幕間 潮時
終業のチャイムが鳴る。六限が終わり、ホームルームまでの短い時間を、鳴らない携帯を取り出して、ぼんやりと眺めて過ごす。
帰蝶ちゃんが学校に来なくなってから二週間が経った。最後に電話をしたときの様子が変で、しかも通話が途中で切れてしまい、最後まで話せなかった。夏から秋にかけて、町にはひっそりと、けれど確かに不穏な事件が起き続け、冬の気配が近づいている今も、行方を絶つ人はゼロにならない。
もしかしたら、なんて嫌な想像が浮かんでは、それを打ち消す。学校にはちゃんと連絡が来ているようで、安否不明なわけではないのだと自分に言い聞かせる。
先週の休日、部活が休みだったので、俺は旧校舎の音楽室を訪ねていた。帰蝶ちゃんと橘さんが来ているかもしれないと期待して。
けれど、音楽室には誰もいなかった。鍵は開いていたけれど、がらんどうの教室に古いピアノがぽつんとある様が、何故だかとても物淋しかった。きっと夏の終わりに賑やかに過ごした、あの時間のせいだろう。
楽しかった勉強会を思い出すのと同時に、ふと、本当にそれだけかと違和感がわいた。
いつかの昼休み。散らばった楽譜の中、ピアノに突っ伏していたのは、帰蝶ちゃんだっただろうか。帰蝶ちゃんでしかありえない。
どうしてこんなことを考えるのか。どうしてこんなに、胸が締め付けられるのか。
気づけばホームルームは終わっていて、違和感を紐解くことが出来ないまま、荷物をまとめてバスケ部の部室に向かう。
新校舎を出ると旧校舎が視界に入った。無性にもう一度だけ音楽室を確かめたくなって、体育館とは逆方向の旧校舎に足を向けた。きっと誰もいないことを確認するだけの虚しい作業になるだけだとわかっている。部活が始まるまでまだ時間があるし、少し覗くだけだと自分に言い訳をして、旧校舎の昇降口をくぐった、そのとき。
人影が、階段の踊り場から二階へと上がるのが見えた。よく知った後ろ姿に頭が覚醒して、自分でも驚くほどの瞬発力で階段を駆け上がる。
「帰蝶ちゃん!!」
二階の廊下に飛び出して叫ぶと、ひとりの男子生徒がこちらを振り返った。
「あ…」
もちろん帰蝶ちゃんではない。人違いだ。人違いのはずなのに、なぜか落胆していない。気まずさを感じることもなく、俺は冷静だった。
「ごめん、人違いして…」
「………」
驚きに目を見開いているその表情に、懐かしさがこみ上げる。彼を帰蝶ちゃんと見間違えたことを、当然だと感じた。
俺はこの人を知っている。この面影を探していたのだと知っている。
こんなにも、帰蝶ちゃんと同じ空気を纏っている。
「どうしたの」
知らない声に振り返ると、見たことのない生徒がひとり、俺の横を抜けて、いまだ固まったままの彼の隣に並んだ。
「友達?」
「……違う。人違いらしい」
ブロンドの髪から覗く色素の薄い目が、俺を品定めするように見つめている。学ランよりブレザーが似合いそうなその人は、噂の外国人留年生だろうか。
急に、強烈な違和感に襲われる。
「もう、行こう」
「いいよ。そう言うなら、そういうことにしてあげる」
二人が並んで廊下の奥へと歩き出す。その後ろ姿に、違和感がさらに膨れ上がった。
あるべきものがなく、ないはずのものがある、この感覚。直感なんて言葉では収まりそうにない確信。頭が、脳が冷えていく。
「…制服、選択制だったっけ」
自分の口から自然と言葉がこぼれた。遠ざかろうとしていた二人が立ち止まって、ブロンドがこちらを振り返った。張り付けたような笑みで、俺を見ている。
「……どういう意味かな」
「すみません、思わず口に出ちゃって。無神経でした」
「だから、どういうこと」
俺も緑色の瞳から、目を逸らさない。
「男女の制服、好きに選べるようになったんだなって。俺、知らなくて」
「………………」
張り付けたような笑みが消えて、急に日が陰ったように、辺りが暗くなる。
「春樹、春樹!放っておけ」
彼が青ざめてそいつの腕を引くが、そいつは動かない。
「カラコンもOKになったんですね」
「………お前、」
ここにいるべきものがいなくて、ここにいてはいけないものがいる。
「………偽物」
俺が呟くのと同時に、凄まじい音をたてて、廊下の窓ガラスが一斉に割れた。ガラス片を身体中に浴びてなお、俺は冷静だった。
俺は二人に背をむけて、全運動神経でもって階段を飛び降り、旧校舎から脱兎のごとく抜け出した。駐輪場で自転車に飛び乗って、全力でペダルを漕ぐ。目的の建物に到着してエントランスに入り、部屋番号を打ち込むパネルを前にして、ひとつ深呼吸をする。頭に思いついた数字を打って、インターホンを鳴らした。
どうか、居てくれ。
祈るようにして待っていると、オートロックが解除され、エレベーターに続く自動ドアが開いた。迷わず中に入って、今しがた打ち込んだ数字の部屋に向かう。辿り着いた部屋のインターホンを改めて鳴らすと、がちゃりと重い扉が開いた。
「……和泉」
戸惑いを隠せていない橘さんが、そこにいた。俺はほっと気が抜けてしてしまいそうになるのを堪えて、端的に言葉を紡いだ。
「涼平って、誰のことかわかる?」
橘さんの目が見開かれる。瞳の色は、出会った頃の明るめの茶色に戻っている。
「入って」
厳しい顔の橘さんに促されて玄関をくぐる。一目で物がほとんど置いてないとわかる部屋に通されると、タオルが飛んできた。
「血、拭いて」
顔に手をやって、鼻血が出ていることに気づく。ここまで必死で気がつかなかった。
タオルを汚すのが申し訳なくて、斜め掛けしたエナメルバッグから自分のタオルを出そうとした瞬間、唐突に咳き込んだ。反射でタオルを口にあててしまい、しまったと思うより先に、鉄の匂いが鼻を抜けた。口にあてたタオルを見ると、赤く染まっている。もう一度咳き込んで、口の中に血の味が広がった。
「呪いが、還ってきたかしら」
「な、に……」
信じられない思いで、真っ赤に染まったタオルを見つめる。
「先に、さっきの質問に答えるわ」
顔を上げて、橘さんを見る。
「遠野涼平を知ってる。……ちゃんと、覚えてるわ」
その言葉を聞いて、何故だか泣き出しそうになる。橘さんは苦虫を噛んだような表情で俺を見ていたが、突然はじかれたように俺にタックルした。衝撃を受け止めきれず、橘さんと一緒にフローリングに転がる。
訳がわからないまま身体を起こして、目の前の光景に固まった。
何かが、燃えている。
何が燃えているのかはわからないが、さっきまで自分がいた場所に炎の塊が、まるでもがき苦しむようにうねっている。
しばらくそれは燃え続け、唐突にふっと消えた。
俺の身体に乗りあげるように重なっていた橘さんが身体を起こす。橘さんの顔を見て、俺は息を呑んだ。
また、目が紅い。
「……もう、傍観者ではいられないわね。私も、あんたも」
外から防災無線が響く。行方不明者を告げる放送が、やたらと間延びして聞こえた。
細々続きます




