離になる。


「それは…」


「芦川くんから譲ってもらった。…少し、話も聞けた」


瓶を逆さにかざす。瓶の底に形容しがたい文様が刻まれている。


「愁さん。それを渡してください」


鈴鹿が低い声を放つ。殺気と呼んで差し支えない空気をまとう様は手負いの獣のようだ。

…やはりこの子は、忠犬より猟犬の方が似合う。


「代永綾の葬儀で、何者かから受け取ったそうだ。英語で話しかけられたらしい。顔も背格好すら覚えていないそうだけど」


「…………」


「君は、おかしいと思わないかい」


鋭さを増していく鈴鹿の視線を正面から受け止める。


「君が置き手紙を残していった後、和泉くんと橘さんがここに来たんだ。槙も交えて色々と話したよ。彼らも呪われているんだってね。和泉くんにいたっては自覚もなかったようで、槙の実年齢を言い当てたことに本人が驚いていた。初対面のときにはわからなかったそうだけど、それはどうやら遠野くんの仕業らしい」


「……何が言いたいんすか」


鈴鹿の問いには答えず、淡々と情報を並べていく。


「代永綾が外出先の東京で事故死した二ヶ月後に、帰蝶は東京から佐鷺に越して遠野くんに出会っている。それから半年もしないうちに橘さんが呪われ、その一年後には和泉くんだ。果たしてこれは偶然か?呪いは引き寄せ合うと言うけれど、狭い町でこんなに短期間に呪いが集中するなんておかしいと、槙が話していたよ。何より気になるのは、橘さんと和泉くんの二人が、自分がいつ呪われたのか、自覚がないことだと」


「……たしかに呪われるような出来事ってのは、大抵強烈なもんっすけど」


鈴鹿は目に見えて苛立っている。今すぐに小瓶を取り上げたいだろうに。言霊を使われないことに彼からの信頼を感じて、私の気分は少し上向いた。


「芦川春樹が死を引き寄せたことで、呪いも集まったと言えるかもしれない。しかし本人に確認したところ、彼はそんな力はないそうだ。ならば原因は、これしかない」


「だから心当たりがあるって言ってる!」


私が改めて小瓶をかざすと、鈴鹿が声を荒げた。


「愁さん。俺は昔、それと同じものを見たことがあります。それを渡してください。あんたを関わらせたくない」


「ずいぶん寂しいことを言うね。本当にそう思うなら、それを私に強いればいい。君はその力を持っているだろう」


「愁さん……!」


暗くてもわかる、泣き出しそうに歪んだ表情。

可哀想だと思いながらも、私の口は止まらなかった。


「……弁護士になってから、知ったことなのだけど」


「……?」


「私は弁護士になった動機が不純でね。法律を勉強しようと思ったのも好奇心からだった。教鞭を取る元司法関係者がこぞって法律を憎んでいるのが、興味深かったんだ。法が憎いのに、法から離れられない。そんなものに、私も惹かれてみたいと」


鈴鹿の顔が訝しげに曇る。まだ話を聞こうとしてくれる彼が健気で、静かにひとつ息を吐いた。


「けれど結局、私にとって法律はゲームのルール以上に成り得なかった。いかに不利な条件の元で、どれだけ依頼人に益をもたらすか。定石がわかってしまうと簡単な話で、実はもう飽きてしまってね。それでも何故、私が未だ弁護士を続けているのか」


「………」


鈴鹿を傷つけてしまっただろうか。正義の弁護士で在ってあげられないことに、僅かに胸が痛む。

しかしそんなものは端から、ここにはいない。


「本物に、出会うことがあるからなんだ。検事や、弁護士の。もちろん司法界隈以外にも。どの道にもほんの一握り、時代に一人いるかいないか、本物がいる。会えば、すぐにわかるような」


「…愁さんだって、本物じゃないっすか…」


鈴鹿の苦い呟きに困ったように笑って見せてから、真剣な表情をつくり直す。


「それともうひとつ。本物のほかに…化け物が、いる」


鈴鹿がはっとしたように私を見た。私は彼の目を見つめたまま、言葉を続ける。


「人ならざる力を持っているかどうかは関係ない。ただ、本物が束になっても敵わないような存在が、この世にはいる」


帰蝶によく似た男を思い出す。世界を股にかけて、人を殺し続けた男。


「……いつでも簡単に殺してしまえる相手を、そうはせず、側に居続けるのは何でだと思う?」


「…?急になんすか…。泳がす必要がないんなら……守るため、ですか」


「……君は賢いね」


私は結局、あの子の兄としてすら中途半端だった。けれどこればかりは比べる相手が悪い。私の予想が正しければ、彼こそが献身の権化だ。人の域を越えている。

彼が墓まで持っていったというなら、私も紛いなりにも兄として、このことは生涯胸に秘めよう。

もっともあの子は、どこかで気づいているのかもしれないけれど。


「……愁さん、いい加減俺の話を聞いてくださいよ。俺は、俺と槙がいた組織はなくなったもんだと思ってましたけど、違うかもしんねえ。少なくともどこかに関連する何かは残ってる。俺が、行かねえと」


「ふふ、鈴鹿。また口調がごっちゃになってる。勤務外では無理に丁寧にしなくていいと、ずっと言っているのに」


「…っ!あんた!人の話聞けよっ!!」


胸ぐらを捕まれて、思い切り引き寄せられた。シャツもネクタイも崩していないせいで、ひどく首が苦しい。

鈴鹿の必死の形相が、目と鼻の先にある。


「……私が以前話したことを、覚えてるかい」


「……あ?」


「君と槙に何かあったとき、私が、どうするか」


目の前にある鈴鹿の顔をそっと手で包む。ぎくりと鈴鹿が強張ったけれど、私は構わずその瞳を覗き込んだ。


紛い物は、所詮模造品にしかなれない。それでも、本物には出来ない、偽物にしか成せないこともあるはずだ。


「君たちと三人で、穏やかに過ごすのも良いと、思っていたのにな…」


「愁さん…?」


胸ぐらを掴む鈴鹿の手が緩む。離れていきそうなその手を、今度は私が掴んだ。


「鈴鹿。槙を取り戻すよ」


鈴鹿の目が見開かれる。その瞳に自分であろう何かが映っている。


「化け物に、なってやろうじゃないか」



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