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自死代行  作者: 久保谷充
第二章
22/34

如何様物

欲しいものは何だって手に入れてきた。


「サクラ、おいで」


愛犬が尻尾を振って足元にやってくる。撫でてあげる頭がないので、血塗れの体をわしゃわしゃと掻いてやる。


「いい子だな」


ここにない頭は、あの女に憑かせている。あの女は耳が良い。サクラは生前決して吠えなかったが、念のために舌を抜いてある。気づかれることはないだろう。


「涼平も撫でてあげてよ」


涼平に声をかけるが、こちらを見ようとしない。涼平は昔からあまりサクラとスキンシップを取らなかったが、愛情はその胸に秘めていた。きっとサクラの今の姿が痛ましくて見ていられないのだろう。頭を切り離され四肢が折れ曲がり、血まみれになって。それでも従順な、このいとけない様を。


「頑張ってるんだから、褒めてあげないと可哀相だろ」


サクラが壊れた体で涼平の元へたどりつく。仕組みのわからないブリキのおもちゃのような挙動の中で、尻尾だけが生前と同じように控えめに揺れる。


「………」


涼平は少しの間サクラを見つめてから、ただ静かにその体を撫でた。

ああ、なんて愛おしい。

私はたまらなくなって涼平を抱きしめたくなる。そのとき、ポケットの携帯が鳴った。


「…行こうか」


目の前の光景をもう少し見ていたい気持ちに蓋をして、暗闇の中、灯りのない芦川院の階段を下りる。すっかり身体が憶えているので、視界の悪さに困ることはない。涼平が後に続く気配がする。

もうすぐ午前二時を回る。仕事の時間だ。



逢己橋にはやつれてみすぼらしい女と、小学校中学年ぐらいの女の子が手を繋いで立っていた。十月の深夜はもうずいぶんと寒いというのに、女の子の方は上着を着ていない。


「こんばんは」


私が声をかけると、みすぼらしい女の方が何やら早口に色々と捲くし立てた。どうやらこの女の子の母親らしいが、話の内容にあまり興味がわかない。この子を一人に出来ないから。可哀相だから。私は適当に相槌を打ちながら話を聞く。


「血の繋がりもない女のことをお母さんと呼ばなきゃいけないなんて、あまりに可哀相で…。この子は私の子なのに。この子の母親は私だけなのに。この子はあの家で、良い子の振りをして生きているんです。無理矢理、そうさせられているんです。私、もう見ていられなくて…」


身勝手で高慢な言い分には大いに共感出来た。愛した人が自分以外の誰かと幸せになるなんて堪えられない。許せない。それはもう、仕方のないことなのだ。


「この子を殺すなんてそんな惨いこと、私にはとても出来ません。苦しむ姿なんて見たくない。楽に逝かせてあげたいんです」


「…わかりました。僕たちが、この子の代わりに死にます」


私がそう言うと女は泣きだして、女の子を抱きしめた。もうすぐ楽になるからね。待たせちゃってごめんね。母さんもすぐにいくからね。女の子はただ黙って母親に抱かれている。


