第六話
区切るために、ここから第二章です
芦川院で涼平と対峙し、帰蝶が自分の兄と決着をつけてから二週間が経った。町の行方不明者は戻らなかったが、以降その数は増えることはなく、不穏なニュースもない。愁たちは東京に戻り、帰蝶は変わらず学校生活を続けていた。
「試してみたけど、前は十メートルそこそこだったのが、四十メートルぐらいまで跳べた。速さも桁違い。体感としては、十倍ぐらい力が強くなってる」
「よん…!?いよいよ人外だな…何も還ってこないのか?」
「うん、特に。だけど日常の中で力を制御するのが難しい。何をするにも恐る恐るになった。慣れるしかないけど、慣れないかも」
「お前の場合は常時呪いが発動しっぱなしなのが、そもそも対価なのかもしれないな…」
スマホの通話越しに鈴鹿のため息が聞こえる。言外に「だから言わんこっちゃない」と言いたいのが伝わってくる。
「そっちはどう?槙さんは平気?」
「元気だよ。元気っつっても、あいつゲームばっかだけどな。あんたらに関わったときはきりきり働いたからそんな風に見えねえかもしんねえけど、普段はサボり魔なんだよ。ろくに事務所にも来やしねえ」
鈴鹿の言葉に帰蝶は少し安堵する。槙はすっかり子供のような見た目になってしまった。これ以上呪いを使わせるわけにはいかない。
「町は変わりねえみたいけど、あいつはどうなんだ。遠野とやらと連絡はついたのか」
「音信不通のまま。多分大丈夫だと思う」
「多分ってお前な…。気ぃつけろよ。あのガキの姿した呪いがどっかにはいるんだ。とにかく自分の身を守れ。いいな」
通話が切れる。愁のためなのだろうが、鈴鹿は未だにこちらを気にかけてくれている。忙しい愁に代わって週末は電話を寄越すようになっていた。
明日からまた学校だ。涼平は三週間休んだままだが、帰蝶は無闇に心配するのをやめた。今はただ、自分に出来ることをするだけだ。
いつか、そのときが来るまで。
スマホの画面に映るピアノをしばらく眺めてから、帰蝶は休日を終えた。
翌朝、帰蝶が登校すると、教室がざわついていた。自席の前に涼平が座っている。俄かに信じられない思いで、それでも普段どおりに自席に向かった。
「…おはよう」
「おはよう」
声をかけると、しっかりと返事があった。帰蝶が席につくと、涼平は読んでいたレシピ本から顔を上げて、こちらを振り返った。顔色が悪い。
「今日の放課後、うちに来れるか」
「…いいけど。どうしたの」
「そのときに話す」
涼平はまた前を向いて、読書を再開した。胸がざわつく。涼平に向けていた意識が途切れたからか、クラスメイトたちの会話が耳に飛び込んできた。教室はざわついているのはどうやら涼平のせいではないらしい。
「見た?留年の一年生外国人。入学してからずっと入院してたんだって」
「遠野くんと一緒に登校してたよね。休んでたのと関係あるのかな。聞いてみなよ」
やだ、やめときなよ~、とはしゃぐ彼女たちはいかにも女子高生らしい。帰蝶はやはり信じられない思いで、涼平の制服を後ろから引っ張った。
「どういうこと」
涼平が仕方なさそうにこちらを振り向く。視線が合うが、その目に力がない。
「…春樹が退院した。今日から復学で、しばらく一日置き、午前だけ登校する。俺はそれに付き添って早退するから、お前は放課後うちに寄ってくれ」
「涼平の家にいるの」
「春樹はもう十八だ。養護施設も難しい。他にどこがある」
話は終わりだと涼平は前を向いた。帰蝶は呆然として、まだこの事態を飲み込めずにいた。
春樹が退院したなら、その死んだような目は何なのだ。もしやもう治療が困難で、最期のときを自宅で過ごすための退院なのだろうか。だとしたら、復学など可能だろうか。春樹に残された時間が少ないとしたら、涼平なら片時も春樹から離れ難いはず。
「………」
答えは出ない。家に呼ばれたということは、帰蝶に何かしら役割があるということだ。
全ては放課後だ。帰蝶はどうにか頭を切り替えて、普段通りに一限の予習に取り掛かった。
六限の終わりを告げるチャイムが鳴る。涼平は宣言していた通りに四限が終わると帰って行った。クラスメイトたちはまだ朝の話題で囁き合いながら、帰り支度や部活動に向かう準備をしている。
