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自死代行  作者: 久保谷充
第二章
29/34

回顧録 冬

だいぶ昔に書いた部分なので、整合性が崩壊しているかもしれません…

いっそパラレルワールドぐらいの気持ちでお進みください

幼い頃、片翼の鳥を見たことがある。

奇形に産まれ巣から落ち、親に見放され、直に死ぬしかない、儚い存在。地面でもがくことすら不自由そうなその姿が、自分に重なった。


……なんて醜い感傷。哀れな鳥も、私と比べられたくはない。



父親から渡された住所へ向かう足が痛む。ひどくサイズの合わないヒールを手に、師走の夜を素足で歩く。薄手のコートの下には安い下着のような衣装。かじかんだ手足を温める術を、私は持っていなかった。


辿り着いたアパートのインターホンを鳴らす。ドアが開くと、中から油が酸化した匂いがした。

足が痛むぐらいがちょうどいい。痛みは地獄を少しだけ和らげてくれる。べたつく手に腕を引かれて、ドアをくぐった。

私は地面ではなく、獣の下でもがき続けている。


明け方、やはりヒールは履かずに自宅という名の地獄に帰ると、待ち構えていた父親に握っていた紙幣をむしり取られた。代わりに賞味期限の切れた弁当を押し付けられる。

奴が出かけて戻って来ないことを確認してから、水で手を洗う。ガスと電気はもうずっと止まったままだ。

冷たい床に座り込んで弁当を開けると、油の匂いがした。胃液がこみ上げて、トイレに駆け込む。


「……う、……ぅ……」


生理的に涙が出る。泣きたくない。これ以上、惨めになりたくない。

口をゆすいで、冷たい水で濡らしたタオルで身体も拭う。服と呼べない代物はゴミ袋にぶち込んで、白シャツとプリーツスカートを身につける。正規の制服は売られてしまったので、これは安い紛い物だ。コスプレのような制服もどきと、窓の外に吊るして隠しているローファーだけが、私の私物だった。

コートを羽織りローファーに素足を突っ込んで、私は家を出た。


駅前の商店街を宛土なく歩く。火災が増えていますと防災放送が言う。最近多いわね。先週もボヤ騒ぎがあったかしら。あら知らないの?昨日なんて…


コートの前を深く合わせて、早足で歩く。違う。私じゃない。私じゃないの。私は、関係ない!

電器店の前で立ち止まる。ウィンドウ越しのテレビがローカルニュースを映している。覚えのある建物。黒くなった部屋。人が、


……こんなものは、知らない。私は、何も知らない。


震える足で走り出す。人通りのない道まで来ると、息が上がっていた。ふらついて路上駐車されたままの車に手をついて、上がっていた息が、止まった。


「なに、これ」


窓ガラスに映る自分の瞳が、赤い。恐る恐る覗いたサイドミラーに声を上げそうになった。心臓がどくどくと激しく音を立てる。口元を押さえながら長い前髪を必死に撫で付けて、目を隠す。


どうして。どうしよう。どこに、行けば。


この悪魔。魔性の子。ヒトじゃねえ。繰り返し繰り返し言い聞かされてきた言葉が、ほんとうになってしまったのか。

私は元から悪魔だったのだろうか。それとも悪魔に成ってしまったのだろうか。私を悪魔にしたのは、


片翼の鳥が脳裏をよぎる。生まれついた異形、その定め。


「…………」


私は自分が立ち入ることの出来る場所の中で一番高いところを目指して、走り出した。




正真正銘、生徒として在籍している学校にも関わらず、私は盗人のように隠れながら校舎の中に入った。授業中で、誰も廊下にいない。

階段を一番上まで上がると、もう足が限界だった。帰りのことは考えなくて良いのだから構わない。そんなことを思いながら屋上への扉に手を伸ばして、自分の愚かさを呪った。鍵がない。

その場にへたりこみそうになったとき、扉の向こうから声が聞こえた。内容までは聞き取れないが、口論しているかのようなトーン。扉に身体を寄せてドアノブを回してみると、思いがけず開いてしまった。


