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自死代行  作者: 久保谷充
第二章
24/34

第七話 前編

デスクに腰をかけて、窓の外を眺める。無機質なオフィス街を帰路につく人々が早足に流れていく。もう直にコートが必要な季節になる。


「…………」


槙は応接用のソファに突っ伏したまま動かない。私が入れた紅茶はテーブルの上ですっかり冷めてしまって、出した紅茶を飲んでもらえないなんて一体いつぶりだろうか、と些末なことを思った。

冷えきった紅茶の隣には、「必ず無事に戻ります」と書かれたメモがある。達筆には程遠いが丁寧に書かれた、鈴鹿の文字だ。


「…槙」


「……鈴鹿さんに何かあったら、妹さんを許しません」


槙はソファにすがるようにして、苦渋に満ちた声を絞り出した。


「どうして…」


「私たちを案じてくれたんだろう。さらに言えば、私たちでは役に立たない思ったんだろうね」


槙がゆっくりと顔を上げる。その表情は恨めしいと言わんばかりで、憎々しげに私を睨みつける。


「愁さんに、あの子のなにがわかりますか」


「私にわかるのは、鈴鹿は決して無謀ではないということと…」


デスクを立って、槙の向かいに立つ。鈴鹿の書き置きを手に取って、その文字をそっと撫でる。


「帰蝶は、破滅に他人を巻き込まない。私の妹は誰に似たのか、薄情でね。勝算があるんだろう」


「………」


「それに、私も手をこまねいているつもりはないよ。…そろそろ、役者が揃う頃だ」


槙がはっと身体を起こすのと同時に、事務所の扉が開いた。


「紅茶を、入れなおそうか」













寒い、と感じなくなったのはいつからだろう。暦を気にする余裕はとうになくなった。視線を落とせば、悴んでいるかもしれない手が月明かりに透けている。


「良いところだ」


春樹がこちらを振り返った。機嫌が良いようで、踊るようにステップを踏む。彼の後ろには湖面が広がっている。


「遠いから面倒だと思ったけど、人里離れてるし、貯水湖なんてうってつけな場所、どうして今まで候補になかったんだろう。なあ、涼平」


春樹が笑う。月に照らされて、彼は美しかった。彼から伸びる影が少女の形をしていることに、俺は目を瞑る。鏡のような湖面に、彼の姿は映っていない。


「…お前も今言っただろ。遠いからだ。それに…溺死はさせたくない」


「二十四時間機械に繋がれて生殺しよりは、幾分マシだろ」


「………」


さらりと言ってのける春樹に、二の句が継げなくなる。寒さがわからなくなっても、まだ胸は痛むようだ。


「サクラが還って来ないのが気になるけど…まあこんなもんかな。次はもっと頑丈そうなのを飼おうか」


今度こそ涼平の家で飼っていいでしょ、と春樹が微笑む。どうしてか、その姿がとても遠くに感じる。


…やっぱりほんの少し、寒いかもしれない。


午前二時を回る。丑三つ時だ。今日は誰も来ないかもしれない。もう帰ろうかと言おうとして、空気を吸った、そのとき。


「自死代行、お願いします」


りんと、鈴が鳴ったような、澄んだ音。

この声を、聞き違えるわけがない。


「…き、ちょう」


振り返ると、帰蝶が立っている。月に照らされた白い髪とスカーフが白銀に光って、風に揺れている。

春樹が大袈裟に肩を落とした。


「君も懲りないな。しつこい女は嫌われるよ?」


「………」


帰蝶が春樹にゆっくりと近づく。俺はまだ目の前の光景が信じられないのか、石になったように動けない。


「あなたと、交渉したい」


「俺が君に求めるものなんて何もないよ。さっさと消えてくれ」


「……それを、叶える」


「…は?なに?」


春樹が顔をしかめると、澄んだ空気が濁っていく。黒く淀んだ空気にあてられても、帰蝶は動じなかった。


「黄昏時の間だけでも、丑三つ時の間だけでもない。私の身体を、あなたに明け渡す」


永遠に、と帰蝶は付け足した。……何を言っている?


