幕間 日常
ささやかな学園要素
「和泉くん、良かったらお昼一緒にどうかな」
クラスメイトの女子たちからお声がかかる。四限が終わってようやく昼休みだ。女の子たちは可愛くてお喋りも楽しいけれど、今日は朝から携帯にSOSが届いている。
「ごめんね、部活のミーティングなんだ。また誘って」
じゃあまた今度ねと残念がる女の子たちを置いて教室を出る。廊下ですれ違うバスケ部員に「すまん」と片手を上げると、仕方ないなと言わんばかりに肩をすくめられる。察しの良いチームメイトを有り難く思いながら、旧校舎に向かう。
旧校舎は古い木造でエアコンなどの設備もなく、授業にはもうほとんど使われていない。大半は運動部の部室代わりか文化部の物置のようになっていて、放課後以外はまず人がいない。日当たりの悪い立地とはいえ、夏休みが明けたばかりのこの時期はやはり暑い。
二階の突き当たり、第一音楽室の扉を開けようとして、中からバン!と何か叩きつけるような大きな音が響く。驚いている間に開けようとしていた扉が勝手に開き、そこには肩をいからせ白髪をなびかせた、明らかに怒ってます!という顔をした帰蝶ちゃんがいた。
帰蝶ちゃんは俺がいることを当然わかっていたという様子で、「真紘!涼平を甘やかさないで!」とガンを飛ばして去って行った。高嶺の花と囁かれ、しずしずと学校生活をこなす普段の姿は微塵もない。
音楽室に入ると、鍵盤に蓋をした古いピアノに涼平くんが突っ伏している。床には手書きの楽譜や走り書きのメモが散らかっていた。
「もしかして、また二番の歌詞が書けないモード?」
近づいて声をかけても、反応がない。
「おーい。これでも貴重な昼休みを割いて来たんだけど」
のそり、と顔だけ動かした涼平くんの目は死んでいた。
「真紘…何で歌には二番が必要なんだ…誰が決めたんだ…」
「知らないよ。一番だけでもいいんじゃない」
「サビだけじゃどうして駄目なんだ…」
「一番も出来てないんじゃん!」
突っ込みながら床に散らかった紙を集める。どうやら楽譜は完成しているようだが、走り書きのメモの内容はとっ散らかっていて、ほとんどが斜線で消されている。
うちの学校は一応文武両立を謳っている公立の進学校で、何かしら部活に入らなければならない。集団行動をかなぐり捨てている涼平くんは一年生の頃、帰蝶ちゃんともう一人不登校の女の子と三人で、この「音楽同好会」を作ったらしい。人数が五人以上いないと部活として認められないが、去年一年間の活動内容を評価され、今では同好会ながら部活と同じ扱いを受けている。
ただ新校舎の第二、第三音楽室は吹奏楽部と合唱部が使っているので、音楽同好会は夏は暑く冬は寒い、この古びた第一音楽室しか場所がない。本人たちは「人がいなくて良い」と気に入っているようだが、時折こうして呼び出される身としては若干の不便さがある。
ちなみに活動内容は「作詞作曲、学外での作品発表」で、あちこちの病院を巡っては演奏会を開いている。その評判は凄まじく、シークレット開催ゆえにプレミア化していて、隠し撮りされた動画が拡散されたときはバズって軽い騒ぎになった。音楽関係者の目にとまったなんて噂も流れたが、本当のところは俺も知らない。情報共有されないことを寂しく思うが、俺は音楽同好会ではないし、何より学校中から近よりがたいと遠巻きにされ憧れの的となっている二人が、学校では自分しか頼る相手がいないのだと思うと優越感がわいて、目を瞑ってしまう。
「ええっと…。イントロ、A、B、サビ、間奏、A、B、サビ、間奏、C、ラスサビ、アウトロ…で合ってる?うわぁ、相変わらず曲だけはバチバチに仕上がってんね」
「イントロ、C、サビ、アウトロ、じゃ駄目なのか…」
「いやいやいや。曲は出来てるんだから。ほら、頑張って」
「言いたいことなんてそんないくつもあるわけない…」
腐っている涼平くんは置いておいてメモに目を通す。その中から唯一、詩が成立している部分を見つける。おそらくこれがサビなんだろう。
「うーん。「今も焼きついて」、か。過去を振り返ってるんだよね。一番は過去を描写して、二番は現在、ラストは未来を想起させるような締めとか」
涼平くんは気分転換がしたいだけなので、俺は無責任に適当なことを話す。
「未来…。未来」
涼平くんは突っ伏していた頭を起こして、紙にペンを走らせ始める。今日は立ち直りが早い。
しかしすぐにまた突っ伏してしまった。
「先のことなんてわからない…経験したことしか書けない…」
「………今のその言葉を、そのまま書いたら?」
俺は根気強く会話を続けながら、とっ散らかったメモを眺める。
「…片想いばっかりだね」
今更なことに触れる。
「それしか経験がない」
涼平くんは恥ずかしげもなく言い切った。