開いた隙間から、屋上を覗く。二人の学生が、中央で向かい合っていた。制服で男女だとわかる。女の方は校則を無視した奇抜な頭をしている。不良か、頭の沸いたお子様カップルのサボり現場だろうか。体力的な疲れも相まって、げんなりする。


早くこの場所を私に譲って欲しい。あんたたちより、私の方がずっと切実に、この場所を必要としている。

興味なんて微塵もわかないのに、扉が開いたことで、二人の会話が聞き取れてしまう。


「その首、わからないのか?!そんな物騒なものに憑かれておいて、よく平気な顔でのうのうと人と暮らせるな!お前みたいなのがいるから悪いものが引き寄せられて、治安が悪くなる!」


「……っ!お前にだけは、言われたくない…!お前こそ、自分の周りが視えないの?視えない振りをしてるくせに、たなに上げて、悪いことは全部、私のせい!?いい加減にして!!」


……何を言っているのか、少しもわからない。電波、という奴なのだろうか。

それでも本気の怒りだけは、ひしひしと伝わってくる。

女の方は喋り方がどこかたどたどしい。日本人ではないのかもしれない。

私も、他人のことを言えないけれど。


「……この街から出ていけとまでは、もう言わない。でも、病院にだけは近づくな。絶対に。次、病院でまたお前を見かけたら……殺してやる」


年相応に安直で、物騒な言葉。けれど、張り詰めた緊張感がここまで伝わってくる。


「………やってみろ」


ぶわりと空気が膨らんだ気がした次の瞬間、女が男の首を片手で掴んでいた。


……あり得ない。瞬間移動でもしたのか、私の目の錯覚か。

女の方が身長は低いのに、男の踵が浮いている。男は自分の首を絞める手を引き剥がそうと、苦しそうにあがく。


「そのまえに、私が殺す。…今だって、かまわない」


「………ッ!」


バキッと耳に痛い音が響く。首の骨が折れたのかと思い、ぞっとした。


「………へえ」


遠目では何が起きているのかわからないが、状況は変わっていないように見える。


「…ば、けもの、め」


男が何を呟いたかは聞き取れない。男が唐突に地面に叩きつけられる。

…今、殴られたのか?身体を丸めて男が屋上に転がる。意識はあるようだが、起き上がれなさそうだ。


「化け物はそっち。念じるだけで、どこまで実現するの?足、折れちゃった」


「……嘘、つけ」


「骨はくっついたけど、内出血が……隠さないと」


風が吹いて、女の長い髪とスカートが、ばさばさと広がる。

あれは、人間なのか?


「来月、母さんの手術が終われば、退院する。必要なくなれば、病院なんて行かない。あと一ヶ月、大人しくして。あばらが治るのにちょうどいいでしょ」


「……っ!待て…!」


女がこちらに歩いてくる。慌てて扉を閉めるが、次の瞬間には全開に開いていた。やはり、あり得ない。

白い髪の女が目の前に立っている。顔立ちは至って日本人だ。

…よく見れば、睫毛まで白い。


「だれ?」


「……誰でもいいでしょ」


なめられるのは好きじゃない。努めて冷静に、強気に、こちらを見る目を睨み返す。


「……大丈夫?」


「は?」


そいつは訝しげに私の顔を指差して、目、とだけ言った。

反射で目を手で隠し、顔を背けてしまった。…負けたようで悔しくなる。


「…屋上に用があるの。通して」


「…………」


女の横をすり抜けて、屋上に出る。先程まで動きっぱなしでかいた汗が風で冷えて、夜よりも寒かった。

まだ蹲ったまま立ち上がれない男から、刺すような視線を感じる。目を見られたくないと頭をよぎって、もう関係ないかと開き直る。こいつに恨みなんてないけれど、冷めた目で見下してやる。


