満願
心電図の電子音が規則的に聞こえてくる。目を開けると、見慣れた白い天井が映る。
「………」
腕を持ち上げてみる。ずいぶんと細くなってしまったが、問題なく動きそうだ。
巡回の看護師がこちらに気づいて、内線を飛ばしながら去って行った。直に医者が来るだろう。
「……ようやくだ」
目覚めた少年は微笑んで、もう一度同じ言葉を繰り返した。
「やっぱり、ここにいた」
涼平は微睡みから目覚める。まだぼんやりとしていて、夢の続きのようだ。聞こえないはずの声が聞こえた。
「お前は本当に、この桜の樹が好きだな」
「………」
ここに居るはずのない春樹が、涼平を見下ろしている。入院着ではない、私服を見るのはいつ以来だろうか。最後に一緒に外出したのは桜の頃、アヤの三回忌で墓参りをしたときだ。もう半年近く前になる。
きっとまだ夢の中にいて、自分のみたい幻を見ている。どうせ夢なら、己が願望を堪能したって構わないだろう。涼平は桜の樹の根元に腰をかけたまま、春樹に手を伸ばす。春樹が屈んで、彼の頬に手が触れた。
…温かい。
現実の春樹はきっとこんなに温かくないだろう。患ってから、彼はいつも寒そうだった。
そしてこれが現実なら、涼平はきっとこんな風に彼に触れられない。
自分の手に春樹の手が重なる。その心地良さに思わず目蓋を閉じると、彼の顔が近づいてくる気配がした。涼平が目を見開く。
「誰だ」
意識が覚醒する。重なっていた手を払い、目の前の顔を睨みつけた。
「なに、どうしたの」
春樹が微笑んでいる。…これは、夢じゃない。
「ひどいな。退院して、すぐに涼平に会いに来たのに」
涼平は立ち上がって辺りの気配を探るが、ここには自分と春樹しかいない。
春樹しか、いない。
頭がすっと冷たくなり、足元がなくなるような感覚によろめいて、思わず桜の樹に手をついた。
「お前は…」
口が震えて、うまく言葉が出ない。春樹は柔らかく微笑んだままで、「退院、祝ってくれないの」と言った。間違いなく春樹の声だ。聞き違えようがない。
「………おめでとうと、俺に、言わせたいのか……」
力なく項垂れる涼平に、当然だと言うように春樹が笑いかける。
「約束を、果たしただけだ」
何より愛しい人の声で、絶望を聞いた。世界が色を失っていく。
「ずっと、一緒にいよう」
世界の終わりは、きっとこんな音をしている。
頭に旋律がよぎって、しかしそれを形にすることは、きっともうない。
手が差し伸べられる。震える指でその手を取ると、強く握り返された。
…もう、逃げられない。
春樹が無邪気に笑った。