歌詞は実体験なのだと堂々としている姿は、潔いというよりただ自分に無頓着なだけのようで痛ましい。彼の書く歌詞は身を裂かれるような切ない悲恋ばかりだが、その悲恋を辛いものと思っていない様子が、情緒が育っていない小さな子供のようで、その危うさが、彼自身と彼の作る音楽の魅力になっているように思う。
「全部ラララでも良いと思うのに、帰蝶が「歌う方の身になれ」ってきかないんだ。だったら自分で作詞すればいいのに…」
実質二人きりで活動する涼平くんと帰蝶ちゃんは、周りから当然のようにカップル扱いされている。俺も出会ったばかりの頃はそう思っていたけれど、こうして少なからず二人と関わるようになってから、どうやら違うらしいと気づいた。二人の間に、涼平くんの綴る悲恋な要素は欠片も見当たらない。
「帰蝶ちゃん理系だからね。国語がね」
「そういう問題か…?」
帰蝶ちゃんはあまり口がうまくない。ただの本人の性格だと思うけれど、インパクトのある外見のせいもあって、海外育ちの帰国子女だと噂されている。噂の中には日本国籍じゃないだとか、そもそも戸籍がないなんてものもあった。こういうのは一体どこの誰が言い始めるのか。噂の真偽を本人に確認したことはないけれど、今一緒に暮らしている家族とは血が繋がっていないことは以前聞いたので知っている。
携帯で時間を確認すると、予鈴まであと五分というところだった。新校舎までは少し時間がかかる。
「そろそろ戻らないと。ほら、片付けて」
「放課後また来るんだからこのままでいい」
ようやく身体を起こした涼平くんはてっきり不貞腐れていると思ったが、なぜか見たことのない真剣な表情をしていて、思わずどきりとする。
『諦めろ』
涼平くんの声が響く。小さな声だったのに不思議なほど反響したように感じる。音楽室だからだろうか。
「え、なに。そんなに片付けたくないの」
「うん」
「メモとか失くしそうじゃない?誰かに見られたら恥ずかしいよ」
「恥ずかしくない。……いや、やっぱり片付けてから行く。先に戻ってくれ」
「ええ?なんなの、もう……」
さっきのシリアスな雰囲気はもうないが、取りつく島もなく音楽室から追い出された。
人を呼び出しておいてこの仕打ち、と思わんでもないが、涼平くんがマイペースなのは今に始まったことじゃない。それより昼食を食べ損ねてしまった。まあ別に遅弁でも構わない。涼平くんは何か食べたんだろうか…と考えながら歩き出すと、廊下の影からぬらりと帰蝶ちゃんが現れた。…普通に怖い。
「わっ、びっくりした。戻ってなかったの」
「一緒に戻ろう」
帰蝶ちゃんが俺の手を引いて歩き出す。突拍子のなさに驚くが、帰蝶ちゃんは有無を言わさずぐんぐんと早足で歩く。
「君たちは人の話を聞かないよね…」
諦めて高嶺の花に手を引かれたまま歩く。誰かに見られたら騒がれるか羨ましがられるか、どっちにしろ面倒だが、ここは旧校舎なので誰ともすれ違わない。
「ごめんね」
かけられた言葉に帰蝶ちゃんの顔を伺う。普段の無表情だが、心なしか落ち込んでいるように見えた。さっき俺が言ったことを気にしたのかもしれない。
申し訳なくなって何か言おうとしたが、何を言うか迷ってるうちに新校舎に着いてしまった。帰蝶ちゃんが俺の手を離す。
「じゃあ、また。いつもありがとう」
二年生の教室は全部三階だ。教室の前まで一緒に行けばいい。そう伝えようとした瞬間、予鈴が鳴った。
俺は完全にタイミングを失ってしまい、また今度挽回しようと諦めて、全く動こうとしない帰蝶ちゃんに「またね。涼平くんによろしく」とだけ言って階段を上がった。途中こっそり振り返ると、帰蝶ちゃんはもういなかった。
ふと、そういえば初めて会ったときは二人ともやたら怖い顔をしてたな、どうしてだったっけ、と思い出そうとして、それは叶わなかった。
「しつこかったな。やっぱり同情なんてするもんじゃない」
「夏は沸くよね。…念のために戻って良かった。いくらなんでも気づくのが遅すぎる。しっかりして」
第一音楽室に楽譜とメモ用紙がひらひらと舞う。涼平は楽譜だけキャッチしながら眉をしかめる。
「普通に教えろ。耳は良くない」
「一目でわかるものを逐一報告しろって?そんなのキリがない。まさかずっとピアノに突っ伏してたの?」
帰蝶は落ちる紙を無視してスマホをいじっている。
「いるんだよね。やたら惹き付けちゃう人…。真紘、優しいから」
涼平はバツが悪そうに床に落ちたメモ用紙も拾い始める。ぽつりと「気をつける」と呟いた。
本鈴が鳴る。ほぼ同時に、帰蝶のスマホが振動した。
画面を涼平に見せるようにかざす。
「春樹から。…どうする?」
「お前は放課後来い」
それだけ言って、涼平は集めた紙をファイルに閉まってから音楽室を出て行った。
「……早引きだって、担任に伝えとく」
残された帰蝶はそう呟いてから、開けられた窓から身を投げた。
音楽室には、誰もいなくなった。
細々続きます