「何見てんのよ。さっさと消えて」


「……死ねば、呪いがどこに向かうかわからない。ここで死ぬな」


「…………はあ?」


頭に血が上る。怒りと、目的を言い当てられたことによる羞恥で、目の前が真っ赤に染まる。


「あんた、何様よ。私がどこで生きてどう死のうが、あんたに関係ある?偉そうに口出ししてんじゃないわよ」


「関係なら、ある。あんたが呪われてるから」


頭のおかしいことを、と咄嗟に一蹴することが出来ない。だって、私は。


「……南、まだいるな?何か聴こえるか」


「何も。そっちこそ、何か視えないの」


「………いや」


女が何故か戻って来ていて、余計に苛立つ。もう放って置いて欲しい。

私はこれからひとりで死ぬのだから。


「……あれ、サイレン?」


女の言葉にびくりと肩が震える。

……違う、私じゃない。


「…?サイレンが、怖いの?」


女の手がこちらに伸びてきた気がして、私は弾かれたようにフェンスに向かって駆け出した。

私じゃない!怖い、逃げ出したい!


「…!くそ、南!耳塞げ!」


フェンスに手をかけて、よじ登ろうとした、そのとき。


『消…いや…か、帰れ!!』


男の声が響いて、私はフェンスから手を離した。踵を返して、屋上を後にする。

追え、と聞こえた気がした。私は何も考えられず、ただ家に向かって疲弊している足を動かした。



家でただ膝を抱えて時間をやり過ごす。少し眠っていたのかもしれない。今が何時かわからなかった。窓に映る自分の目が、元に戻っている。

玄関のドアが開く音がする。……奴が、帰ってきた。ローファーを隠し忘れていたことに気づいたが、もうどうでも良かった。

私はどうして、ここに帰って来たんだろう。


土足のまま家に上がりこんで来た男、父親に、間髪入れずに殴られた。痛みを感じる暇もなく腕を引きずり上げられ、家の外に連れ出される。

ボロアパートの前に止まっていたワゴン車に乗せられた。窓にはカーテンがかかっていて、外が見えない。父親が運転席に乗り込んで、車が動き出した。


……何も感じない。すべて、どうでもいい。

どこに辿り着こうと、地獄には変わりないのだから。


どれくらい走ったか、車が止まった。下ろされた場所は、無機質な三階建て建物だった。廃ビルと言った方が正しいかもしれない。完全に、人気がない。

ここが、今日の地獄。……こんな遠くまで来たことはなかった。もしかしたら、最後かもしれない。

錆びたドアを開け、中が吹き抜けになってしまっている建物の中に突き飛ばされる。父親はすぐに帰るかと思ったが、奴は私の前から動こうとしなかった。

汚い肉の塊が、私の前に立ちはだかる。


「お前がやったのか」


「…………」


「お前なんだろう!育ててやった恩を、仇で返す気か?!汚らわしいお前の面倒を見てやったのは誰だと思ってる!俺の足を引っ張るな!」


「………違う」


「嘘をつくな!!ちっとも役に立たねえくせして、口答えするんじゃねえ!!」


うるさい。やかましいゴミだ。……よく、燃えそうだ。


「……………そうよ、私がやった」


「……あ?」


「私が全部燃やした。……私が、燃やすの」


ゴウと熱風に包まれる。視界が一面、赤に染まる。燃えるものなど何もないはずのコンクリートの建物が、炎に包まれている。


「なっ…」


「育ててもらった恩返しで、あんたみたいな生ゴミの、後始末をしてあげる」


私のような、悪魔も。


「このガキ…!」


父親だった男が私に掴みかかろうとした瞬間、ガシャンと窓が割れるような音がした。頭上から降ってくる砂埃でむせそうになる。

一体何が起きたのかと上を見上げて、私は固まった。世界がスローモーションになる。


白をなびかせて、黒い何かが降ってくる。ただ落下しているだけのはずなのに、その様は優雅で、羽が生えている、と思った。

散ったガラス片と埃に光が乱反射して見えただけの幻に違いない。それでも、目に焼き付いた。


数メートル先に着地した何かは、見たことのある女と男だった。白い髪のセーラー服の女が、学ランの男を抱えている。男は情けないことに女にしがみついて、何かに耐えるように震えていた。