帰蝶がスマホを見ると、真紘からメールが届いていた。また連絡する旨を返信して、帰蝶は教室を後にした。
「いらっしゃい」
涼平の家に着き、合鍵は持っているものの一応チャイムを鳴らすと、玄関で出迎えたのは春樹だった。少し伸びた髪を後ろで結んで、グレーのルームウェアを着ている。痩せてはいるものの、しっかりと自分の足で立っている。最後に病院で面会したときよりずっと顔色もよく、生気に満ちているように見える。
「……お邪魔します」
こんなに急に回復することもあるんだろうかと疑念が拭えないまま、涼平の家に上がる。涼平はキッチンで夕飯の下準備をしていたようだが、帰蝶がリビングに入るとその手をとめ、お茶を入れ始めた。普段は珈琲を好んで入れるが、春樹のためにカフェインの入っていないものを選んでいるんだろう。帰蝶はファミリー向けの大きなテーブルにつくと、春樹がその向かいに座った。
「退院おめでとう。学校で聞いて、驚いた」
「ありがとう。驚かせようと思って連絡しなかったんだ。ごめんね」
涼平が三人分のお茶をトレーで持ってきてテーブルに並べると、春樹の隣に腰をかけた。帰蝶はいただきますと言ってお茶を一口飲むが、緊張のためか味がしない。涼平の表情は朝と同じように、硬いままだ。
「二人とも、何だか嬉しそうじゃないね。念願叶ったっていうのに」
春樹に拗ねるように言われ、苦笑する。
「…急すぎて、実感わかなくて。直接会うの、一月半ぶり」
「そうだっけ。寝てたから、それこそ実感ないな。南さん、髪切ったんだね。似合ってるよ」
ありがとう、と帰蝶が返すが、ぎこちなさが抜けない。なぜか春樹が白々しく感じる。涼平が黙り込んだままなのも気になる。
「…それで、話ってなに」
帰蝶が切り出すと、「すぐ用件に入るとこ、相変わらずだね」と春樹が微笑んだ。
「涼平からは、もう南さんは降りたと聞いたけど。一応、念押ししておこうと思って」
春樹がまっすぐに帰蝶を見る。…春樹はこんな表情をする人だったろうか。髪を結んで、印象が変わっただけだろうか。
「…自死代行は、今後涼平と俺の二人だけで行う。南さんはお兄さんが反対してるんだろ」
「…まだ、続けるの」
「当然。むしろ、何でやめると思うの」
帰蝶は何も言えなくなる。そもそもなぜこの二人が自死代行をするのか、帰蝶は知らないのだ。
「まだ万全じゃないけど、これからは俺が自由に動けるからね。南さんがいなくても問題ない」
「春樹が、代わりに死ぬの」
「…………そうだよ」
なぜかたっぷりと間が開いて返ってきた答えに、涼平の顔が青褪める。帰蝶はそれを見て、今まで決して触れなかった部分に触れる決意をした。
「どうして、自死代行をするの?」
「………」
春樹はテーブルから少し身体を離して、足を組んだ。髪型と服装のせいか、知らない人物に見えて仕方がない。
「南さんはさ、寿命って何だと思う?」
「……健康にしていれば、その年まで生きられるだろうっていう、基準」
帰蝶はこの手のやり取りが苦手だが、今は食らいつくしかない。自分なりに言葉を選ぶ。
「そうだね、ひとつの正解だ。ペットを飼うときはその寿命を気にかけないとって言うもんね。その生物の種としての大まかな寿命は、おおよそ決まってる。じゃあ怪我や病気、事件や事故で死んだ生き物はどう?それが寿命だと言えると思う?」
「…思わない」
「なぜ?」
「怪我や病気が治れば生き延びられるし、事件や事故に巻き込まれなければ、死なずにすんだ命だから」
「なるほど。たらればの仮定の話だね」
「………」
帰蝶は二の句が継げなくなる。春樹が何の話をしたいのかがわからない。春樹は腕を組んで首を傾げて、帰蝶を上目遣いで見ている。
「病気で死んだ人は、寿命ではなかったと?事故で死んだ人も」
「そう、思う」
「俺はそうは思わない」
春樹が即答する。涼平の顔は俯いていて、すっかり長くなってしまった前髪で表情が見えない。