「…なにそれ。そしたら、君がこの身体を使うの」


「違う。私は、そのまま消える。その身体を、芦川春樹に返して欲しい」


春樹が失笑した。


「俺が芦川春樹じゃないとでも?と、言いたいところだけど。もうこんな茶番も、面倒かな」


春樹の目がもったいぶるようにひとつ瞬くと、その瞳の縁が青く輝いた。演技がかったように両手を広げて見せる。


「春ちゃんが望んだことなの。私は彼の願いを叶えただけだし、彼は私との約束を守ってるだけ」


「…あなたたちの間に何があったのか、知るつもりはない。私は口を挟む立場じゃない」


帰蝶は真っ直ぐに、春樹を…アヤを、見つめている。

俺は、春樹とアヤが交わした約束を知らない。聞かずに、触れずに、ここまで来た。

……俺は、口を挟める立場だったのだろうか。


今何が起きているのか、頭が、ようやく回りだす。


「この町には家族が住んでる。これ以上、無闇に人が死んで欲しくない。その代償に、私の身体を。私の身体で生きるなら、あなたの呪いは必要ないはず」


「…何を、言ってるんだ…?」


俺の口が、やっと言葉を発する。どうしてか、声が震えた。


「身体を差し出して、お前が消える…?春樹のために、死ぬって言うのか?なんで、お前が。首を突っ込むなって、関わるなって、言っただろ」


帰蝶はこちらを見ない。まさか聞こえていないのかと、不安がこみ上げる。


「家族とこの町のために死ぬってこと?信じられるわけない。我が身可愛さに、人を殺してきたくせに」


アヤが嘲笑う。帰蝶が僅かに目を伏せて、白い睫が影を作る。


「私は失敗した」


「………」


「愛した人と一緒に生きられなかった。それならもう、生きてる意味がない。あなたたちになら、わかるはず」


もう疲れたの、と帰蝶がこぼす。

そんなはずはない。帰蝶がそんなこと。ありえない。俺が何か言う前に、帰蝶のはっきりとした言葉が続いた。


「どうせ死ぬなら、最後に家族の役に立ちたい」


アヤははっと笑ってから、腕を組んで帰蝶をにらみつけた。


「矛盾してるね。家族のためと言っておきながら、家族のことなんて考えてない」


愛してないのね、かわいそうに、とアヤはひどく軽蔑したように吐き捨てた。それでも帰蝶は揺るがない。


「死にかけの身体より、健康な身体が、欲しくない?どこも痛くなくて、苦しくない身体が」


「………」


帰蝶が淡々と残酷な言葉を紡ぐと、アヤの目がすっと細くなった。


「…それとも、春樹に身体を返したくない理由が?」


ずんと、一気に周囲の空気が重くなる。俺は思わずふらついて、また言葉を発するタイミングを逃した。


「いいわ。あなたの願いを叶えてあげる。…殺してあげる」


待ってくれ。


「あなたに成り代わって、あなたの分まで幸せになってあげる」


やめてくれ。


「大丈夫よ、涼平。乗っ取るだけなら、涼平の力はいらない。…良かったね。春ちゃんに、会えるよ」


嫌だ。…嫌だ!


『やめ』


【聞くな】


俺の言葉を遮るようにして、覚えのある言霊が響く。信じられない思いで声のした方を見れば、いつかの金髪がこちらに向かって歩いて来るところだった。


「悪いが邪魔させねえ。…っておい、ずいぶん薄くなってんなあ。そんなんじゃ自分どころか、誰も守れねえぞ」


「……!!お、まえ、」


「おっと、滅多なこと言うんじゃねえぞ。今の消えかけのお前さんじゃ、俺を呪っても返されるだけだ」


「なん、で…」


「耳を塞いでくれと頼まれた。万が一のときの、後始末も」


すっかり感覚がなくなっていたはずの足元から、急激に恐怖が這い上がってくる。

春樹を失うこと以外に怖いものなんてない。

なかったはず、なのに。


アヤの両手が帰蝶の顔に伸びて、その頬に触れる。帰蝶がここに来て初めて、俺を見た。

目が合って、時間が止まった気がした。


「さよなら、涼平」


二人の身体が崩折れて、重なるように地面に倒れた。金髪と白髪が、無造作に散る。


足が動かない。息が吸えない。目を逸らせない。

本当の別れなんて、知らない。


「………帰蝶、」


散々歌詞に綴ってきた言葉の意味を、俺は知らなかった。




細々続きます

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― 新着の感想 ―
[良い点] 独特の雰囲気が怖くて続きが気になる。 [気になる点] 「アヤははっと笑ってから」が気になりました。助詞である「は」と、「は」で始まるひらがな単語の連続は難しいですよね。 [一言] タイトル…
2021/12/05 13:19 退会済み
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