「ふ、ざけ……肋骨、ひび……くそ……」


「すごい燃えてる。制服、大丈夫かな」


ごうごうと炎に囲まれているというのに、二人は怯えることもなく、そこにいた。


「何だ、きさまらは…」


ゴミを無視して、女が男を地上に下ろす。男は苦しそうに胴の辺りを押さえながら、周りを見渡すと、私を見つけた。


『……火を、消してくれ』


男の声が不思議と響いた。しんと辺りが静まりかえったと思ったときには、すべてを覆い尽くさんばかりだった炎が、跡形もなく消えていた。


「………うそ」


私は膝から崩れ落ちて、ぺたんと座り込んだ。どうして。なんで。

………地獄が、終わるはずだったのに。

気を取り戻したように、ゴミが喚き出す。


「なんなんだお前ら!さっさと出ていけ!」


動こうとしない二人を諦めたのか、再び私に詰め寄る。シャツを乱暴に掴まれて、二つほどボタンが飛んだ。


「今日はここでお客人の相手をしろ。前払いだから、終わった後はくたばるなり、消えるなり、好きにしな。間違っても帰って来るなよ。足がないから無理だろうがな」


「…………」


床に投げ捨てられる。剥き出しの手足をひどく擦りむいたけれど、もう痛みも感じなかった。顔を上げることすら億劫で、そのまま全身の力を抜いた。

もう、もがくことすら叶わない。


「どこいくの」


「…ああ?」


視線だけ動かすと、女がゴミの行く手を阻んでいた。


「どきな嬢ちゃん。それとも嬢ちゃんもあいつと一緒に客の相手をするか?いくらかだったら渡してやってもいいぞ」


『…………もう、喋るな』


男の低い声が響く。低いといっても子供の声だ。それでもぞっとするほど、静かな怒りを湛えていた。


ゴミが喉を押さえて口をはくはくと動かしながら、黒づくめの男を見る。男の目はこれ以上ないほど冷ややかだった。


『座って、動くな』


がくりと膝をついたゴミは、それきり動かなかった。


女と男が私の側にやって来る。


「あんたは、どうする」


「どうするって……」


それまで力が入らなかった身体が嘘のように、全身が怒りで震えた。頭の天辺から足の先まで、激情が駆け巡る。顔を上げ、射殺さんばかりに二人を睨み付けた。


「ここでそいつ諸共、死ぬつもりだったわよ!!あんたらが邪魔したんでしょう!!どうしてくれるのよ!!」


煙を吸って傷んだ喉が張り裂けるほどに、叫んだ。


「佐鷺町で最近頻発する火災は、あんたがやったのか」


「………!」


思わず涙が滲む。この瞳もきっと今、おぞましい色をしているんだろう。


「だったら、だったら何だって言うのよ!!私は知らない…!勝手に…勝手に燃えちゃう…」


「…!待て、やめ、」


「お前も、燃えろぉ!!」


私の絶叫と共に燃え上がったのは、目の前の男ではなかった。

離れたところで膝をついていた何かが、悲鳴も出せずに炎に焼かれている。


「…………は、」


見開いた目がぎょろぎょろと視線をさ迷わせ、私を捉える。声が出ない口を、何か言葉を紡ぐように動かしている。目を逸らしたいのに、その動きを追ってしまう。

同じ言葉を、繰り返している。


め、い、こ


「あ、」


私を庇うように、炎の前に女が立ちはだかった。

ぐいと肩を掴まれ無理に身体の向きを変えさせられると、そこには私に目線を合わせた男がいる。


『何も燃えてない。ここに燃えるものは、何もない』


「……………」


「……悪い。あれは、俺のせいだ。あんたは誰も燃やしてない」


「……だって、昨日も、」


「昨日?ああ、ボヤか。部屋だけ燃えて、中の住人は怪我ひとつなかったそうだが……自分じゃ、わからないのか」


男が立ち上がって、女の方へと歩いて行く。視線をやると、女はどこに持っていたのかペットボトルの水をゴミにかけてやっていた。