「丑三つ時の間だけ、僕とお嬢さんの身体を入れ替えます。お母さんも、僕たちの助けが要りますか」


「いいえ、いいえ!私は、自分で出来ますから…。この子だけ、どうか…」


「……そうですか」


母親の腕から開放された女の子がこちらにやってくる。仕立ての良い部屋着姿で靴も履いていないその様は、誘拐されてきたかのようだ。

私が半歩後ろに控えていた涼平の手を取ると、涼平は屈んで女の子の手を取った。二人の近い距離に嫉妬してしまいそうになり、これは仕事だと自分に言い聞かせる。


「…怖い?」


涼平に問われた女の子は小さくかぶりを振る。年齢にそぐわない静かに達観した目が、真っ直ぐに涼平を見つめている。女の子が口を開いた。


「わたし、自分で出来るよ」


「………」


「お兄ちゃんたちに手伝ってもらわなくても、大丈夫。でもお母さんはきっと無理だから、わたしが死んだら、そのまま帰してあげて」


迷惑かけてごめんなさい、と女の子が言う。子供は賢い。母親に死ぬ気概がないことを、ちゃんと見抜いている。


「…涼平」


黙ったままの涼平に嫌な予感がして声をかけるが、涼平は女の子から視線を外さなかった。


「君は、死にたくない?」


「お母さんは、わたしが新しいお家で暮らすのが、さびしくて生きていけないって。でもわたしも、もうお母さんとは生きていけない」


「…新しいお家は、嫌じゃないのか」


「新しいお母さんもお姉ちゃんも、みんな大好き。でも、わたしだけ幸せなのは、駄目だよね」


「………」


涼平は女の子の手を握ったまま動かない。私が痺れを切らして何か言う前に、母親がこちらに歩み寄って来た。


「…あの、何か問題でも…?」


「この子は、死にたくないようですが」


私が返事をする前に、涼平が切りかえした。思う通りにいかない展開にいらいらする。女の子が驚いて涼平を見上げている。


「死を望んでいない人の、自死代行は出来ません」


「…っ!あなたに何がわかるんです!?私はこの子の母親です!この子のことは、私が一番よくわかっている!この子は私なしじゃ生きていけないんです!!」


母親のヒステリックな声が響く。私は苛立ちを何とか抑えて、人避けのためにサクラを走らせる指示を出す。かろうじて犬の形だったサクラは黒い煙となって、すぐに闇に溶けていった。


「母親だろうが何だろうが関係ない。本人の意思だけが、自死代行の条件です」


あんたたちみたいな子供に何がわかるのよ!偉そうに!と喚いている母親に殺意を覚えながら、自殺じゃなければ意味がないのだと深呼吸をする。事態を面倒にしているのは涼平だ。さっさと済ませればいいものを。

あとで、しっかりと分からせなければ。


「…お母さんの目的は心中ですよね。お母さんから先にしてはいかがですか。死ぬのに後も先もないでしょう」


いよいよ耐えかねて口を挟んだ。もちろん、僕たちが力添えしますよ、と笑顔で問いかける。母親は引きつったような表情になった。


「わ、私は、この子が逝くのを見届けないと…」


「そうですか。いえ、苦しむ姿を見たくないと仰っていたので。苦しむ姿は見れなくても、遺体を確認することは出来るんですね」


うんざりして油断していたせいで、反応が遅れた。気がつけば鬼のような形相になった母親に掴みかかられていた。振りほどけない。いくらこの身体が非力でも、目の前の母親の方が小柄で華奢だ。火事場の馬鹿力とは恐ろしい。


「痛…」


「春樹!」


「やめて、お母さん!わたし、ちゃんとお母さんと一緒に死ぬから!お母さんをひとりにしないから!」


涼平と女の子が母親を止めに入ると、母親は瞬時に俺から離れ、女の子に平手を喰らわせた。女の子が殴られた方向に転がる。


「お前も!誰に向かって口をきいてるの!子供のくせに!誰がひとりだって!?同情するな!そんな目で見るな!一緒に死ぬのは当たり前でしょう!お前は私の娘なのよ!!」


『この子の前に、二度と現れるな』


涼平の声が響いて、母親の喚き声が止まる。女の子は泣き出しそうな顔で、突然動かなくなった母親を見つめている。


『消えろ』


先程までその身に滾らせていた怒りは跡形もなく消え失せ、みすぼらしくやつれた様子に戻った女はゆるりと身を翻し、とぼとぼと歩いて暗闇へと消えて行った。


どれくらいの時間か、残された私たち三人は固まったように動かなかったが、女の子がのそりと立ち上がり、橋の方へふらふらと歩き出した。


「待って」


涼平が女の子の腕を掴む。私はこれ以上ないほど深いため息を吐いて、目頭を揉んだ。


「しにたい」


「………」


女の子の口からは蚊の鳴くような声がこぼれ、目からはぽろぽろと涙が溢れる。


「もう、死にたい。わたしは、誰のことも幸せにしない。生きてちゃ、いけない…」


涼平は女の子の前に回りこむと、最初に手を取ったときのように身体を屈めて、その目線を合わせた。


「…誰のことも幸せにしなくても、生きてていいんだ」


「………」


「この世界の誰が許さなくても、幸せになっていい。幸せになっていいんだ」


「…お母さんが、許さなくても…?」


「お母さんの幸せは、君とは別のものなんだ。すごく寂しいことだけど、大好きな人と一緒に幸せになれないことも、一緒に生きていけないこともある。…お母さんの幸せは、君にはどうすることも出来ない」