「どんな理由にしろ死んだという結果があるなら、それがその人の寿命だよ。そう思わないと可哀相じゃないか。本人にはどうしようもないことで、天寿を全う出来なかったって?もっと生きられたはずなのにって?偶発的なアクシデントも、避けられなかった運命と考えれば、立派な寿命だろ」
「…それこそ、屁理屈じゃないの。寿命を生きられなかった悲しい事実を直視したくない、逃げの、諦めの発想じゃないの。これが運命だったと思って、楽になりたいだけじゃないの。たしかに、生まれてすぐに死んでしまうような命はある。でも、突然罪もなく殺された人に対してその人は寿命だっただなんて、とてもじゃないけど言えないし、思わない」
「………」
春樹の笑みが深くなる。…こんな笑い方をする人ではなかったはずだ。違和感が大きくなっていく。
「一般的で、道徳的な考え方だね。ならば自殺は?己を殺すしかなかった人はどう?天寿を全うした?」
「もちろん違う」
「なぜ?その人はもうそれ以上、生きられなかったのに。もう生きていられないと思うのは、精神的な寿命を迎えたから。そういう風には考えられない?」
「…もう死ぬしかないと思った、追い詰められた原因があるはず。理由もなく死ぬ人なんていない。そこに至る過程と原因がある。病気と同じで、その原因を取り除くことが出来れば、死なずに済む」
「綺麗事だね。取り除けなかったから死ぬしかなかったのに。ならば自殺した人は、本来の寿命を持て余したと?」
帰蝶が頷くと、春樹が突然声を出して笑った。可笑しくて仕方がないと言った様子で、目にはうっすらと涙まで浮かんでいる。
「じゃあ君は、死なずにすんだはずの、寿命を持て余した人たちを、今まで殺してきたのか」
「………」
何も言えなくなる。その通りだからだ。今まで深く考えてこなかった。その結果が、今だ。
「…そう。私は、私の目的のために、どうでもいい他人を殺してきた。どうせ死ぬ命だと思って。自分には関係ないと思って」
春樹は声を上げて笑うのをやめて、それでも嫌な笑みを浮かべたままだ。
「それこそが正解だ。俺たちがやってきたことは、つまりそういうことなんだ。俺は寿命を残して死んだ人の命を、もったいないから分けてもらいたかっただけだよ。悔しいじゃないか。生きたくても生きられない俺の前で、贅沢にも自殺しようだなんて。その死を有効活用して、何が悪い?」
「…命をわけてもらうって、どういう意味」
「そのままの意味だ。この町で誰かが自殺すれば、その分俺が生き永らえる。俺は、そういう呪いなんだよ」
脳死の臓器移植と思えば何もおかしくないだろ?と春樹は言う。帰蝶は絶句して、涼平を見た。涼平はこのことを知っていたのか。春樹はさも愉快そうに笑っている。
「涼平は知ってたよ。俺のために、人を殺してたんだ」
「………」
…何かがおかしい。春樹の言った通りなら、涼平が突然様子が変わる理由がない。今の状況は、春樹と涼平の願った通りの展開なのだから。
「…涼平は、私と違って自殺を寿命と思ってた。違う?」
帰蝶は涼平に語りかけるが、返事はない。帰蝶は出会ってから今まで感じてきたことを思い出して、懸命に言葉を紡ぐ。
「死にたくても死に切れない人に、涼平は手を差し伸べてた。私にはそれが救いに見えた。…だから、手伝ってこれた」
それが間違ったことだとわかっていても、と帰蝶は続ける。
「私と涼平は違う。涼平は自死代行を殺人だとわかってても、そう思いたくなかった。春樹のためにやってることだとわかっていたけど、ならどうして、涼平は今何も言わないの。この状況は、本当に二人が望んだことなの?」
春樹は笑うのをやめて、涼平を見る。涼平の唇が震えるのがわかる。
「俺は…」
俺の望みは、と涼平の口が動くと、それを遮るようにして春樹が静かに言い放った。
「駄目だよ涼平。わかってるだろ」
「………」
脅しているかのような響きに、涼平の口が引き結ばれる。
「お前の口から言ってあげないと駄目そうだ。早く引導を渡してやって」
言霊を使ったって構わないだろ、と春樹が言う。…この人は、本当に自分が知っている芦川春樹なのか。帰蝶があまりに盲目的で、物事をきちんと見つめてこなかっただけなのか。春樹は最初からこういう人物だったのか…?