「すごい、服は全然燃えてない。本人はちょっと焦げちゃったけど、生きてるよ。元気そう」


「元気、か……?」


二人が揃って私を見た。女が口を開く。


「こいつ、どうしたい?」


「……え?」


「一緒に死ぬことない。せっかくだから、街の平和のために連続放火の罪を着せよう。出来る?」


「証拠揃えて自首させるか……まぁ、何とか」


「ちょっと、待って」


恐ろしいことを平然と口にする二人に、開いた口が塞がらない。


「冤罪なんて、そんなこと、」


「冤罪じゃない。罪状が違うだけで、こいつは犯罪者だ。それに放火で捕まった方が、あんたが楽だ。あんた、被害者になりたくないんだろ」


「…………可能なの?」


「多分な。いや待て。そもそも今から放火させて、現行犯で捕まってくれた方が話が早い。今までのボヤの証拠が多少不十分でも、自白の効力が強まる」


「………………」


信じがたい思いで何も言えずにいる私に、男がため息をつく。


「俺は、俺たちは、別にこいつの今後はどうだっていいんだ。このまま見逃したっていい。俺たちが困るのは、怪我人の出ないボヤが頻発することより、あんたに無闇に死なれることだ。俺たちの都合で、あんたには生きてて欲しい。そのために、こいつは邪魔なんじゃないかと思った」


……なんて、身勝手な。

下手な悪人よりも恐ろしい倫理観。罪を犯すことへの躊躇いや恐怖が、一切感じられない。

自分たちの都合と裁量で、易々と他者を強制する、その力。

こんな生き物が、この世にいるのか。

……悪魔は、私だけではないのか。


「……その男には、出来る限り罪を被ってもらうわ。協力するから、手を貸して」


「わかった」


話がまとまると、女が私に詰め寄ってきた。ぎょっとして身構える。


「ねえ、すごく綺麗な目。ちゃんと自分で見た?」


「………」


純粋な動物のような瞳に見つめられ、何も言えなくなる。


こうして私は、実の父親を犯罪者に仕立て上げるために、恐ろしい二人組と手を組んだのだった。






半月程経って、私は久しぶりに自宅に足を踏み入れていた。賃貸が解約されていてもおかしくなかったが、まだ室内はそのままの状態で放置されていた。

あの日、男が呼んだタクシーで一人ここに戻ったが、すぐに警察に保護されてしまった。父親が捕まったのだ。聴取だのの面倒はあったが予想より早く解放され、予想通り養護施設にぶちこまれた。すぐに野垂れ死なないように最低限の準備だけして、私は施設を抜け出した。


「季節が、悪いわね…」


冬でなければもう少し楽が出来そうなものだが、今は年末だ。本当に寒くなるのはこれからだ。施設を脱走したことを後悔しそうになって、やはりあれは耐えられないと思い直す。

ぬるい大人たちと、哀れが漂う子供たち。決して地獄ではなかったが、窒息してしまいそうだった。

おかげで、私の心はまだ生きているのだとわかった。どうやら自分が思うより、私は相当しぶといようだ。

玄関に置いたままのローファーが目に入る。施設預かりになると通学は出来なくなるのだと、初めて知った。


「……まぁ、どっちみち、か」


これからの放浪生活を想像して、思わず独り言がこぼれた、そのとき。コンコンとガラスを叩く音がした。窓に目をやると、白い何かがだらりと張り付いている。


「……………ッッ!!」


私は声にならない悲鳴を上げて後ずさった。もう一度、コンコンと窓が叩かれる。

よく見てみれば、見たことのある顔が逆さまになっている。長く白い髪が、暖簾のように下がっている。

あけて、と女の口が動いた気がした。

腰が引けそうになりながら何とか窓を開けると、なんと学ランの男が放り込まれてきた。声を上げなかった自分を褒めたい。ちなみにここは二階だ。続いてすぐに、ぬるりと女も入ってきた。床に身体を下ろす前に器用に靴を脱いでいる。