女の子の目がいっぱいに開かれて、涙がとめどなく流れる。そこにあるのは安堵か絶望か、それとも両方か。私にはわからなかったが、知ろうとも思わない。


寂しかったな、と涼平が言うと、女の子は声を上げて泣き出した。殴られた頬が腫れ上がって、余計に醜くなった。


「君は、君自身を幸せにすることしか出来ない。それでも、どうか、生きてくれ…」


誰に宛てているのかわからない涼平の言葉を最後まで聞かずに、私は踵を返して帰路に着いた。

丑三つ時が、ちょうど終わった。







「おかえり」


リビングのソファーに寝転がって、涼平を出迎える。ただいま、と涼平が呟いて、少し躊躇ってから私の前に膝をついた。横になったまま涼平と視線を合わせる。


「…あの子を家まで送って、遅くなった」


「うん」


「…ごめん」


「それはいいけどさ。空振りだったな。楽な仕事のはずだったのに」


微笑みを深くすると、涼平がさっと視線を逸らした。声に出して笑い出しそうになるぐらい、可愛らしい。


「どうするの。自殺者がいなきゃ、俺が死んじゃうけど」


「死なせない。…今度は、ちゃんとやるから」


「なぁ。死なせないって、この身体のこと?それとも中身?」


涼平が息を呑むのがわかる。…こんなに怯えて、可哀相に。


「どうしてあの子を生かした?放っておいたら勝手に死んでくれそうだったのに」


「………」


「黙って俯いてたら、何もわからない」


意地悪を言ったつもりが、顔を上げこちらを見る涼平の目が、思いのほか力強かった。


「お前に、見せたくなかった。死にたくないのに、死んでしまう子供を」


「………」


自分の顔から表情が消える。さっきまでの高揚していた気分が急速に冷えていく。


「お前って、誰のこと」


「………」


「答えろ」


「春樹と、アヤだ。…アヤに、見せたくなかった」


はっと乾いた笑いがこぼれる。私の顔が歪んでも、涼平は視線を逸らさなかった。


「珍しいね。というより、初めてじゃないか?涼平がアヤを気遣うの」


「…アヤ、」


「涼平。俺は、春樹だよ」


涼平の表情がようやく崩れた。絶望して、その絶望に染まるまいと、必死に抗う顔だ。そうだ、それでいい。


「どうしたんだよ。涼平は俺だけいればそれでいいんだろ。アヤの葬式でさえお前は、俺の心配ばかりして、涙のひとつも零さなかったじゃないか」


涼平はひどく傷ついたような様子で、音にならないほど微かに、違う、と呟いた。


「違わない。他でもないこの俺が、ずっと傍で見てたんだ」


私は横向きに寝ていた身体を仰向けにして、涼平に手招きする。涼平はあからさまにぎくりとしてから、恐る恐る私に近づく。近づいてきた涼平の顔にそっと手を伸ばして、その頬に触れる。


「…今夜は、俺の部屋で一緒に寝ようか」


反射で離れていきそうな涼平の首に腕を回して、ぐいと遠慮なく引き寄せる。涼平は咄嗟にソファーに手をついて、健気に私との距離を保っている。


「…っ」


涼平の表情は筆舌に尽くし難い。苦悶の中で泣き出すのを必死に堪えているようなそれに、喉を鳴らしてしまいそうになる。


「…可愛いな、涼平…」


「………ゆるしてくれ、アヤ……」


どうかゆるしてと繰り返す涼平の震える背中を、ゆっくりと撫でてやる。今すぐにでも爪をたて牙をたて、一息に壊してやりたくなる衝動を飲み込んで、幼子をあやすようにその身体を抱きしめた。


……もういつでも、この男を手に入れられる。


欲しいものは何だって手に入れてきた。どんな手段を使っても。誰を利用しても。

手に入らないのなら、壊してしまうのも乙なものだ。


「さっきの、あのイカれた女に掴まれたところ、怪我してるかも。なぁ涼平、確認して。手当てしてくれるだろ…?」


私の腕の中で強張る涼平に、あはは、と声を出して笑った。





細々続きます

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