答えが出せずにいる帰蝶に、涼平が冷たく告げた。
「…帰蝶に出来ることは、もう、ない。俺たちには、関わらないでくれ」
放っておいてくれ、と涼平の言葉が、広すぎるリビングに静かに響いた。窓から夕日が差して、三人を茜色に染める。
涼平は力を使っていないが、帰蝶を頷かせるには十分すぎるほど、彼の懇願は切実だった。
今深追いすれば、逆に彼を壊しかねない。帰蝶はそう感じて席を立とうとして、ふと思い出す。…どうして今まで気づかなかったのか。
あの呪いは、あの少女は、どこだ。
「春樹」
「………」
春樹は黙ったまま、微笑んで帰蝶を見ている。その瞳は、黒目が青く縁取られている。…春樹の目は、緑がかっていたはずだ。
「……黄昏時だね」
「………」
「春樹。…声を、聞かせて」
春樹の口が弧を描く。瞳が細くなって、まるで猫のように見えた。
<あはは。さすがにそこまで馬鹿じゃないか>
聞き覚えのある声に全身が総毛立つ。帰蝶は反射で椅子から立ち上がった。
「お前は…。春樹はどこ」
<ここにいる。私が春樹だよ>
「ふざけたことを…!」
帰蝶は涼平を見るが、涼平は項垂れてこちらを見ようとしない。その姿があまりにも儚げで心元なく、思わず駆け寄ろうとして、気づく。
夕日に照らされた涼平の身体が、透けている。
「うそ…」
<うそじゃない。心配しなくても、すぐに死んだりしない>
春樹の姿をした誰かが笑う。これは間違いなく、あの少女だ。
死んだはずの、春樹の恋人。
「帰ってくれ」
涼平がこちらを見ないまま呟いた。
放っておけるわけがない。もう見失いたくない。
帰蝶が涼平に近づこうとすると、『帰れ』と涼平の声がした。
「…っ。ぐ…」
頭が割れそうになって、それでも踏みとどまる。
<あら。なるほど。呪いの大元を取り込んで、いっちょまえに強くなったのね>
少女の声がひどく不快だ。無理矢理に頭の中に割り込んでくるかのようだ。帰蝶は思わず耳を塞ぐ。
<あはっ。いいわ。特別に、わたしが言ってあげる>
わたしが優しくてよかったわね、と聞こえた気がした。春樹の口元がはっきりと動くのが見える。
<<か え れ>>
帰蝶は気づくと、自宅の自室に立ち尽くしていた。
涼平は。春樹は。自分は涼平の家にいたはず。どうやって帰ってきたのか、記憶にない。
スマホの着信音が鳴る。状況が飲み込めず呆然としたまま、通話に出る。
「あ、もしもし、帰蝶ちゃん?ごめんね。すぐに返事もらいたくて、かけちゃった。今大丈夫?」
そういえば真紘からメールが来ていた気がする。混乱が治まらない頭のまま、何とか返事をする。
「…平気。すぐに返事しなくてごめん。それで、何だっけ」
真紘のため息が聞こえる。
「もう、メールの内容読んでないでしょ。今週部活が休みだからさ。勉強会どうかなって思って。前に部活が休みのときは連絡するって、約束したでしょ」
…そうだ。そうだった。ようやく頭が回りだす。
「俺、橘さんの連絡先知らないままだからさ。帰蝶ちゃんが連絡してあげて」
「うん、わかった…」
「都合、合うといいんだけど。また三人で会うの、楽しみだな」
「…三人?」
ざわりと、無視出来ない悪寒が走る。聞きたくないことを、知りたくないことを、知ってしまう、予感。
スマホを持つ手と、口が震える。
「…涼平は。誘わないの。せっかく今日、登校してきて…」
「うん?涼平って、誰?」
帰蝶の手からスマホが滑り落ちた。落ちた衝撃で、通話が切れたらしい。
ピアノを映した画面に、ヒビが入っていた。
細々続きます