「………あんた、蜥蜴か何かなの……?」


「あのね、持ってきた」


なぜ、この二人が此処に。頭が疑問符でいっぱいになっている私を置き去りに、女は挨拶もないまま唐突にリュックを付き出してきた。


「な、なに」


「セーラー服。夏用だし、私のだから、サイズが合わないかもだけど」


「は……?」


何が何だかわからない。固まったままの私に、床から何とか起き上がった男が助け船を出した。


「あんた、うちの生徒だろ。制服持ってないんじゃないかって、こいつが」


「制服高いし、新しいの買うわけにいかなかったから、私のあげる。寒いから冬用のにしようと思ったけど、夏用の方が来年困らないって、こいつが。冬の間は中と外に着込めばいいって。私は夏に冬用でも大丈夫だから」


日本語が下手なりに女が説明するが、私の頭はまだ理解が追い付かなかった。


「なんで、あんたがそんなこと」


「?学校、来るんじゃないの?」


「な、」


「俺は、別の用件で来た。あんた、証人になってくれ」


「…………なんて?」


思考がストライキをしかけている私を前に、今度は男の方が語り出した。


「あんたの親が燃えたのは、俺があんたの呪いを返したからなんだ。返された呪いが本人に還らず、近親者を襲った。俺たちは、自分がそうなることを避けたい」


私の脳は完全に宇宙を漂った。


「私は別に、大丈夫と思うけど。呪いがかえってきたとか、かえされたとか、感じたことないし」


「今はな。保険だ、万が一のための」


「保健体育?」


「違う。例えば、お前は牛乳を2リットルまで飲むことが可能だとする」


「もっと飲めるけど」


「例えだ。2リットルしか飲めないお前の元に、4リットルの牛乳が届いた。残りの2リットルをどうする?捨てたり、後で飲んだりは出来ない。今すぐどうにかしなきゃならない」


「……誰かに、飲んでもらう?」


「そうだ。その誰かは最も近しい、あるいは親しい人だ。俺たちの意思とは関係なく、勝手に配られてしまう。……これが牛乳じゃなく呪いだったら、どうなる。俺が言いたいことが、わかるか」


「…………」


女が黙った。私は電波な内容を聞き流そうとして失敗し、何となくだが男の説明を理解していた。


「俺は大事な人に呪いが還るのを、絶対に回避したい。お前も、万が一でも家族を危険にさらしたくないだろ」


「………どうすれば?」


訝しげな顔をする女に、男が表情を変えずに言い放った。


「俺たちが、最も親しい人間になればいい」


女が目を丸くして妙な間が生まれたが、それでも構わずに男は話し続ける。


「それぞれの呪いが還る先が、返される先が、互いになるように。今から俺たちは、世界で一番親しい人間になる」


「…………家族より?」


「そうだ、約束出来るか」


「えっと、ちょっといいかしら」


今までそれなりに地獄を生きてきたと思っていたが、こんなにも座りが悪い思いをするのは初めてだった。何故こいつらは極めてプライベートな話を、わざわざ私の家でしているのか。


「……この話、私が聞く必要ある?」


私の居心地の悪さなど微塵も気にしていない様子の男が、私を見てひとつ頷いた。


「臓器移植を必要としている人が血縁者以外から臓器提供を受けるとき、提供者には審査が入る。金銭目的の臓器売買を防ぐためだ。過去まで遡って関係性を洗われる。本当に二人が、臓器提供する程に親しい間柄なのか」


