第七話 後編
丑三つ時の霊園に細い煙が昇る。俺と橘さんの足元にはゆらゆらと火が揺れている。
小さな骨壷を包むようにして、炎が燃えている。
「………」
橘さんは黙って燃える骨壷を見つめている。炎に照らされて浮かび上がる瞳は、炎より紅い。
土にまみれた手を握り締めても、故人の住処を荒らした罪悪感からは逃れられない。都合良く手を合わせるなんて、おこがましいことは出来なかった。
それでも、祈らずにはいられない。
「……どうか、安らかに」
誰かに愛されただろう知らない女の子の冥福と、俺の大事な友人たちの無事を。
脳裏に何かがフラッシュバックして、すぐに消えた。なぜか頭がつきりと痛んだ。
空気を切り裂くような言霊に驚いて振り返ると、春樹を抱えていたはずの金髪の男が倒れていた。春樹もその身を投げ出すようにして地に伏している。反射で身体が駆け出しそうになって、膝上まで水に浸かって思うように動かない足に冷静になる。目の前で燃える代永に、再び向き合った。
「…言いたいことなんて、もうないわ」
代永がこちらを見たまま後ずさるようにして、湖の奥の方へ進む。水深が一気に深くなり腰の辺りまで沈んでも、彼女を燃す炎は消えなかった。
引き止める言葉も方法も浮かんでこない。代永の葬式が頭をよぎる。代永の死を悼むことも、項垂れる春樹に声をかけることも、何ひとつ出来なかった自分。
ただ立ち尽くすことだけは、もうしたくない。手を取ってもらえないなら、俺がその手を取ればいい。代永に伸ばそうとした手を、ふわりと風のようなものが掠めていった。
代永の目が見開かれる。
「サクラ…?」
生前と変わらない愛らしい姿のサクラが、水面を跳ねるように駆け、ちぎれんばかりに尻尾を振りながら、代永の周りをぐるぐると回る。
「おまえ、どうして…」
代永は呆然としながらも、飛びつかんばかりのサクラの身体を受け止めている。やがて、サクラの体も代永と同じように燃え出した。
「…馬鹿な子。飼い主に、似たのかな…」
拾い主の間違いかな、と代永が呟いて、サクラを抱き上げる。その表情は、見たことのあるものだった。
「ご覧の通りひとりじゃないから、同伴はいらないわ」
「………」
俺が何も言えずにいる間に、サクラが燃え尽きるように代永の腕から消えていった。代永を包む炎も、微かに彼女を赤く点滅させるだけで、今にも消えてしまいそうだ。
蛍のようだ、と思った。
「……綺麗、だ」
春樹と代永のために、何か、したいのに。言いたいのに。
俺はいつだって、奇跡のように美しい景色を前に、呆然と立ち尽くすばかりだった。
桜の樹の下で初めて春樹に出会った、あのときから。
突然代永が動いて、次の瞬間、俺は水の中にいた。代永が俺の首に手をかけて、後ろに倒れこむように俺を湖に引きずりこんでいる。
どういった力なのか、俺たちはどんどんと湖の底へ沈んでいく。首を絞める力は強く、振りほどけそうにもないのに、恐怖はなかった。
目の前にある代永の顔が、穏やかだったからだろう。微笑むように開かれた口が、何かを伝えるようにゆっくりと動いた。こぼれた空気が泡となって消えていく。何も見逃すものかと、必死に目を見開いた。
「……ッ」
肺から最後の空気を吐き出して、俺は彼女に手を伸ばした。
「ほんっと、最低ですよ…」
ひとり辿り着いた湖のほとり。芦川春樹と並ぶように倒れている鈴鹿の傍に膝をついて、その頭を撫でる。出会った頃は小さな子供だったのに、すっかり可愛くなくなってしまった。
「嘘は赦されないんじゃ、なかったんですか」
教団の御神体である僕と、神子だという彼が引き会わされたのは、いつだったろう。まだ幼いというのに人として扱われない彼が不憫で、強烈に哀れだった。
やがてその哀れな子供が、僕を絶望の淵から攫っていったのだ。
ただ眠っているようなその顔を見ていると、このままいつまでも眺めていたい思いと、即刻叩き起こして説教してやりたい思いの二律背反に襲われる。けれど、きっとどちらも叶わない。
恐らく、鈴鹿はもう目覚めない。今回のことに首を突っ込まなければと恨みたくとも、遅かれ早かれこうなることはわかっていた。自分も鈴鹿も、呪いに頼って生きすぎた。もっと早く、愁さんに出会っていたら。
「たらればの話は、きみは嫌いでしたね…」
鈴鹿の指に自分の指を絡ませる。力の入っていないその手を強く握った。
誰もいなくなった教団から僕を連れ出したときの鈴鹿の手は、僕より小さかったのに。すっかり逆転してしまった。
「さいごに奇跡のひとつぐらい、起こしてみせますよ」
たとえ、ただ呪うことしか出来ない、偽者でも。
鈴鹿はきっとまだ、どこかでほんの少しだけ、僕のことを尊敬しているだろうから。
「恨まれますよ」
すぐ横から声がした。顔を向けると、芦川春樹が仰向けに寝転んだままその目蓋を開けていた。視線はこちらにやらずに、まっすぐに空を見つめている。
写真で見るより、ずっと美しい少年だった。
「人生の先輩として、一つ教えて差し上げます」
「………」
芦川春樹は興味がなさそうに、空を眺めたまま黙っている。
「よく、罪を憎んで人を憎まずと言いますが、あれは逆です。罪は決して消えませんが、人はいなくなりますからね」
「……恨まれますよ。可哀相だと思わないんですか」
僕はつい、笑ってしまった。
「そんなもの、知ったことではありませんね」
鈴鹿の額に自分の額を合わせる。彼の身体がまだ温かいことに心の底から安堵して、目を閉じた。
「鈴鹿さん、気づいてましたか…?」
僕はずっと、きみのかみさまになりたかったんです。
記憶の中の幼い彼が、そんなの無理に決まってる。お前はもっとしっかりしろと、呆れたように怒っている。
…ひどく、懐かしい。
「…あなたのそれは、呪いじゃない」
誰かの声が聞こえたような気がして、昔よく口にしていた言葉を思い出した。馬鹿馬鹿しくてまた笑った。
あと3回投稿分で完結すると思います。
完結後の後日談を書きたいので間違いなく終わります。終わってくれ