「………それで?」


「知人ないし、共通の友人などの証言が要る。過去、一緒に過ごしていたとわかる実績や、写真なんかも。親しかったとわかる明確な証拠が必要だ」


「……臓器移植ならわかるけど、呪いがなんちゃらというふんわりしたお約束のために、そんな証拠いるの?」


「だから保険だ。万が一の。万が一への対策を、俺たちは怠れない。空が落ちて海が割れても、守りたい人がいるから」


「……………」


ずいぶんと大仰な言い草だ。端から見ると、子供染みた口約束にしか映らないだろう。それでもどうしてか、馬鹿馬鹿しいと鼻で笑う気にはなれなかった。

純粋さが、眩しい。


「……いいわ。借りがあるから、私が証人になってあげる。あんたたちは仲が良いってことにすればいいのね」


「親しいことと、仲の良し悪しは別問題だ。別に仲が良い必要はない。あんたと父親もそうだったろ」


「早速前言を撤回したくなる。あんた性格悪いわね」


「ねえ、親しくなるってどうすればいいの?」


まだ少し戸惑ったままの女が口を開く。そうだな、と男が少し考え込む。


「……ひとまず、一緒に居ればいいんじゃないか?同じ時間と場所を共有すればいい」


「それだけでいいの?」


「……困ったときに助け合う、とか…。人と人は支え合うって言うだろ。お前に出来ないことは俺がやるから、俺が出来ないことはお前がやってくれ」


「例えば?」


「…………」


聞いていられなくなってきた。外がすっかり暗くなっていて、同じようにこの部屋も暗い。ここには電気がない。


「ねえ、オママゴトの詳細は他所でやってくれない。そろそろ帰りなさいよ。そもそも何でうちを知ってるの。私は今までここにいなかったのに、何で、よりによって今日、」


「あなたは、一緒に約束しないの?」


我慢していた疑問が見事にスルーされ、私の頭はまた一瞬虚無に陥った。ややあって、男が躊躇いがちに溢す。


「……こいつにとってはリスクだけがあって、メリットがない」


私は盛大にため息を吐く。一体いつまでこんな話が続くのか。いい加減、終わりが見えて欲しい。


「こいつって失礼ね。ていうか今更すぎるけど、あんたら誰なのよ」


二人がきょとんとこちらを見た。揃ってそういえば、という顔をしている。行動パターンが読めない幼子を相手にしているようでひどく疲れる。うんざりするが、腹を括って私が大人になるしかない。


「…芽依子よ。橘芽依子。あんたらも親しくなるって言うんなら、お前とかこいつとか言ってないで、名前で呼び合ったら?」


沈黙が流れる。やがて男が、それもそうか、と呟いた。


「遠野だ。遠野涼平。多分、同級生だ」


「南帰蝶。南に帰る虫の蝶で、南帰蝶だよ。あのね、今日がクリスマスだから」


「………何言ってんの??」


ようやくひとつ解決したと思ったそばから意味不明なことを言うのはやめて欲しい。

今日が世間で言うところのクリスマスであることは知っている。施設の雰囲気が極めつけに耐え難く、脱走決行の決め手になった要因のひとつだった。


「さっきの話。クリスマスだから、制服持って行こうと思って。ここの場所はあの日、屋上から後をつけたんだよ。そのあと車の後もつけたら、ビルの中が燃えて」


「まぁ、あれだ。親しい人間はイベント事を一緒に過ごすもんだから、その第一歩だ。そういうことだ」


「………あんたたち、家族とか友達とか、いないの?」


「本当に一緒に過ごしたい人にはフラれてる。俺も帰蝶も」


さらりと女の名前を呼んでみせた遠野とやらは、開き直っているようだった。


「あ、」


突然、南帰蝶が窓の外を見つめて動かなくなった。その背中超しに外の景色に目をやる。


「雪……?」


ホワイトクリスマス、という単語が頭に浮かんだ自分を殴りたくなる。神も聖夜も、私には関係ない。

南帰蝶は微動だにせず、ちらちらと降る雪を見つめ続けている。


「……ところで、この部屋は電気がつかないのか。やたら寒いのは俺だけか?………おい、これは何だ」


「何って、私の夕飯だけど」


「………俺の前でコンビニ弁当を広げないでくれ。それは食べ物じゃない。……寒気がする……」


「あんたそれ、間違っても外で言うんじゃないわよ…」


遠野が自分の身体を抱くようにして後ずさる。そんなにコンビニ弁当が嫌か、失礼な奴だと思ったが、何だか様子がおかしい。暗くてよく見えないが、顔色が悪い気がする。


「ねえ。具合、悪いんじゃないの?」


外を眺めるのに満足したのか南帰蝶がやってきて、遠野の首に触れた。遠野はぐったりしていてリアクションがない。


「あれ、またあばらの傷が熱持っちゃってる。あの日も高熱出して倒れたけど、何か無理に運動した?」


「…………………三階から飛び降りたり、二階から放り投げられたり、したな…………」


全治二ヶ月だぞ…と呟いた遠野は死んだ魚のような目になって、南帰蝶の手を振り払った。


「話はついた。俺は帰る」


ご丁寧に脱いでいた靴を持って遠野が玄関へ向かう。帰りは窓からではないらしい。

玄関で靴を履くと、こちらを振り返った。目が合って、ぎくりと身体が固まる。


「……なによ」


「橘。うちに来るか?」


「…………は?」


「ここは寒いだろ」


「…………」


私はしばらく押し黙って、その間、遠野は目を逸らさなかった。


「……平気よ。慣れてるし、思ったより寒くないわ」


本音だった。今日はどうしてか寒くない。口には出さないけれど。

そうか、と遠野が呟いた。邪魔したな、と言ってから、あっさりと玄関から出て行った。


「ねえ、メイコ。メイコでいい?」


残された南帰蝶が、改めて私にリュックを差し出している。


「あんたもあいつも、お人好しすぎない?人助けが趣味なの?だとしたら、あんたらとは親しくなれそうにないわ」


「私もリョーヘーも、悪いやつだよ。私たちが何をしたか、知ってるでしょ?」


「…………」


「リョーヘーはね、病院にいる人以外、どうでもいいんだよ。ビルが燃えた日は、私も驚いた。病院のこと以外で怒るところ、初めて見たから」


屋上で揉めていた二人を思い出す。言われてみれば、病院に近づくな、なんてことを話していた気がする。


「……わからないけど、女の人が乱暴されるの、嫌なんじゃないかな。教室がそういう話になったとき、吐いてたから」


だからね、と南帰蝶が続ける。


「人助けじゃないよ。自分のことを助けてる。リョーヘーも、私も」


「…制服を私に恵むことの、何があんたを助けることになるのよ」


「あんたじゃなくて、帰蝶だよ。私は友達が欲しい。お父さんとお母さんから友達はできたかって聞かれて、ずっと嘘ついてるから」


帰蝶がほんの少しだけ、笑ってみせた。


「メイコ、次は学校で会おうね」


今度こそ私にリュックを押し付けて、彼女は去って行った。

しばらく現実に戻れず立ち尽くしてから、仕方なくリュックを開けてみる。中には靴下なども含めた制服一式と、最低限の筆記用具が入っていた。


暗く寒い部屋の壁に寄り掛かるようにして座り込む。窓から外を見ると、先程よりも雪の勢いが増していた。

神はいないし、聖夜なんて馬鹿馬鹿しい。それでも。


「………クリスマスプレゼントなの?これ……」


サンタクロースは窓からやってきて、強引に友人になっていくこともあるようだ。


目を閉じる。二人が降ってきた、あの日の光景を思い出す。

片翼の鳥も二羽いれば、死なずにすむのだろうか。

地上に落ちて終わりではなく、いつか、空を飛ぶことだってあるのだろうか。


馬鹿げている。けれど、もしそんなことがあるのなら、見てみたいと思う。


目を開ける。玄関のローファーを見て、まだしばらく活躍してもらうわよ、と心の中で呟いた。



あと一話

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